生まれた時から側に居て、いつも互いの欲している物を理解できた。辛い時は、何も言わなくても隣に居た。
それも全ては、掛け替えのない対だから。

移動授業の準備をしていたラクサスは、その手をぴたりと止め、一瞬間をおいて深くため息をついた。それに、側で待っていたクラスメイトのフリードが首をかしげる。

「どうした?ラクサス」

声をかけられたラクサスは返答することなく立ちあがると教室を出た。廊下に設置してある己の割り当てられてあるロッカーを開き、中からジャージ一式を取り出したのと同時だ。騒々しい足音と声が廊下中に響き渡る。

「ラークーサースー!!」

徐々に近づいてくるそれにラクサスは視線を向けた。
駆け寄ってきた鮮やかな桜色が目の前で立ち止まると、ラクサスはジャージを差し出した。

「これだろ」

「おお!ありがとな、ラクサス!」

嬉しそうにジャージを受けとるのを見て、ラクサスは小さく息をついた。

「もう忘れんなよ」

「分かってるって。じゃぁ、また後でなー!」

去っていく姿を見送って教室に戻ったラクサスを待っていたのはフリードだ。その顔は苦笑している。

「ナツだったのか」

「いつもの事だろ」

ラクサスは授業に必要な教科書を手に取ると、フリードと共に教室の移動を始めた。
先ほどジャージを借りに来たのは、ラクサスの双子の弟であるナツ。金髪のラクサスに対してナツの髪色は桜色。容姿も性格も似ている所など全く無いが生まれた時から常に共に居る。
どれほど離れた場所に居ても二人は通じ合う、一種のテレパシーのようなものが二人の間にのみ存在していた。
教室に着き、割り当てられている席へと着いたラクサスは再び動きを止めた。どこか遠くを見つめるラクサスに、フリードも己の席に行こうとしていた足を止めた。

「……どうした?」

見当が付いているのだろう苦笑気味に問うてくるフリードに、ラクサスは返答しない。先ほどと同じ態度が、フリードの予想が当たっていると告げている。
己の席へと向かうフリードを視界の端に入れながら、ラクサスは小さく声を漏らした。

「転んだか」

バカ。
呆れた様に呟きラクサスは目を閉じた。
その言葉通り、ジャージに着替えたナツは運動場に出ようとしたところで転倒していた。障害物があったというわけではなく、校舎内に入ろうとしていた者と衝突したのだ。
ナツは打ち付けた尻を摩りながら、ぶつかった相手を睨みつけた。

「危ねぇだろ!グレイ!」

ぶつかったのはクラスメイトのグレイ。ジャージを着ており、ナツ同様に授業を受ける運動場に出ていた。ジャージを忘れたナツとは違い早々に着替えて先に来ていたのだ。
グレイは立ち上がりながら苦い顔をした。

「あのなぁ、てめぇがいつまで経っても来ねぇから……」

続けようとしたグレイの言葉は、横から入ってきた高い声で止められてしまう。

「あ、あの!」

ナツとグレイが視線を向ければ、見覚えのない顔の女子生徒が立っている。
落ち着きがなくナツをちらちらと見ている女子生徒の表情に、グレイは顔をしかめた。
女子生徒の顔はほんのりと赤く緊張しているように見える。それがどういう意味を持っているのか、グレイは気付いたからだ。

「誰だ?」

見知らぬ顔にナツが首をかしげれば、女子生徒は震える唇を必死に動かした。

「ど、ドレアー君の双子の弟だよね?」

ナツは瞬きを繰りかえした。
ドレアーはナツのファミリーネームでもあるから、女子生徒の言葉から彼女の言う“ドレアー君”がナツの双子の兄であるラクサスを差しているのだと察する事が出来る。
安堵したように小さく息をついたグレイに内心で首をかしげながら、ナツは女子生徒の問いに頷いた。

「そうだけど、何か用か?」

女子生徒は目を固くつぶりながら、思いきるように声を発した。

「お願いがあるのッ」

女子生徒の頼みは、ナツにとっては特別難しい事ではなかった。それよりもナツが気になったのは女子生徒が去っていった後のグレイだ。
グレイは機嫌が好さそうにナツの肩に手をまわした。

「これでやっと兄離れできるんじゃねぇか?」

「はぁ?なんだよ、それ」

鬱陶しそうに顔を歪めるナツに構うことなくグレイは口元に笑みを浮かべている。

「ラクサスだって彼女ができりゃ、お前とずっと一緒ってわけにはいかねぇだろ」

グレイの言葉は、ナツの胸に重くのしかかった。

その日、ナツは帰宅した後も女子の頼みを終える事は出来ていなかった。ただ一つラクサスに問うだけの事なのだが、何故か口に出し辛い。
夕食を終えたナツは、落ち着かない気分を解消しようと風呂に入っていた。湯船につかりながら浴槽に凭れかかる。

