小説 のコピー | ナノ



『私の代わりに行ってきて欲しいの!』

久しぶりのお姉からの電話。はい、詩音です。と、事務的な台詞を言う隙も与えられず、鼻声の慌てた声が受話器越しに聞こえた。








電話の内容はこうだ。
今日は部活メンバーで前原宅の庭(といっても家の周辺)を清掃する予定だったらしい。けれど、魅音は風邪をこじらせ、安静にしてるように言われた為、どうしても行けないと。風邪なのだから行けないのは仕方ないが、なんせ今日は圭ちゃん家で集まるのだ。つまりそれはお母様も当たり前に居るわけで。今日休んで、ポイント稼がず、レナに差をつけられっぱなしじゃいられない。と、お姉は聞き取りにくい滑舌で訴えてきた。
そこで私の出番ってわけだ。
私は勿論二つ返事で了解した。いつも、魅音には世話になってるし、不器用な姉の一世一代の恋物語に、姉妹として出来る限り協力してあげたい。
と、それが大部分の理由であるのに偽りはないが、本音を言うと悟史君に会えるのをちょっと楽しみにしていたりする。なんせ、久しぶりなのだ。
今日は詩音としてじゃなく、魅音としてだけど、顔が見れることに違いない。
風邪をひいたお姉には悪いけど、胸がはずむのは許して欲しい。私達はお互い恋する乙女なのだから。

前に調達した魅音の服を着て、鏡の前に立つ。髪をアップにして、鏡の中の私に笑いかけた。今日の大前提は、部活メンバー含め、誰にも詩音だと気付かれないこと。すぅっと息を吸って、私の内にある魅音を呼び起こすように、目を閉じた。
大丈夫、誰も気付きやしない。私は魅音のコピーだ。私は、魅音。
そっと目を開いた時、鏡の中の魅音の顔は少しだけ元気が無く見えた。
…へんなの。



「やあやあ、みんな。待たせたかな?」
「魅ぃ、ギリキリセーブなのですよ。にぱ〜」
「レナも今来たとこなんだよ。…だよ」
「魅音さんにしても随分早いご到着ですわね。余程気合いが入ってるようにお見受けしますわ」

少し早目に来たつもりであったが、皆は揃っていて魅音に口々に声をかけてくる。沙都子の台詞を聞いたところで、ここで赤くならなきゃ。と、どこか頭の隅で考えていたのだが、次の沙都子の台詞でそれは無意識に実行された。

「ね?にーにー」

沙都子の視線の先には、当たり前に悟史君が居て、優しい笑顔を浮かべてこちらを見ていた。

「うん。ちゃんと遅れずに来て、偉い偉い」

温かい手が私の頭を優しく撫でる。赤くなっちゃ駄目なのに、ドキドキしちゃ駄目なのに、顔には熱があつまり、鼓動は速まる。私は、魅音なのに。

「な、なによぉ。皆でおじさんのこと遅刻魔扱いしてくれちゃってぇ。ひっどいなあ」

頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向けば、皆の笑い声が耳をくすぐった。ひぐらしの鳴く声が少し遠退く。
私は今、雛見沢にいる。



ピンポーン
チャイムを鳴らすと、待ってましたと言わんばかりに直ぐに扉が開き、中から圭ちゃんが姿を現した。

「おう。皆来てくれたか!御足労痛み入るぜ」

彼らしい人懐こい笑顔を見せると、家の中に向かって「母さーん!皆来たぜ!」と叫んだ。
返事と共に間もなく現れた女の人。これが圭ちゃんの母親か。やはりどことなく似ている。
おばさまは、ふわりと微笑むと軽くお辞儀をした。

「いらっしゃい。今日は無理言って頼んじゃってごめんなさいね」

眉を下げたおばさまに、すかさず一歩前に出て、人の良い笑みをつくった。

「いいえ、私達にとって部活メンバーは家族も同然。それは圭ちゃんも例外ではありません。家族が困っているなら、私達はいくらでも手を差し延べます。ですからお気になさらないで下さい」
「あら、そう?なら遠慮なく」

若干大袈裟な気もしたが、おばさまを見ている限り、少なからず手応えがあったようだ。圭ちゃんの照れた顔を遠目に見た。私が見たい顔は…ここまで考えた時、自然と私は悟史君を見ていた。私の視線に気付いた悟史君と目が合いそうになった途端、すかさず視線を逸らす。ああ、顔がほてる。私は魅音なのだから、これはただ夏の熱に浮されてるだけだ。悟史君、君がこんなにも私の調子を狂わせる。

陽射しを浴びて、雑草を抜く。時々圭ちゃんをからかって、おばさまに媚びを売る。レナさんと談笑して、また圭ちゃんをからかい、汗を流す。そして常に鼓膜を震わすのはひぐらしの鳴く声。

いいなあ。皆が居て、皆が笑って、皆が幸せそうで。ここに居るのは魅音。詩音は居ない。詩音は、いらない。





「やっと終わったぁ」

よっこらしょっとその場に座り込めば、おっさんか。と、すかさず圭ちゃんからツッコミが入った。

「魅音」
「ひゃっ」

頬には、氷の入った冷えた麦茶が当てられる。思わず裏返った声に、悪戯っ子のような笑みを浮かべる圭ちゃん。なんだ、魅音も結構良い感じじゃない。レナさんと五分五分といった感じか、と考えてる自分に笑えてきて、圭ちゃんに見えないように笑みを深くした。

