3





コーヒー片手に自室へと戻れば、テーブルの上に置いてあった携帯電話が着信を知らせていた。
ラクサスはコーヒーをテーブルへと置いて、その手で携帯を手に取った。液晶画面に表示されている名を確認して、通話ボタンを押した。

「何の用だ。フリード」

フリードは、ラクサスが高校時の後輩である。何がそうさせたのかはラクサス自身も分からないが、フリードは異常なほどにラクサスを崇拝していた。今は、外資系企業で働いていて、有能らしい。
ラクサスが高校を卒業した今でも連絡を取っているのは、理由がある。フリードは範囲を幅広く情報を手にする事が出来るからだ。例えて言えば、マカロフやロキの女性経歴までもが、難なく彼の情報に入る。
ラクサスにとっては使い勝手のいい情報屋だ。滅多に利用する事はないが、必要だといえば、向こうから喜んで情報を差し出してくる。

『今、時間はあるか?』

いつも通り慎重な声が、携帯越しに聞こえてくる。ラクサスが短く肯定の言葉を呟くと、フリードは話し始めた。

『頼まれていた例の件あっただろう』

数日前のナツがelementsに加わった日、ラクサスはフリードに、ナツの素性を調べる様に言いつけていた。社長であるマカロフに問いただしても、ほとんど情報を得られなかったからだ。

『調べたんだが……ナツというのは本当に女なのか?』

「どういう意味だ」

『お前が言っていた、ハコベにある養護施設。確かに、そこにナツという名は登録されていた。しかし』

フリードは少し戸惑いながらも、続けた。

『女ではなく、男だ』

フリードが口にしていく情報を、ラクサスは流す様に聞いていた。
フリードの情報に、今まで誤りなどなかったが、それ以外にも、ナツが女ではないと疑う点がある。甲斐甲斐しくナツの世話を焼いているミストガンだ。彼は女性恐怖症で、ファンを遠ざけない為に非公式ではあるが、近しい関係者内では周知の事実だ。
分かりやすい事に、ミストガンは女性に触れると鳥肌がたつ。常に平静を装ってはいるが、特に女性らしい身なりをしている女性には、酷く敏感に反応を示していた。だから、男の様なふるまいをするナツに対しては症状が出ないのだと、ラクサスは思い込んでいた。
しかし、ナツが男だというのであれば、納得せざるを得ない。そして、ミストガンが感づいている可能性もあるだろう。
情報を頭に入れると、もう用はないとばかりに、ラクサスは半ば強制的に通話を切った。

翌日の朝、目を覚ましたラクサスは、仕事の予定を記憶から引き出しながら、部屋の扉を開けた。洗顔しようと部屋を出たのだが、すぐに目に入った桜色に、足を止めた。
寝間着姿のナツが、洗面所へと足を向けていた。寝起きだからか、足元が怪しい。
動くたびに揺れる綺麗な長い髪に、ラクサスの思考は昨夜へと戻された。
昨夜フリードとの通話を切った後、養護施設で生活していたナツの写真の画像を、フリードが送ってきた。写真はごく最近のもので、ナツの髪は短かった。
という事は、今のナツの髪は人工的なものだろう。

「おい」

声をかければ、ナツが欠伸をしながら振り返った。

「ひょー、らくあふ」

恥ずかしげもなく大口を開ける姿は、確かに女性らしさの欠片もない。観察するように眺めていると、ナツが近寄ってきた。

「そうだ、昨日はありがとな。ケーキ、すげぇ美味かった」

無邪気な笑みを浮かべるナツの瞳は、欠伸のせいで潤んでいる。男の様な性格に反して、たまにかいま見える女性顔負けの表情。
最初に女だと紹介された事や、髪が長い事もあるのかもしれないが、男か女か判断がつかなくなってきた。

「てめぇ、わざとやってんのか?」

「あ?何がだよ」

ラクサスの不機嫌そうな声につられて、ナツの顔も不快に歪む。ラクサスは舌打ちをもらすと、ナツの手を引き、自室へと引き込んだ。

「何すんだよ」

見上げてくるナツの両手を捕え、背後にある扉に押しつける。ナツが抵抗しようとするが、ラクサスが力を込めれば、それも無意味に終わる。
動きを封じられ、まるで捕らえられた獣かのように睨んでくる。そんなナツを見下ろして、ラクサスはゆっくりと口を開いた。

「正直に答えろ。お前、男か」

男に決まってる。そう答えようとしたナツは、口を開いた状態で止まった。
ロキに、男だと言う事は誰にも知られない様にと、硬く言いつけられていたのだ。もし気付かれればelementsには居られなくなり、父親も探せなくなる。

