ラブ・ポイズン
ナツが週刊ソーサラーのグラビアを飾って一月ほどが経過した。大陸中に火竜という呼び名で広めたナツだったが、顔までは知られてはいなかった。それこそ、桜色の髪と鱗のようなマフラーという特徴だけだったのだが、写真の掲載で素顔まで公表された。
「そういえば、私も最初はナツが火竜だって知らなかったんだっけ」
ルーシィは出会った当初の事を思い出して、苦い顔をした。火竜の素顔を知らなかったおかげで、ボラという悪人に騙され危うく奴隷船で連れて行かれそうになったのだ。
「あの時は、ナツが火竜って呼ばれてたなんて、オイラ達も知らなかったからね」
同席していたハッピーがルーシィを見上げた。確かにあのときは、火竜の噂をナツの養父であるイグニールだと思い、ナツとハッピーはあの街へと向かったのだ。
「もしあの時ナツが火竜の噂を知らなかったら、私はナツ達と出会ってなかったのよね」
ナツが火竜の噂を聞きつけ、ルーシィが火竜を名乗るボラに騙されなければ、二人の道は交わる事はなかった。そう思うと、それこそ運命なのだろう。
ルーシィとハッピーは、出会った当初を思いながら、酒場でのんびりと時を過ごしていた。
ルーシィ達は、昨日クエストに行ったばかりだ。前にヤセキノコの採取の依頼を受けた、その依頼主からの仕事。種類は違うが同じようにキノコの採取だった。
前回同様に、適当なキノコを食い散らかしていたナツは、一晩経った今日、体調を崩していた。もう昼になるというのにいまだにギルドに顔を出さない。
「ナツは大丈夫なわけ?」
「あい。オイラが出てくる時はだいぶ良くなってたよ」
「……でも今日は来ない方がいいかもね」
ルーシィはギルドの門へと目を向けた。門の前には出入りに邪魔なほどに人が群れている。全ては雑誌記者だ。
各社の記者たちがこぞって未だ来ないナツを待っていたのだが、大人しかった記者たちが急に騒がしくなってきた。
「あ、来たみたい」
ハッピーとルーシィの予想通り、ナツがギルドへと来たようだった。しかしナツはギルドには入っていない。待ち構えていた記者たちにつかまっているのだ。
「な、何だ、こいつら!」
ここぞって、自分たちが一番先に依頼を受けてもらおうと必死。どの世界も競争は免れないのだ。
「大変ね」
ルーシィの呟きにハッピーが小さく頷いた。わけが分からずに狼狽するナツなどあまりお目にかかれるものではない。
その時、ギルドの外から重低音が響いた。
「……何やってんだ?あいつ」
重低音の正体は魔道二輪だった。それにまたがっているのは、クエストに出ていたはずのグレイ。戻ってきたばかりなのだろう。
グレイは、人に囲まれているナツを見て顔を顰めている。ギルドの出入り口を塞いでいて邪魔だ。
「あ、おかえりなさい。グレイ」
人込みをかき分けて、ミラジェーンがグレイの前までやってきた。
「ミラちゃん、これどうなってんだ?」
「皆ナツに依頼をしに来てるのよ。ほら、この前ナツが週ソラのグラビアに出たでしょ?」
グレイの頭をよぎったのは一月前のナツがグラビアにでた週刊ソーサラー。初の男性グラビア写真が載ったその号の売れ行きはいまだかつてないほどだったらしい。火竜と噂されるナツの顔が明らかになったのも、理由の一つだろう。
「他の出版社まで男性グラビアを始めるみたい。それで、ナツに白羽の矢が立ったって言うわけね。すごい人気よ」
「マジかよ」
グレイは苦い顔をして、記者に囲まれるナツへと視線を向けた。
だいぶ我慢の限界なのだろう、ナツが身体を震わせている。グレイが声をかけようとした瞬間、ナツの我慢も限界を超えた。
「邪魔だァ!!」
ナツの拳が記者に直撃した。しかし、彼らもプロだ。殴られても立ち上がって、ナツに依頼を取り付けようとしている。他の記者たちも同様で、気持ちが悪い。
