06


「ちょ、ちょちょっとエアレス?」

 ただならぬ雰囲気を感じて頭上に手を伸ばす。脈絡なくエアレスが蔓を向けるのは、はっきり言ってしまうと珍しくはないのだが、今回はなんだか様子がおかしい。仲間になりたてのポケモン、それも極めて友好的な相手への態度とは思えない。予期せぬ方向へ転がり始めた空気に混乱する私の手は、小さな手で払いのけられた。

『単刀直入に聞く。何の意図があって我々と接触した。何故主にそこまで拘るのだ』

 シャー、と威嚇音と共に吐き出された声は一段と低い。比較的人通りの少ない道、足早に歩く人々は他人には無関心なのか、こちらには見向きもせず通り過ぎていく。私達の周りだけ、目に見えない膜で包まれているかのように大気が張りつめていた。

『トレーナーなど掃いて捨てるほどいるだろう。ポケモンと直接話せなくとも、擬人化した手持ちがいるなら意思疎通は可能なはず。噂に縋ってまで主を探すだけの理由は何だ。危害を加える気なら、一度手持ちに入った身としても容赦せんぞ』

 頭上のエアレスの姿は見えないが、体重移動から、いつでも飛び出せるように構えているのがわかる。対するブイゼルは、ずっと絶やさなかった笑顔を潜めてじっと私達を見ていた。

「エアレス、気にし過ぎじゃない? ほらブイゼルが困ってるよ。ゲットされるなんて、これからの生き方が変わる重大イベントなんだから、これだ! って決めたトレーナーを探してたっておかしくないよ」
『主は無警戒が過ぎる。そんな不確かな情報から主を探していたというより、悪意を持った相手から差し向けられたと考える方が自然だと思わないか? すぐに擬人化したのも、過去に別のトレーナーの元で習得したと考えられないか?』

 ――つまり、エアレスはブイゼルが何者かからのスパイか何かじゃないかと疑っているのか。でもわからない、何故エアレスがそんな疑念を抱いたのか。バッジケースを盗ったのも誘導目的で悪意はなかったわけだし、安心して身を預けられるトレーナーを探したいからこそ、僅かな情報でも拾い上げてここまで来たという話は理解できる。百歩譲って悪意を持った誰かが背後にいたとして、私の元に潜入させてまで得たい情報を、私自身持っているとは思えない。 

「擬人化は素質があればすぐできるみたいだし、悪意って言っても、私そんなの向けられるような……」
『プラズマ団のアスラ。ハンターのシャドウ』
「――ッ!」

 静かに告げられた名前に身が強張るのを感じた。アスラ、シャドウの名前に、武己と恭煌のボールもそれぞれ揺れる。
 ――言われてみれば、ヤグルマの森の一件で、私とトウヤはプラズマ団の上の立場と思われるアスラにはっきりと認知されてしまった。泥棒事件を解決する手助けは、相手から見れば作戦を邪魔された事に他ならない。それはそれは目障りだろう。ポケモンハンター、シャドウの件も、警察の人に任せているからと安心していたが、現状まだ逮捕には至っていないのだ。怒りに染まったビショップの孔雀石色の瞳は、今も鮮明に思い出せる。
 彼らが私の動向や情報を探って、仕返しを、或いはポケモンを奪う機会を狙って、その可能性が皆無と言えなかった。
 せっかく仲間になってくれたブイゼルを疑いたくはない。けれど。私はベルトに並ぶモンスターボールへ視線を落とした。もし悪意を持った誰かが背後にいるのなら、私は、この仲間達を第一に守らなくてはいけない。

「ひょっとしてー、俺、怪しまれてますー? えーっと……」

 緊迫した空気の中で、ブイゼルは困ったように頬を掻いた。視線を彷徨わせて、何かを言うべきか悩んでいるような仕草だった。――自分は何も隠していないと、はっきり言ってくれれば良かったのに、それをしなかった。
 心臓はいつしか鼓動を強めていた。ブイゼルが言い淀んでいる“何か”。それが彼との縁と仲間達の安全を壊すものではありませんように。ネックレスを握りしめて、祈りにも似た気持ちでブイゼルを見守った。

「もう少し、お互いを知れたらお話ししようと思ってたんですがー、このままだと仲良くなるものもなれませんよねー」

 ブイゼルはもう一度、今度は周囲を確かめるように視線を巡らせた。折よく人通りが途切れ、意を決したようにブイゼルは真っ直ぐ私を見つめた。少し高い位置から注がれる、深海の色を宿した眼差しに、ごくりと生唾を呑み込んだ。

「……あのですねー。俺、色違いなんですー」
『……は』

 エアレスの呆けた声が凍った空間を流れていった。私もどんな深刻な話を切り出されるかと身構えていたから、その短い告白の意味を脳が処理するのに一拍間を置いてしまった。
 イロチガイ、色違い。極まれに生まれる、通常とは毛色の違うポケモンを指す言葉。誰が? この、ブイゼルが。

「色違い……えぇぇえっ!? あなたが!?」
『静かにしろ、非常識だ』
「もごっ」

 理解が追い付くと同時に思わず叫んでしまった。と、すぐさまエアレスの蔓が口に突っ込まれた。

「むぐっ……す、すみません……」

 その青っぽい苦みよりも先に羞恥を感じ、慌てて周囲を見回した。さっき確認していた通り近くに人はいないが、通行人やポケモンはゼロではない。突然大声を上げた私へ何事かと訝しむ顔や、単純に驚いた顔がいくつもこちらへ向けられている。顔が赤くなっていくのを自覚し、蔓を引っこ抜いて急いで頭を下げた。穴があったら入りたい。幸いにもすぐさま視線は散り、皆それぞれの行き先や連れの人やポケモンへと意識を戻してくれた。

