平行世界





“ナツ”が家出ではなく旅に出たのだと言う事は、父親のイグニールも知っていた。夏休みが始まる前から、“ナツ”は準備をしつつイグニールから許可をとるために何度も説得していたのだ。しかし過保護のイグニールが了承するわけもなく、最終的に“ナツ”は夏休み初日の陽が昇る前に書き置き一枚残して家を出ていってしまった。

「面倒なのはその後だ」

ラクサスは深くため息をついた。
朝“ナツ”が出ていった事に気付いたイグニールが、ラクサスの家へと駆け込んできた。
“ナツ”が家出をしたと狼狽するイグニールとは逆にラクサスは冷静だった。事前に旅に出ると言う事を聞いていたからだ。
泣きついて来るイグニールを宥めるも、冷静さを取り戻す事はなく、

「“ナツ”を捜せなんて言い出しやがった」

“ナツ”がラクサスに懐いていたのは誰もが知っている事だ。そのラクサスなら居場所を知っていると思ったのだろう。しかし、“ナツ”は行き先を決めているわけではない。ラクサスでさえ見当など付かない。

「お前が来たおかげで落ち着いてるが、居なくなりゃ俺はまた駆り出されんだよ」

冗談じゃないとばかりに苦い顔をするラクサスに、ナツは首をかしげた。

「旅ぐらい別にいいじゃねぇか」

「過保護なんだよ、あのおっさんは」

ふーんと相槌を打つナツに、ラクサスは続けた。

「だから、お前が“ナツ”の代わりをしろ。どうせ帰る方法が分かるまで、お前も行くあてなんかねぇだろ」

「そ、そうだけどよ……それって騙してる事にならねぇか?」

とても優しくしてくれるイグニールを騙すのは気が引ける。

「“ナツ”は夏休み中帰って来ねぇんだよ。もしお前が居なくなれば、イグニールはまた捜し始めるだろうな……一週間あの状態を見てたが、いつぶっ倒れてもおかしくねぇ」

“ナツ”を心配して食事も喉を通らなかった。それを心配したマカロフが何度も足を運び無理矢理でも食事を摂らせるのだが、毎度そうもいかない。

「いいか、お前がここに居ればイグニールの気がかりもなくなんだ。お前はそのままナツとしてあの家で暮らしてりゃぁいい」

ナツに選択脚などない。
初めてイグニールと顔を合わせた時、強く抱きしめられた。その時の震える身体と声が強く記憶に残っているのだ。

「俺が居れば、イグニールは困らないんだな」

「ああ、そうだ」

ナツは迷うことなく頷いた。







数日後。
ラクサスの部屋を訪れたナツは、部屋に入ってすぐラクサスに本を放られた。それを捲ってみるが中身は文字ばかりで、ナツは嫌そうに顔を歪めた。

「なんだよ、これ」

「大学の教授から借りて来たもんだ。汚すなよ」

「ダイガクってなんだ?」

「俺の行ってる学校だ。めんどくせぇから分からなくていい」

ナツも興味がないので頷いておくだけにした。しかし、本を渡されたという事は自分にも必要があるのだろう。
表紙を見つめるナツに、ラクサスは口を開いた。

「現実味はねぇが、おそらくお前がいた場所は平行世界、パラレルワールドだろうな」

「パラ……なんだ、それ?」

「つまりここは、お前の居た世界と似通った別世界だ」

困惑した顔をするナツに、ラクサスは面倒くさそうに続ける。

「お前の世界には、同じ姿をした俺やジジィも居たんだろ。それが平行世界である証拠だ。ただし文化も歴史も違う分この世界では魔法がねぇし、お前の世界では電気みたいな科学がねぇんだ」

だから、竜の居ないこの世界でイグニールは人の姿をしているし、環境も異なるから性格も多少なりと変わって来る。

「そうか、だからラクサスも違ぇんだな」

ナツは仲間であるラクサスを思い浮かべながら、目の前のラクサスに視線を向ける。ラクサスは興味深げにナツに視線を絡ませた。

「そっちの世界の俺は、どんな奴なんだ?」

「ムカつくけど強ぇ」

正直に告げるナツに、喜ぶべきなのか判断が付かない。魔法がある世界では力がものをいうのはラクサスにも分かるが、幼い頃から見てきた“ナツ”と同じ顔と声でムカつくと告げられるのは、あまり面白いものではなった。