「何か、気持ちわりぃ」

胸がもやもやして、時間の経過さえも遅く感じる。繊細さなどほとんど持ち合わせていないナツには珍しい事だ。
ナツは溜め息をつくと、湯船に口元を沈めぶくぶくと音を立てる。湯船の中ならば、どれほど名を呼んでも音になる事はない。
ナツは目を閉じ、心の中でだけで名を紡ぐ。

――――ラクサス

繰り返し求めるように呼んでいると、何回目かで叩く音が聞こえた。浴室と脱衣場を遮っているガラス製の戸だ。ガラスにうっすらと移る影が音の主を教えている。

「ナツ」

予想通りの声に名を呼ばれ、ナツは慌てて湯船から顔をあげた。

「ラクサス!?な、なんの用だよ!」

浴室内に声がうるさく響く。
ラクサスは小さく息をついて口を開いた。

「それはこっちの台詞だ。お前が何度も呼んだんだろうが」

心の中で何度も名を繰り返し呼んだのが届いてしまったのだ。
気恥ずかしくなったナツは戸に映るラクサスから目をそらす。何も言えずに無言でいると、ラクサスの声が戸を越えてきた。

「何もねぇんだな?」

風呂場で何度も呼ばれれば何かあるのだと危惧するのも仕方がない。
安堵を含んだラクサスの声に、ナツは己を落ち着かせる様に息を吐いた。

「ラクサス、お前さ」

出て行こうとしていたラクサスの足が止まる。

「好きな奴とかいるのか?」

この問いが、昼間の女子生徒からの頼まれ事。最初は恋人の有無を聞いてくれというものだったが、そんなものが居ない事はナツがよく知っている故に質問が変えられた。
ナツの問いに、ラクサスが一瞬戸惑ったように間をおいて口を開く。

「お前からそんな言葉が出るとは思わなかったな」

色恋に疎いナツから出る言葉にしては予想外だ。
ラクサスの言葉にナツは口元を歪める。

「いいだろ、別に。それより答えろよ」

「……いる」

短い答えにナツの胸が鳴る。昼間のグレイとのやり取りを思い出して、ナツの手は知らぬ間に拳を握っていた。
生まれた時から常に側に居た。それが壊れる気がして、一気に不安が襲ってきたのだ。
ナツの目に涙が浮かぶ。

「ナツ?」

無言になってしまったナツに、ラクサスが窺う様に名を呼ぶ。返答を待っていると、暫くして浴室内に激しい水音が響き渡った。

「ナツ!」

浴室の戸を慌てて開けたラクサスの目に、浴槽内に居るナツが映る。湯船に身体を沈めるナツの髪から水滴が落ちる。
濡れた顔がラクサスへと向いた。

「……急に開けんなよ」

ナツの表情にラクサスは顔をしかめた。ナツは似つかわしくない薄い笑みを浮かべていた。
弱々しいそれにラクサスは浴室に足を踏み入れ、濡れた床を感じながらゆっくりとナツに近づく。

「今日、様子が変だったな。何があった」

「何もねぇよ」

湯船に視線を落としたナツに、ラクサスは浴槽の縁に手をかけると体重を預けてナツに顔を近づける。

「お前が俺に嘘つけると思ってんのか?」

ずっと一緒に居るのだ、細かい癖だって把握している。
ナツが黙り込むと、ラクサスは浴槽の縁にかけていた手に力を込めた。

「お前がジャージ借りに来た後ぐらいだな……さっきお前に名前呼ばれるまで、お前の声が聞こえなくなった。今までうるさいぐらい聞こえてた、お前の声が」

ラクサスの手がナツの肩に触れた。逃がさぬように掴むその手は微かに震えている。

「二度と聞こえない覚悟もした……」

ラクサスの震える声に、ナツはそっと顔をあげた。

「止めろ」

「ラクサス……?」

「二度とするんじゃねぇ」

物心ついた頃から互いの声が聞こえていた。互いにそれを操ってやっているわけではないが、生活する中でそれが当然となっている。それが行き成り消える事は、互いの恐怖でもあったのだ。

「……悪い」

ナツの声が浴室内に響く。
二人が口を閉ざせば、沈黙が訪れた。静かな中で、ナツの髪から落ちる水滴だけが微かな音をなす。
互いに見つめ合うだけで身動きせずにいたが、他の声で二人だけだった空間は断ち切られた。

「何しとるんじゃ。お前ら」

ラクサスはその声に我に返ってナツから手を離し、ナツは浴室の戸の方へと目を向けた。開け放たれたままの戸の前に、祖父のマカロフが訝しむ様な表情で立っていた。

「どうしたんだ?じっちゃん」

「それはワシが聞いとるんじゃ」

浴室に二人というのは特に問題ではないだろう。最近までナツとラクサスは共に入浴する事もあったのだ。
しかし、ラクサスは服を着たままで、浴室の戸も開け離れたまま。誰が見ても素通り出来る様な状況ではない。

