しがらみ





母親は事故で亡くなり、父親は蒸発して行方知れず。物心がつく頃にはラクサスとナツが保護者と呼べるのは、祖父であるマカロフしか居なかった。それでも寂しさを感じる事がなかったのは、互いの存在があったからだ。

生まれた時から常に共に居たとはいえ部屋は別だ。幼い頃は子供部屋として二人で一部屋だったのだが、中学に進級すると同時に別になった。
しかし、部屋が別れたといっても二人でいる時間が減ったのはわずかだ。寝る以外の時間はナツがラクサスの部屋に居る事が多い。
その日も、ナツはラクサスの部屋を訪れていた。ベッドに寝転がりながら、同じベッドに座って雑誌を読んでいるラクサスを見上げる。

「ラクサス」

真剣な声で名を呼ばれ、ラクサスは雑誌からナツへと視線を移した。
何だと無言で問えば、ナツが続ける。

「俺達、兄弟じゃねぇかも」

「……そりゃぁ、都合がいいな」

溜め息交じりで返されて、ナツは勢いよく起きあがった。ラクサスが読んでいた雑誌を払い落す様に手で踏みつけ、不満そうに口を尖らせて顔を近づける。

「俺と兄弟なのが嫌なのかよ」

「冗談だ」

ラクサスの手が、はナツの顔を遠ざける。

「つーか、何くだんねぇ事言ってんだ」

同時に誕生し、同じ日にたった数分の差で産まれた。今まで共に居て、今更兄弟ではないかもしれないという発想がどうやれば生まれるのか。
ナツは身体を引く事なく、逆に、押してくるラクサスの手のひらに、ぐいぐいと顔を押しつける。

「だって、俺とお前の生まれてすぐの写真ってねぇだろ」

「んなことか」

ラクサスは呆れたように溜め息をついて、ナツから手を放した。

「仕方ねぇだろ。生まれたばっかの頃は貧弱だったらしいからな」

生まれて間もない頃のラクサスは貧弱で、暫くの間は集中治療室に入っていた。もちろん写真など撮っている状況ではなかったのだ。ナツとラクサスが共に写真に写るというのは無理があるだろう。
納得していない様子のナツの頭に、ラクサスの手が乗る。

「俺とお前が兄弟なのは違はねぇんだから、それでいいだろうが」

ラクサスの言葉で一応納得したのか、ナツが大人しくなる。それに手を退けたラクサスだったが、窺う様なナツの目で動きが止めた。

「なぁ。ラクサスは俺と兄弟で嬉しいか?」

ラクサスの身体が微かに身じろぐ。目の前には期待するナツの瞳。全てを見透かされそうな真っすぐなそれからラクサスは目をそらした。

「当り前だろ」

「……そっか」

何でもない様な相槌だが、ラクサスがちらりと視線だけを向ければ、ナツは頬を微かに紅色させている。その表情はだらしなく緩んでいて、ラクサスは耐えるように拳を強く握りしめた。
ラクサスにとっては、ナツと兄弟で嬉しかったのは幼い頃までだ。ナツへの感情を自覚してからは、兄弟という先を望めない関係が、ただ辛い。

「ん?ラクサス、今何か言ったか?」

ラクサスの考えをわずかでも感じ取ったのだろう。ナツがきょとんと首をかしげる。

「何でもねぇ。んな事より、お前のクラス明日までの課題なかったか?」

ナツははっとして立ちあがった。ベッドの弾みで身体を揺らしながらラクサスを見下ろす。

「忘れてた」

ラクサスはやはりといった様子で溜め息をついた。長年共に居るのだ、予想はついていた。

「手伝ってやるから持って来い」

「おお、流石ラクサス!」

ナツが目を輝かせながら部屋を出て行こうとする。しかし、廊下に出たところで振り返った。

「俺も、ラクサスと兄弟でよかった!」

照れたようなナツの表情。それが扉に遮られても、ラクサスはなかなか身動きが取れずにいた。
ナツの足音が聞こえなくなって、ラクサスは乱暴に前髪をかきあげた。顔を歪めながら、辛そうに声を吐き出す。

