君のだけ





世の中で、人の心を浮き立たせる行事の一つ、バレンタインデー。
街全体が、気持ちを増長させるようにバレンタイン一色になる。男女や大人子供関係なく、妙に気持ちを浮つかせるのだ。それは、ナツ達が通っている妖精学園でも例外ではなかった。

「よかったね。ナツ」

リサーナが、隣を歩くナツに笑顔を向ける。
今は、学校からの帰路の途中。そして、ナツが背負っているランドセルが、いつもとは違っていた。登校時には、教科書など学問に必要な物が入っていたその中身は、全てチョコレート。当然ながら、バレンタインデー当日である今日、ナツに好意をもった者たちが、ナツへと贈ったのだ。大収穫のその量は、ナツが両手で抱えきれない程で、おかげで教科書は教室の机に置いて来る事になった。
ナツは、いつもより重いランドセルをちらりと見て、嬉しそうに笑みを浮かべる。

「へへ!チョコいっぱいだ!」

菓子が好きなナツにとっては、これ以上にないほどに幸せだろう。

「ナツってもてるんだね」

「そうなのか?」

きょとんと首をかしげたナツに、リサーナは呆れたように、もうっ、と声をもらした。

「バレンタインのチョコは、好きな人にあげるんだよ!ナツにチョコくれたってことは、みんなナツが好きなの!」

リサーナが、人差し指を立ててナツに迫る。その迫力に押されながら、ナツは好きという単語に、少しだけ頬を染めた。

「そ、そっか」

はにかむナツに、リサーナが揶揄するように目を細める。

「やだ、照れてるの?かわいー」

くすくすと笑みをこぼすリサーナに言い返そうとしたナツは、口を開いた状態で固まった。
まるで電池の切れた玩具の様に動かなくなったナツに、リサーナが首をかしげる。どうしたのかと問うとするが、その前にナツが声を発した。

「お、オレ、ラクサスにチョコあげてねー」

「帰ってからあげればいいんじゃない?」

がくりと顔を俯かせるナツに、リサーナは困惑したように顔をしかめる。
家に帰らないわけでもないし、ラクサスも多少の時間差で帰宅するはずだ。同じ家に住んでいるのだから、機会はいくらでもある。

「もしかして、用意してないの?」

「……おお」

ナツがチョコレートを受けとった時、確かにナツはバレンタインデーの事は頭にない様子だった。同世代の中でも特に恋愛云々に疎いナツが、一々行事に関心を持っているわけがないのだ。

「それなら、今から買いにいこ!」

名案とばかりに、楽しそうにナツの手を引くリサーナだが、ナツの足は動こうとはしない。

「ナツ?」

ナツはランドセルの中に手を突っ込むと、パンダ型の小銭入れを取り出した。小銭入れを開き、小銭の口を掌に向けて傾けると、小さな掌に小銭が二枚落ちた。

「……十五円?」

十分にご縁がありそうだ。
リサーナは、浮かんだ言葉を打ち消して、信じられないとばかりに、ナツへと視線を上げる。ナツの表情を見れば、これが現実だと物語っている。

「ナツ、おこづかい五百円だよね」

ナツは、毎月月初めに小遣いをもらっている。月に五百円。菓子や文房具など、必要な物は買い与えられているから、小遣いを使う事はほとんどないはず。
まだ月の半ばだというのに何があったのか。そう目で問うリサーナに、ナツは口ごもりながら話しだした。

「ちょこぷん買った」

説明しよう。ちょこぷんとは、子供から一部の大人の間で人気の菓子だ。見た目は丸い球状クッキーなのだが、中にチョコが詰まっている。季節によって苺や栗などの期間限定商品も出している定番なチョコ菓子なのだ。
しかし、菓子の値段も百円程度。そんなに買ったのだろうかと、思案していたリサーナは思い出したように、あ、と声を漏らした。

「そっか!フェアリーファイブ!」

リサーナの言葉に、ナツは頷いた。
ちょこぷんは、度々人気のある番組と提携したおまけのシールを付ける事がある。最近は、日曜の朝に放送されている特撮、魔獣戦隊フェアリーファイブのシールだった。ナツは、その番組に登場するイエローパンサーというキャラに夢中なのだ。

「そういえば、シール見せてくれたね」

飛び跳ねるほどに喜んでいたのを覚えている。イエローパンサーのシールが欲しい為に菓子を買ったのだろう。あの時の、ナツの喜びを思い出せば、リサーナは何も言葉に出来ないのだった。

