雨後晴





あなたが好きです。私に青空を見せてくれた。私の心に降り続けた雨を止ませてくれた。あなたが、大好きです。

その日は滅多にない豪雨だった。それは、私の晴れ渡った心の終わりを告げていたのかもしれない。

「グレイ様、どこに行ったのかしら」

傘も持たずに出て行ってしまったグレイを追って、ジュビアはギルドの門を出ようとしていた。しかし外へと踏み出そうとしていた足が止まる。
雨のせいで人影のないオープンカフェ。そこを突き進み、ギルドの裏手に回った。
話し声が聞こえた気がしたのだ。実際、足を進めた裏手に、二つの影を見つけた。

「グレイ様」

グレイとナツ、二人とも傘を差さずにいるせいで、遠目で見ても分かるほどに濡れていた。

「あんなに濡れて」

風邪をひいたら大変。
ジュビアが近づこうとするが、二人の雰囲気は妙だった。思わず足を止めて、建物の影に身を隠す。

「てめぇがこんなとこ連れてくるから濡れちまったじゃねぇか」

ナツが雨にぬれた髪をかきあげて、不機嫌そうにグレイを見上げる。グレイは濡れている事に気にした様子もなくナツを見つめている。

「追いかけんのか?」

唐突なグレイの言葉に、ナツは顔をしかめた。

「何がだよ」

「ラクサスだよ。追いかけるつもりじゃねぇのか」

破門されたラクサスが姿を消して一週間ほどしか経っていない。昨日までマカロフに抗議していたナツが今日は観念したように大人しくなった。それに対してグレイが怪しんでいるのだ。

「何で俺が追いかけんだよ。……ラクサスの事は納得してねぇけどさ」

グレイの目が据わっている。その目にぎくりとし、ナツは目をそらせた。

「俺は、妖精の尻尾を離れる気はねぇよ」

「違ぇだろ。ラクサスが居る場所から離れたくなかったんじゃねぇのか」

「お前、いい加減にしろよ!!」

先ほどからグレイの意図が掴めない。ナツの苛立ちが限界を超えた。ナツの怒りも尤もだろう。雨の降っているのに外へ連れ出された上に、責めるような目で見られるのだから。
グレイは、付き合いきれないとばかりにその場を去ろうとしていたナツの肩を掴んで、背後の木へとナツを押さえつけた。

「俺はッ」

抵抗しようとしたナツだったが、グレイの痛いほどの叫び声に動きを止めた。
俯いていて表情は読み取れないが、手から伝わる震えが、グレイの感情の高ぶりを教えている。

「お前がいる妖精の尻尾だから、俺は、ここに居たいんだ」

「何言って……んッ」

ナツの言葉を飲み込むように、グレイは唇を重ねた。触れるだけですぐに離れ、グレイはナツの見開いた瞳を見つめて、辛そうに吐息をもらした。

「分かるだろ」

ナツは羞恥で顔を染めて震える手で拳を作った。目の前のグレイの頬へと叩きつける。
さほど力は入っていなかったのだろう、いつもなら吹っ飛んでもよさそうなグレイの身体は、その場で尻もちをつく程度だ。
座り込んだまま微動さえしなくなったグレイを睨みつけ、ナツは悔しそうに歯を食いしばると、地を蹴りつけるようにその場を去っていった。

「……くそ!」

グレイは乱暴に前髪をかきあげた。雨にぬれて重さの増した髪が後ろへと流れる。
雨に浸透されて服が肌に張り付く。その不快感にも気にならない程に、感情が渦巻いている。
こんな時誰にも出くわしたくはないのだが、ナツが去っていった方とは逆から、湿った地を踏みしめる音が近づいてきた。

「グレイ様」

「……見てたのか?」

タイミング良く現れたジュビアに、俯いていたグレイの顔が自嘲気味な笑みを浮かべた。
ジュビアは何も言わずにしゃがみ込んだ。痛々しくはれ始めた頬へとハンカチで触れるが、グレイの手ですぐに振り払われてしまう。
湿っている地面にハンカチが落ちる。次第に水が浸透していくそれに視線を向ける様子もなく、ジュビアはグレイを見つめた。