「ゾンビみたいね」
まさにその言葉が合う。にこりと微笑むミラジェーンに、グレイはげんなりとしている。
「助けてあげたら?」
首を傾けるミラジェーンの表情が楽しそうに歪んでいる。グレイがナツへと持っている感情を知っているからだ。ミラジェーンだけではなくて、ナツを除くギルドの人間には知れ渡っている事だが。
ミラジェーンの笑みに、グレイは小さく舌打ちした。
「仕方ねぇな……おい、ナツ!」
「グレイ?」
ナツは容赦なく記者を殴りながら、グレイへと視線を向けた。
「そいつら、きりがねぇだろ。こっち来い」
グレイは、記者たちを押しのけて駆け寄ってきたナツの手を引いて魔道二輪の後ろに乗せた。
乗り物に異常なほどに弱いナツは、すぐに顔を強張らせた。降りようとするが、グレイはそんな暇を与えずに、アクセルを回す。
勢いよく走りだす魔道二輪に、ナツを追おうとしていた記者たちが吹っ飛ばされた。
「これで追っては来れねぇだろが……もう少し我慢してろよ、ナツ」
グレイが、大人しいナツへと振り返った。どうせ毎度の如く乗り物酔いで苦しんでいるのだろう。しかし、そんなグレイの予想は裏切られた。
「へ、平気だ……平気だぞ、グレイ!」
ナツが目を輝かせて、グレイを見上げる。グレイは予想外の事に、慌てて魔道二輪を止めた。
急停止の反動で落ちそうになった体を堪えてナツは目を吊り上げた。
「急に止まんじゃねぇ!」
「お前、どうしたよ。乗り物酔い」
驚きに目を見開くグレイに、ナツは思い出したように表情を輝かせた。
「そうだ!分かんねぇけど、平気なんだよ!」
「分かんねぇってお前、自分の事だろーが」
「うっせ、分かんねぇもんは分かんねぇんだよ」
悪い事ではないから問題はないだろう。グレイが呆れたように溜息をついて、ナツを見下ろした。
「とりあえず、適当なとこまで連れてってやるからよ」
「なぁ、どっか行こうぜ!」
乗り物酔いがなくなって、気が高揚しているのだろう。ナツには珍しくグレイにせがんでいる。ナツから誘う事なんて今だかつてなかった事だ。それこそ幼い頃に勝負を挑まれる以外は。
「俺運転できねぇんだよ!な、いいだろ!」
期待を込めた瞳で見上げられ、ナツに特別な感情を抱いているグレイが断るはずもなかった。思わず緩みそうになる表情を隠すように顔をそらす。
「で、どこに行きてぇんだよ」
「どこでもいいから、どっか遠くに行きてぇ」
乗り物酔いがない時間を長く味わいたいのだろう。上機嫌なナツは、座りなおすとグレイの腹へと手を回した。瞬時、グレイは身体を硬直させる。
「おい、くっ付くなよ!」
「うるせねぇな。いいから早く行けよ」
ナツとて好きでくっ付いているわけではない。
グレイは、促してくるナツに言い返している余裕さえもなかった。触れてくる体温は、グレイに動揺を与える。好意を寄せる相手が自ら身を寄せてくるのだ、鼓動は異常なほどに高鳴る。
「グレイ?」
「わ、分ぁったよ」
グレイは落ち着かせるように深呼吸をして、アクセルを回した。記者から逃れる時とは違って、ゆっくりと魔動二輪を走らせる。
自らが動いているわけでもないのに景色は変わっていく。毎回乗り物酔いで景色を楽しむことのないナツには、新鮮だった。風は髪の毛を靡かせ、頬を撫でる。
「気持ちーなー」
ナツは満面の笑顔で、回している腕に力を込めた。
「ば、離れろ!」
「あ?何言ってんだよ。落ちたらどうすんだ、バカ」
ナツが力を込めれば、グレイの背中にナツの身体が合わさる。グレイは気が気ではなかった。
意識すればするほどに鼓動は高まる一方で、ナツの鼓動さえも伝わってくるようだった。まさに生殺しである。
「おい、グレイ!海だ!海の匂いがするぞ!」
嗅覚の鋭いナツは、海の姿など欠片も見えていない状態で存在に気づいた。暫く走らせれば、案の定海が見えてきた。
