「兄さん…」
ドアからヒョコっとでた小さな体からは、弱々しい声がかけられた。
兄は困ったように眉をひそめてから、成るべく優しく微笑んだ。
「悪いな、サスケ。また今度だ」
いつもの台詞
いつもの指で額を突く仕草
いつもの困った笑顔
傍にいたい
「兄さん兄さん」
不意に背後から聞こえた愛しい声に、イタチは何やら作業していた手をとめ、背後にいるまだ幼い我が弟を見た。
「どうした?サスケ」
どうした、等聞くまでもない。大体用事の見当はついているのだ。
「今日は修業を一緒にやるって約束したでしょ?」
嬉しくて堪らないといった感じに、体をはずます弟にイタチはやっぱりか、と内心で苦笑した。
兄の僅かに動いた表情に、次に何が言われるか察知したのかサスケは少し焦ったように、兄の服をぎゅっと掴んだ。
「兄さん、約束したでしょ」
念をおすようにもう一度言うと、先刻までとは違いイタチの表情には、ハッキリと困った様子が見てとれた。
「そうだったな。約束したな」
諦めたように呟くイタチに、予定を変更して修業に付き合ってくれるのかと目を輝かしたサスケだったが、その思いもすぐにかきけされる。
「今日は人がくるんだ。悪いなサスケ。また今度だ」
お決まりのセリフで、サスケの額を指先でこついた。サスケはその小さな痛みに顔を歪めたが、すぐに頬を真っ赤にして膨らました。
「いっつもソレじゃんか」
駄々っ子のように、お願いお願いと兄の腕を引っ張るサスケは、自身が兄を困らせていることは重々承知の上だ。けれど、だからと言って引くわけにはいかなかった。うちは一優秀と言われている兄に少しでも近付きたい。兄のように強くなり、父に認められたい。もちろんそれ等は嘘ではないが、全てじゃない。本当はただ傍にいたいだけなのだ。出来ることなら、忙しい兄の時間を独り占めしたいくらいだった。けれど、そんなことを言うとまたイタチを困らせてしまうから、こうやってたまの休日に一緒にいてくれることで我慢しているのだ。
なのにイタチはあまりにも忙しく、サスケに構っている時間など毛頭ない。一ヶ月ぶりのイタチの休みだというのに、人がくるから等の理由で楽しみにしていた今日を壊されるのは断固阻止したいのだ。
イタチは困り果てた顔でう〜んと唸っている。
「サスケ、お前との約束をいつも破ってしまって悪いと思っている。」
「じゃあ…」
パァァとサスケの顔が一気に明るくなる。イタチはサスケの頭に優しく手を置いて
「だが今日は無理なんだ。だから父さんと修業してきなさい」
と、優しい口調で言った。だがサスケにとっては酷く冷たく、心がぎゅっとしめつけられた。サスケはイタチの腕を掴んでいた手を自らの服の裾に移動させ、服にシワが出来るくらいぎゅっと握った。俯いたサスケからは表情は伺えないが、見ずともサスケの顔はきっと曇りきっているに違いない。
イタチは何か言葉をかけようと開いた口だったが、ピンポーンというチャイムの音によって邪魔される。
「イタチー」
玄関からの気の抜けた声が聞こえ、イタチはサスケの頭をなだめるように撫でた後、部屋からでていってしまった。
「……兄さんのバカ」
一人きりになった部屋に、寂しく響き、サスケを更に悲しみに追い込んだ。
扉の向こうからは、イタチの笑い声が聞こえる。
テーブルに置かれた二つのカップ。イタチと向かい合わせに座っているのは、イタチの先輩に値するはたけカカシだ。
今回は少し任務のことで話があり、カカシはこうしてイタチの家まで出向いているのである。
話も一段落して、イタチはお茶を飲んでいるのに相対し、カカシは完全にくつろぎモードで本を読んでいた。その本とはカカシが愛読している『イチャイチャパラダイス』というものだった。
一度無理矢理勧められて、少しだけ読んだことのあるイタチだったが、あまりにもいかがわしい内容にイタチはすぐにカカシに返した覚えがあった。
イタチの口から出るのは、溜息ばかりだった。時間が過ぎて行くのが遅く感じられる。ふとサスケが今何をしているのか脳裏に浮かぶ。父さんと修業しているのだろうか。いつもみたいに一人無理をしていないだろうか。前みたいに足をひねり、歩けなくなっても、父さんに隠して一人で無理してるんじゃないだろうか。
「イタチ」
「はい…?」
顔をあげると、目の前には心配そうにイタチを覗き込むカカシの顔があった。
「さっきからずっと呼んでるんだけど、大丈夫か?」
「え…」
ああ、自分はそんなにボーっとしていたのかとイタチは自信を咎めたくなった。
「ああ、いえ。大丈夫ですよ」
精一杯の笑顔を浮かべるイタチにカカシは苦笑を浮かべて頭を掻いていた。
「…ほーんとブラコン」
「はい?」
カカシは読んでいた本をパタッと閉じて、おもむろに立ち上がった。