「グレイ様」

グレイは反応を示さず俯いたままだ。そのままグレイもジュビアも言葉を発しなかった。ハンカチが地と同化したように汚れても、ジュビアは動こうとはしない。
先に静寂を破ったのはグレイだった。

「ハンカチ、悪かったな」

雨音に消されてしまう程に小さく呟かれた声。
立ち上がったグレイに、ジュビアも立ち上がった。

「グレイ様」

今度はグレイも振り返った。視線が絡み、ジュビアは優しく笑みを浮かべる。

「ジュビア、グレイ様が好きです。誰よりも、大好きです」

グレイの目が驚いたように見開く。冗談でない事は、ジュビアの目を見れば分かる。降り続ける雨をかき消すほどに強い想い。
暫くして、グレイはゆっくりと口を開いた。

「悪い」

立ち去っていくグレイの背を見つめるジュビアの手から、傘が零れおちる。グレイの姿が見えなくなって、ジュビアは瞳を閉じた。
肌を打ちつけてくる雨を感じながら、心の中だけで小さく唱えた。
全て雨に流されてしまえばいいのに。







「止みそうにないなぁ、雨」

鬱陶しそうに空を見上げるルーシィ。ギルドから帰路への道を歩くだけで足元が濡れてしまっている。
帰ったらすぐに風呂に入ろうと思案していると、見知った姿が視界に入った。傘もささずに、全身に雨を纏っているジュビア。

「ジュビア、どうしたの!?」

彼女は水の魔導士だから雨にぬれても問題はないだろう。しかし、ルーシィが気になっていたのは雨にぬれている事ではない。
俯いていたジュビアに近寄ったルーシィは、心配そうに眉をひそめた。ジュビアの頬には雨に紛れて涙が伝っていたのだ。

「……あたしの家に来て。すぐそこだから」

何も反応を示さないジュビアの手を取って、ルーシィは自宅へと足を向けた。
急げば数分もかからぬ距離だった。飛び込むように部屋に入ったルーシィは、ジュビアへと振り返る。
魔法で水にもなれるジュビアの身体。いつもなら雨で濡れようが海に飛び込もうが関係ないのだが、今は違う。ルーシィと同じように雨にぬれた状態で、滴り落ちる滴が床を濡らしている。
魔法が使えていない証拠だ。

「タオルより、お風呂ね。ちょっと待ってて」

「……ジュビア……しました」

風呂場へと向かおうとしていたルーシィは、ジュビアの声に足を止めて振りかえった。
声が小さくてよく聞き取れなかったのだ。首をかしげるルーシィに、ジュビアは顔を上げて、笑みを浮かべた。

「ジュビア、失恋しちゃいました」

無理やり笑みを浮かべても、すぐにそれは歪んでしまう。ルーシィは考える間もなくジュビアへと両腕を伸ばし、抱きしめた。
雨に触れて互いに体温が下がっていた。それでも体温に触れて、一気に感情が溢れだしたのだろう。ジュビアの瞳からとめどなく流れる。

「ジュビア好きだった!グレイ様の事が、本当に、好きだった……ッ」

「うん」

「でも、ジュビアじゃダメだって……グレイ様に必要なのは、ナツさんで、」

「うん」

「それでもジュビアは……」

ジュビアの手がルーシィにしがみ付く。痛いほどに込められている力に表情を変えることなく、ルーシィは目を閉じた。

「ジュビアは、グレイ様が好き」

最後の方は声がかすれていた。ルーシィはただ頷くだけだった。
恋なんてした事のないルーシィがどんな言葉をかけたとしても、気休めにもならないだろうから。

「……うん」

分かっている。ジュビアがどれほどグレイに好意を寄せていたのか。ルーシィだけではない、ギルドの誰もが知る事。知らないのは、グレイとナツぐらいだったかもしれない。
そして、グレイがいつもナツを見ていた事も周囲は知っていたのだ。それに気付かなかったのは、ナツとジュビアぐらいか。ルーシィも確信を持てないながらも感づいてはいた。
しばらくして、想いを吐き出すことで落ち着いたのだろう。ジュビアはルーシィにしがみ付いていた手を離して、恥ずかしそうにルーシィを見上げる。