「同じラクサスなのに何で違うんだろうな?」

黙ってしまったラクサスを、ナツはじろじろと見つめる。

「顔は似てるけど、お前は良い奴だもんな!」

向けられる無邪気な笑みにラクサスは一瞬見入ってしまった。
すぐに我に返ったラクサスは立ちあがりナツを見下ろす。

「飯だ。外に行くぞ」

ナツ不満そうに口を尖らせた。

「俺、金ねぇよ」

「ガキに金出させるわけねぇだろ」

つまりは奢ってくれるという事だ。ナツは表情を輝かせて立ちあがった。

「やっぱお前良い奴だな!」

嬉しそうに部屋を飛び出していくナツに、小さく息をついてラクサスは後を追った。

ナツがこの世界へと来て数日、戻ってきたばかりだからとイグニールがナツに付きっきりだった。その間のナツの行動範囲は家の中か隣家であるラクサスの家だけ。だから、ナツのこの反応は仕方がない。

「ラクサス!あれ何だ!」

ナツはラクサスの腕を掴んで、もう一方の手で指を指し示す。その先には道路端に立っている赤い四角の箱。

「……ポストだ」

ラクサスが告げると、ナツはポストへと近づいて郵便物を入れる穴を覗き込む。
人通りが多くないとはいえ、ないわけではない。先ほどからナツの様子を、通行人が不審な目で見ていくのだ。共にいるラクサスには堪ったものではない。

「いい加減にしろ」

止めなければいつまでもポストで遊んでいそうなナツの腕を掴む。引きずる様にその場から離れても、ナツの目に映るもののほとんどが興味を引く物ばかりだ。

「ラクサス、あれは……」

「ナツ?」

指を指し示そうとしたナツは名を呼ばれて振り返る。呼んだのはラクサスではない、声の先にいた人物は、とても見覚えのある姿だった。

「グレイ!」

ラクサスが止める前にナツはグレイに駆け寄ってしまった。

「久しぶりだな!お前が居るって事はルーシィ達もいるのか?」

グレイが呆然とナツを見つめる。ナツはそんなグレイに気にした様子もなく、周囲を探すように見回した。

「お前どうしたよ。喋り方とか」

「あ?なにが……もが!」

ラクサスは手でナツの口を覆い、小声で耳打ちする。

「忘れたのか。そいつはお前の知ってるグレイじゃねぇんだよ。余計な事は話すな」

何度も頷くナツを解放すると、グレイと目が合う。

「何かあったのか?」

「さぁな。どっかで頭でも打ったんだろ」

そっけないラクサスにグレイは訝しんだような目を向けたが、ナツへと視線を移すと心配そうに眉を寄せた。

「今年も異常に暑いからな、気をつけろよ」

「こんぐらい何ともねぇよ!」

得意げに笑みを浮かべるナツに、グレイは目をみはった。

「ま、マジで頭打ったのか?」

明らかに不審がられている。
ラクサスも、ナツが別人だと知らなかった時は、頭を打ったのではないかと案じた位だ。“ナツ”とナツでは同じ姿でも性格が異なりすぎている。

「グレイ。俺たちはこれから飯食いに行くんだ。話しなら別の日にしてくれ」

「あ、ああ。分かった」

ラクサスはナツの手を引いてグレイに背を向けた。

「グレイは変わらねぇんだな」

のん気に話し始めるナツに、ラクサスは舌打ちをした。何故自分がこんなにも焦らなければならないのかと、危機感のないナツの性格にも苛立たしさを感じる。ラクサスの知る“ナツ”はもっと物分かりがよかったのだ。