イタチは何事かと瞬きを繰り返し、ただただカカシを見ていた。
「じゃあ俺帰るね。イタチ君」
ニコっと無邪気な笑顔を見せるや否やカカシはそそくさとその場を退散した。
きっとカカシに気を使わした、とイタチには後悔の念が押し寄せた。
ただ後悔していても仕方がない、イタチはサスケに早く会いたいのだ。
イタチは己の部屋を出た時、微かな音を耳にした。
時刻はもう夕方で、両親が居るはずなのに家の中は電気がつけられることなく薄暗い。
イタチはふと、考えた。
『…そうだ』
イタチに本日二度目の後悔が押し寄せた。そうだったのだ。今日は両親二人で久しぶりに出掛ける等と前々から知らされていた。つまり、サスケが父と修業することは不可能ではないか。
そしてこの微かに聞こえる声はまぎれもなく、サスケの声だったのだ。
イタチは駆け出して、サスケの部屋へと向かった。そんなに遠くはないはずなのにやけに遠く感じた。
「サスケッ」
イタチは急いでサスケの部屋の扉を空けた。サスケの部屋はカーテンもあけず、電気も点けないものだから真っ暗で、その部屋の隅から啜り泣くサスケが座り込んでいた。
「っひっ…く…兄さっん…ひっ」
「サスケ…」
イタチの胸は締め付けられるような思いだった。いくら任務での大事な話だったとはいえ、早く切り上げてカカシには悪いがもっと早く帰ってもらうことは可能だったのに、イタチはそれをせず、幼い弟を薄暗い部屋で一人泣かしていたのだ。
イタチは静かにサスケの前にしゃがみ込み、サスケの頭をそっと撫でた。
その表情は苦しそうで切なそうで、イタチまでもが泣きそうな表情になっていた。
「兄さっ…兄さんっ…」
サスケはその小さくて細い腕をイタチの腰に回して、ぎゅっとしがみついた。イタチの胸に埋められた顔はきっと涙でぐちゃぐちゃなのだろう。
「すまなかった」
イタチの弱々しい声が上からふりかかり、サスケはフルフルと首を振った。イタチはサスケよりもずっと大きい手でサスケの背中を優しく摩る。温かい温度にサスケは涙が余計に溢れ出た。
「ぐすっ…っひっく…にい、さ…ゴホッゴホッ」
言葉を繋げたいのに、むせてしまって繋がらない。うまく舌がまわらない。サスケの涙でイタチの服には涙が滲んでいく。それでも直イタチは優しく背中を摩ってくれている。
強くて優秀で優しい兄。大好きな兄が離れていってしまうのが辛い。
この優しい手が離れていってしまうのが怖い。
優しい笑顔が自分に向けられることがなくなる日がくるかもしれないのがとめどなく寂しい。
そんな事をふと考えた時に、自らに襲い掛かる不安。溢れ出す涙が頬を伝う、ポタポタと膝に落ちる雫が冷たくて、自分は兄がいなければ駄目なんだと思い知らされる。
サスケはぎゅうぎゅうとイタチにしがみつく。小さな体が震えている。
「サスケ」
不意に名前が呼ばれ、サスケは幼い手で涙を拭き取る。それでも幾度となく流れる涙に意味はなく、尚もサスケは何度も拭き取りながらイタチを見上げた。
「にっ…さん……ぐすっ…」
イタチは愛おしいそうに、だけど切なそうに目を細めてサスケの前髪をかきあげる。サスケはその動作に涙をたくさんふくんだ瞳を細めて、へへっと笑った。
「もう泣くな…目が腫れるぞ」
目を擦りすぎて、赤くなる前にイタチはサスケの手をぎゅっと握る。
サスケはズズっと鼻をすすってから、嬉しそうに微笑んでイタチの手を握り返した。
「…うん…っ…泣かな、い」
「なかないか、ら…泣かないから…兄さん、居なくなったりしないでね。俺から離れたりしないでね」
小さな弟の、小さな願い。
真っ直ぐに瞳を向けられてイタチは思わず目を背けたくなる。けれど、それさえも出来ないくらい中途半端な自信に嫌悪を抱く。何ともくだらない。こんなくだらない自分と離れる事で、弟はこんなにも涙するのか。胸に針でも刺されたようにチクリ、チクリと痛みが走る。むしろ刺されていた方が何ともマシだろう。
「ああ。約束する」
サスケは嬉しそうに笑って、もう一度イタチに抱き着いた。その顔からは涙はなく、満面の笑みだけ。
イタチは愛おしい弟を優しく、だがしっかりとその腕に抱きしめる。イタチの肩に顔を埋めるサスケはまだ幼い。だから何も知らない。
そうだ、何も知らなくていい。
約束する、自らの言葉を思い出し、イタチは自嘲気味に笑ってみせた。
守れもしない約束をして
上辺だけの言葉を飾って
偽りの台詞を並べて
今は君を守るけど、きっと君を傷付ける立場になるだろう。
離れたくないなんて無理なことは願わない。
だからサスケ。お前が俺の為に泣いてくれるというならば、今だけは泣き虫なお前の傍にいよう。
■後書き■
ナルサスサイトなのに第一弾がコレ
反省も後悔もしてませんorz