「兄弟なんか御免だ」

兄弟でなければ、恋人という位置に立てたかもしれない。

「最悪、あの野郎だけはどうにかしねぇとな」

あの野郎とは、グレイの事だ。ナツとラクサスの所謂幼馴染というやつだ。一目惚れなのだろう、出会ってすぐにグレイはナツに好意を抱いた。そして、グレイとラクサスは互いのナツへの感情を知っている。
ラクサスは歯ぎしりをした。無知だった自分に、ませていたグレイの言った言葉。それが耳に残って消えない――――







小学生半ば、ナツとラクサスがグレイと知り合って間もなくの頃。気が合った三人は、いつも時間を共にしていた。
その日、他のクラスの女子に呼び出されているナツを、ラクサスとグレイは教室で待っていた。

『ナツ、遅いなー……』

椅子に座りながら、つまらなそうに垂れさがる足をぶらつかせるラクサス。同様に座っているグレイは不機嫌そうに顔を歪めていた。

『どうしたの?グレイ』

『どうしたって、おまえ心配じゃねーのかよ。まぁ、そんなかわいくなかったけどよ』

グレイの言葉にラクサスは首をかしげた。きょとんとするラクサスに、グレイは溜め息をつく。

『おまえ分かってねーのかよ。ナツは、告られてんだよ』

『こく……え!?』

ようやく理解したラクサスは慌ただしく立ちあがった。見て分かるほどに狼狽し、落ち着かない様子で、グレイの顔と教室の入り口を交互に見やる。

『ど、どうしよう、グレイ!』

『平気だろ。あんな女子にユーワクされるわけねーよ』

言葉の意味を理解して使っているのか怪しい。グレイの言葉に困惑しながらも、ラクサスは教室の入り口をじっと見つめる。
落ち着かないラクサスの姿を、グレイは一度だけ視界に入れて、すぐにそらす。

『つーか、おまえさ』

振り返るラクサスに、グレイも視線だけを向けた。

『おまえ、ナツのこと好きだろ』

『……う、うん。オレ、ナツがいちばん好きだよ』

顔を赤くして答えるラクサスに、グレイは不機嫌に顔を歪める。

『オレもナツが好きだ。お前には、ぜってー負けねー』

グレイの言葉に瞬きを繰り返すラクサス。グレイは強い眼差しでラクサスを睨みつけた。

『分かってねーだろ、おまえ。兄弟じゃコイビトになれねーんだからな』

目を見開くラクサスにグレイは勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

『だから、ナツと結婚すんのはオレだ!』

兄弟じゃなくても、同性は結婚できない。しかし、子供の中途半端な知識では深くは考えていないのだろう。グレイは胸を張り、ラクサスは突きつけられた現実に涙目になっていた。
興奮したのか、グレイの鼻から赤いものが流れ出る。それに、ラクサスの零れかけていた涙は引っこんでしまった。
その時、幼いラクサスも把握し、強く決意した。グレイだけは、どうにかしなければいけない――――







ラクサスの手助けもあって、どうにか徹夜で課題を終わらせる事が出来た。
登校したナツは己の席に着くと机に覆いかぶさった。ぐったりと力ない姿に、先に登校していたグレイが近づく。

「どうしたよ。ナツ」

「おー、グレイか」

視線だけを向けてグレイを確認したナツは、身体を起きあがらせた。

「今日までの課題あったろ?俺、忘れてたんだよ。ラクサスのおかげで何とか終わったけど、朝までかかった」

「そりゃ、大変だったな。つーか、いい加減ラクサスから離れろよ」

グレイはナツの前の席に腰かけた。ナツと向き合う様にして座り、背もたれに寄りかかる。
いつもの事だが、ナツの口からラクサスの名が出るたびにグレイは不機嫌になる。苦い顔をするグレイに首をかしげながら、ナツは口を開いた。

