遠い距離
一人でギターを演奏するだけだったラクサスが、少し前からバンドを組んだ。
知り合ってまだ数カ月と経たない三人、フリードとビックスロー、エバーグリーンが雷神衆というバンドを結成しており、それにフリードが熱烈にラクサスを勧誘しまくったのだ。休日の路上で一人で演奏していたラクサスのギターに惹かれたらしいのだが、その勧誘のしつこさといったらなかった。
それに最初は鬱陶しがっていたラクサスも折れ、バンドを組んだのだ。バンド名はRAXUS with 雷神衆。
そして、路上ライブをやっているうちにラクサス達の人気は上がっていったのだ。いつの間にか、音楽事務所の目にも止まるほどに。
「すげー!ラクサステレビに出んのか!」
ナツは興奮して頬を紅色させながら、寮に訪れていたフリードを見上げた。
「そういう話があるだけで、まだ決まってはいない」
路上ライブをしていた昨日の日曜。音楽事務所のマネージャーを名乗る男にスカウトされたのだ。
しかしフリードの声は聞こえていないようでナツは目を輝かせている。ナツの中ではすでにラクサス達がテレビに出る事になっていた。
「すげーなぁ、ラクサス」
ナツに尊敬する様な瞳で見つめられても、ラクサスは興味なさそうにどこか遠くを見ていた。
今日はスカウトしてきたマネージャーの男が寮までやって来るというのだ。ラクサス自身スカウトを受けるとは言っていないのに、マネージャーはラクサスの保護者であるマカロフにも話しがしたいというのだ。
「これで私達も有名になれるわね」
「ベイビーたちも待ちわびてたぜ」
エバーグリーンとビックスローもすでにやる気になっている。そんな中、来客がやって来た。
「やぁ。少し遅くなってしまったね」
茶髪にサングラスといった出で立ち。芸能人としてもやっていけそうな外見のその男がラクサス達をスカウトしたマネージャーだ。
マネージャーはその場にいた、雷神衆とラクサスを除いた一人一人に名刺を差し出した。
「よろしくね」
最後にナツへと名刺を差し出す。
「……へー。ロキっていうのか」
名刺には、ロキという名前とカレンズ事務所と記されていた。
ロキは、一度も顔を向けようともしないラクサスへと視線を向けた。ラクサスがバンドのリーダーだとなっているからだ。
「それじゃぁ契約でいいかな?」
「まだ受けるとは言ってねぇだろ」
早速とばかりに契約書を取り出したロキに、流石のラクサスも視線を向けた。
「うちの社長は我がままでね。早急に答えを貰えないかな。待遇としては悪くないとは思うんだけど」
笑顔で話すロキにラクサスは眉を寄せた。笑顔が胡散臭くてあまり信用していないのだ。
しかし幼いナツは疑う事を知らない。窺う様にラクサスを見つめるロキに、ナツが話しかけた。
「なぁ、ラクサステレビ出んだよな」
「うん。そうだよ」
「ラクサスの歌をほかの人たちも聞くってことだよな」
「そうなるね」
適当にかわされている様にしか聞こえないのだが、ナツは気にした様子もなくラクサスに飛びついた。
「ラクサス、オレおうえんするな!」
ラクサスはナツの身体を支えながら見下ろした。
「おい、勝手に決めんじゃ……」
「これからはラクサスの歌ほかの人もいっぱい聞くんだな!オレの好きな歌、いっぱい聞いてもらえるんだ!」
ナツの言葉は、ラクサスから拒否という道を奪った。
心の底から喜んでいるナツに、ラクサスは諦めた様に溜め息をつくと、状況を見ていたロキへと視線を向ける。
「分かった。その話しを受ける」
かくして、ラクサスは事務所に所属する決意をしたのだが、ナツは知らなかったのだ。ラクサスの決めた道が自分と遠ざかっていくのだという事を。
ロキが訪れて数日ほど経った日。
「ラクサス、いっしょにフロ入ろーぜ!」
ラクサスの自室へと飛び込んだナツは、ラクサスの姿を見た途端首をかしげた。
ラクサスはまるで旅行の準備でもしているかのように、スーツケースに服などを詰めていたのだ。
ぼうっとそれを眺めていると、ラクサスが振り返る。
「風呂か……ったく、仕方ねぇな」
ラクサスは面倒くさそうにしながらも、着替えなどの準備をし始めた。その行動もナツは驚きを隠せない。いつものラクサスならば、冗談じゃねぇと一蹴するはずなのだ。
「おら、行くんだろ」
「お、おお」