「ごめんなさい、ジュビアこんな話して」

「ううん。だって、友達でしょ?」

涙をぬぐいながら、ジュビアは顔を俯かせた。

「でも、ルーシィは恋敵で」

だから関係ないし。いつもならすんなり出てくる言葉を、ルーシィは飲みこんで、ジュビアの手を握りしめる。

「ね、とにかくお風呂入らない?」

「でも、ジュビアこれ以上迷惑かけられない」

顔を上げたジュビアに、ルーシィはにこりと笑みを浮かべた。

「何言ってんの、迷惑だなんて思ってないわよ」

「でも、」

「そうだ。今日は泊っていってよ。一緒にお風呂入ったり、ご飯食べたり」

戸惑うジュビアの手を、ルーシィは引いて風呂場へと進む。

「ちょっと狭いけど大丈夫よね」

タオルや着替えなど準備しはじめるルーシィを、ジュビアは呆然と見つめている。それに気付いたルーシィが首をかしげた。

「何?」

「あの、ジュビア、お泊まりするの初めてだから」

瞬きを繰り返したルーシィは、すぐに笑みを浮かべた。その頬は、照れたように紅色している。

「あたしも、家に友達呼ぶの初めてよ。……不法侵入は何度もあるけど」

ナツ達が勝手に部屋に入ってくるなど日常茶飯だ。思い出して遠い目をするルーシィに、ジュビアは落ち着きなく、指を弄ぶ。

「あ、ありがとう。ルーシィ」

「……うん!今日はいっぱい話そ!」

たくさん話をしよう。友達なのだから、悲しみも全て受け止めてあげる。
だから、笑って。







たった一日で、昨日の自分の行動が忘れられるわけはない。
今日一日のナツの行動が不自然だという事は、グレイが気が付けないわけがないのだ。そしてその原因を作ったのが間違いなく己だという事も。
そんなギルドに平然といられるわけもなく、グレイは単独で行える軽い仕事を受け、ギルドを出た。しかし、ギルドを出たグレイが歩き始めてすぐだった。

「グレイ様」

振り返ったグレイは、声の主を確認して目をみはった。まさか声をかけてくるとは思っていなかったのだろう人物。ジュビアと、その隣にはルーシィ。

「ジュビアは応援します!がんばってください!」

両手で拳を作って意気込むジュビア。その表情は笑顔で、昨日の事が夢であったかのようだ。グレイは自然と眉を寄せていた。

「お前、」

「グレイ」

ジュビアと共にいたルーシィに名を呼ばれ視線が横にずれる。切なそうな笑みを向けられて、グレイは口を閉ざした。

「あんたも、しっかりね」

ルーシィは何があったのか知っているのだろう。それは悟る事が出来た。そして、ジュビアが笑顔で居られる理由も。
グレイは笑みを見せた。それは情けなくも、眉を寄せた、口元だけ笑っているような不器用な笑顔。

「……ああ、悪いな」

それにルーシィは溜息をついた。女性であるジュビアの方が強いと思えてしまう。
ルーシィの視線が下へと落ちる。グレイの肩からかかっている鞄、仕事へ行く際に使用しているものだ。

「もしかして、これから仕事?」

「ああ。頭を冷やすついでにな」

ギルドに居ればナツと顔を合わせる事になる。だからと言って顔を出さなければ周囲も不審に思う。仕事の方がついでと言うのはどうかと思うが、仕方がないだろう。
昨日何があったか聞いているルーシィには、咎める気はしなかった。

「そう。気を付けてね」

ルーシィとジュビアに見送られて、歩き始めたグレイだったが、それはすぐに止められてしまう。

「グレイー!!!」

怒りを含んだような震えた声。それと同時に背中に衝撃。
グレイは身体をよろけさせて首をひねった。背中にハッピーが張り付いている。ルーシィが、しがみ付いているハッピーに手を伸ばした。

