迎えに行ってあげる。手をつないであげる。
elementsの中で、一番コメディ向きなのはグレイだ。グレイがというよりも、消去法でそうなっただけだが。もちろん、その方が仕事の数は多い。
一人で仕事に赴いていたグレイが、宿舎であるマンションに着いたのは夜。後数時間もすれば日付が変わってしまう。
妙な気だるさも感じて額に手をあてれば、いつもより微かに高い熱を感じた。明日も仕事があるのだ、風呂に入って早々に身体を休めた方が良いだろう。
グレイは浴室へと足を進めた。
疲労と微熱で思考がうまく働いていないから、先客がいる事に気がつかなかったのだ。グレイは服を脱ぎ捨てると、脱衣場と浴室を隔てている戸を引いた。その瞬間、浴室から流れ出る湯気に襲われ、ようやくグレイは我に返った。
「あー、悪い。気付かなか……た」
湯気に支配される浴室。その中の浴槽に見える桜色。思い当たる人物に、グレイは顔を青ざめさせた。
「お。おかえりー」
頭がぐるりと動き。大きな猫目がグレイを捕える。瞬間、グレイの顔が一瞬で赤く染まった。
「わわわ悪い!!!!」
勢いよく戸を閉めたグレイは、頭を抱えた。日にちが浅くて忘れていたのだ、同世代の女子が同居している事を。
グレイの脳内には、先ほどの光景が鮮明に蘇る。濡れた髪。湯に当てられて上気した頬。むき出しになっている肩。
「やべ、見ちまった……!」
完全に湯船につかっていたのだから、見る事ができたとしても肩までだ。
記憶から消そうとしても逆に甦ってくる。鼓動が早鐘を打ち、煩いそれと同調して体温は上がる一方だ。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせようと息を吸い込んだ瞬間、背後の戸が開いた。湯気が背中に当たり、熱を感じる。
動けずに固まっているグレイに、影がかかった。
「風呂入んだろ?」
性格の様に明るい声と共に、覗きこむナツの髪から垂れる滴もグレイへと降りかかる。
グレイは、言葉もなく立ち上がると脱衣場を飛び出した。背後から名を呼んでくる声が聞こえるが、振り返る事などできるはずもない。
「うああああああ!!!」
グレイの脳裏には、何も身につけていないナツの姿が浮かんでいた。それを打ち消すように発狂しながら、グレイは床を蹴る。
慌ただしい足音と声に、自室にいたミストガンとラクサスが顔を出した。
「うるせぇな」
「何かあったの……か」
ミストガンとラクサスは、目に入ったものに思考を止めた。
扉を開けた瞬間、隣接していた二人の部屋の前をグレイが全力疾走で横切ったのだが、その姿は、一糸まとわぬ姿。しかも、下半身が見事に主張していたのだ。
自室に飛び込むグレイに、ミストガンとラクサスは目を覆って項垂れた。
「あの野郎……!」
怒りを浮かべるラクサスと、無言のミストガン。視界の暴力から受けた痛手が大きすぎて動く事が出来ない。
暫くして、脱衣場からナツが出てきた。
「何してんだ?」
ナツの声に顔を上げた二人は、目を見開いた。
ナツは寝間着姿で、頬は上気し、濡れた髪を隠す様にタオルを被っている。それが、今まで風呂に入っていたと物語っている。そして、ナツが出てきたほんの少し前に、全裸のグレイが飛び出してきたのだ。
「そういや、今グレイと会ったんだけどさ。あいつ服忘れてったんだよ」
どうやって部屋に戻ったんだ?