晴れ渡った空には白い雲が映える。太陽の光が海に反射して輝いていた。
景色に目を奪われているうちに、グレイのナツへ向けていた邪な心が一気に浄化された気がした。
「せっかくだ、降りるか?」
「おお!」
バイクを止めて海岸へと降りる。
季節から外れているせいか、海岸に人の姿は見られない。裸足になって寂しい砂浜を走っていくナツを、グレイはゆっくりとした足取りで追いかけた。
「あんま濡れるなよ……て、聞いてねぇな」
声を張り上げてみても、ナツは聞こえていないようで波打ち際に足を入れてしまった。
足を濡らすナツにグレイは小さくため息をついたが、はしゃぐナツの姿は無邪気で、グレイの表情は自然と緩んでいった。
「グレイ、来いよー」
水をすくい上げて空へと撒き散らす。舞い上がる水滴が光に反射していて輝く。その中にいるナツはいつも以上に眩しく見えた。
楽しそうに笑顔を向けるナツは、正直グレイにとっては目の毒だ。
「かわい過ぎんだよ。バカ」
グレイは手で口元を覆った。
グレイが来るのを待っているのだろう。見つめてくるナツに、グレイは観念して足を進めた。惚れた弱みだ、多少の願いは叶えてやりたくなる。
足を進めて近づいていくグレイに、ナツは腰をかがめた。手が海に潜り、勢いよく振り上げられる。ナツの手ですくい上げられた水はグレイの顔に直撃した。
「バーカ!」
ナツの揶揄する笑い声を聞きながら、グレイは身体を震わせた。
他愛無いじゃれ合いならともかく、ナツの場合は度を超えていた。海に飛び込んだかのように、グレイは全身ずぶぬれ状態。おまけに砂まですくいあげていたらしい、悲惨な事になっていた。
「やりやがったな、クソ炎!!」
グレイはナツに飛びかかった。腹を抱えて笑っていたナツは、すぐに反応する事は出来ずに、水面に背後から倒れてしまった。浅瀬だから顔までつかる事はないが、全身ずぶ濡れだ。
波が動くたびに耳を刺激して気持ちが悪い。
「痛ぇな!やんのか、こら……グレイ?」
ナツは覆いかぶさってくるグレイを見上げた。太陽の日差しがグレイの表情を陰らせている。
グレイは呆けたように、ナツを見下ろした。
「どうしたんだよ。おい」
グレイはナツの肩を押さえていた手を、ナツの頬へと滑らせた。海で濡れた髪が頬へと張り付いている。濡れてくすんだ桜色をすくい上げて、口づけた。
「勘弁してくれ」
くしゃりと歪められるグレイの表情に、ナツは目を見開いた。まっすぐに見下ろしてくるグレイの瞳は、ナツが今まで見た事がなかったものだ。
「グレイ?」
まるで見知らぬ人間を相手にしているような気分になり、ナツは不安そうに声を揺らせた。
ナツの普段見せないような姿に、グレイは堪らず抱きしめた。
「そんな声出すんじゃねぇよ。我慢できなくなんだろ」
グレイが逃がさぬようにと抱きしめる腕に力を込めると、ナツは身体を硬直させた。
魔道二輪でくっ付いていた時とは違って、冷たい肌。海で濡れてしまっていて、触れ合っている肌がまるで吸いつき合っているようだ。
「好きだ」
ナツはびくりと身体を震わせた。グレイに抱きしめられていて、ナツからはグレイの表情を読み取れない。グレイは囁くように声を落とした。
「お前が、好きだよ」
触れ合っている肌から、直接鼓動が伝わってくるようだ。ナツもグレイも、すでに感じている鼓動が自分のものか相手のものか分からなかった。それでも、どちらも正常とは思えないほどに早く鼓動を打っている。
グレイは腕の力を緩めて、ナツと目線を合わせた。
「好きだ、ナツ」
濡れたのかもしれない、ナツの瞳が潤んでいた。グレイはその瞳に吸い寄せられるように顔を近づけ、薄く開いた唇に己の唇を合わせた。
「……しょっぱいな」
やはり海の水で濡れたのだ。しっとりと潤った肌も、潤んだ瞳も、少ししょっぱい唇も。
