真実へと





一時期、世を騒がせた怪盗が居た。炎の様な赤い髪をなびかせながら堂々たる風格で闇夜をかけぬける。その名は、サラマンダー――――

夏休みを控えた妖精学園。定期テストの緊張も解けて、生徒達の表情は晴れやかだ。
授業も終わり、下校する生徒達が廊下を賑わせる中、ナツは真っすぐに突っ切っていく。すれ違いに声をかけてくる友人らに軽く返しながら、校舎裏へと向かった。
妖精学園には数多くの部活がある。その中でも新設されて数年にしか満たない弓道部。その活動場である弓道場が校舎裏にあるのだ。
用事があるのはその場所なのだが、ナツは帰宅部であって、自身が部活に加入しているわけではない。
ナツは校舎裏に入ったところで、歩く速度を速めた。弓道場に隣接してある更衣室から見知った顔が出てきて、ナツは自然と駆け足になる。

「グレイ!」

幼馴染であるグレイ。ナツと同じ制服から着替えて袴姿となっている。ナツが弓道部に用事があったのは、グレイが加入したからだったのだ。
駆け寄ってくるナツにグレイは笑みを浮かべた。

「ナツ。どうしたよ」

「グレイが弓道部に入るっつーから見に来た!」

「別に見ても面白くねぇだろ」

呆れたように呟きながらもその顔は緩んだままだ。満更でもない事は誰が見ても明らかで、ナツも笑みを浮かべた。
グレイは中学に上がった頃から部活を転々としている。だからといって中途半端に止めているわけではない。剣道から始まって柔道や空手など格闘技を中心とした部活に加入し、大会で結果を残した後に辞めるのだ。
全ては身体を鍛えるためだというグレイ。その理由もきちんとしたものがある。

「なぁ、グレイ。あのさ……」

ナツには珍しく口ごもっている。それから何を言おうとしているのか察したのだろう、グレイは緩んでいた表情を引き締めた。

「知ってる」

いつもと違う固い声に、ナツは眉を寄せた。
グレイは拳を強く握りしめて声を吐き出す。

「あいつが戻ってきたんだ。俺はもっと強くならなきゃならねぇ」

グレイの両親は、グレイが幼い頃に事故で亡くなっている。そんな孤児となったグレイを引き取ったのはウルという女性。ウルは刑事として活躍していて、世間を騒がせる怪盗を追っていたのだが、怪盗を追っている任務中に殺害された。それと同時に怪盗も世間から姿を消し、一部では怪盗が殺人を起こしたと報道されたが、事実は明らかではない。
それでもグレイは怪盗が犯人だと思い、ウルの敵を討つために刑事になろうとしているのだ。正しくは刑事になり、怪盗を捕える。

「グレイ……」

ナツは震えるグレイの手に、己の手を重ねた。
グレイの翳っていた瞳が、ナツを捕えると同時に光を取り戻していく。グレイは、己の手に触れるナツの手を握りしめた。

「ナツ」

グレイの顔がナツへと近づくが、息がかかるほど近づいてもナツが身を引く事はない。
グレイはほんのわずかな距離を埋めて、口づける。瞬間的に触れあうだけでグレイはすぐに離れた。
至近距離で目を合わせていると、先にナツが目をそらす。その頬は紅色しているが嫌悪は見られない。
グレイもつられる様に頬を赤く染めた。

「悪い」

「別に……い、嫌じゃ、なかったし」

「そっか」

互いに視線を彷徨わせながら、ゆっくりと手を放す。

「お、お前の親父さんもよ」

ナツの視線がちらりと向くのを感じながらグレイは続ける。

「俺が絶対見つけてやっから」

「お、おお」

沈黙が落ちる。何か会話はないかと脳内を探るがうまく頭が回らない。
先に沈黙を破ったのはグレイだ。

「部活始まるから、もう行くな」

「おお。がんばれよ」

ぎくしゃくした雰囲気が終わる事に安堵するナツ。グレイが背を向けて歩きだしたが、すぐに止まってしまった。

「ナツ」

まだ何かあるのか。ナツが首をかしげて待っていると、グレイは深く息を吐き出して口を開いた。

「俺、お前の事好きだよ」

首をひねって顔だけで振り返り、続ける。

「付き合うの、考えといてくれねぇか?」

緊張で少し震えた声がナツの耳に確かに届いた。グレイの顔は先ほどよりも赤く染まっていて、ナツは声を発する事が出来なかった。
呆然と立ち尽くすナツに、グレイは逃げるように弓道場へと入っていってしまった。それを見送って、ナツは顔を俯かせる。

