summer





人目につかない様にと、ナツとハッピーはラクサスの部屋へと上がり込んだ。

「それじゃ、本当にハッピーなのか!」

まじまじと見つめるナツに、ハッピーは頷いた。

「人間だと意識が強いからオイラしか来れなかったんだ」

こちらの世界に身体ごと送るのは無理だったから、精神だけを送ってナツに帰る方法を伝えに来たのだ。
精神を送るというのは、平行世界であるこの世界の自分に精神を乗り移させる事。エルザが来ようとしていたのだが、人間では精神が強すぎる。そこで猫のハッピーに白羽の矢が立ったのだ。

「こっちだとオイラ普通の猫なんだね」

四足でくるくると回りながら自身の身体を見ようとするハッピーにナツがにっと笑みを浮かべた。

「おお。喋れねぇんだぞ」

「そんな話より、帰り方はどうすりゃいいんだ」

呆れた様な声に顔を上げたハッピーの目には、椅子に腰かけるラクサスの姿。ハッピーはラクサスと距離を置く様にナツへと近づいた。

「こっちにもラクサス居るんだね」

「向こうのラクサスと違っていい奴だぞ」

ナツの言葉に観察するようにラクサスを見上げ、ハッピーは口を開いた。

「帰り方は簡単なんだ。エルザが向こうの世界から時空を歪めるから」

「おぉ、そっか!」

あっさり受け入れているナツとは逆で、ラクサスは唖然としていた。
時空を歪めるなどと簡単にできるわけがない。それ以前にこちらの世界では現実味のない話しだ。魔法がある世界では現実なのだろうかと思考に入りこんでいる中もハッピーは続ける。

「場所はナツがこの世界に飛ばされた時の最初の場所。時間は明日の黄昏時。時間の表記や時期が違うとずれが出るからはっきりとした時間じゃないんだ」

「たそがれ?」

難しそうな顔で呟いたナツの言葉に、ラクサスがゆっくりと話し始めた。

「夕方の事だ。外灯がなかった昔は日が落ちる頃には人の顔が見分けづらかった。そこに居るのが誰か分からない…誰だあれはって意味で“誰そ彼”。それが今では“たそがれ”になったんだ」

「もう一つ意味があるんだよ」

ハッピーが続ける。

「日が暮れて夜に差しかかる時が一番時空に歪みが出やすいんだ。発生する確率は低いんだけど、たまたま歪みから平行世界を覗いてしまった人が、自分が知る人物とは同じ姿の別人に会ってしまった。それを、あれは誰だったんだろうってなって“誰そ彼”っていうようになったんだよ」

難しそうに顔を顰めるナツに、ハッピーは小さく息をついた。元から理解してもらおうとは思っていないのだ。帰る方法さえ告げる事が出来れば問題はない。

「とにかく、明日の夕方にその場所に行くだけでいいんだな?」

ラクサスの言葉にハッピーは頷いた。

「オイラの魔力も少ないから、この身体を借りるのも限界みたい。ナツ、ちゃんと帰ってきてね」

身体を借りている間は、持ち主の意識はねじ伏せている状態で魔力の負担が大きい。ハッピーの魔力では、ナツに元の世界への帰り方を告げるだけでも限界だったのだ。
不安そうに見上げてくるハッピーの頭をナツが優しく撫でた。

「おお。明日向こうで会おうな」

惜しむ様にナツの手に顔を知りつけていたハッピーだったが、その動きがぴたりと止まる。
暫くして猫の小さい鳴き声が響いた。

「……明日、帰る事になった」

普通の猫に戻ってしまったハッピーを抱き上げながらナツが呟く。それに頷いて、ラクサスはゆっくりと口を開いた。

「よかったな」

明日の夕方の前に家に迎えに行く。そうラクサスが約束した後、ナツは部屋を出ていった。

ラクサスは窓から外を見下ろした。帰宅するナツの姿をガラス越しで眺め、ナツの姿が家の中に消えると瞳を閉じた。

「いいタイミングだな」

黄昏は、物事が終わりに近づく頃の事を表す場合もある。共にしていた時間を終えるのに相応しい。







家の中へと飛び込んだナツは、リビングでくつろいでいたイグニールを見つけると一気にまくし立てた。

「父ちゃん、俺明日からラクサスの家泊ってくる。こっちに顔出さねぇけど心配すんなよ。絶対帰るから」

自分が姿を消して、本物の“ナツ”が戻ってくるまでの間イグニールが心配しない様にとラクサスが適当に考えた言い訳だ。
帰ってくるなり慌ただしいナツ。その言葉に、一瞬間を置いたイグニールは寂しそうに視線を落とした。