「何だよ、それ。俺とラクサスは双子だぞ」

胸を張るナツに、グレイは深く息を吐いた。自慢されても困る。

「まぁ、今はいいけどよ。あの課題一日で終わらせたって事は、お前昨日は一歩も外に出てねぇのか?」

課題の量が多く、とてもじゃないが一日で終われるとは思えない。
頷きながらも恨みがましい目を向けてくるナツに、グレイは気にした様子もなく、ただ納得したように口を開いた。

「やっぱ人違いか」

何がだと無言で告げるナツに、グレイは続ける。

「商店街で、お前によく似た奴を見かけたんだよ。世の中には同じ顔の人間が三人いるって言うけど、あれは似すぎだな……まるで双子みたいだったよ」

グレイが言い終わると同時に、ナツが荒々しく立ち上がった。

「俺と双子なのはラクサスだ!!」

勢いで椅子が倒れてもナツは気付いていないようで、グレイを睨んでいる。
今ので教室の視線も集めてしまった。静まり返る教室に、グレイは顔を引きつらせながらナツの手を引いて座らせる。

「何興奮してんだよ」

「してねぇよ、別に……でも何か……悪い、よく分かんねぇ」

俯いたナツはそれ以上言葉を発する事はなかった。
黙り込んでしまったナツに、グレイは小さく息をつくと立ちあがると、ナツの頭をぽんぽんと叩く。

「悪かったよ。でも別にいいだろ。お前とラクサスが兄弟だって事は違わねぇんだから」

グレイの言葉にナツは顔をあげた。その目は大きく見開かれていて、グレイは眉を寄せる。

「どうした?」

「……なんでもねぇ」

グレイの言葉は、昨日ラクサスが言っていた事と同じ。だからと言って深い意味などないのだが、妙に不安にかられた。
自分の席に戻っていくグレイを見送って、ナツは窓の外へと視線を向けた。
心の中でラクサスの名を呼ぼうとしたが、すぐに止める。

「何か気持ちわりぃ」

ラクサスにさえ話さない事だが、ナツはたまに妙な不安にかられていた。遠く離れた場所で誰かに呼ばれている様な。自分のいる場所が本当の居場所ではない様な。
そして、最近はそれが強くなっていたのだ。
ナツは首を振るって考えを消すと、机に伏せた。目を閉じれば、すぐに意識が薄れていった。







授業を終えて共に帰宅したラクサスとナツは、玄関先で足を止めていた。マカロフが待ち構える様にして立っていたのだ。
段差分通常よりも視線の位置が高いマカロフを見下ろして、ナツが首をかしげる。

「じっちゃん、怖い顔してどうしたんだ?」

マカロフの纏う雰囲気がいつもと違う。少し緊張が交じった不穏なものだ。ラクサスもそれを感じ取って表情を緩めることなくマカロフを見下ろす。

「用があるんじゃねぇのか?」

マカロフは一度ラクサスに視線を向けた後、ナツへと移す。

「お前達に大事な話がある」

背を向けてリビングへと向かってしまったマカロフに、ナツとラクサスは顔を見合わせた。

「お前なんかしたのか?」

ナツの言葉にラクサスは溜め息をつきながら、ようやく家の中に上がった。

「お前と一緒にするんじゃねぇ」

「俺は何もしてねぇ!」

ナツも靴を脱ぎすてて家の中に上がると、マカロフが待つリビングへと足を進めた。
ソファに座って待っているマカロフ。その神妙な顔に首をかしげながら、ナツはラクサスと共に向かいのソファに腰を下ろした。

「じっちゃん、話ってなんだ?」

マカロフは目の前のテーブルに手を滑らせた。中央辺りで止めて手を放す。そこには先ほどまでなかった一枚の写真。
ナツはそれを手にとってまじまじと見つめた。
写真に写っているのは、生まれたばかりのナツと、赤ん坊のナツを抱く赤髪の男。