「考えねぇよ」

その顔はグレイに負けないほどに赤く染まっており、声も通常では考えられないほどに小さい。

「俺も、お前の事好きだし」

ナツは照れを隠す様に、乱暴な足取りでその場を後にした。
グレイとナツが知り合ったのは、グレイがウルに引き取られて間もなく。ウルとナツの父親であるイグニールが旧知の仲だった為、二人が出会うのは必然だったのだ。
そして、ウルの死と同日にイグニールも姿を消した。
ウルが死んで辛いはずのグレイは、それでも、姿を消した父親を思って涙を流すナツを慰めていた。側を離れず「絶対戻ってくる」と繰り返し言い続けた。それがナツにとって大きな支えになり、同時に恋心も生まれ始めた。

「つーか、返事聞いてけっての。バカグレイ」

目の前にいない相手への文句の言葉を呟きながら帰路に足を向ける。歩きなれた道のはずが、不思議と綺麗に見える程に、ナツは浮かれていた。
閑静な住宅街にナツの家はある。長く続く塀が、開放されている門で途切れていて、そこへとナツは足を踏み入れた。落ち着いた雰囲気の住宅街の中央に、堂々と構えている屋敷。そこがナツの家である。
ナツの家は武道家元で、敷地内には道場も設けられている。イグニールが姿を消す前は門下生も居たのだが、全員去って行ってしまった。
手入れの行き届いた庭を視界に入れた瞬間、ナツは足を止めた。いつもは物静かな屋内が騒がしい。

「何かあったのか?」

騒がしい足音が外にまで響いている。
首をかしげながらも玄関へと進むと、まるで迎え入れるように自動で戸が開いた。

「ぶふっ」

青い影が視界に入ったと思えば、次には予想外の感触が顔面を支配する。それと同時に視界が塞がれ、ナツが分かる事は、顔面に何かがへばりついている事と生暖かい事。
呼吸も妨げられ、息苦しさにナツは顔面にへばり付いている物に手を伸ばすが、引きはがす前に視界は開けた。

「ようやく捕まえたぞ!」

聞き慣れた声と、乱れている茜色の長い髪。ナツは瞬きを繰り返した。

「何やってんだ?エルザ」

目の前で呼吸を乱しているのは、ナツの義姉であるエルザだった。
エルザはナツを確認すると隠す様に手を背後へと回した。

「ナツ、帰っていたのか」

「おお。つーか、今の何だ?」

エルザの手に持たれていたのは、先ほどナツの顔面にへばり付いていた物で間違いないだろう。
気になって覗きこむナツだったが、エルザは身体の向きを変えてしまう。

「何隠してんだよ」

「気のせいだ。私がお前に隠し事などするわけないだろう」

言葉とは逆に、エルザの行動はあからさま過ぎる。
胡乱気な視線を向けるナツと、その視線をまっすぐに見つめるエルザ。無言の攻防を続けていると、エルザの背後から青い影が飛び出した。

「ま、待て!」

エルザが捕えようとするが、青い影はエルザの手を逃れてナツの胸へと飛び込んだ。
よく見れば影の正体は猫だ。見た事のない青い毛並みの猫。
珍しさにじろじろと見ているとエルザがじりじりと迫ってきた。

「それをこちらへ渡せ」

威圧感さえ感じられるエルザに、猫は怯えるようにナツにしがみ付く。ナツもエルザに恐怖を感じ後ずさりした。
エルザは少しずつ距離をつめながら空を仰いだ。すでに日は落ち、星が輝き始めている。

「今日は、妙に星が多いな」

都会ではあまりみられる事がない星。それが、今は気持ちが悪いほどに空を埋めている。
エルザが顔を顰めると、猫の身体が身じろいだ。
猫の大きな瞳がナツを映し、閉じていた口が開いた。

「ナツ?」

猫の口から発せられたのは鳴き声ではない。理解できる人語であり、はっきりとした口調でナツの名を呼んだ。

「エルザ、猫って喋れるんだな」

そんなわけがない。エルザが口を開いたと同時だ、猫の身体が光り出した。
猫の口からは、聞き取れないほどの速さで言葉が紡がれていく。呪文の様なそれが耳に入っていき、ナツの視線は虚ろになる。

「全天八十八星、光る」

ナツと猫の瞳がかち合い、ナツの身体が光に包まれた。

「なんだ、これ」

ナツは息苦しさに顔をしかめた。体中の血液が沸騰しそうなほどに熱い。
猫の口から紡がれた言葉が頭をめぐり、ナツは弾かれた様に天を仰いだ。空一面には集まるように星が満ちている。
ナツは操られる様にゆっくりと口を動かせた。

「「ウラノメトリア」」

ナツと猫の口から紡がれた言葉と同時に、光が消え失せた。
暫くするとナツは我に返り周囲を見渡す。

「……今の何だったんだ?」

猫が喋りはじめたと同時に意識が所々飛んでいて状況の整理がつかない。
腕の中に居る猫に視線を下げたナツは、ふと身体に違和感を覚えた。首筋をくすぐる様な感覚と共に、赤いものが肩に流れた。
ナツはそれを手に取り引っ張ってみる。