「何でもねぇよ」

ラクサスがナツへと背を向けてマカロフへと足を向ける。
浴室から出ようとしたところで、ナツが名を呼んだ。

「ラクサス」

振り返るラクサスに、ナツが続ける。

「風呂、一緒に入ろうぜ」

「……仕方ねぇな」

溜め息交じりのラクサスの声。
いつも通りの二人のやり取りに安心したのか、マカロフが脱衣場から出ていく。それを見送ってラクサスは服を脱ぎ捨てた。







大の男二人が入るには一般家庭用の浴槽はせまい。折り曲げている互いの足もくっついてしまう程だ。

「せまい」

ぶつかり合う足を見下ろしながら、ナツが不満そうに唇を尖らせた。その頬は、長い間湯に浸かっていたせいで上気している。
さりげなく顔をそむけながらラクサスが口を開いた。

「お前もう出ろ。のぼせるぞ」

「平気だって」

会話が途切れ、ナツはちらりとラクサスに視線を向けた。それに気が付いたラクサスが顔を向ける。

「何だよ」

「さっきの、何もないって言ったの嘘だ」

先ほど、何かあったのかと問うたラクサスにナツが返答した事。ラクサス自身ナツが偽っていた事は気が付いていたから、ナツが打ち明けている事は今更だ。

「どうせくだんねぇ事でも考えてたんだろ」

面倒くさそうに言うラクサスに、いつものナツならば反発して言いかえしたりするのだが、それがない。
無言で俯いたナツをラクサスは訝しげに見下ろす。

「今日頼まれたんだ。お前に好きな奴居るか聞いてくれって」

「誰だ。んな事お前に頼んだやつは」

「知らねぇ女子」

再び会話が途切れ、居心地の悪い雰囲気になる。
今まで共に過ごしてきた中でも、これ程までに間が持てない事などなかった。会話がなくても居心地が悪くなる事などなかったのだ。
湯船の水面をじっと見つめていたナツが口を開く。

「お前さ、好きな奴いるって言っただろ」

「……ああ」

ナツの身体が微かに身じろいだ。少しの動きでも水面が揺れ、触れ合っていた足が擦れる。
ナツの俯いていた顔がゆっくりと上げられ、ラクサスは思わず息をのんだ。猫を連想させる瞳には、涙が溜まっていた。

「付き合ったり、すんのか?」

縋るような目にラクサスは目眩がした。無自覚だろうが、ナツの声は寂しさを含んでいる。
ラクサスはいくつかの言葉を飲み込んで、代わりに深く息を吐いた。脱力する姿にナツは首をかしげる。

「ラクサス?」

「嘘だ」

ラクサスは言葉と同時に、手を振り上げて湯船の湯をナツへとかけた。

「ッ……な、なにすんだ!」

思いもよらない事で防ぎようがなく顔で湯を受けてしまったナツは、手で顔を拭いながらラクサスを睨みつける。
噛みついて来るナツの姿はいつも通りで、それに笑みを浮かべながらラクサスは口を開いた。

「好きな女子なんかいねぇよ」

目を吊り上げていたナツは、ラクサスの言葉に瞬きを繰り返した。ラクサスの言葉の意味を時間かけて理解し、次第に頬が緩んでいく。

「そっか。……へへ!」

ナツが安堵したように笑みを浮かべる。
それに見入ってしまったラクサスは、誤魔化す様に手を振り上げた。先ほどと同じように湯がナツの顔面へと降りかかる。

「ぶッ……てめ、またやりやがったな!」

「うるせぇから、お前もう上がれ。狭いんだよ」

ナツは不満そうにラクサス一度睨むと乱暴に立ち上がる。浴槽から出ると、首をひねってラクサスに振り返った。

「お前まだ入ってんのか?のぼせても知らねぇぞ」

それにラクサスは手で追い払う仕草をしただけだった。
ナツは悪態の代わりに舌をべっと出すと、脱衣場へと消えていった。
暫くしてナツの気配が脱衣場からも消えると、ラクサスは浴槽の縁に腕を置いて疲れ切ったように身体を預けた。

「出れるわけねぇだろ。バカ」

せっぱ詰った声が浴室内に響く。
ラクサスも早々に湯船から出たかったのだが、ナツと共には出られない理由があった。身体が湯のせいだけではない熱を持ち始めていたのだ。
大分治まりを見せる自身に、ラクサスは天井を仰いだ。鬱陶しい湯気を見つめながら小さく呟く。

「いねぇよ、好きな女なんか」

ラクサスは嘘だと言ったが、それが嘘になる。好きな奴が居るのかという問いに、ラクサスは迷いながらも頷いた。そして、好きな女子はいないと告げた。
ナツが気付いていない、ラクサスの言葉の意味。
ラクサスは、双子の弟でもあるナツに特別な感情を持っていたのだ。今まで、この想いだけは伝わる事はなかった。
ラクサスは気持ちをナツに伝える気も悟らせる気もない。この感情がナツを傷つける事になると分かっているから、なお更己の心の中だけに止めておこうと決めていた。
対としてではなく、個として生まれてしまえば、こんなにも強く求める事はなかっただろう。
求めてしまう事が苦しくて、もどかしい。

「お前以外いらねぇんだよ……」

瞳を閉じれば目蓋の裏にはいつだってナツの姿が映るのに、自分だけのものになる事はない。




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