「とりあえず、今はチョコを用意しなきゃ……あ、そうだ!残りがうちにあるかも!」

ミラジェーンとリサーナはバレンタインの為にチョコを手作りしたのだ。その時の残りがあるかもしれない。それから新しく作ればいいのだ。
手を合わせるリサーナに、ナツは首を振るい、二枚の小銭を強く握りしめる。

「オレ、自分で、ラクサスにチョコやりたいんだ」

誰かに頼るのではなく、自分のできる事でラクサスに贈りたい。
欲しいものがあれば、今の保護者であるマカロフに頼めば買い与えてくれるだろう。ちょこぷんだって、外国にいる父親に頼めば箱で送ってくれただろう。それでも、ナツは己の小遣いだけで手に入れた。
子供なのだから、もっと甘えればいいのに。でも、ナツの虚勢ともとれる意地は、リサーナには好意を持てた。
リサーナはにこりと笑みを浮かべると、ナツの手を引いて歩きだす。

「コンビニに行こ!」

「でも、オレ……」

チョコレートを買う程に金がない。それはリサーナも分かっている。

「いいから、あたしにまかせて!」

自信満々のリサーナの表情に、ナツは抵抗をやめて足を動かした。
着いた先は、一番近くにあったコンビニ、フェアリーマート。菓子売り場にたどり着くと、リサーナは、しゃがみ込んで一番下の棚へと手を伸ばした。

「ほら、これ」

リサーナが手にしたのは、一個十円で購入できる四角の小粒チョコだ。これならば、ナツの残りの小遣いで手に入れる事が出来る。
しかし当然ながら、ナツが今日貰ったチョコレートと比較にならないほどに小さい。

「……小せぇ」

「わがまま言わないの!これだってちゃんとしたチョコなんだよ」

リサーナはナツの身体を引いて、数種類並ぶチョコレートを指し示す。

「ラクサス、きっと喜んでくれるよ」

たった一つでも、それが小さくても、ナツの想いなら伝わる。
リサーナの言葉に頷いて、ナツはチョコレートに手を伸ばした。
会計をすませて、チョコレート一個を握りしめながら、ナツはコンビニを後にした。
落とさない様にと、小さな手でチョコレートを握る姿は、可愛らしい。リサーナも表情を緩めたままだ。

「リサーナ。ナツ」

帰路に歩みを進めていたナツとリサーナは、名を呼ばれて振り返った。そこには、授業を終えたのだろう、ミラジェーンが歩み寄ってきていた。
小学校と高校では下校時間も違うのだが、チョコレートの準備をしていたことで大分時間が経っていたのだろう。
ミラジェーンの隣にはラクサスの姿もある。一見、つり合っている様にも見えるが、ナツがいないのに二人が並んで歩いているのは奇異としか言いようがない。

「ラクサス!」

ナツは表情を輝かせると、ラクサスの元へと駆け寄った。

「あのな、ラクサス!これ……」

ナツは、握りしめていたチョコを差し出そうと、拳を突き出した状態で止まった。
朝には持っていなかった物が、ある。ナツの目は、ラクサスが手にしている紙袋に止まっていた。
そして、その中には、ナツが貰ったものと同じように綺麗に包装された物がつまっている。

「それ、全部バレンタインのチョコよ」

ナツの視線に気がついて答えたのは、持ち主のラクサスではなくミラジェーン。

「すごーい!ラクサスもてるんだね!」

紙袋を見つめたまま身動きしないナツとは逆に、リサーナが目を輝かせてラクサスを見上げる。

「私には理解できないけど、ラクサスは何故か女子に人気があるのよ」

私には理解できないけど。
再度、強調するように繰り返したミラジェーンに、ラクサスは顔を引きつらせた。

「てめぇから貰いたいっつー馬鹿どもの気持ちも、俺には理解できねぇな」

「あなたに理解してもらおうなんて思ってないから安心して?」

にこりと笑顔を向けられ、ラクサスの機嫌は更に悪化した。二人の間には、見えない火花が散っている。

「す、すげーんだな」

「うん。ほんとだね」

ナツの言葉に、リサーナは遠い目をして頷いた。
しかし、リサーナの言葉がラクサスとミラジェーンに向けられているのとは別で、ナツの視線はラクサスの手にしている紙袋からそらされる事はなかった。
ナツは、付きだしていた手を引っ込めて、拳を強く握りしめた。