「いて!」

思い切り引っ張れば頭に痛みが走った。髪が引っ張られた時と同じ痛みだ。そしてその原因は己の手が触れている赤。
ナツは痛みがない程度に加減して髪の毛を引っ張った。間違いなく髪の毛で、自分の頭に繋がっている。

「髪伸びてるし、色変わってんじゃねぇか!」

綺麗な桜色だったナツの髪は、炎の様な赤い長髪に変わっていた。
いつもより若干重く感じる頭を手でかき回す。指をすり抜ける髪に困惑していると、腕の中に居る猫がにっこりと笑みを浮かべた。

「がんばろうね。ナツ」

もう猫が喋っていようが関係ない。
何がと問おうとしたナツだったが、視界の端にエルザが映り、そちらに視線を向けた。
呆然と立ったままのエルザにナツは首をかしげた。先ほどまで猫を捕えようとしていた手は、力なく地に向かって垂れさがっている。そして、その表情は悲しみに歪んでいた。

「何故、お前が……その髪、まるでイグニール、」

父親の名が出て、ナツの目が変わる。微かに悲しみを浮かべながらエルザを見つめる。

「とうちゃん?」

エルザは俯いてしまった。常に凛とした表情で構えているエルザには似つかわしくない程に、弱々しく見える。
ナツがエルザに手を伸ばした時、ナツの身体から力が抜けた。膝から崩れる様にして地に膝をつく。へたりこんでしまったナツに、エルザは眉を寄せた。

「ナツ?」

ナツの髪は桜色の短い髪に戻っていた。
エルザは座りこむナツの前で膝を折った。腕の中に居た猫に視線を近づければ、猫の方が先に口を開いた。

「先代はまだ生きてるよ。精霊王が、そう言ってる」

エルザの顔がくしゃりと歪む。目に浮かんだ涙を拭って、エルザは一度深く息を吐きだした。

「そうか」

エルザは猫の頭を一度撫でると、力尽きたように座りこんだままのナツへと視線を移した。

「ナツ、お前に話さなければならない事がある」

疲労の見える目がエルザを捕える。力を抜いたらすぐに閉じてしまいそうだ。
エルザは、ナツの頬を包み込むように手で覆った。虚ろになっていくナツの目を見つめながら、エルザはゆっくりと続ける。

「怪盗サラマンダーを知っているな?……それが、イグニールだ」

半分夢現なナツの耳に、エルザの声が入りこむ。説明というには事務的に淡々と告げる。怪盗サラマンダーの正体や、現実味のない話し。
イグニールが怪盗をしていた理由は金品が目的ではなく、鍵。その鍵は、地上に散らばってしまった星霊のものだというのだ。それを全てかき集める事を、イグニールは星霊の王と約束をした。
まるでおとぎ話のようだ。それを信じろというのは難しいが、その信じがたい事をナツは実際に体験した。
朧げな視界でも、エルザが笑みを浮かべている事は分かる。希望に光を宿した目を細めながら、エルザの口が言葉を刻む。

「ナツ、イグニールは生きているんだ」

その言葉をどこか遠くで聞きながら、ナツは目蓋を閉じた。
薄れていく意識の中で、脳裏をよぎったのは、七年前。イグニールが姿を消して暫く経った頃。
イグニールが何も告げずに家を空ける事などなかった。しかも、長期間にわたって、いっさいの連絡もない。
夜中、いつもなら眠りについているはずの時間帯。ナツは、道場へと足を運んだ。
誰も居ないはずが、道場の戸がわずかに開いていた。覗いて見れば、灯りもついていない暗い場内に、赤黒いものが見える。暗がりでそう見えるが、それは赤い髪。

『父ちゃん!』

ナツは道場の中へと飛び込んだ。赤く長い髪に見えたそれが、イグニールだと思ったのだ。しかし、近づいて見て正体が明らかになる。

『……姉ちゃん?』

ナツの気落ちした声が響く。場内の中央で、エルザが座っていた。いつも三つ編みにしている長い髪は下ろされ、その瞳はとじられている。
再びナツが呼ぼうとするが、その前にエルザの瞳が開いた。

『ナツ』

子供にしては、妙に落ち着いた声が場内に響く。

『もう姉などと呼ぶな』

わけが分からずにきょとんとするナツを、エルザは首をひねって見上げた。

『私の事は、エルザと呼べ』

暗がりでも、近くにいたナツには分かってしまった。エルザの瞳に、涙がたまっている。
ナツは、幼いながらにエルザの決意を感じ取り、頷く事しかできなかった。

『お前は、私が必ず守ってみせる』

震えるエルザの声は、決意から来るものなのか、泣くのを堪えているからなのか、判断はつかない。
この時から、ナツがエルザを姉と呼ぶ事はなくなった。




2011,03,05
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