「そうか、もう行くのか」

きょとんと首をかしげるナツに、イグニールは視線を向けた。

「お前が、父ちゃんがずっと見てきた“ナツ”じゃない事は分かっていたんだ」

「それ、どういう……」

イグニールはリビングを出ていく。ナツが困惑していると、イグニールはすぐに戻ってきた。その手には紙の様なものが数枚。テーブルの上に並べていけば、すぐにその正体は明らかになった。数枚の絵葉書だ。

「お前が家に来た数日後に“ナツ”から送られてきたものだ」

数枚ある絵葉書のうちの一枚をナツへと差し出す。
旅先からのもので、葉書には勝手に家を出た事の謝罪と父親を安心させるための言葉がいくつも書き綴られていた。
ナツは絵葉書に落としていた瞳を揺らせ、イグニールを見上げた。

「わ、悪い、父ちゃ……イグニールに嘘ついた」

ここでは自分の父親ではない。名前で言いなおしたナツに、イグニールは眉を下げた。

「父ちゃんには二人とも大事な息子だ。それともナツ、お前にはそう思ってもらえていなかったのか?」

ゆっくりと首を振るうナツに笑みを浮かべて、イグニールはナツを優しく抱きしめた。

「可愛い息子が二人もいるなんて、父ちゃんは幸せだな」

優しい声が耳を刺激する。ナツはしがみ付く様にイグニールに抱きついた。
イグニールも、ナツが同一人物でないという事に気が付けても、異世界から来たというのは予想外だったようだ。
だが、ナツが魔法の事や向こうの世界でイグニールが竜だという事を話しても、イグニールは驚きながらも決して疑う事はしなかった。

その晩ナツは、イグニールのベッドに潜り込んでいた。

「異世界は遠そうだな」

イグニールは、ナツの髪を梳きながら寂しそうに声を落とす。明かりの消えた薄暗い部屋でも目立つ炎の色の瞳が細められる。
それからナツは目をそらせた。

「多分、もう来れねぇ」

イグニールの手が止まった。ナツが窺う様に視線を向けると、イグニールはナツの身体を抱きしめた。
捕らえるように腕の中に閉じ込められ、ナツが身じろぐ。

「父ちゃん?」

「寂しい事、言わないでくれ」

震えたイグニールの声に、ナツは甘えるようにイグニールの胸に顔をすり寄せた。

「……ごめん」

もし二度と会えなくても、それを言葉にしたくはない。イグニールの体温に包まれながら、ナツは眠りについた。







最後の日、仕事だったはずのイグニールは家に留まったままだった。朝食を終えた後、まるで甘やかす様にナツを膝に乗せてソファに座る。
そんなイグニールの行動に気恥ずかしさを感じ、ナツは居心地悪そうに身じろいだ。

「父ちゃん、仕事いいのか?」

「今日はお休みだ」

無断欠席のせいで長期休暇が消えたと言っていたのは記憶に新しい。
心配そうに窺うナツに、イグニールは笑みを浮かべた。

「いいんだよ。今日は息子とゆっくり過ごしたいんだ」

イグニールはテーブルの上に用意していた菓子をナツの口元へと持って行く。
差しだされる菓子に食いついたナツは咀嚼しながらイグニールへと振り返った。向きあうように座りなおすと抱きつく。

「甘えん坊だな」

イグニールは頬を緩ませながら、目の前にある桜色を撫でた。

惜しむ様に時間を過ごしていった。特別な事をするベもなく、ただ会えなくなる時間の分を溜めこむ様に共に過ごした。
それが終わりを告げたのは呼び鈴の音。夕方に差しかかる頃だ、訪問者が誰なのか考える必要などない。
玄関の扉を開ければラクサスが立っていた。

「準備は出来てるか?」

ナツは頷くと靴へと足を通し、イグニールに振り返った。

「父ちゃんの飯すげぇうまかった!ありがとな!」

柔らかく笑みを浮かべるイグニールの表情。それからは長い付き合いであるラクサスも微かに感じ取れたのだろう、窺う様に見上げた。

「あんたは来ないのか?」

あれだけ過保護だったのだ、血を分け合っていないとはいえ本当の子どもの様に可愛がっていたナツを見送らないのか。
目で問うてくるラクサスに、イグニールはナツへと視線を移した。

