Angel





elementsはバンドであり、メンバーに加わった以上、ナツも楽器の演奏をしなければならない。
練習の為リハーサルスタジオに入ったナツを待っていたのは、一台のキーボード。他に室内には、機材とドラムが設置されている。
ナツは、興味深く室内を見渡しながら、ミストガンに導かれる様にキーボードの前へと立った。

「これが、君の楽器だ」

ミストガンの言葉に、ナツはキーボードをまじまじと見つめる。
キーボードは一番飲み込みやすい。もちろん練習あってのものだが、ギターやドラムよりは、身近にある形だ。それに加え、期間は短く、ギターを教えているだけの時間はない。リーダーであるラクサスにとっては、何であろうと無理やり叩きこむだけだが。

「俺のかぁ」

嬉しそうに笑みを浮かべたナツの顔は、指で鍵盤を押した途端顰められた。

「変なピアノだな」

「キーボードっていうんだよ」

隣に立つグレイに、適当な相槌をうって、ナツは指を滑らせる。懐かしさのある動揺がスタジオ内に満ちた。
音が止むと、両脇で眺めていたミストガンとグレイが、感心したように声をもらす。

「弾けんのか」

グレイの言葉に、ナツは懐かしそうに鍵盤を見つめる。

「ん、ちょっとな」

ナツ達が暮らしていた児童養護施設では、数多くのボランティアも行っていた。その中で、訪れた老人養護施設で演奏もする場合もあり、その際に、年上は楽器を弾くと決まっていたのだ。

「キーボードって変だな。ピアノより軽い」

「弾いている内に、すぐ慣れる」

キーボードとピアノの一番分かりやすい違いは、鍵盤の重さだ。だが、それも練習を重ねている内に慣れるだろう。ミストガンの言葉にナツが頷いた。
感覚に慣れるために好きなように弾いていると、スタジオの扉が開いた。マカロフに呼び出されていたラクサスとロキが遅れて入ってくる。
スタジオ内に入った二人は、ナツがキーボードを扱っている事に意外だったようで、まじまじと見ている。
演奏が止まると、ロキは短い拍手を送った。

「上手だね。まさか、ナツがピアノを弾けるなんて思わなかったよ」

ロキの感心したような声に、ナツは照れながらも口を開く。

「たまに、じーちゃんとこ行って演奏会やるんだよ。俺がピアノ弾いて、じーちゃん達が歌ったりすんだ。本当はガジルの方がピアノうめぇんだけどな。ウェンディは歌が好きでさ……もしかしたら、elementsの歌も知ってんのかな」

二つの名が出たが、施設の子どもだろう事しか察する事は出来ず、全く面識がないミストガン達は話しを合わせる事も出来ない。
どこか遠くを見つめるナツの頭に、ミストガンの手が乗る。その手は子供をあやす様に優しい手つきで撫でた。

「ナツ、君には私達がいる。家族には及ばないかもしれないが、恋しくなった時は私達に甘えてくれていいんだ」

住居を共にしている、仲間であり家族同然。
ミストガンの言葉にナツは、気恥ずかしそうにはにかんだ。

「ありがとな、ミストガン」

ナツ自身、寂しいと感じたわけではない。ホームを忘れていたわけではないが、父親を探しに飛びだして以来、思い出す事をしていなかったから、久しぶりに懐かしくなっただけだ。

「さぁ、そろそろ始めようか」

ロキが、手を叩きながら、促す様に告げる。すでにスタジオ内に入ってから大分時間が経過しているのだ、時間を無駄にしている。
各自で動き始める中、ロキがスタジオを出て行こうとする。すれ違うラクサスへと振り返った。

「優しく教えてあげなよ」

ピアノが多少扱えるとしても、バンドでは色々勝手が違ってくる。バンドではほとんど楽譜など使わないのだ。全てを、初めから教えなくてはいけない。
ナツが逃げ出すとは思えないが、ラクサスが教える場合、飴と鞭などはなく、全てが鞭なのだ。想像しただけで、ロキはナツに同情せざるを得なくなった。

ナツを加えての初めてのライブを、二週間前に控えている。初めて練習をした日の夜、ナツを除いたメンバーとロキは、リビングに集まっていた。
elementsのファンは多く、大半が女性だ。男三人のメンバーであるelements、その中に女性が一人加わった事を、よく思う者など少ない。

「アンチファンだ」

面倒だと呟くラクサスに、ミストガンも眉をひそめる。その視線の先はテーブルの中央に向けられ、そこには手紙が山になっていた。
ファンからの手紙に混じる、批判と中傷。全て、新メンバーであるナツに向けられたもの。
ラクサスとロキがマカロフに呼び出されていたのは、この件に関してだった。

「とにかく、この件はナツには伏せておこう。知っても不安にさせるだけだ」

ミストガンの言葉に、誰もが頷くしかなかった。







その日は、ライブの告知の為に出演したバラエティ番組の収録後。局を出たメンバーが車に乗り込む間、待ち構えていたファン達が押し寄せてくる。
マネージャーであるロキが阻止する中、メンバーは車へと向かうのだが、途中でナツの足が止まった。