グレイが悪戯っぽく舌を出すと、ナツは唇を尖らせて、顔をそらせた。
「バカじゃねぇの」
紅色した頬からは、グレイへの拒絶の色はない。グレイは優しく微笑んで、ナツを抱きしめた。
「やっぱ可愛いよ、お前」
いつもなら言い返すなり罵倒するなりしてきていたはずのナツは、グレイの腕の中で大人しくなっていた。
しばらく抱きしめていたグレイだったが、ナツのくしゃみを聞けば、流石に解放せざるをえない。
「そろそろ帰るか。もうあいつらもいねぇだろ」
記者から逃れるためだったはずが、ずいぶんと遠出になってしまった。濡れてしまった身体は、ナツの炎のおかげで乾かす事が出来た。
ナツが真っ先にバイクへとまたがった。
「そういやグレイ、お前魔道二輪なんか持ってたんだな」
「今さらだな、おい」
グレイが引き受けた仕事は魔道二輪を乗り回して悪事を働く暴走族の捕獲。暴走族のせいで魔道二輪の売り上げが下がっていた。
今回スムーズに仕事を終え、報酬に最新の魔道二輪を譲ってもらったのだ。
「なぁ、また来ようぜ!」
「俺の姫さんの願いだ。叶えてやるよ」
ナツの頬の口づけをを落として、グレイも魔道二輪へとまたがった。
ナツは恥ずかしそうにグレイの背へと額をくっつけた。
「バーカ」
グレイは頬を緩ませて魔道二輪を走らせる。ナツは切っていく風に瞳を閉じていたが、次第に身体を震わせた。身体をくっつけていたグレイにもそれは伝わっている。長い時間濡れたままでいたから寒いのだろうかと思ったが、それは違った。
「と、とめ」
「何か言ったか?」
「とめ、て……気持ち、わりぃ」
グレイは慌てて魔道二輪を止めると、ナツを振り返った。止まっているから治まってはいるが乗り物酔いをしていたのは確実だった。顔色が悪い。
「どうしたよ、急に」
魔道二輪から降りてナツの頬へと触れる。
つらそうに顔を顰めるナツに、グレイも思わず顔をしかめた。
「来る時平気だったろ。何で」
「ナツー!!!」
グレイは聞き覚えのある声に顔を上げた。ハッピーが、翼でナツ達の方へと向かってきていた。ハッピーは着地すると、ナツ達を見上げた。
「よくここまで来れたね」
魔道二輪に乗ってナツが遠出を出来た事に、ハッピーは驚いているようだ。当り前だろう、今まで例外なく乗り物には弱かったのだから。
「いや、来る時は平気だったんだよ」
グレイの言っている意味が分からないのか首をかしげるハッピー。
とにかくと、ハッピーはナツを掴んで身体を宙に浮かせた。
「急いで帰ろ!昨日ナツが食べたキノコに毒キノコがあったみたいなんだ」
速度を上げて飛んでいくハッピーに、グレイも慌てて魔道二輪を走らせて、ギルドへと急いだ。
ルーシィが気になって調べたらしい。先日の仕事で、ナツは毒キノコを数種類まとめて口にしていたのだ。
「よくは分からないけど、ナツが乗り物酔いしなかったのは毒キノコのせいだと思う。そういう効果のキノコはないけど、組み合わせが良かったのね」
数種類の毒が合わさって、乗り物酔いを止める効果があったのだろう。ルーシィが出した仮説に頷くしかなかった。しかし、グレイの悲劇はこの後だった。
「触んな、変態!」
後日、想いが通じ合ったと浮かれていたグレイは、ナツに冷たい目を向けられていた。昨日のナツの感情も全て毒キノコが作用していたようだ。おまけに、一晩で記憶までなくなっていた。
「そ、そりゃねぇだろ!おい!」
事情を知ったギルドの者達は、グレイに同情せざるを得なかった。
「オイラ知ってるよ。こういうのオチって言うんだよね」
明るく言い放つハッピーに、グレイは涙をのんだ。
その後ギルド内ではグレイを応援する者たちが増えたとか。
2010,04,20
あとがき
蒼様からのリクですたん。ありがとっすー^^