惚れ薬





ジュビアは魔導士ギルド妖精の尻尾を真っ直ぐ見つめた。入ろうと足を踏み入れようとして、その足を引っ込める。そして溜め息。それを先ほど、この場についてから何度も繰り返していた。
ジュビアの手には一つの小瓶。片手で隠れてしまうほどに小さい瓶の中には液体が入っている。

「ああ、ジュビアどうしましょう」

目を固くとじ、小瓶を胸へと押し付ける。
小瓶は、先ほどここへと訪れる前に商人から購入したものだった。その名も恋が実るん。名前の通り惚れ薬だ。ネーミングセンスはないが効果は確からしい。成分は恋愛成就があると言われる果物の果汁と魔法。果汁なんて味程度でしかないが、恋愛成就と噂を持っている果物を使うことで話題性も狙ったのだろう。そこらへんは商人しか知らぬことだ。

「もし、これをグレイ様に飲ませたら……」

男女問わず誰しも少なからずとも妄想癖があるものだ。ジュビアの脳内ではきっちりと王子ルックに身を包んだグレイがあり得ないほどに輝きを発しながらジュビアに迫っている。
グレイの手がジュビアの手を握り締め、一言「お前の心を氷付けだぜ」。そんな台詞が実際にグレイの口から出たら、爆笑するかまさに氷付けになるかのどちらかである。
しかし恋と言う名の色眼鏡でみているジュビアには盲目だった。

「ジュビア恥ずかしいです!グレイ様!」

顔を真っ赤にしたジュビアの体から蒸気が出ている。そうとうな興奮状態だ。おかげでがっちりと握り締められている小瓶の中の液体がぐつぐつと煮え、変色してしまった。
妄想と言う名の夢の中に飛び立っているジュビアにはそんなこと気づけるはずもなく、上機嫌でギルド内に入っていった。

「グレイ様ー」

いつもどおりギルド内は騒がしい。
ジュビアはギルド内を端から眺めていきグレイの姿を探す。すぐに見つける事ができた。今日もナツと言い合いをしている。

「さっきから暑苦しいんだよ!クソ炎!」

「服着ろ変態!触るんじゃねぇよ変態がうつんだろ!」

ナツ専用炎メニューを食べている途中だったナツと、やはりいつもどおり上半身裸のグレイだ。グレイの手がナツの胸倉を掴んでいる。
そんな光景もいつもどおりで、すっかり慣れたジュビアは小瓶の蓋を開けながら近づいていく。
グレイが飲んでいる途中だったらしい飲み物が入ったコップに液体を全部入れ、そのコップをグレイに差し出した。

「グレイ様、落ち着いて。これでも飲んでください」

ジュビアが差し出されるままにグレイはコップを奪った。

「その暑っ苦しさ少しは冷ましやがれ!」

ジュビアの期待はさっくりと裏切られた。グレイは惚れ薬の入った飲み物をナツの口へと無理やり流し込んだのだ。

「てめ、何しやごばがばば!?」

「はッ!少しは冷えたかクソ炎」

気管に入ったのか苦しそうに咳き込みながらナツは数歩足を後ろに下げた。
長くむせていると、その状況を作った本人のグレイは呆れたようにナツに近づく。

「情けねぇな。そんぐれぇ……」

「グレイ様、ダメ!!」

ナツが顔を上げようとした瞬間、猛突進して来たジュビアがナツを突き飛ばした。薬の効力は、薬を飲んではじめて見た者に恋に落ちると言うものだったからだ。もしナツがグレイを見ていたらグレイ←ナツという式が成り立っていただろう。
一部の女子には喜びそうなものだが、グレイに惚れ込んでいるジュビアにとってはいくらナツが男でも歓迎できるものではない。

「あぶね、急に何だ?」

「ご、ごめんなさい。グレイ様」

呆気にとられるグレイに、やましい気持ちがあったジュビアは顔を上げる事はできない。
ナツは勢いよくギルドの入り口まで吹っ飛ばされていた。グレイが近づこうとしても、それをジュビアによって止められてしまう。