『それだけか』
「それだけってー、今すごく勇気を出したんですよー! 他に何があると思ったんですかぁー!」
『……はぁ。貴様が主に拘った理由はそれか。ポケモンと距離の近い主なら拒絶されないと打算した上で、我々を隠れ蓑に利用しようというわけだな。擬人化も、色違いの姿を誤魔化せるからか』

 本人は真剣だろうがあまり迫力の無い抗議を受け流し、エアレスは蔓を戻した。剣呑な雰囲気は一転、あからさまに和らいだ空気の温度差に、戸惑いつつもほっと息をつく。
 良かった。誰も失わず、傷つかずに済むんだ。

「そんな言い方しないでくださいよー。この地方に俺達の種族は少ないらしくて、気づかれない事も多いんですがー、わかる人間にはわかるみたいで、追いかけられちゃう時もあるんですー。だから、いっそ、優しいトレーナーに仲間にしてもらった方が、安全だと思ったんですよー。……すみませんー、俺が黙ってたばっかりに、警戒させてしまいましてー……」

 しゅん、と原型と変わらぬまろ眉と、ついでに尻尾も下げて項垂れるブイゼル。悲しげな表情は似合わなくて、そっとブイゼルの肩に手を添えた。

「ブイゼルは悪くないよ。他と違うって言いづらいよね。受け入れられるか不安だし、今の居場所がなくなってしまうんじゃないかって怖くなる。こっちこそ、無理に言わせたみたいでごめんね。話してくれてありがとう」

 とても珍しい色違い、という事実にこそ驚いたけれど、毛色が違うくらいで何か変わるわけもない。けれど私自身、ポケモンの言葉がわかるという他の人達と違う部分があるから、ブイゼルの気持ちはよくわかった。話しても大丈夫だと判断するまで時間がかかるのが普通で、結局隠し通して終わる事も多い。出会って間もない私達に打ち明けるのに、彼がどれだけ勇気を出したのか、想像に難くない。そして、私達に話してもいいと判断してくれたのが、信じてくれたのが嬉しかった。
 顔を上げたブイゼルの瞳が、みるみる潤んでいく。じんわりと笑顔を浮かべて、両手で私の手を握った。

「俺ー、シロアにゲットしてもらえて、本当に良かったですー!」

 握られた手から、表情から、ブイゼルが心から安堵しているのが伝わってくる。そしてやっぱり、彼には笑顔が似合うと改めて思った。

「ブイゼル……いっだぁー!?」

 そんな柔らかな空気を切り裂いたのは、ばしーん、という大きな音と、私の悲鳴。またもや集まる視線の痛さに、穴ではないが今度こそ脇の路地に転がり込んだ。

「大丈夫ですかシロアさん!」

 勢い余って転びかけた私を、間一髪、武己が支えてくれた。いつの間にやら頭上から消えた重みに、もう見なくても原因はわかるが、一応振り返る。エアレスは脇に積まれた箱の上で、面白くなさそうに腕組みをしていた。蔓を出したまま、私のお尻を思いっきり引っぱたいたのを隠そうともしない。

「今! 良いところだった! 何!? 私が何したっていうのさ!?」

 エアレスが脈絡なく蔓を振るうのは珍しくない、これがいい例だ。自分で言うのもなんだが、感動的な雰囲気だったのに台無しである。尻尾を箱に打ちつけながら、エアレスは鼻を鳴らした。

『主があまりに無警戒でお人よしだから、私が代わりに警戒してやったというのに、無駄な気苦労だった。よってその鬱憤を晴らすのに主を使うのは何も問題ない』
「そ……うかもしれない?」
「しれなくないです、気を確かにもってくださいシロアさん」

 それっぽく連ねられた言葉に納得しかけたが、武己のおかげで正気を取り戻した。私が思いつかなかった危険を考えて気を張ってくれたのだから、パートナーとして頼りになると言える。しかし、そこからシームレスで蔓が飛んでくるのはいただけない。
 恨めしく睨んだところでエアレスに効果はなく、ならば気持ちを切り替えようとブイゼルに向き直った。とはいえ何を言おうかまるで考えていなかったので、ただ思いつくままに口を動かした。

「それにしても、色違いなんだね。綺麗な色してるから、ブイゼルってポケモンは皆そうなのかと思ってたよ。あなただけの特別な色なんだね、素敵だ」
「――ッ、」

 瞬間、ブイゼルは目を見開いて固まった。口までぽかんと開けて、時間が止まってしまったかのようだった。
 まずい、失言だったかもしれない。自分から伝えてくれたのだから大丈夫なものと思っていたが、その毛色のせいで嫌な思いもたくさんしてきただろう。追いかけられた経験もあると、今まさにブイゼルが口にしたばかりじゃないか。色違いという生まれに負い目を感じていたのなら、素敵だなんて言われても皮肉にしかならない。

「ごめん、ブイゼル、私、その色のおかげでこうやって会えたから素敵だと思ったっていうか、その、」

 どうにか良い意味に伝わらないかとあたふたしていたら、はああ、と今日一番の溜め息が聞こえた。額に手を当てたエアレスが、朱色の瞳をじとりと私に向けた。

『主は無警戒を通り越してポケモンたらしか。引っぱたくぞ』
「もう既に引っぱたいたところだよね!?」

 未だにじんじんするお尻を押さえて急いで距離を取った。追撃されては堪らないとエアレスの動向に全力で注視していたから、私はブイゼルがぽつりと零した言葉は聞き取れなかった。

「ありがとうございますー、シロアー」



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