「んなわけ、ねぇだろ……俺、女だって」

ぎこちなく答えるナツの視線は、ラクサスからそらす様に宙を彷徨っている。明らかに偽りだと言っている様なものだ。

「ほ、ほら、髪だって長いだろ!」

「よく出来たヅラだな」

ナツは言葉を詰まらせた。ラクサスに完全に感づかれているのだと察したから。だからといって、正直に話すわけにはいかない。ナツは口を閉ざし、完全に沈黙した。
いくら問うてもナツが答える気がないのは明らかだ。これではきりがない。

「てめぇが口割らなくても、手っ取り早い方法があんだよ」

ラクサスは、捕らえていたナツの両手を一つにまとめて頭上で押さえると、空いた方の手をナツの服にかけた。寝巻の襟に指をかけて軽く引くだけで、健康的な肌が覗く。

「一枚剥げばいい」

上着一枚脱ぐだけで男だと言う証明になる。
ラクサスの手が、寝巻の釦を二個外したところで、ナツは我に返った。

「や、止めろ、バカ!変態!エッチ!」

ナツの言葉は、ラクサスの顔を引きつらせた。

「デカイ声で妙な事言うんじゃねぇ」

もし、この場を目撃でもされれば、間違いなく誤解を受けるだろう。どう見ても、新しく加わったメンバーの女に迫っているようにしか見えない。

「誰か来てくれー!ミストガン!ミストガン、助けもがっふ」

ラクサスは慌ててナツの口を手で覆った。苦しそうにもがくナツに、ラクサスは顔を歪める。

「いい度胸してんな。クソガキ」

「がふががが!」

いくら反論しようが、口を塞がれているせいで、うまく言葉を発せていない。暫く睨み合っていたが、ラクサスの方が先に手を放した。
ナツは、拘束を解かれた手で、すぐに上着の前を押さえ、ラクサスを睨みつける。

「安心しろ。もう、ひん剥いたりしねぇよ」

しかし、そんな言葉信用できるはずがない。警戒するナツの目に、ラクサスは鼻を鳴らして、テーブルに放置してあった携帯電話を手に取った。

「こっちから聞き出す方が早かったな」

ラクサスは、携帯電を開くと、目的主の電話番号に発信した。
誰に電話しているのか、ナツが落ち着かない様子でラクサスの行動を窺っていると、電話主と通話が繋がったのだろう、ラクサスが口を開いた。

「ナツの事で一つ確かめたい事がある。正直に答えるよ……ロキ」

電話の相手の名が出て、ナツは目を見開いた。携帯を奪おうと手を伸ばすが、ラクサスが空いている方の手でナツの頭を押さえて、止めてしまう。腕の長さにも差があるのだ、どれだけナツが手を伸ばそうが届かない。

『スリーサイズ以外だったら答えてあげるよ』

ロキの冗談混じりの声に、微かな苛立ちを感じながら、ラクサスは続ける。

「あいつ男だろ」

妨害しようともがいていたナツの動きが止まる。不安そうに見上げてくるナツを見つめながら、ラクサスは携帯へと意識を向ける。
暫く無言が支配した後、携帯越しからロキの明るい声が漏れた。

『あ、ばれちゃったんだ』

「……あ?」

『思ったより早かったね。まぁ、ナツが隠し通せるとは思ってなかったけど』

軽い口調で言い放つロキに、ラクサスは言葉を失った。元から気付かれる前提で話しは進んでいたようだ。

『これで、ナツも気が楽なんじゃないかな。やっぱメンバーの一人ぐらいは知っててくれないと、何かと不便だし。君はリーダーだからね、ちょうど良かった』

「勝手に話し進めてんじゃねぇ。俺が受け入れると思ってんのか」

面倒な事を押し付けられては堪らない。
しかし、ロキは、何を言っているんだとばかりに、口を開く。

『今更引き返せないよ。雑誌の取材は終わったし、あれが掲載されるのは来週だ』

それと同時に記者会見の準備も進んでいるのだ、ナツがメンバーに加わった事が、完全に世間に知れ渡るまで秒読み段階だ。
言葉を詰まらせるラクサスに、ロキは続ける。

『それに、力になってあげたいじゃないか』

「あァ?」

怪訝そうなラクサスに、ロキは意外そうに声をもらす。

『知らないのかい?ナツは、お父さんを探しにハコベから出てきたんだよ』

フリードの情報で、ナツが父親に施設に入れられたという事は知っていた。それ以降、その父親が施設に多額の寄付を行っている事も。しかし、フリードの情報は、ナツが施設を飛び出したところで終わっていたから、理由が父親を探すためだと知らなかったのだ。

