03


 白んだ視覚の代わりに私の中に入ってきたのは、土と草と花の青々とした匂い。枝葉がそよぐさざ波のような音色と、ポケモンのはしゃぐ声。
 明暗差に慣れた目で見渡すと、あの大都会の中とは思えない、優しい緑に覆われた場所が広がっていた。中央にはこの場所を見守るように、年古りた大きな木がどっしりと聳え立っている。根本でチュリネやモンメンが戯れてきゃらきゃら笑い、反対に街の喧噪はぼんやりとしか聞こえない。周囲を木と蔦塗れの壁に囲まれたここは、隔絶されたオアシスとも呼べそうな、まさに平和を描いたような場所だった。
 目の前に転がる、エアレスの蔓にぐるぐる巻きにされている金色のポケモンを入れても、それはそれはほのぼのとした光景だった。

『あー、もう逃げません、逃げませんからー。離してくださーい、草タイプ苦手なんですー』

 ポケモンは細い身体をくねらせて、やや緊張感に欠ける声を上げていた。エアレスは何度も捕まえ損ねた八つ当た……いや、もう逃がさないよう慎重になっているんだろう、容赦なくポケモンを締め上げている。もう片方の蔓で取り返したバッジケースを、私に投げて寄越した。

『どうする、主。このままグラスミキサーで消し飛ばしてもいいが』
『うわー! 助けてくださーい!』

 エアレスの低い声に、ポケモンはやっと本格的に暴れ始めた。縛られたままぴちぴちと跳ねて、釣り上げられたバスラオのようだ。バッジケースを盗られてしまった時はどうなるかと思ったけれど、手の中のケースも中身も無事で、傷もついていない。悪意どころか緊張感も感じられないポケモンにこうして助けを求められると、なんだか可哀想になってしまった。

「エアレス、話ぐらい聞いてあげよう。バッジケースは戻ってきたし、悪いポケモンには見えないよ」
『……はぁ。貴様はお人よしが過ぎる、いつか痛い目に遭うぞ』

 エアレスはジト目で私を睨んだものの、渋々蔓を解いた。心配してくれる気持ちは受け取っておくが、その割に私はその蔓でしょっちゅう痛い目に遭わされているのだが。自分が痛い目に遭わせる分にはいいのか、そうか。

『ありがとうございます、助かりましたー』
「あっ、どういたしまして?」

 ポケモンが歩いてきて、ぺこりと頭を下げた。ポケモンの纏う空気に引っ張られて思わず私も頭を下げると、横から盛大な溜め息が聞こえてきた。

『すみません、手荒なマネをしましてー。初めまして、俺、ブイゼルっていいますー』

 さっきまで追いかけっこをした相手と同じとは思えない、間延びしたのんびりとした口調で自己紹するポケモン、ブイゼル。
 陽光を受けて静かに輝く金色の毛並みに、首回りには銀色の襟巻。ゴージャスな色合いだがあまり派手な印象はなく、ヒウンシティのギラギラした街並みを見た後では上品さすら覚える。深海色を帯びた黒い大きな瞳と、まろ眉のような目の上の白い模様がとても可愛らしい。特徴的な二本の長い尾がゆったりと振られていた。

「私の名前はシロア。ねぇブイゼル。なんでケースを持っていったの? キラキラが気になったとか?」
『それもありますがー。……じゃなくて。この場所まで、来てもらいたかったんですー。人間が多い場所だと、落ち着かないですしー、ここは平和で、良い場所なんですよー』

 ブイゼルはぽやぽやと花びらが舞いそうな笑顔を浮かべ、ヒレの生えた手で背後を示した。動機は不明だけど、ここが素敵な場所だというのには同意だ。街中に充満していた忙しない気配が、ここにはない。

「私をここに連れてくるのが目的だったの? 何のために?」
『あの、貴女とお話ししたい事がありましてー。お願いすれば、来て頂けるとは思いましたがー、怪しまれるかなあとも思いましてー。それに俺が、貴女とお話ししている姿を見られると、目立っちゃいますのでー』
「確かに、近くに人はいなかったけど、いつ見られるかわから……あれ、ブイゼル、私と言葉が通じてるの驚かない?」

 普通に話していたが、私の能力は人間はもちろんポケモンにも驚かれるものだ。人間には極力知られないようにしているけれど。初対面のブイゼルが、ポケモン同士で話すように自然に会話を続けているのが不思議だった。

『……実は俺、昨日から貴女を見ていましたー。擬人化したポケモンを、通しているように見えましたけどー、貴女自身が、俺達の言葉がわかるんですよねー。ポケモンと話せる女の子……貴女を待っていましたー。俺を、どうか仲間にしてくれませんかー?』
「……なんて?」
『何を考えている、貴様』

 にこにこ。ブイゼルはぽやぽや笑顔を崩さないまま言い放った。成り行きを見守っていたエアレスも思わずといった風に口を挟み、武己も驚いてボールを揺らした。恭煌だけがどうでもいいのか無反応。ブイゼルはこてんと首を傾げた。