「どうしたよ。お前」

「ごめんなさい!今ナツさんに近づかないでください!」

「は?意味分かんねぇよ」

「だから、それは……」

説明などできるはずもない。自分は薬を盛ろうとしたのだから。
ジュビアはグレイから視線を逸らし、居心地が悪そうに指をもてあそぶ。

「邪魔だ」

声のする方にジュビアとグレイは視線を向けた。
ギルドの入り口で伸びていたナツの前にラクサスの姿がある。仕事から戻ってきたところのようだ。

「起きろよ。ナツ」

ラクサスの足でナツの頭を軽く蹴る。その衝撃でナツがうっすらと目を開く。
倒れた時に後頭部を強打したらしい、痛む後頭部をさすりながら起き上がった。

「……ラク、サス?」

「こんなとこで寝てんじゃねぇよ。退け」

ぼうっとラクサスの顔を見上げていたナツの体から火柱がたち上った。しかし、見た目に反して周りにはさして被害はない。天井がこげたぐらいだ。

「な、何でここにいるんだよ?!」

火柱は消えたが、顔は熱でもあるかのように真っ赤だ。そんなナツにラクサスは顔をしかめた。

「何やってんだ、てめぇは」

「や、こっち見んな!声かけんなよ!バカ!」

ナツは小さく体を震わせてラクサスから視線を逸らした。瞳には涙がうっすらと滲んでいる。
いつもとは違うナツにギルド内は騒然となっている中、事の発端であるジュビアだけが顔を青ざめさせた。

「おい、ナツ。打ち所が悪かったのか?」

グレイが近づくと、ナツはグレイの背後に隠れて、その肩口からラクサスを覗いた。顔を赤くして目をそらす。
何だこれは。騒がしいギルド内にどよめきが上がった。

「ナツがおかしくなった!」

「天変地異の前触れか!」

「風邪でもひいたんじゃねぇのか?帰ったほうが」

そこでミラジェーンがナツをじっと見つめてにっこりと笑った。

「まるで恋してるみたいね」

かわいいわねと笑っているミラジェーンだが、その言葉に動揺するナツに笑い事ではなくなった。

「おいおい、マジかよ」

グレイも動揺を隠せないでいる。
ナツに恋愛なんてものは想像がつかないし何よりこの状況でいうなら相手はラクサスなのだ。

「……お、おかえり。ラクサス」

ふにゃりと顔を緩めるナツにギルド内は凍りついた。
いつもとのギャップに動揺とかいうレベルではない。今までそんな素振りを見せたかとなどなかったのだ。そんなナツがいきなりこんな行動に出るなんて不自然だ。
やはり先ほど打ち所が悪かったのではとグレイは頭を抱えたくなった。

「しっかりしろ!相手はあのラクサスだぞ!」

両肩を掴み揺さぶってくるグレイに、ナツはぎっと睨みつけ炎を纏った拳で殴り飛ばした。
吹っ飛んでいくグレイを冷ややかな目で見下ろす。

「ラクサスのこと悪くいったらぶっ飛ばすからな」

すでにぶっ飛ばした後ですが。
氷のように冷めた目もラクサスを見上げる時は恥ずかしげにちらちらと上目遣いだ。

「何の茶番だ。くだんねぇ」

興味ないとばかりに通り過ぎようとするラクサスの服を、ナツが控えめに掴んだ。

「あァ?放せよ、ナツ」

服の裾をつまんだままもじもじと落ち着かない。

「あの、俺……ラクサスの事……好き、だ」

ギルド内に絶叫が響き渡った。

その後すぐに、定例会から妖精の尻尾のマスターマカロフが帰ってきたのは幸いだったのだろう。マカロフの姿に希望を見出したものは多い。

「何故こんなことになっておるんじゃ」

マカロフは、面倒くさい定例会から開放されやっと帰ってきたものの、真っ先に見たものが異様な光景で数秒間思考が停止した。
ギルド内は散々なもので、破損はよくあることだが、いたるところで倒れている者や絶叫している者がちらほらと視界に入る。一番恐ろしいのは、どっかりと座りこむラクサスの隣に腰掛けて、その腕に引っ付くナツの姿だった。
近くでおぞましい程に殺気をたてているエルザ。苛立ちを隠しきれていないようで貧乏ゆすりを繰り返すグレイ。泣き暮らしているハッピー。地にめり込みそうなほどに落ち込んでいるジュビアと、慰めるルーシィ。