「ナツ?どうしたよ」

振り返るグレイに、ミストガンとラクサスも足を止める。ナツに反感を持つ者がいる以上、今の状況は好ましくないのだ。

「さっさと行け」

ラクサスの促がす言葉も耳に入っていないのか、ナツはファンの方へと顔を向けている。呆けている様なそれに、ラクサスが無理やり車内に押し込もうとするが、腕を掴む前に、ナツはラクサスの手から逃れてしまう。

「ナツ!」

ナツは、ファンの群れの中へと突っ込んで行ってしまった。呼びとめる声にも止まらずに、ナツはファンの群れをかき分けていく。

「何考えてんだ、あいつは」

舌打ちするラクサスと共に、ミストガンとグレイもナツを追おうとするが、ファンの群れに入った途端囲まれてしまう。

「ロキ、ナツを」

追ってくれ。そう続けようとしたミストガンの声は、続く事はなかった。
ファンの黄色い声もかき消すほどに、耳障りな音が響き渡る。車のブレーキ音だというのは、聞けばすぐに察する事が出来た。
騒がしかった周囲が嘘だったかのように静まり返る。

「……ナツ」

誰が名を呟いたのか、三人の脳裏にはナツの姿が浮かんだ。背に冷たい者が走り、嫌な想像が駆け巡る。
ファンの視線は音の発生源へと向いている、その間を三人はすり抜けていく。開けた視界に映った光景に、三人は足を止めて立ちつくした。
道路の端に倒れている身体。アスファルトに散らばる、桜色の髪。
ようやく時が動き出したように、周囲に悲鳴が響き渡る。それに我に返ったメンバーが、ようやく足を踏み出した時、転がっていたナツの身体が身じろいだ。
ゆっくりと体を起こす、ナツの下にはもう一つの影がある。赤い髪の女性だ。ナツは、覆いかぶさった体制のまま、口を開く。

「大丈夫か?」

安否を確認するように、下にいる女性を見やる。見える範囲では、外傷は見当たらない。

「あ、あの……」

言葉もうまく出ないようで口の開閉を繰り返す女性に、ナツは首をかしげる。その姿に女性は息をのんだ。
女性の目に見えているのは、背中から白い翼が生えているナツの姿。もちろん、実際に生えているわけでも、女性の妄想でもない。ナツが背にしている空を漂う雲が、そう見えただけだった。
女性は、ちょうど胸元に構えていたカメラのシャッターを、半ば無意識に切った。
ナツに駆け寄ったミストガン達は、周囲の目撃者に話を聞いた。制限速度を無視した車が道路を走り抜け、ちょうど道路を渡ろうとした女性をひきそうになった。それをナツが助けたのだという。
残念な事に問題の車は逃げてしまっていたが、女性が助かった事は運が良かった。ナツが飛びだしていかなければ、間違いなく女性は無事ではすまなかっただろう。
そして、何故ナツがそんな行動をとったのか、その答えはすぐに返ってきた。
ナツが、ファンの群れに飛び込んでいったのは、赤髪を見つけたからだった。ナツの助けた女性の髪は、赤く長い。探し求めている父親と同じ特徴だったために、咄嗟に駆け出してしまったのだ。

「でも、ナツに怪我がなくて良かったよ」

マンションへと戻る車内の中、ロキは運転しながら、鏡越しにメンバーを見回す。騒ぎだす野次馬達を押さえて車に乗り込んでから、誰も一言も発していない。正しくは、ロキ以外が。
ロキは車内の雰囲気を変えようと話題を振るが、誰も返しはしない。ナツなど、自分が原因だと察しているせいか、顔を俯かせたままだ。
ロキが小さく息をついたのと同時だ、ナツがゆっくりと顔をあげた。

「なぁ、俺悪いことしたか?」

ナツの言葉に、隣に座っていたラクサスの眉間のしわが深くなる。グレイが不機嫌そうに声を落とす。

「悪くねぇと思ってんのかよ」

低く呻る様なそれに、ナツが目を吊り上げる。

「何だよ、それ!」

「ナツ」

ミストガンに名を呼ばれ、ナツの意識がグレイからミストガンに移る。
ミストガンは、会話する時は常に相手と向き合っている。ナツといる場合は特に気を使っているのだろう、目を合わさない事はないのだが、今のミストガンは、ナツへと振り向く事さえしていない。

「悪いというのは正しくない。危険だと言っているんだ」

人を助けたのだから、悪事などではなく善行。でも、一歩間違えば、ナツ自身が怪我ではすまなかったかもしれない。それに対しての怒りなのだが、ナツは気付かない。

「止めとけ、ミストガン。こいつに何言っても無駄だ」

ラクサスの冷たい声は出会った頃を思い出す。日数で考えれば、今でも出会ってそう時間は経っていないが、打ち解ける程の時間は経っている。
冷たい声は、ナツの心まで入りこんでくる。ナツは、こみ上げてくる涙を隠す様に慌てて俯いた。それに気付いたロキが、口を開く。

