ウィラは困っていた。香水を頻繁に使うようになってから、その日の記憶が曖昧になってしまうことに、困惑と不安を感じているのだ。しかし、ゲームに参加しなくてはいけない日は香水を使わないという選択肢が選べず、ウィラは途方に暮れていた。
考え事をしていたからかあまり熟睡出来ず、眠さの取れない頭で食堂へ向かうと、端の方でコーヒーを飲んでいる神父を見つけた。
「なまえさん、おはよう」
にこりと笑みを浮かべながら、隣に腰掛ける。神父もにこりと人当たりの良い表情で挨拶を返してきた。祭司が「あの神父は性格が悪い、関わりたくない」と怒っていたようだけれど、本当にそうなのだろうかと気になっていたのだ。ふと、神父の顔を観察するように見ていると目の下が薄らと赤く腫れていることに気付いた。
「あら、なまえさん。目の下が腫れてるわ」
調香師の指摘にぴくりと表情を固まらせた神父だったが、取り繕うように眉を下げる。
「昨日、あまり眠れなくて。……無意識に目を擦っちゃったのかな」
「そうだったの?実はわたしも昨日はあまり眠れなかったの、考え事をしてしまうと、だめね」
くすりと笑いを溢すと、神父は心配そうな表情を見せて調香師の顔色を指摘した。
「今日ゲームに参加する予定があるなら変わるよ、その位体調が優れていない顔してる」
「優しいのね、でも今日はゲームの予定はないからこの体調も治るわ」
「……ゲームが重荷になってるの?」
神父の赤い瞳に見つめられてしまうと、悩んでいることを打ち明けてしまいたい衝動に駆られる。こんなこと、言っても彼を困らせてしまうだけなのに。
「最近ね、香水をふると記憶があやふやになってしまうことが多くて。少し不安になってしまうの」
感情とは裏腹に口から溢れてしまう悩み。ああ、彼を困らせてしまうわ。ちらりと神父の表情を窺うと、瞳を揺るがせて驚いたような顔をしていた。ほら、困っているわ。
「ウィラ」
初めて神父から名前を呼ばれ、驚く。戸惑いながらも首を傾げると、神父の手が調香師の手にそっと添えられる。
「怖いと思うのならしばらく香水から離れたほうがいい。ゲームも僕が代わりにでよう。……できれば皆にこの事を伝えたほうがいいのだろうけど、嫌だろう?」
神父の気遣う言葉に、いままで溜めてきたものが軽くなった気分になる。調香師はこくりと頷き、ありがとうと呟く。
「すべての香水が記憶に影響しているわけじゃないのなら、色々試してみるのもいいのかもしれないね」
「……そうね、久しぶりに調合してみようかしら」
荘園にきて、おそらく一度もしていない調合。忘れていたわけではないけれど、一刻もはやくハンターから逃げなくてはいけないという気持ちが新しく香水を作り直す余裕を消し去っていた。けれど彼の言葉で今までの悩みが解決出来るかもしれないと気づいた調香師はぱっと表情を明るくした。
「よく眠れる香りの香水でも作ってみようかしら、そしたらなまえさんにも使ってもらいたいわ」
調香師はうんと頷き、新しい香水について思考を弾ませているようだった。その様子を神父は嬉しそうに見遣り、冷めてしまったコーヒーに口をつけた。