『健気だよね。顔も分からないお父さんに会う為に、芸能界にまで入るなんて』

その提案をしたのはロキであり、出会ってばかりでも、ナツが己で思いつく事ではないと想像はつく。
ラクサスを丸めこもうと、ロキが淡々と話していく。鬱陶しいそれを、ラクサスは通話を切る事で強制的に止めた。
ナツの父親に関しても、フリードは調べていた。しかし、名前すら、フリードの情報網でも得る事は出来なかった。施設に行っている多額の寄付に加え、相当な権力者と考えてもいいだろう。
携帯を見つめて思案にふけっていると、視界の端に映っていた桜色が動いた。

「ロキ、なんて言ってた?」

不安そうに見上げてくるナツに、ラクサスは携帯を閉じた。

「お前、親父を探すために、ここに来たってのは本当か?」

「お、おお。施設の皆には内緒だけどな」

家出同然である。
フリードの情報から見ても、何の不自由ない暮らしを送ってきたはずだ。写真で見たナツの姿は幸せそうだった。そこを飛び出してでも、父親を求めているという事か。
ラクサスはゆっくりと口を開く。

「そんなに、親父に会いてぇのか」

「当り前だろ」

「てめぇを捨てたんだろ」

即答したナツに、ラクサスは無遠慮な言葉で攻める。しかし、ナツの瞳は揺らぐ事はなかった。

「それでも会いてぇ。父ちゃんが、どんな奴なのか知りてぇんだ」

何故こうも求める事が出来るのか、ラクサスには理解できなかった。
ラクサスの父親も、ある日忽然と姿を消したまま帰ってはこない。それと同時に、ラクサスの中で父親に対する期待というものは消え失せた。
自分とは逆の、朧げにも記憶にない父親に期待を持つナツに、ラクサスは徐々に興味を引かれていた。

「分かった」

真っすぐに見つめてくるナツが、きょとんと首をかしげる。

「てめぇが、elementsにいる事を許可してやるっつってんだよ」

「……いいのか?」

「どうせ、それ以外の道はねぇからな。ただし、誰にも気付かれんなよ」

万が一にでも、ナツが女と偽っていると知られれば、どれほどの騒ぎになるか想像を絶する。elementsだけではなく、プロダクションも危険にさらされるだろう。

「分かったな?」

ナツの表情が一瞬で輝いた。

「おお!」

「話しは終わりだ。とっとと出ていけ」

朝っぱらから嫌に疲労感が出てしまった。
コーヒーでも飲もうと、ナツの背を押しながら部屋を出て行こうとすると、突然ナツが振り返った。

「ラクサス」

鬱陶しげに見下ろせば、間近にはナツの満面の笑みがあった。

「お前、良い奴だよな!」

ナツの笑顔に、ラクサスは思わず見入ってしまった。
ラクサスは幼い頃から芸能界という世界を見てきた。祖父であるマカロフの影響もあったのだが、そのせいか、純粋な笑顔というものを久しく見ていない気がした。他人の関心を失くしていたのもあったのかもしれないが、それ以上に、ナツが偽りのない感情をぶつけてくるからだろう。
初めて、笑顔を綺麗だと思えた。

「……て、いだだだだだッ!」

我に返ったラクサスは、思わずナツの頭を鷲づかみしていた。握りつぶす勢いで力を込めれば、ナツは痛みに顔を歪めるどころか、涙さえ浮かべる。

「止めろよ!ヅラが取れんだろ!」

ラクサスが手を放すと、ナツは己の頭を隠す様に両手で押さえ、かつらがずれていないか手探りで確認する。
頭部に与えられた痛手には怒りを見せるが、昨日までとは態度が違う。完全に懐かれてしまったのだ。
しかし、それが不快に感じなくなっているから、困る。

「もういいから出て行け。お前といると調子が狂う」

溜め息交じりに言えば、ナツが悪態をつく様に舌を出した。それさえも、妙にくすぐったく感じてしまい、ラクサスは誤魔化す様にナツの頭をはたいた。

「いて!何なんだよ、さっきから」

ナツは頬を膨らませて不満を訴えながら、扉を開ける。しかし、ナツは、廊下に足を踏み出したところで止まった。
扉を開けたそこには、ちょうどミストガンが通りかかったところだったのだ。

「ナツ?」

ミストガンは、ナツの姿を確認して顔をしかめた。
朝早い時間に、未だ寝間着姿のナツがラクサスの部屋から出てきた。しかも、ナツの寝巻のボタンが外れている。
何かあったのだと勘ぐってしまっても仕方がないだろう。