「これ、俺だよな」

写真でも見た事があるし、わずかに生えている髪の色から判断できる。しかし、共に映る男には見覚えがなかった。
首をかしげるナツに、マカロフはゆっくりと口を開く。

「その男の名はイグニール。お前の、本当の父親じゃ」

ナツは弾かれる様に顔をあげた。驚きで見開かれた目がマカロフを見つめる。

「……じっちゃん、今何て言った?俺の父ちゃんって、こいつじゃねぇだろ。写真で何度も見たし、じっちゃんもそう言ってたじゃねぇか」

何度も写真で見せられた父親の写真。今目の前にある写真の男とは全く違った風貌の男だ。髪の色も炎の様な赤ではなく、闇の様な黒をしていた。

「イグニールは、訳あって、生まれて間もないお前をワシに預けたんじゃ。……隠していて、すまなかった」

マカロフの掠れた声が、耳に届く。その謝罪の言葉が、全て真実だと告げている。
緊張で鼓動が速くなっていく。じんわりと手に汗が滲むのを感じながら、ナツは写真に視線を移す。
赤髪の男は、赤ん坊であるナツを腕に抱きながら、目を愛おしげに細めている。その男を見ていたナツは、歯を食いしばった。
否定したいのに、赤の他人だと言い切れない自分が居るのだ。

「これが、俺の父ちゃん……」

ナツは垂れさがった手に力を入れた。堪えるように、ソファに爪を立てる。それに気付いたラクサスが、手を重ねた。

―――ナツ。

頭に直接響いてきたラクサスの声に、ナツは力を緩めた。ラクサスの手がナツの手を握りしめると、ナツは落ち着かせるように息を吐きだす。

「ナツ」

名を呼ばれ、ナツは顔をあげた。マカロフが続ける前に、ナツは口を開く。

「俺は、じっちゃんの孫じゃなかったって事か。ラクサスと……」

ナツは繋がれている手を握り返す。

「兄弟じゃなかったって事なんだな」

マカロフの話からして、血の繋がりがない事になる。祖父だと思っていたマカロフと、双子の兄弟だと思っていたラクサスも。
真っすぐに見つめてくるナツ。見つめ返していたマカロフの眉が悲しげに下がる。

「ナツもラクサスも、ワシにとって大事な孫じゃ。血の繋がりがなくとも、それは変わらん」

浮かんだ涙を隠す様にナツは顔を俯かせた。黙ったままのラクサスから、握られている手を引き抜いて、立ちあがる。

「じっちゃんが難しい話しするから疲れた。俺、もう寝るな」

ナツを呼びとめようとしたマカロフは、すぐに口を閉ざした。ナツの身体が震えていたからだ。
出ていくナツを追うとしたラクサスは、廊下に足を踏み入れたところで、マカロフに呼び止められる。
足を止めたラクサスが振り返る事はなく、少しの間をおいてマカロフが口を開いた。

「黙っていて、すまんかった。お前も戸惑っておるじゃろうが、今はナツの側にいてやってくれんか。ワシは出かけなければならん」

返事を返さないが、言葉は届いているだろう。
マカロフは立ちあがり、立ったままのラクサスの横を通り過ぎた。

「おそらく、今日中には戻れん。留守を頼むぞ」

ラクサスは頷く事もしない。表情を隠す様に俯いているだけだ。マカロフが玄関の扉を開閉する音を耳で感じ取り、ラクサスはようやく動きを見せた。
ラクサスは隠す様に口元を手で覆う。

「俺とナツが、兄弟じゃない……」

掠れた声で呟きながら、ラクサスは拳を強く握りしめた。
ナツに特別な感情を抱いてからのラクサスは、ナツと兄弟であるという立場に嫌気がさしていた。同性というだけでも壁が厚いのだ、それに加え兄弟では関係の変化は望めない。
世間体ではなくナツが受け入れないと思ったのだ。しかし、血の繋がりがないというならば話しは別だ。
ラクサスはナツの部屋に向けて足を進める。一歩一歩ナツの元へと距離を縮めながら、ラクサスは口元に笑みを浮かべた。
ナツの部屋の目の前で立ち止まり、扉を見つめる。

「……悪いな。ナツ」

一番強かったしがらみが、ようやく消えた。




2011,01,16
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