「縛り付ける事が為にならないとよく分かったから、今度はちゃんとここで見送りたいんだ」

立派に成長している、新しく出来た息子。その姿を見て、過保護が成長を妨げているのだと気付かされたのだ。
今までの限度を超えた過保護を思い出して、ラクサスはそうかと頷く以外にはなかった。
イグニールは見上げてくるナツの前髪をかきあげると、露わになった額に口づけを落とした。
頬を染めてはにかむナツの両肩に手を乗せ、腰を屈めて視線を合わせた。

「ナツ、向こうの父ちゃんもお前と会えるのを待ってるはずだ。きっと見つけてくれ」

ナツが頷くとイグニールは手を放した。

「……じゃぁな、父ちゃん」

「いってらっしゃい。いつでも帰っておいで」

二度と来る事はないだろう事は話した。それでもイグニールは、再会の可能性を見つめている。
別れを訂正するその言葉にじわりと涙を浮かべながら、ナツは玄関の扉を開いた。

「いってきます」

イグニールとの別れが堪えたのだろう。ナツには珍しく沈んだ様子で道を歩んでいた。

ナツが最初にたどり着いた場所である町の裏山。その場へと足を踏み入れると、ラクサスは無言の空気を壊した。

「場所は覚えてるか?」

裏山といってもそれなりの広さがある。ナツも当日来た時には混乱していたし、それ以来足を踏み入れてはいない。
ナツは難しい表情で周囲を見渡しながら足を勧めた。

「多分こっちだ」

全くもってあてにならない。山の中を彷徨っている内に日が傾き始めていた。
時間がないと内心焦っているといきなりナツが走りはじめた。ラクサスもそれを追う様に足を進める。

「……これか」

ナツが立ち止まった場所。そこに広がる空間にラクサスは承知したように頷いた。
あまり凝視すると目眩が起こりそうだ。人一人が入るほどの空間だけ、景色が渦巻く様に歪んでいた。
空間をじっと見つめていたナツがラクサスへと振り返ると、それと同時にラクサスはナツの首へとマフラーをかけた。祭りの日にナツから預かったマフラーだ。

「忘れんなよ。大事なもんなんだろ」

「別に忘れてねぇよ」

ナツはラクサスが手に持っていた事も気付いていた。
ラクサスの手が首にマフラーを巻きつけてくる。それを受け入れながら、ナツはラクサスを見上げた。

「俺、絶対忘れねぇ。こっちで会った父ちゃんやラクサスの事」

マフラーを巻き終えても、ラクサスはマフラーの端を掴んだままだった。足止める様に強く握りしめたまま口を開く。

「忘れろって方が無理だろ」

現実ではありえない出会いだ。記憶喪失にでもならない限り記憶から抹消される事はないだろう。
しかし、そう考えていたナツとラクサスの思考は違っていた。

「お前がこっちの世界に来たのは魔法のせいだったな。それなら、こっちでは科学でそれが可能なはずだ」

ラクサスは真っすぐにナツの瞳を見つめた。

「今日、大学の教授に話しを付けてきた」

「ダイガクって、お前が行ってるガッコウってとこだよな」

勉強をしているのだとは話しで聞いていた。教授というのは、ラクサスが教えを乞いている、平行世界に関しての本を貸してくれた人物だ。

「教授は平行世界について研究をし、今その分野で最も注目されている世界的権威だ。俺は教授の助手として研究に携わる事にした」

「それって凄ぇのか?」

ラクサスの話の中でナツが理解できたのは平行世界という部分だけだ。
困惑しているナツに、ラクサスは続ける。

「それが今、お前とまた会うための最善の道だ」

「……また、会えんのか?」

魔法でも異世界に行くなど聞いた事がなかった。もしかしたらナツが先例となったかもしれないのに、それを魔法がないこの世界で全く別の方法で実現させようというのだ。
窺うようなナツの頬をラクサスは両手で包みこんだ。

「きっとお前に会いに行く。どれだけ時間がかかっても」

意志の強い瞳は、信じずにはいられない程に力を持っている。ラクサスの言葉はナツに再会という希望を生ませ初めていた。

「なんで……よく分かんねぇけど、それって大変なんじゃねぇのか」

ナツの目じりに浮かんだ涙を指で拭ってやる。潤んだ瞳を見つめて、ラクサスは目を細めた。

「お前が好きだからだ」

優しく囁かれた言葉に、ナツは目を見開いた。

「すき」

ナツは口にした言葉を脳内で繰り返す。じわりと少しずつ染み込んでいく様な感覚だ。それと同時に、熱を持って行くその言葉は簡単に心に居座った。
そして、ナツはようやく理解する事ができた。苦しかったのも、嬉しかったのも、暖かかったのも。全てラクサスを特別に想っていたからだ。
ナツは己の頬を包んでいるラクサスの手に、己の手をそえた。

