人間は幽霊や悪魔なんかを怖がるけれど、実際はそんなもの存在しない。しかし教会で祈りを捧げていると、突然奇声を上げて痙攣を起こす者が年に数回現れる。その都度、相手が正気に戻るまで意味のない祈祷を捧げなければならないのは神父になったものの定めとでもいうのだろうか。

「俺は本気で言ってるんだ、絶対おかしい」

傭兵は距離感というものを考えずに神父の前で必死に事の経緯を伝えようとしている。神父は一歩後退りながらも傭兵の言う、幽霊についての話を頭の中でまとめる。

「君の部屋には夜になると幽霊が来て、寝ている君の周りをうろうろとして消える。それが嫌だから僕と1日部屋を交換してほしいということかな?」

あまりにも非現実的なことを言う傭兵に溜息をついてしまいそうになる。しかし、彼はいたって本気のようで部屋を交換しろと脅迫めいた要望を押し付けてくる。

「神父ならなんとか出来るだろ、俺には無理だ」
「……あのねえ、幽霊なんていないんだよ。君みたいな大人が怖がってて、なんだか僕のほうが情けなくなってくるよ」

神父よりも年上の傭兵は痛いところを突かれた表情を浮かべるが、食い下がろうという気持ちなど持ち合わせていないようで、神父の肩を掴んで訴えかける。

「頼む、お前の部屋に泊めてくれるだけでもいいから」

目の下に薄く隈を作っている人間を無下にすることも出来ず、折れてしまう。

「わかった。今日だけだからね、眠れていない君に免じて」

神父の言葉に少しだけ表情を明るくする傭兵に、肩を落とす。彼の安眠が手にはいり、自分の安眠はなくなってしまった。「じゃ、夜に行くから」と言い残し、彼は足早に去っていった。神父は我慢していた溜息を盛大につき、頭を抱えてしまう。どうせ、彼の言っている幽霊なんて自身の妄想でしかないのだから、対処法なんてないのだ。どうしよう、と考えるもいい案は思い浮かばず、助けを求めようにも日頃あまり交流を率先しない彼にはそんなことを相談できる人間など持ち合わせていなかった。



夜も更けて日付が明日を回ろうとしていた。扉が遠慮がちに叩かれ、どうぞと言う間もなく傭兵は部屋に足を踏み入れてくる。無神経すぎる、そう心中で悪態をついてしまう。

「ベット使っていいよ」

うろうろと部屋の中を見回している傭兵を促すように声を掛けると、ソファで寝るつもりだったらしい傭兵が驚いたような表情をしている。普段表情を隠しているフードが無いせいだろうか、彼はいつもより感情が表にでているようだった。

「俺が押しかけたようなもんだし、ソファで、」
「顔色の良くない人間をソファで寝かせるのは忍びない。僕、こう見えても神父だから困ってる人には優しいんだよ」

君はそう思っていないみたいだけど、と口にしてしまいそうになるのを飲み込んで寝床を譲る。傭兵は少し申し訳なさそうにベットに寝転がり、不安そうな表情で天井を見上げている。

「……この部屋は出ないんだよな」

天井を見つめたままぽつりと呟く傭兵に出ないよ、と返す。その言葉に安心したようでうつらうつらと船をこぎ始める。その様子をみて、自分もソファに寄りかかり、その時が来るのを待っていた。

一刻が過ぎた頃だろうか、ベットの方から呻き声が聞こえてきた。閉じていた瞼を開けて彼の方へ視線を向けると、傭兵は焦点の合わない瞳を不安そうに彷徨わせてる。

「ナワーブ」

ベットに腰を掛けて彼の肩を揺する。しかし傭兵は苦しそうに何かを呟くだけで現実に戻ってこれていないようだった。その様子に眉を寄せ、先ほどよりも強く揺すってやると、二の腕をがっしりと掴まれる。神父の顔を見やる傭兵の表情は恐怖に塗れていて、掴んでいる腕にぎりぎりと力を入れてくる。もう一度彼の声を呼べば、傭兵は息を飲み、瞳を大きく揺らす。

「なまえ、うしろ……!」

きっと彼には自分で作り上げた妄想が見えているのだろう。青ざめた表情で神父の背後から目を離そうとしない傭兵の上半身を起こし、胸の中に収める。視界を遮るようにぎゅうと震えている傭兵を抱きしめる。

「ナワーブ、僕には何も見えないよ。君が見ているのは、もしかして戦争をしていた時の仲間なんじゃないのかな」

神父の言葉にぴくりと身体を揺らす。その反応に神父は確信めいた言葉を口にした。

「死んだ人間は生きている人間とは相容れない。…忘れろとは言わないけど、君が負い目を感じて一生背負わなくてはいけないものでは無いよ」

おずおずと神父の背中に手を回し、ぎゅうと力を入れてくる傭兵は過去を悔いているようだった。それでもいつかは清算しなくてはいけない。すぐに出来ずとも、近い未来過去から抜け出せますようにと神父は静かに祈った。

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