「どうしたのよ。ハッピー」

ルーシィに抱えられながらハッピーはグレイを睨みつける。その瞳が涙で潤んでいた。

「ナツに何したんだよ!!」

グレイが眉を寄せた。怒りに身体を震わせるハッピーなど、あまり目にかかれるものではない。ルーシィは不安に顔を歪めた。

「何かあったの?」

「……ナツが、倒れちゃった」

ぐすりと鼻をすすりながら続ける。

「昨日帰ってきてからおかしかったんだ。ご飯食べないし、全然眠れないって……さっき急に倒れて、熱もあって」

グレイを睨みなおしたハッピーだったが、すぐにくしゃりと顔を歪めた。

「グレイの事、呼んでるんだよぉ」

うわ言みたいに。
ぽろぽろ涙をこぼすハッピーを慰めるように、ルーシィが抱きしめてやる。グレイへと視線を向ければ、固まっていた。
その背をジュビアの手が押せば、グレイはよろける様に一歩足を踏み出す。

「グレイ様。ナツさんのところへ」

にこりと笑みを浮かべるジュビアに頷くと、グレイは駆け出した。もちろんギルドの方へと。
飛び込んだギルド内は、いつものように騒がしい。グレイは近くに居たミラジェーンへと駆け寄る。

「ミラちゃん!」

「グレイ、あなた仕事に行ったんじゃ」

「ナツは?!」

グレイの必死な形相に、ミラジェーンは柔らかく笑みを浮かべた。

「ナツは仮眠室よ。今眠ってるわ」

グレイは礼の言葉を言うのも忘れて、仮眠室へと急いだ。
扉を開けるのに一瞬躊躇しながらも手をかけて、開く。窓が開いているのだろう、風が吹き抜けた。

「ナツ」

窓際のベッドで、シーツに包まれているナツを見つけて、足音を立てないように近づく。規則正しい寝息が聞こえて、グレイはゆっくりと息を吐いた。
熱があるのだと思いだし、眠っているナツの額へと手を伸ばす。触れてみれば、確かに通常よりも熱い。しかし高熱という程ではないだろう。安心して、近くにあった椅子へと座り込んだ。

「……ん、」

「ナツ?」

小さく声をもらして、ナツが目を開いた。グレイの声に、ぼんやりとした目がグレイを捕える。

「……そっか、夢かぁ」

グレイは仕事に出ていたはずだし、目が覚めたばかりで夢と現実の境があいまいなのだろう。
グレイが言葉を発する前に、ナツがゆっくりと口を開いた。

「俺さ、別にラクサスの事好きじゃねーぞ」

仲間だから嫌いじゃないけど。
眠そうにゆっくりと瞬きを繰り返すナツの声は静かな部屋に響く。グレイの耳には酒場の雑音さえも消え、ナツの声だけが心地良く聞こえていた。

「やっと分かったんだ。俺……」

ナツの紅色した頬が優しく緩む。そんな表情は、長年付き合いのあるグレイも見た事がない。
吹き抜ける風に紛れながらも、綺麗に響くナツの声に、グレイは目を見開いた。思わずナツから目をそらせて、口元を手で覆う。

――――俺……グレイが好きだ

耳に残って離れない、欲していた言葉。自分に向けられる事はないと思いつつも、それでも未練がましくナツを想い続けていた。

「夢じゃ、ねぇよな」

顔が熱を持つのを抑えられない。再び眠りについてしまったナツを見ているだけで、壊れてしまうのではないかという程に、胸は高鳴っていく。
愛おしすぎて、押しつぶされてしまいそうだ。
シーツから出ているナツの手にそっと触れれば、少し高めの体温。手のひらを合わせるように握りしめる。
じわりと汗ばんできたのは、体温が高いからか緊張のせいか。
触れてしまえば一気に溢れだす想い。グレイは目を閉じると、握りしめる手に力を込めた。

「……好きだ。ナツ」

震える声が、静かに落ちた。
目が覚めたら、ちゃんと君の目を見て告げよう。その時こそ、君は笑顔を見せて。




2010,07,23

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