首をかしげるナツに、ミストガンとラクサスはグレイの部屋に向かった。無言だが、足は床に叩きつけるように音を立て、目が据わっている。
不穏な空気に気付く事ないまま、ナツも二人の後を追った。
まるで戦闘で切り込みにかかるように、ラクサスは部屋の扉を蹴り開けた。いつもなら、行動を咎めるミストガンも黙認していて、この場には他に注意出来る者はいない。
部屋の主であるグレイは、ベッドの上にいた。隠れるように布団にくるまって丸まっている。
無遠慮に部屋に入りこむと、ラクサスはベッドを軽く蹴る。
「……てめぇ、見たのか?」
まさに不良である。
低く呻るラクサスに、グレイは布団から顔だけを出した。ベッドに片足をかけて、顔を覗きこんでくるラクサスに、グレイは視線をそらす。
「な、何のことだよ」
「分かりやすい嘘ついてんじゃねぇよ。あのバカの風呂覗いたんだろうが」
ラクサスが付きだした親指で、背後をさす。そこにはナツがきょとんとした顔で立っており、ラクサスの馬鹿という言葉に反応して目を吊り上げた。
「バカって俺の事かよ!」
「他に誰がいんだぁ?」
「ラクサス」
止めなければ続いてしまいそうな小さな言い合いは、ミストガンがラクサスの名を呼ぶことで止まった。静かになると、ミストガンは膝を降り、黙り込んでしまったグレイに視線を近づけた。
「グレイ、私達は怒っているわけじゃない。ただ……」
ミストガンは諭すように優しい声をかける。しかし、目が笑っていない。
「その目で何を見たのか聞きたいだけだ」
ミストガンの手が布団ごとグレイの肩を掴む。グレイだけではなくラクサスの顔までも引きつらせた。いつも冷静を装っている者こそ怒った時が恐ろしい。
ナツには感じないのだろう。平然とした顔で、顔を覗かせる。
「風呂なんか別にいいって。見られても困るもんじゃねぇだろ?」
笑みを浮かべるナツに、三人の視線が向けられる。
苦い顔をしたラクサスが口を開くが、その前にグレイが起きあがった。まだ服を身につけていなかったのだ、身体を隠していた布団が落ち、再びグレイの裸体が晒された。
グレイは己の姿を気にした様子もなく、一気にまくし立てる。
「小さいからって気にすんなよ!俺は胸とか気にしねぇし、お、お前の身体、綺麗だったって……よくは、見れてねぇけど」
グレイの言葉を止めるように、ミストガンはグレイをベッドに押しつけた。身動きが取れずにもがくグレイに、ミストガンはナツに届かぬ程度の小声で呟く。
「グレイ、これ以上の侮辱は黙っているわけにいかない」
「やめろよ、ミストガン!」
ナツは、グレイを押さえつけている腕を止めるように掴んだ。
「俺何ともねぇからさ」
それに、と続ける。
「グレイなら構わねぇし」
その場の空気が固まった。ミストガンは目を見開き、ラクサスは舌打ちした。言われた当人であるグレイの顔が赤く染まる。
何も考えていないナツの言葉は、グレイを特別に見ているととれるのだ。
「だって仲間だろ。あ、一緒に住んでんだから家族か」
続けられたナツの言葉に、ミストガンは息をつく。安堵を含んだ小さなそれは誰かに気付かれる事はなかった。
ラクサスは、不用心な言動に怒りを込めてナツの頭を叩く。抗議しようとナツが口を開くが、声を発する前にラクサスの手がナツの両頬を押さえるように掴んだ。
「もう喋るな」
人をも射殺せそうな眼光だ。ナツは大人しく口を閉ざした。
ラクサスは怒りを鎮めるように息を吐きだした。グレイの発言から、ナツが男だという事は気づいていない。最悪の状況は免れているのだから、この件についてはこれで終わらせるべきだろう。
「ラクサス」
部屋に戻ろうと考えていたラクサスは、ミストガンに名を呼ばれて視線を向けた。そこには、ベッドに身体を沈めるグレイと、眉をよせるミストガン。