「あ、おかえりなさい。マスター」

いつも通り笑顔で迎えたのはミラジェーン。

「一体何があったんじゃ。あれはナツで間違いないのか?」

「ナツですよ。可愛いですよね」

マカロフは目をそらしたい現状に再度目を向けた。
可愛い?異様の間違いじゃなくて?というかあの部分だけ別空間みたいなんだけど。
高速で頭を過ぎる突っ込みを飲み込んでナツをじっと見つめた。

「魔法がかけられておるな……ナツ!」

呼ばれたナツはうっとりと閉じていた目を開いた。

「お!じっちゃん、おかえりー」

「お帰りじゃないわい!何じゃこの有様は、お前誰に魔法かけられたんじゃ!」

マカロフの台詞にナツは瞬きを数回繰り返して、引っ付いている腕に力を込めた。

「知らねぇよ、そんなん。なぁ?ラクサスー」

「うざってぇ。ジジィ、こいつ魔法がかかってんだな?」

やはりといった表情のラクサスにマカロフは頷いて、ラクサスの前のテーブルへと跳んだ。間近でナツを眺め、もう一度頷く。

「ナツは魅了(チャーム)の魔法がかけられておる」

「魅了?!」

ルーシィは妖精の尻尾に入るきっかけとなった事件を思い出して身震いをした。魔法を使って人の心をひきつける事自体も気に入らない。しかし、それがナツにかけられているということは、ラクサスが魔法を使っているという事にならないだろうか。

「でもあれって禁止されてるんじゃ」

「貴様、ナツにそんな魔法をッ」

怒りに満ちたエルザが天輪の鎧に換装すると、周りに複数の剣が舞いいっせいにラクサスに向けられる。

「今すぐに魔法を解け!でなければ……」

「やめろ!!」

大人しく座っていたナツが立ち上がった。ラクサスを守るように抱きしめエルザを睨み付ける。

「ラクサスになんかしたら許さねぇ!エルザなんか大嫌いだ!」

「な、ナツ……」

動揺したのか、宙に舞っていた剣が力なく床に落ちた。エルザの顔が俯き体が小刻みに震える。
怒りに震えているのかとルーシィが怯えていると、エルザはいつもの鎧に換装して、ナツに背を向けてしまった。

「……勝手にしろ。私はもう何も言わん」

そう言い捨ててギルドを出て行ってしまった。
怒りが爆発しなかったことに安堵しているルーシィの隣に、苦笑したミラジェーンが近づいた。

「少し心配ね」

ギルドの安否を言われているのだと、ルーシィは頷いた。

「エルザが暴れたら妖精の尻尾壊滅しちゃいますからね」

「そうじゃなくて、エルザはナツを弟のように可愛がってたから、ナツにあんなこと言われたらショックだなって」

可愛がる。ルーシィは今までのエルザの行動を思い出して思わず首をかしげそうになった。
結構物理的な酷いこともしているが言われてみればナツを見る目は優しいものだった気がする。それだとすると震えていたのは怒りからではなく、ナツの発言にショックを受けながらも耐えていたのか。

「……エルザ、大丈夫かな」

「とりあえずナツの魔法が解ければ大丈夫かしら。そうじゃないと、本当にギルドが壊されちゃいそう」

楽しそうに笑っているミラジェーンに、実に笑い事ではないと比較的常識人なルーシィはミラジェーンから顔をそらした。

「鬱陶しいんだよ、てめぇは。引っ付くんじゃねぇ」

正常な感覚を持つラクサスにとって、いくら自分よりも華奢とはいえ男に引っ付かれても嬉しくもない。むしろ不快感があるばかりだ。
ラクサスの手がナツの顔面を押しのけるがナツには堪えていないようだ。