「ラクサスの部屋で、何をしていたんだ?」

ミストガンの問いにナツは言い淀んだ。返答に困っているナツの代わりにラクサスが口を開く。

「ジジィからの言伝があったんだよ。こいつは携帯なんか持ってねぇだろ」

まだ、ナツは携帯を渡されていない。
真実か見定めるようにラクサスを見ていたミストガンだったが、落ち着かなく視線を彷徨わせるナツに視線を落とすと、表情を緩めた。
仕方がないとばかりに小さく息をつく。

「それならいい。ナツ、ちゃんと釦をとめろ」

言われるままに、ナツは上着の釦を慌ててとめる。
服装が正されたのを確認して、ミストガンは口を開く。

「ナツ、君に話しがあったんだ」

きょとんとするナツに、ミストガンは続ける。

「昨夜はすまなかった。君さえよければ、もう一度誘われてくれないか?」

「……それって、ケーキの話しか?」

肯定を示せば、ナツが笑みを浮かべる。しかし、ナツが頷く前に、その首根っこをラクサスが掴んだ。

「待て」

まるで犬のしつけの様で、ナツもぴたりと動きを止めた。恨みがましい目で訴えてくるナツを無視して、ラクサスはミストガンへと視線を向ける。

「こいつは仮にも女だろ。また、マスコミに餌でもばら撒くつもりか?……てめぇ、忘れたわけじゃねぇよな」

ラクサスの厳しい目に、ミストガンは口をつぐんだ。
ナツは知らない事だが、以前にミストガンは、同じ所属事務所の女優との関係を報道陣に勘ぐられたのだ。当時の異様なほどの騒ぎで、elementsの活動は暫くの間自粛せざるを得ないことにもなった。
思い出して苦い顔をするミストガンに、ラクサスは、ミストガンから遠ざけるようにナツを背後に押しやった。

「ついでに言っとくが」

訝しむミストガンに、ラクサスは続ける。

「こいつの世話は俺がする事になった。お前は余計な口出しするなよ」

「それは、社長の命か?」

「こんな面倒くせぇ事、俺が進んでやると思うか?」

実際にはマカロフにはまだ何も告げていない、ラクサスの独断だ。
話しが見えないナツは、ラクサスとミストガンを交互に見やる。ミストガンと視線が合い、ナツが声をかけようと口を開くが、ミストガンは視線をそらしてしまった。

「分かった」

短く言葉を漏らして、ミストガンは浴室の方へと向かっていく。それを見送って、ナツはラクサスを睨みつけた。

「どうしてくれんだよ、俺のケーキ」

心配なのは食い物の事だけか。
ラクサスは呆れたように息をついて、ナツを見下ろす。

「昨日食ったろうが」

「今日は食ってねぇ!それに、ミストガンも苛めやがって……様子が変だったじゃねぇか!」

「あァ?」

ミストガンの名が出て、ラクサスの機嫌は急降下した。
苛立つ感情に任せて、ラクサスはナツの頭は叩いた。力が強かったのだろう、その拍子に、かつらが外れて床に落ちた。
ナツは、黙ってかつらを拾い上げると、そのまま被って部屋を飛び出す。

「ラクサスの馬鹿野郎!」

「この、クソガキ!」

一瞬遅れてラクサスが追いかける。捕まえる前にナツは、浴室と繋がっている脱衣所に飛び込んだ。そこには、服を脱いでいる途中のミストガンがいた。
ナツの登場で目を見開くミストガンに、ナツは勢いのまま抱きついた。

「な、ナツ、」

「ミストガン!ケーキ連れてってくれ!」

服を脱いでいるのが上半身だけだから、まだ救いだろう。容赦なく、胸に顔を押し当ててくるナツに、ミストガンも流石に動揺を隠せない。しかし、それから意識をそらせるように、すぐにラクサスが飛び込んできた。
ラクサスには珍しいほどに怒りをあらわにしている。いつもなら怒りを感じても、どこか小馬鹿にしている態度なのだが、今のラクサスは兄弟と喧嘩でもしているようだ。原因はナツで間違いない。
目の前で言い合いを始めるナツとラクサスを、傍観するミストガンだったが、ラクサスがナツの頭を鷲づかみしたところで、我に返った。

「いい加減にしろ、クソガキ!」

ミストガンは、ラクサスの手を掴んでナツから手を放させると、咎めるような目を向ける。

「汚い言葉は慎め。ナツが真似したらどうする」

「てめぇはこいつのお袋かよ。大体……」

「よー」

ラクサスの言葉を遮った声。
三人が、声のした方へと視線を向ければ、脱衣場の入口で、グレイが壁に寄りかかって立っていた。

「何、修羅場ってんだよ」

いつから居たのか、冷めた目と声を向けてくるグレイに、頭に血が昇っていたラクサスとナツも、ようやく我に返ったのだった。




2011,02,05
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