「なぁ、もしかしてルーシィやエルザもいるのか?」

楽しそうに笑いかけてくるナツの表情に、ラクサスは脱力した。腹立っている自分がバカらしく思える。

「どうした?ラクサス」

ラクサスは足を止めて、きょとんとするナツの頭を乱暴に撫でた。

「何でもねぇよ。それより何か食いたいものはあるか?」

「肉!」

即答だ。
目を輝かせるナツに笑みをこぼして、ラクサスは記憶から店を探っていく。数件思い当たる中に“ナツ”が好む店があった。店主とも昔馴染みだし気兼ねもしなくていい。

「ハンバーグでいいな」

頷いたナツを確認してラクサスは店へと足を進めた。

たどり着いたのは中央通り商店街。マグノリアの町でも一番賑わいを見せる場所だ。現代では寂れていく商店街も多い中、ここだけはいつまで経っても衰えを見せる事はない。

「すげぇ人だな」

興味深く辺りを見渡すナツが、また妙な行動を起こしかねない。ラクサスは迷うことなく一直線に店へと入った。それにナツも慌ててついて行く。
店の扉を開けば、扉に付いていた小さい鐘が来客を告げるように音を立てた。昼にも早い時間だからか客の姿がほとんどはいない。
カウンターの内側に構えていた店員の視線が向く。白髪交じりの髪を後ろへと流している初老の男性。この店の店主だ。
店主が、ラクサスに気付いて笑みを浮かべた。

「いらっしゃい」

「おぉ!うまそうな匂い!」

返事を返そうとしたラクサスを押しのける様に、ナツが顔を出す。その姿に店主は目をみはった。

「……ナツか?」

「ああ。奥の席使わせてくれ」

ラクサスはナツの手を引いて奥の席へと足を進めた。柱で影になっている場所にナツを座らせ、ラクサスも向かい側に腰を下ろす。一番奥になるこの席は人目につきづらく会話も聞かれる事はない。
腰を落ち着かせたところで店主がやってきた。

「何にする?」

「こいつには、あれ出してやってくれ。俺はランチでいい」

店主は、店内を落ち着かない様子で眺めるナツに視線を向ける。目が合うと、ナツは首をかしげた。

「しばらく見ない間に変わったね」

「おっさん誰……いでぇ!!」

ナツの言葉を止める様に、ラクサスが足を踏みつけた。

「ここに来るのも久しぶりだな。何年振りだ?」

ラクサスが店主へと顔を上げれば、店主は笑みを浮かべる。

「二年ぶりぐらいじゃないかな。ナツが高校に入学して以来だから」

そんなに経っているのかと、ラクサスは感慨深いものを感じた。
大学に通うラクサス、それに加え“ナツ”も高校に上がれば必然と会う時間が減る。幼い時の様に後ろを付いて回っていたら、それも問題だろうが。

「それじゃ、少し待っていてくれ。すぐに準備するからね」

店主が厨房のある奥へと入っていく。それを見送ったラクサスはナツへと視線を向けた。その顔には薄らと怒りが浮かんでいる。

「てめぇには学習能力がねぇのか。どう見ても知り合いだろ。あれぐらいの事状況を見て判断しろ」

「んな事分かるわけねぇだろ!」

名前を呼んできたのだから察してほしいものだが、目の前のナツに何を言っても無駄だろう。すでにラクサスはナツに対して諦めが早くなっていた。

「とりあえず分からなくても黙ってろ、こっちでフォローしてやる。あの店主は俺たちがガキの頃からの知り合いだ。ジジィやイグニールと付き合い長ぇからな」

「イグニールの仲間か!」

「まぁ、そうだな。“ナツ”は、おじさんって呼んでる」

頷いて理解を示したナツを疑うように見ていたラクサスだったが、それ以上話しても無駄だと、説明を付け加えて話しを切った。“ナツ”がこの店のハンバーグが好きだとかその程度だが、何も知らないよりはましだろう。