「ラクサス、俺、俺もお前の事好きだ……多分」

あやふやな言い方に苦笑しながら頬から手を放すと、その手でナツの左手を取った。中指に収まっている指輪を親指の腹で撫でる。

「お前の世界じゃ習慣がないかもしれねぇが、左薬指に指輪をはめるのには意味がある」

ラクサスは指輪を外すと薬指に通した。やはりサイズが合っていないのだ、いつ落ちても不思議ではない程に隙間がある。
きょとんとするナツに、ラクサスは薄く笑みを浮かべた。

「この指にはめるのは、婚約指輪か結婚指輪だ」

時間をかけて理解したナツは、次第に頬を紅色させた。

「は、恥ずかしい事すんなよ」

ラクサスは指輪を中指にはめ直すと、薬指の付け根に口付けた。

「次に会った時、お前がこの指にはめてればいいんだけどな」

ラクサスの行動をぼうっと眺めていたナツは、ラクサスに身体を押されて我に返った。空間の歪みに足を踏み込めば、勢いよく身体が吸い込まれる。

「ラクサス、」

日が落ちかかっているせいだろう。暗くてラクサスの表情が読めない。それでも笑っているのは分かる。
必死に手を伸ばしても身体が飲み込まれていく力の方が強い。そして、一瞬で視界は闇に遮られた。







次に視界が開けた時、ナツの瞳に鮮明に映し出されたのは自分の帰りを待っていたチームのメンバー。

「ナツー!」

飛びついて来たハッピー。安堵したように見てくるルーシィやエルザ。グレイも突っかかることなく言葉をかけてくる。それを、ナツはどこか遠くで聞いていた。

「お、帰ったか!ナツ!」

「おかえりなさい!」

ギルドへと戻れば笑顔で迎えてくれるギルドの仲間。それがとても嬉しく暖かいのに、ナツの心は静かに揺れていた。落ち着かなく波が立っているような、靄がかっている。
ナツがぼうっと立っていると、二階から降りてくるラクサスの姿が目に入った。これから仕事に出るのだろう、カウンターに座っているマカロフに依頼書を渡して、門へと向かいだした。

「ラクサス」

夢現の声が名を呼べば、それに止められるようにラクサスはナツの目の前で立ち止まった。

「お前魔法でどっかに飛ばされたんだってなぁ?」

揶揄するように見下ろしてくるラクサスに、ナツはくしゃりと顔を歪めた。
やはり向こうの世界のラクサスとは、違う。

「くだんねぇミスして妖精の尻尾の名前に、」

ナツがラクサスの胸に飛び込んだ。
しがみ付く様にラクサスの服を掴み、額を擦りつける。

「ぅう、」

ナツの身体が震え、くぐもった声が漏れる。ナツの行動に周囲が目を見張る中、震えるナツの口から声が吐きだされた。

どうしようもない思いをかき消し、悲しみを吐きだす。喋れない赤ん坊が気持ちを伝える為に泣くのと似ている。ただ、言葉にできない思いを涙と共に吐きだす。

「……何でだろ」

呟いたルーシィの瞳から涙が零れた。それを拭いながら、ルーシィは辛そうに顔を歪める。

「ナツの声が、苦しい」

ルーシィは顔を覆って泣きだしてしまった。ナツの想いに引きずられる様に。

後日。
いつもの調子を取り戻したナツは、チームで仕事へ出る事になった。

「よし、暴れるぞー!」

我先にと飛び出していくナツ。その姿を安堵して見ていたルーシィの目が、ナツの左手に光る物に止まった。

「ナツ、指輪なんてしてた?」

指輪どころか、装飾品すら付けているイメージなどない。そんなナツが指輪など付けていたら違和感を覚えて当り前だ。
ナツは振り返ると、指輪を見せる様にルーシィに手の甲を向けた。左薬指に光る銀の簡素な指輪。ラクサスからの指輪を薬指に合う様に魔法で寸法を直したのだ。

「婚約指輪だ」

「え?……えぇ!ちょ、どういう事!?」

慌てているのはルーシィだけではない。エルザは目を見張り、グレイは顔を歪めている。

「誰なのよ、相手は」

「ラクサス!」

ナツから出された名前に驚愕に声を上げたメンバー。ナツは笑みを浮かべながら走り出した。
どれだけ時間がかかっても、この指輪をしていれば目印になるだろう。きっと指輪などなくても互いに分かると信じているけど、これは約束の証しだから。

「待ってるぞ。ラクサス」




2010,10,25
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