「照れ屋だなラクサスは」

「気持ち悪ぃ!ジジィ、こいつどうにかしろ!」

「誰がナツに魅了魔法なんてかけたんじゃ……ミラ、ワシが定例会でいない間にナツは仕事にいったか?」

「いいえ。ここ数日、ナツたちはギルドにいましたよ」

人数が多いナツたちのチームの場合なるべく報酬が高いものを選ばなければ一人が得られる額が少ない。だからなるべくは報酬が高い討伐系を選んでいるのだが、ここ数日は運が悪いのか割のいい依頼がなかったのだ。ルーシィが毎回のごとく家賃のことで嘆いていた。
マカロフは顎に手をやり、実の孫であるラクサスを見上げた。

「ラクサス、まさかお前」

「そういうのは向こうにいる変態に言え」

ラクサスの視線の先にはグレイの姿。貧乏ゆすりが激しくなりテーブルだけが地震が起きているかのように揺れている。俯いて表情が読み取れない。
ルーシィが気になって顔をのぞいてみる。

「ちょっとグレイ!あんた鼻血出てる!」

「あ?」

顔を上げたグレイの鼻から下が赤く染まっていた。

「キモッ!てか床凄いことになってるわよ!?」

ダラダラと流れる鼻血は床までも汚していた。
ミラジェーンが慌ててモップを持ってきたが、床よりもグレイのことを心配したほうがよいのではないだろうか。元を断たなければいくら掃除してもきりがない。

「このぐらい何でもねぇよ」

「何でもないってレベルじゃないわよ、それ」

「グレイ様、ジュビアのハンカチ使ってください」

ジュビアが差し出したハンカチで鼻血を拭いながら、グレイはマカロフへと視線を向ける。

「じーさん、ナツに魅了がかけられてんのか?」

「うむ。魅了と言えば一方的に相手の心を奪う魔法じゃが、ナツがかかっているのはちと特殊じゃの」

グレイの鼻に当てられていたハンカチがとうとう真っ赤に染まってしまった。よく無事だなと、マカロフの話よりもグレイの方に気が向いてしまう。
マカロフも気になってしまうのか、グレイから目をそらして一度咳払いをした。

「ナツはラクサスに心を奪われ、他の者の心を奪う……グレイがちょうどいい被験体になっとるじゃろ。おそらくそこらで転がってるやつらもそうじゃな」

先ほどからギルド内で倒れている者が多いのはそういう理由だったのかとルーシィは白い目を向けた。しかし全てが男のような気がする。
ルーシィの内心を察したマカロフが一度頷く。

「それはおそらくナツが惚れたのがラクサスだからじゃ」

つまり、ナツが女性に魅了されていれば、効果は他の女性にも及んだと言うことになる。適当かつ迷惑だなと考えて、ルーシィはグレイへと顔を向ける。

「それじゃあ、グレイの鼻血って」

ルーシィがグレイから少し距離を置いた。グレイもマカロフの話に納得できたのか、重みを増したハンカチを投げ捨てた。
ハンカチはびちゃりと湿った音を立てて床に落ちる。赤い。

「やっと納得がいったぜ。だからナツを見てムラムラすんのか!」

「生々しい!ていうか、あんたにはナツがどう見えてるわけ?!」

好奇心には勝てない。
恐る恐る聞いてみるルーシィにグレイはしばらく間をおいて顔を赤くした。止まりかけていた鼻血が噴出してルーシィは小さく悲鳴を上げる。

「やっぱり言わなくていい!ていうか言わないでー!」

聞いてはいけないと判断したルーシィの横で、ジュビアが何やら呟いている。聞こえるか微妙な音量で不気味だ。

「どうしたの?ジュビア」

「グレイ様はナツさんが好き……恋敵……ルーシィも入れて四各関係」

「落ち着いて、ジュビア。グレイは魔法にかけられてるだけなんだから」

ルーシィの言葉に、ジュビアは口を閉ざしてルーシィをじっと見つめる。
前例があるだけに恋敵として敵視されているルーシィは一瞬身構えたが、予想に反してジュビアは大人しい。それどころか瞳からは涙が零れた。

「ジュビア?」

ジュビアが本気でグレイに惚れ込んでいることはギルド内では周知の事実。魔法だとはいえグレイがナツのことを好きだということに傷ついたのかと焦るが、予想は外れる事になる。

「ジュビアのせい……ジュビアが惚れ薬なんか買ったから」

「惚れ薬ぃ?!」

ルーシィは物騒な単語に、目をむいた。




2009,12,13
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