料理が運ばれてくるまでは、交友関係の説明をしておいた方が良いだろう。移動途中で出会ったグレイの事を思い出した。ナツが親しそうに話しかけていた。

「グレイの事は、お前も知ってるんだな?」

「ああ。ギルドの仲間で、チーム組んでんだよ」

ギルドが魔導士の集まる仕事の仲介場だと言う事はナツから話しを聞いていた。
ラクサスは頷いて続ける。

「ルーシィやエルザもか?」

「やっぱこっちにもいるのかぁ!」

嬉しそうに顔を輝かせる気持ちは分からなくもない。知らない世界にいれば仲間を恋しがるのは当然だ。自分が知っている者たちとは違うとはいえ会いたいのだろう。

「ルーシィもエルザも“ナツ”と同じ高校に通ってる。グレイとは親友だ」

「し、しん……それって、一番仲が良いって事だよな」

嫌そうに顔をゆがめるナツにラクサスは目を見張った。先ほどの様子からして仲が良い様に見えたのだが違うらしい。

「グレイと“ナツ”はガキの頃からずっと一緒だからな」

エルザもナツが幼い頃からの友人で、エルザの方が年上のせいかナツの世話を焼いている。ルーシィは高校からの友人だ。知っている限りを淡々と告げるラクサスにナツは難しそうな顔で聞いていた。

「どうした?」

「いあ、お前何でも知ってんだな」

“ナツ”がラクサスは兄の様に慕っている事は知っているが、こんなにも詳しいのには驚きだ。

「お前……いや、“ナツ”が話してくんだよ。誰と友達になったとか何があったとか、報告するみてぇに」

懐かしむ様に目を細めるラクサスの目には、目の前にいるナツは映っていない。どこかで旅をしている“ナツ”に思いを馳せている。同じ姿をしていても所詮ナツは他人でしかないのだ。
ラクサスの瞳に他の色が滲んだ。その変化に気付いたナツの胸がドキリとなる。

「ラクサ、」

「お待たせ」

ナツの言葉を遮る様に、目の前に料理が運ばれてきた。
熱された鉄板にはハンバーグと上に乗る目玉焼き。匂い、見た目、音。全てが食欲をわき立てるのに、ナツは料理には目もくれずラクサスを見つめていた。

「どうかしたかい?」

店主の声に我に返ったナツが、やっと料理に視線を移す。

「お、おお!うまそうだ!これ食っていいのか?」

「もちろん。熱いうちに食べてくれ」

ナツが握りしめたフォークをハンバーグに突き刺す。目玉焼きの黄身ごと突き刺せば、半熟だった黄身がハンバーグを伝い鉄板へと流れる。
ナツは生唾を飲んでハンバーグを口へと放り鵜こんだ

「ぅん、めー!!!」

口の中に広がる肉のうまみと、目玉焼きの黄身が合わさって濃厚さが増すソース。味は絶品だった。
大げさに反応してハンバーグにかぶりつくナツに、見ていたラクサスが小さく噴出した。堪えるようにくつくつと笑うその姿に店主は目を見張る。

「ナツだけじゃなくて、ラクサスも変わったのかな」

落ち着いた声がラクサスの耳に落ちる。
店主のその言葉で、ラクサスのこみ上げていた笑いが一瞬で失せた。ナツが変わったと言われるなら当然だ。彼らが知る“ナツ”とは別人なのだから。

「俺が、変わった?」

訝しむ様な表情に、店主は苦笑した。

「久しぶりだからそう感じたのかもしれないな。纏っている雰囲気が以前会った時と違う気がしたんだよ」

店主は、人生経験が豊富なせいか、店で色々な人間を見てきたせいか、人を見る目は確かだ。微妙な感情の変化さえも読み取るのがうまいので、店主の言葉はラクサスを動揺させた。
口を閉ざしてしまったラクサスに、店主はゆっくりと続ける。

「年寄りの戯言をまともに聞く必要はないよ。久しぶりの顔馴染みに少々はしゃいでしまっただけだからね」

年寄りと言ってもまだ初老だ。マカロフほどに老いてはいないが若いとも言えない。だが年齢の問題ではないだろう。

「あんたが言うなら、変わったんだろ」

生きている以上不変なものはない。人の性格だって変化していくだろう。店主を見上げていたラクサスが、目の前に置かれた料理へと視線を落とした。
満足そうに食事をするナツが、視界の端に紛れる。その姿を眺め、ラクサスの表情が緩んだ。

「……こいつのせいかもな」

呟くようなラクサスの声は、テーブルを離れようとしていた店主の耳には届かなかった。




2010,09,03
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