「グレイの様子がおかしい」
「妙な事でも考えてたんじゃねぇのか?」
ラクサスは卑下するようにグレイを見下ろす。先ほど脱衣場から飛び出してきたグレイの下半身を見てしまったから、ナツの入浴を見て興奮してるのだろうと、ラクサスは言っているのだ。
しかし、ミストガンは、グレイの額に手をあてると首を振るった。
「熱がある」
すぐに体温計で熱を測れば、微熱どころではなかった。元から体調がよくなかったところを、いつまでも裸でいたせいだろう。
服だけは自力で着させて、薬を飲ませ、寝かせられているグレイの額には冷却シートを額に張りつける。
グレイが眠っているのを確認して、ラクサス達はリビングへと移動した。
「グレイ、大丈夫なのか?」
グレイの身を案じて不安に眉を下げるナツに、ミストガンは柔らかい笑みを浮かべる。
「寝ていれば熱も下がる。心配するな」
まだ不安げだが、ナツは一度頷いた。
「体調管理もまともにできねぇのか、あいつは」
「そう言うな、ラクサス。グレイも疲れていたんだ」
ラクサスが呆れたように溜め息をつくと、すかさず宥めるような言葉を向ける。ミストガンの言葉は事実で、ナツがメンバーに加わる事を宣伝するのもあり、いろんな番組に出演していたのだ。
最近は、音楽番組を除くバレエティ番組には不向きのラクサスとミストガンより、グレイは多忙だった。
「今は明日の仕事だ。あの状態じゃ無理だろうからな」
明日は、平日の昼に放送されている生放送番組に出演予定。生放送なら、余計に体調の悪い者を出すわけにはいかない。途中で倒れでもしたら迷惑にしかならない。
「グレイの代わりに私が出よう」
すぐに名乗りを上げたのはミストガンだった。元より出る気などなかったラクサスを除けば一人しか残っていないのだが。
「お前みたいなクソ真面目な奴ができんのか?」
揶揄する様なラクサスの言葉に、ミストガンは心外だと眉を寄せた。
「私も芸の一つぐらい持っている」
芸と言われても、ミストガンの顔と真面目な性格からは、全く想像がつかない。ナツどころか、付き合いの長いラクサスでさえ難しい顔をしている。それ以前に、芸を競う番組ではない。
マネージャーであるロキにも連絡を取り、グレイの代理のことも含めて話しが一段落ついた。
携帯電話を閉じたミストガンは、大人しく待っていたナツへと顔を向ける。眠いのだろう、座った状態で船をこいでいる。無理もない、時間を確認すれば、すでに日付を越えている。
「ナツ」
「んあ?なに?」
弾かれた様に顔を上げたナツだが、目も半分しか開いていない。それに、ミストガンは笑みを浮かべた。
「時間も遅い。私達も休もう」
「俺、まだ平気だぞ」
「グレイなら大事ない。寝ていれば、すぐに熱も下がる」
ラクサスも、ミストガンがロキに連絡を取った時点で、先に就寝についている。起きていたとしても何もしてやれる事などないのだ。
促がされる様にナツも自室へと戻った。しかし、就寝についても深い眠りに着く事は出来ずに、暫くして目を覚ましたナツはベッドから抜け出した。
廊下に顔を出せば静けさが支配しており、人が活動している気配もない。ナツは部屋を出ると静かに足を進め、グレイの部屋の前で足を止めた。
中の様子を窺うナツの耳に、声が耳に入ってくる。明かりの付いていない暗い部屋。耳をすませば、ベッドで寝込んでいるグレイが苦しそうに呻いていた。
「ぅ、る……ウル……」
呼吸は荒く、聞いている方が辛くなるような声だ。
ナツは部屋に入りこむと、ベッド脇に座りこんだ。熱のせいで浮かされているのだろう。グレイは、ずっと同じ名を呼び続けている。
耐えるように布団をきつく握りしめているグレイの手を、ナツは手に取った。