「母さんがありがとうだって。俺からも礼を言うぜ。ありがとな」
「わわっ」

目を細めた圭ちゃんにがしがしと頭を撫でられる。愛おしげなその瞳は、私を通して魅音を見ている。ありがとう、魅音を思ってくれて。

「仲間なんだから、当たり前でしょ」

返した言葉に、力強く圭ちゃんが頷いた。
そこで、ふと視線を感じて振り返れば、悟史君と視線がかちあった。
不思議に思って軽く首を傾げれば、悟史君は眉を下げて微笑むだけ微笑むと、私から視線を外してしまった。

なんだったんだろう。





綺麗になった庭を背に、腰をあげ、ズボンについた砂を手の平で払う。
清掃を終えた後、皆で談笑していたら、日はすっかりと暮れていた。

「送っていこうか?」

前原宅の玄関で、紳士な圭ちゃんに尋ねられ、親切心に甘えようかどうしようかと考えていると、後ろから違う声が聞こえた。

「僕が送っていくよ」

大好きな優しい声が鼓膜をくすぐって、胸が途端に高鳴った。

「悟史く…」
「僕で良ければだけど」

答えを求めるように首を傾げられ、少なからずその仕草にきゅんとする。

「お願いします!」

思わず大きくなった声に、くすくすと無邪気に笑う悟史君のこの表情も、魅音に向けられたものかと思うと、胸が痛かった。





「じゃあにーにー。先に戻ってますわね。魅音さん、また明日!」
「魅ぃ、ばいばいなのですよ」
「悟史君、魅ぃちゃん、また明日ね」
「皆、まった明日ぁ〜!」
「気をつけて帰るんだよ」

皆が去った後、当然悟史君と二人きりになった。沙都子と梨花ちゃまの背を兄の顔で見守る悟史君の横顔を盗み見る。
あのね悟史君、私ね、魅音じゃなくて…

「今日はたくさん汗かいたね。詩音には結構きつかったんじゃない?」
「まあ、私はインドアですか…ら…え?」
「もう詩音でいいんだよね」

目を細めて笑われる。その瞳には、まぎれもなく魅音がいる。なのに、ねぇ、悟史君。私が詩音だと、私が私だと気付いてくれたんだね。

「…、どうして?いつから?」
「うーん、最初からかな」
「なんで?誰も気付かなかったのに」
「なんでかなぁ。でもね、すごく安心したんだ。詩音の傍にいると」
「…え?」
「今朝、詩音の頭を撫でた時に、気持ちがふわあってしたっていうか…その…あぁ、詩音だ。って…」

必死に伝えようとしてくれて、結局難しい顔して「むぅ…」と黙ってしまった。愛しい愛しいと、気持ちが溢れて、嬉しいはずなのに目頭が熱くなり、俯いた。

「……りがと」
「え?」

零れそうになるそれを、拳で乱暴に拭き取って、悟史君に向かってあっかんべーと舌を出す。

「ブロッコリーとカリフラワーの見分けもつかないくせに、生意気です!」
「むぅ…詩音は手厳しいなぁ」
「当然です!」

困った顔して黙り込んでしまう悟史君がおかしくて、肩を震わせてくすくす笑う。そういえば悟史君は、一度も私を魅音だとは呼ばなかった。大好きな人、ありがとう。

「そういえば魅音は?」
「お姉は風邪でバタンキューです」
「そっか。今日のこと、すごく楽しみにしてたのにね」
「はい。でもお姉のことだから、明日には元気に登校してくると思います」
「………」
「悟史君?」

急に黙ってしまった悟史君を、不思議に思い、重ねて名前を呼ぶと、ほんのすこし寂しげな表情で悟史君は笑った。

「そっか」

その表情がどんな意味を表すのか、少しくらい自惚れてもいいのかな。
私の心を覆ってた黒いもやもやが、貴方の優しさに溶かされていく。

園崎の家が見えた時、二人の足が自然と止まる。見合わせた顔に、肩を竦めて笑った。

「今日はここでいいの?」
「はい。お姉に今日のこと報告しなきゃなんないですし」
「…そう」
「…はい」

一歩が踏み出せず、一言が言い出せず、その場に立ちすくむ。
頭には、私の帰りを待つ魅音と、悟史君の帰りを待つ沙都子と梨花ちゃまが思い浮かぶ。
私が帰らなきゃ悟史君は帰れないでしょう。次に会えるのはいつか分からないけれど、今はお別れをしなければならない。

「じゃ、…私これで」
「あ、詩音」

ぎこちなく背を向けようとした時、呼ばれた私の名前。自然に綻ぶ顔を隠さず振り向けば、夕日に照らされた悟史君が真っ直ぐ私を見ていた。

「圭一と仲良くしてる詩音を見ると、すごく胸が痛かった」
「…、」
「なんでだろうね」

はにかむ悟史君は、今度診療所に行った方がいいかな。と呟いた。確信犯じゃないその顔が憎めなくて、黙って顔を赤くすることしか出来なかった。天然たらしの彼には愛しさしか込み上げず、今度こそ心の底から笑えた。

「次会う時までさよならです」
「また今度家に食べにおいでよ。沙都子もねーねーが来たって喜ぶよ」
「悟史君は喜んでくれないんですか?」
「そんなわけないだろ」

伸びてきた手に頭を撫でられ、一度は失ったと思った優しさが心地好くて幸せだった。
この日常を、もう二度と無くさないし、壊さない。
ありがとう、と伝えた言葉は、お姉のように風邪をひいてもいないのに、鼻声だった。
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