「いっぱい、もらったんだ……」

「あ。ナツ、今渡しちゃえば?」

せっかく用意したのだから、早く渡したいだろう。ナツの性格を知っているリサーナが小声で促すが、ナツは首を振るって、否定を示す。

「いい」

「あたしたちがいたら恥ずかしいの?もう、うぶなんだからー」

揶揄する様な笑みを浮かべるリサーナだったが、ナツの表情を目にすると、表情をひっこめた。
ナツは、拗ねたように口を尖らせて、ラクサスの紙袋をじっと見つめている。そして、今ナツが何を考えているのか、リサーナでなくても想像がつくだろう。

「ナツ、」

「ナツ、後で家にいってもいいかしら。リサーナとチョコを作ったから、ナツに食べてほしいの」

ナツの名を呼んだリサーナの声は、ミラジェーンの声にかき消された。
リサーナが困ったように眉をさげてミラジェーンを見上げる。それに、ミラジェーンは首をかしげ、ラクサスが訝しむ様に顔を顰める。
いつもなら、食べ物をやると言えば、ナツは飛び付く勢いで喜ぶ。それが今は大人しい。黙ったまま言葉を発しないどころか、顔を隠す様に俯いてしまった。
リサーナが窺う様に顔を覗きこもうとすると、ナツは逃げるように足を一歩後退させ、見を翻した。

「あ、ナツ!」

駆け出す背中に声をかけるが、ナツが止まる事はない。

「何だ、あいつ」

ラクサスの声に、リサーナが振り返る。ラクサスの手からぶら下がっている紙袋を見て、顔を歪める。
紙袋の中のチョコレートは、小さなチョコ一個と比較にもならない。でも、想いはナツのチョコレートの方が強いと、リサーナは確信している。

「ラクサス、ナツ追いかけてあげて!」

「あァ?」

面倒くさそうに顔を顰めるラクサスに、リサーナは、先ほどまでの出来事を話した。







ラクサス達から逃げるように、あの場を離れたナツは、下校途中にある南口公園に飛び込んだ。ランドセルを半ば投げる勢いで背中からおろし、ブランコに腰かける。
ずっと握りしめていた手を開いて、たった一粒のチョコレートを見つめた。

「……やっぱ小せぇ」

遊んでいる子供たちでにぎわいを見せる印象のある公園だが、今日は行事のせいか気温が低いせいか、ほとんど人影が見られない。そのせいか、ナツの声はより響いた。
ラクサスが貰った物に比べて、惨めに見えるチョコレート。ナツは、視界から消す様に、再び拳を握りしめた。
溜め息をつけば、口から白い息が漏れる。立ち上っていくそれを追おうとしたナツの目に、自分のものではない足が映る。見覚えのあるそれが、ナツに向かい合う様に止まった。

「ナツ」

顔を上げれば、見下ろしてくるラクサスと目が合った。

「……ラクサス」

「帰るぞ」

呆れた様な声にナツが顔を俯かせると、ラクサスは深く溜め息ついた。言葉にしなくても、面倒だと言っているように聞こえる。自然とナツの瞳に涙が浮かんだ。

「ナツ」

再び名を呼ばれても、ナツが顔を上げる事はない。それはラクサスも予想していたのだろう、気にした様子もなく続けた。

「くれるんじゃねぇのか?」

何がと言わなくても、ラクサスが示している物は一つしかないだろう。
少し間をおいて、ナツは俯いたまま、ずっと握りしめていたチョコレートを差し出した。

「オレの、小せぇんだ」

幼いナツの手で握りしめてしまう程のそれは、お世辞にも、ナツの言葉を否定してやる事もできないほどに小さい。

「くだんねぇ事言ってんじゃねぇよ。俺が甘いもん嫌いだって知ってんだろ」

ラクサスは、ナツの手の中にあるチョコレートをつまみ上げると、包み紙を解きながら、困惑気に顔を上げるナツを見下ろす。

「俺には、この位がちょうどいいんだよ」

口へと放りこめば、一瞬で、チョコレートは消えてしまった。それを、ぼうっと眺めるナツの頭を、ラクサスの手がぐしゃりと撫でる。
ラクサスの、無言のその動作は、いくつか意味がある。褒める時や、礼だったり、慰める時だったり。
礼の言葉が聞こえた気がして、ナツは小さく頷いたのだった。
先ほどよりも若干軽い足取りで帰路へと歩みを進める。ナツは、隣を歩くラクサスの手が空いている事に気がついた。先ほど持っていた紙袋がない。
ナツの視線に気がついたラクサスが、ああ、と続けた。