「グレイ」
小さく声をかけてやれば、呻いていた声が止まる。グレイの目蓋が小さく痙攣をしてゆっくりと開いた。
完全に開き切ってはいない目が、ナツへと向く。
「……なに、やってんだよ」
億劫そうに吐き出された声。それに、ナツはグレイの手を握る手に力を込めた。
「大丈夫か?さっきから、ずっと呼んでたぞ……ウルって」
名前に反応したのか、グレイの顔が顰められる。
少しの間静寂が訪れた。グレイは視線をナツから天井へと移し、見つめながら口を開く。
「ウルは、俺を引き取ってくれた人だ」
思い返す様に目を閉じ、続ける。
「両親が事故で死んじまって、施設に入れられそうだった俺を、遠い親戚だったウルが引き取ってくれたんだ」
一度も会った事がなく、親戚と言えるか分からない程に遠縁だった。それなのに、偶然話しを耳にしたからといって、駆けつけてくれたのだ。
「一緒に暮らしてたのはたった数年だ。ウルは刑事で、犯人ともみ合ってる時に……」
まるで話す事を止めるかのように喉が張り付く。
「グレイ?」
グレイは、握りしめられているナツの手を、握り返した。小さく震えるグレイの手。ナツは、もう片方の手でグレイの手を包み込む。
一瞬驚いたようにナツへと視線を向けたグレイだったが、すぐに落ち着いたように話し始めた。
「ウルが犯人を追いつめてる時、俺そこにいたんだよ。寄り道するなって言われてたのに、たまたま寄り道しててさ。その時、偶然そこに居合わせて」
熱のせいなのか、グレイの目が潤む。視界を遮るように目を閉じ、グレイは言葉を吐きだした。
「ウルは、俺を庇って……」
グレイの言葉は、最後まで発することなく止められた。ナツが覆いかぶさるようにグレイを抱きしめたのだ。
声もなく固まるグレイに、ナツはただ体温を分けるようにグレイを抱きしめる腕に力を込めた。
別に言葉が欲しかったわけではない。己を包んでくる体温と伝わってくる鼓動に、グレイは目を閉じた。熱のせいで滅入っていた気も、長い間心の中に巣くんでいた罪悪感というわだかまりも、軽くなっていく気がする。
「お前、あったかいな」
体温は、熱のあるグレイの方が高いだろう。それでもグレイには、ナツの体温が心地良く感じたのだ。
グレイは目尻が熱くなるのを感じながら、縋るようにナツの背に手を回した。
どれほどの時間そうしたいたのか分からない。ただ、目尻を伝っていった水滴さえも乾くほど時間が経っていたのは確かだ。
妙に穏やかな気分で、グレイは、なぁ、と呼びかける。ナツは呼びかけに答えるように、少しだけ身体を放してグレイの顔を見つめる。
至近距離でかち合うグレイの目が細められた。
「俺が道草食っちまった時は、お前が迎えに来てくれよ」
あの日、寄り道したまま。身体の成長は進んでいくのに、心だけは置き去り。止まっていた時が動かずに、ずっと、道草をしたままだった。
真っすぐに見つめてくるグレイに、ナツはにっと笑みを浮かべた。
「仕方ねぇな」
眩しい程の笑み。グレイが見入っていると、急に体温が離れた。
「つーか、寝ろって。熱下がんねぇぞ」
グレイは、立ち上がろうとするナツの手を取り引きとめる。
「俺が眠るまで、側にいてくれねぇか?」
離さないとばかりに手を握る力を込めれば、中腰だったナツは腰を下ろした。ベッドの端に寄りかかって、柔らかく目を細める。
「ん」
その表情は年下の兄弟を見守るようで、ナツが子供の多い養護施設で育ってきたのだと実感させるようだ。
手から伝わってくる体温を感じながら、グレイの意識は沈んでいった。
2011,03,09
熱があると弱気になったり。寄りかかりたくなるという事で。
ウルと重なって見えて、女性を恋愛対象に見られなかったグレイ氏。という設定でした。