「ナツは、僕たちの事好きかい?」

柔らかい声に、ナツは拗ねたように尖らせた口を開く。

「当り前だろ」

「ありがとう、僕たちもナツが好きだよ。だから分かるよね?好きな人が怪我をしてしまったら悲しいし、それが命にかかわる様な危ない事なら、止めてほしい……僕たちは怒っているわけじゃないんだよ」

ナツの顔がゆっくりと上げられる。その目には零れそうなほどに涙が溜まっていた。

「俺も、皆が怪我すんのは、嫌だ……」

ごめん。
か細く吐きだされた謝罪の言葉に、ロキは目を細める。ナツの素直な性格は、好ましい。
車内に満ちていた冷たい空気は、少しずつ和らいでいった。

数日後、発売した芸能雑誌週刊ソーサラーの記事は、多くの注目が浴びた。記事には、elementsの名と、写真。その写真は、ナツが助けた女性が、ナツに助けられた時にとったものだ。
女性ながらも身を挺してファンを守ったと、話題になった。

「Angelか……本当によく撮れているな」

ミストガンは、写真を眺めながら柔らかく笑みを浮かべた。週刊ソーサラーに頼んで、焼き増しした写真を貰って来たのだ。Angelとは、雑誌に載ったナツの写真に書かれていた言葉だ。

「あんま見んなよ」

気恥ずかしそうにするナツに、ミストガンは笑みを深めながら、ロキへと顔を向けた。

「記念に貰いたいんだが、いいか?」

それを黙っていないのは、グレイだ。ミストガンの手から写真を奪い取った。
無言で二人が睨み合っていると、ロキが己の懐に手を差し込む。再び出した手には、同じ写真が数枚。

「ちゃんと準備してあるよ」

それに、げっと嫌そうに声をもらしたのはナツだ。一枚あるだけでも気恥ずかしいというのに、同じものが複数目の前にある。嫌がらせかと疑いたくもなってしまう。
グレイが持っている分を足しても、メンバー分はある。面倒そうに眺めていたラクサスは眉を寄せた。

「俺の分まであるんじゃねぇだろうな」

「もちろん」

その言葉が肯定を表している事は、ロキの笑みを見れば分かる。
写真を手にして満足そうなミストガンとグレイに、ナツは胡乱気な目を向ける。

「つーか、何の記念だよ」

ナツは知らないのだ、アンチファンがいた事を。今回の事で、批判していた者たちのナツを見る目が変わったはず。どうにか手を打とうと考えていたミストガン達が行動を起こす前に、ナツは、期せずして自ら解決してしまったのだ。
ラクサスは、立ちあがると、ナツへと視線を向ける。

「んな事より、時間がねぇんだ。……たっぷりしごいてやる」

ラクサスの言葉が何を指しているのか、この場にいる者で分からない者はいない。ライブまで、ほとんど時間は残されていないのだ。
ラクサスの笑みを刻む口元に、ナツは顔を引きつらせた。ラクサスに不釣り合いな勇んだ声と、鋭さのある目は、ナツを怯ませるのに十分過ぎる。
ミストガン達に助けを求めようとナツが目を向けるが、それに、ミストガンとグレイは笑みで返した。

「私達が出来る事なら何でも協力する」

「ライブ当日までがんばろうぜ」

逃げ道は完全に断たれている。ナツには、頷くしか許されなかった。

その頃、ハコベ山にある児童養護施設では、少女が廊下を慌ただしく駆け抜けていく。頭上の横二つに結っている長い青髪を揺らしながら、一室へと飛び込んだ。

「大変ですよ、ガジルさん!」

ノックもなしに飛び込んだ事に、部屋の主である少年ガジルは不機嫌に顔を歪めたが、咎める声はない。常の少女は礼儀正しく、他人の部屋に了承なしに入る様な性格ではないからだ。
少女は、ガジルに駆け寄ると、手にしていた物を差し出した。

「これ見てください」

少女が差し出したのは芸能雑誌。指し示す場所には、話題になっているナツの写真が掲載されている。

「髪は長いけど、ナツさんで間違いないですよね」

髪の長さだけではない、記事を読めば性別さえも違う。しかし、付き合いが長く共に暮らしていた少女には、その写真の主がナツであると確信が持てていた。
ガジルは少女の手から雑誌を奪い取り、間近で写真を見やる。

「……何考えてんだ、あの野郎は」

雑誌を握りつぶす勢いで掴むガジルに、少女はただ困ったように顔を俯かせてしまった。

「どうしよう」

「決まってんだろ」

顔をあげるウェンディの目には、口元を引きつらせながらも笑みを浮かべるガジルの顔。

「連れ戻すんだよ」

その声は怒りに震えており、ウェンディの口からは自然と溜め息が漏れたのだった。




2011,04,04


ナツは天使である



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