「ミラジェーンに持って行かせた」

ナツを追いかけろと、実際にリサーナに背を押された。その時に、ミラジェーンが紙袋を預かったのだ。通常なら、ラクサスの荷物を運ぶなどミラジェーンが引き受けるわけがない、ナツが関わっていたからだ。
ラクサスの返答に短い相槌をうったナツは、口ごもりながら口を開く。

「ら、ラクサス、もてるんだな」

「あん?」

「バレンタインのチョコは好きなやつにあげるんだろ。ラクサスはチョコいっぱいもらってるから、ラクサスのこと好きな奴がいっぱいいるんだ」

自分もラクサスが好きなのだから、他の者たちがラクサスを好きなのは当たり前だ。ナツの中にある、少し身勝手な定義。ミラジェーン辺りだったら、ナツに直接言わなくとも、冗談ではないと苦い言葉を吐くところだ。
そんなナツの心の中を読んだわけではないが、ラクサスは顔を引きつらせながら、朝の出来事を思い返した――――。

朝、学校へとたどり着いたラクサスを待っていたのは、甘味が苦手な者にとっての、まさに地獄絵図。漫画の中だけだと思われるような光景。下駄箱に、贈り物が詰め込まれていた。考えなくともバレンタインのチョコレートだと言う事は察する事ができる。

『……何だ、これ』

顔を引きつらせるラクサスに、内履きに履き替えたミラジェーンが歩み寄る。

『よかったわね』

にこりと笑顔で言うその声は、鈴を転がしたように耳に綺麗に響く。しかし、悪意があるとしか思えない。ミラジェーンはラクサスが甘味嫌いだと知っているのだ。
いつものラクサスなら、ミラジェーンに対して悪態をつきそうなものだが、目の前の光景に何も反応出来ずにいた。
下駄箱に入れるのは衛生面でどうなんだとか、脳内をめぐるのはどうでもいい事だ。
呆然とそれを眺めていると、無理やり詰められていたそれが一つ落下し、ようやくラクサスは我に返った。
靴を隠しているチョコレートを取り出して抱える。

『ラクサス、どうする気?』

『捨てるに決まってんだろ。こんな得体の知れねぇもん受け取れるか』

苦々しく吐き捨てるラクサスに、ミラジェーンは鞄から取り出した物をラクサスへと差し出した。

『はい』

ミラジェーンが差し出したのは紙袋だ。それが意味するものを察してラクサスの厳しい目がミラジェーンに向けられる。
他人なら別だが、幼馴染と呼ばれるほどに付き合いの長いミラジェーンは怯む事はない。

『貰ってあげたら?』

『ふざけんじゃねぇ』

呻る様な声に、ミラジェーンは笑みを浮かべながら続ける。

『ナツが喜ぶと思うわ』

ミラジェーンの言葉で、ラクサスの脳内に、ドレアー家で一時の間預かっている子供の姿が浮かんだ。食べ物全般はなんでも好んで食べるナツ。子供だから、もちろん菓子には目がない。

ラクサス、すげぇ!ありがとな!

目を輝かせながら、チョコレートを貪り食うナツの姿は、容易なく想像できた。そして、ラクサスは無意識ながらも、その存在には弱い。
気付いた時には、ラクサスはミラジェーンの手から受け取った紙袋に、チョコレートを放りこんでいたのだ――――。

ラクサスは思い出すと、脱力したように手で顔を覆った。ナツに出会ってからの己の行動は理解しがたいものがある。

「あれは、お前が食え」

溜め息まじりに呟いたラクサスの言葉に、ナツは首をかしげる。

「ラクサスのだろ?」

「お前が食うと思ったから、わざわざ持って帰ってきたんだよ。そうじゃなきゃ捨ててる」

「ラクサスは食わねーのか?」

「いらねぇよ。それに、お前の食ったろうが」

きょとんとするナツに、ラクサスは続ける。

「あれで十分だ」

真っすぐ前を向いて歩みを進めるラクサス。その横顔を見上げて、ナツは頬を紅色させた。

「……オレのだけ」

「何か言ったか?」

小さく呟かれたナツの声は、長身であるラクサスには届いていなかった。
ナツは笑みを浮かべて、ラクサスの手を掴んだ。

「しかたねーから、ラクサスのかわりに食ってやる!」

照れて顔を赤くしながらの満面の笑みは、自然とラクサスにも笑みを浮かべさせていた。




2010,02,16
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