部屋を出ていくラクサスの後を追おうとしたナツは、ちらりと部屋へと視線を向けた。物がなくなっているわけではないが、何故か片付いているようで、違和感を覚える。
そして、大浴場でラクサスと風呂を共にしていた時。湯船につかりながら、ナツはラクサスへと問う。
「ラクサスどっか行くのか?」
不安そうに見上げてくるナツに、ラクサスは浴槽の壁に寄りかかって、ナツから視線をそらす様に天井を見上げた。
「契約が決まったらここを出ていく」
「出ていくって、それどれくらいだ?」
出ていくという意味を、ナツは少しの間旅行に行くとでも捉えているのだろうが、そうではない。
「帰らねぇよ。むこうで住む場所が用意されんだ」
こういう時に限って、いつもなら賑やかな浴場は人気が少なく静かだ。
ラクサスの言葉に、ナツは湯船に視線を落とした。
「ここにいちゃダメなのか?」
「……さぁな」
ラクサスのそっけない返事に、ナツは湯船に口元を沈めた。湯船の中で息をぶくぶくと吐きだす。
考えている間の間を持たせる様な行動。ラクサスが見つめていると、ナツは立ちあがってラクサスへと振り返った。
「日曜とか、たまには帰ってこいよな」
ラクサスが口を開くと同時に、ナツは遮る様に続けた。
「約束だぞ!」
ナツは浴槽から出ると、逃げる様に脱衣場に飛び込んだ。
用意してあったバスタオルで濡れた身体を拭きながら、自分の着替えの置いてある隣へと視線をずらす。ラクサスの着替えとタオルだ。
「嘘じゃねぇのかな……」
本当は遊びに行くだけではないのかと、着替えながら思考を巡らせる。
「……ラクサス、居なくなっちまうのか」
すでに着替え終わったというのに、床には新しく水滴が落ちたのだった。
翌日、ラクサスは迎えに来たフリード達と共に寮を出て行ってしまった。部屋に私物は残されている。持っていった物は着替えだけだからだ。
後日の夕食の時間。
「ナツ、元気がないな」
食事を前にしてもぼうっと座っているだけのナツに、エルザは眉を寄せた。
ラクサスが寮を出てからナツから覇気が感じられない。湿気っている様で見ている方の気分が暗くなる。
「恋人が居なくなって寂しいんだろ」
ミラジェーンの言葉に誰しも苦笑せざるをえない。恋人ではないが、ナツがラクサスを慕っていたのは周知の事実だからだ。
せめてラクサスが連絡をくれればナツの気も浮上するのではないか。そう施設の者たちが話しあっていると、玄関が騒がしくなった。
「こんな時間に客だろうか?」
エルザが訝しみながら玄関へと顔を覗かせた。
ちょうど上がり込んできた人物に、エルザは目を見張った。そして、同じように覗きに来ていた者たちもエルザ同様に、以外だとばかりに目を見開いた。
「ら、ラクサス」
「あんた何で帰って来てんのよ」
ミラジェーンの言い方では帰って来た事が悪い様だ。
ラクサスは不機嫌そうに廊下へと足を進める。エルザの横を通った時だ、他の者たちに引きずられる様に食堂からナツが出てきた。
「……ラクサス」
ラクサスの名を呼んだ自分の声で我に返ったナツは、ラクサスへと駆け寄る。
「ラクサス、ほ、本物だよな」
じろじろと観察するようにラクサスを見まわすナツを放って、エルザが口を開いた。
「ラクサス、事務所はいいのか?」
「あァ?冗談じゃねぇ。あんなクソババァに従えるか!」
ラクサスの眼光は鋭く、見た者を震え上がらせるには十分だ。しかし、効かない者が数人。その中にはナツもいる。ナツは、ラクサスを見上げた。
「ら、ラクサス帰ってきたってことか?もう、どこにもいかねぇのか?」
じっと見つめてくるナツに、ラクサスは苦々しく呟いた。
「今のとこはな」
ラクサスが言い切ると同時にナツが抱きついた。
言葉もなく、ただ擦りつける様に頭をぐりぐりと押し付ける。存在を確認しているかのようだ。
そんな光景を横目で見て、エルザは隣に立ったフリードへと視線を向けた。
「何かあったのか?」
「社長が女性で、少々問題が起きた」
それと。フリードが続ける。
「元から、ラクサスは断るつもりだったようだ」
首をかしげたエルザに、フリードは柔らかく笑みを浮かべた。
「これで良かったんだろう。離れてしまったら、ラクサスは今までの様には歌えない気がする」
誰ともどこからともフリードは告げない。だが、視線の先を見れば分かるだろう。
しがみ付くナツと鬱陶しそうにしながらもそれを受け止めるラクサスの姿が、フリードの目には映っていた。
20100929