『俺を、どうか仲間にしてくれませんかー?』
「いや聞こえなかったわけじゃなくてね」

 同じ言葉を繰り返されたが私の「なんて?」はそういう意味ではない。口調も雰囲気もゆっくりなのに、入ってくる情報に理解が追い付かないだけだ。ブイゼルは続けた。

『俺、トレーナーになってくれる人間を、探していたんですー。でも、怖い人間だったら嫌なのでー。そんな時、貴女を知って……ご迷惑をおかけしたのに、貴女は、こうして俺の話をちゃんと聞いてくれました。貴女が良い人間だと確信できて、安心しましたー。だから俺は、貴女になら、ついていきたいですー』
 
 トレーナーを探していたという事は、これまでにも色々なトレーナーを観察して、この人間なら自分がついていきたいと見極めた上で行動を起こしたのだろう。大都会に圧倒された残念な姿しか見せられていないような、いや気にしてはいけない。
 ポケモン側からトレーナーを探す事は珍しくはない。私達人間が最初のポケモンをもらって旅に出るのに憧れるように、唯一無二の名前をもらってトレーナーと旅立つ事に憧れるポケモンも案外多いのだ。それは単純に好奇心や冒険心だったり、友達が欲しいという願いだったり、武己のように強くなるための方法の一つとしてトレーナーを探す者もいる。唐突に思えても、じっくり考えた上での打診なら、私を見込んでくれた相手を断る理由なんてない。

「私としては、新しい仲間が増えるのは大歓迎だけど……ちゃんと考えた結果なんだね?」
『はいっ! ああでも、一度、俺とバトルして頂けますかー? 俺が身を預けるのに十分なトレーナーか、最後に確かめさせてくださいっ!』

 ぐ、と胸の前で両腕に力を込め、いくらか表情を引き締めるブイゼル。一般にポケモンをゲットする前にバトルをするのは、相手の体力を減らす為だけではない。トレーナーが力量を示して、相手に認めてもらうという大事な行程でもあるのだ。思えば恭煌も武己も、バトルを通さず仲間になったものだから、実質これが初めてのポケモンゲットの為のバトルになる。

「わかった。あなたの期待を裏切らないように、精一杯やらせてもらうね。……武己、頼める?」
『はい、シロアさん!』

 ボールを手に取り、問いかければ、威勢の良い返事と共に揺れた。
 水を噴射してきた事、草タイプが苦手と言っていた事から、ブイゼルは水タイプで間違いないだろう。草タイプのエアレスと、炎タイプの恭煌では、相性の有利不利が発生する。相性に合わせたポケモンを出すのも、こちらの力量を示す要因にはなる。けれど今回はブイゼルの期待に応えるために、相性が勝負の決め手とならないように、敢えて格闘タイプの武己に行ってもらおう。
 ブイゼルと距離を取ってボールを放る。飛び出した武己を見て、ブイゼルは両手を地につけ身構えた。

『ダゲキですかー。これは捕まらないようにしないとですねー』

 ゆったりした口調は変わらないが、ブイゼルは武己の種族と、接近戦主体のポケモンである事を瞬時に見抜いている。このバトル、簡単にはいかなさそうだ。

「武己、岩砕き!」

 拳に力を込めた武己が、ブイゼル目掛けて一直線に走り出す。軽く地響きを立てるほどの勢いを前に、ブイゼルは全身に水を纏い――姿を消した。

『何!?』
「速い……!」

 違う、姿を消したんじゃない。速過ぎて消えたように錯覚したのだ。標的を見失い立ち止まった武己の背中に、激流の力を宿した体当たり――アクアジェットが命中する。あの一瞬で、背後に回り込まれたなんて。

『ぐっ、そこか!』

 武己はバランスを崩しながらもブイゼルを捉えようと掴みかかるが、それより速くブイゼルは離脱し、武己の手は空を切った。そのままブイゼルはぐるぐると、高速で武己の周りを駆け回り始めた。
 バッジケースを取り返そうと追いかけていた時も、なんて足が速いんだろうとは思っていた。でもあれは彼にとって本気のスピードじゃなかったんだと思い知らされた。
 きらめく金色の毛並みと長い尻尾が輪郭をぼかして、スピードも相まってなかなか捕捉できない。武己は懸命にブイゼルの動きを追い、何度も向きを変えて迎え撃とうと構えるが、その度に死角に回り込まれてはアクアジェットをぶつけられる。幸い一撃はそこまで重くないものの、ダメージは確実に溜まっていく。どうしよう、攻撃の糸口が掴めない。

『くそ、どこから、来る……!?』

 相手を見極められないまま、一方的に攻撃される状況にもどかしさが募る。けれど、私より焦りを見せている武己が目に入り、はっとした。きっと私の指示を忠実に守って、なんとしても技を当てなければと思っているのだろう。こんな時こそトレーナーである私が落ち着かなきゃいけないんだ。ネックレスを握りしめ、武己に攻撃以外の選択肢を出す。

「落ち着いて、武己! ビルドアップ!」
『……! っ、はい!』

 振り返った武己は頷き、拳を握り両腕を曲げて力を溜め始めた。ビルドアップ、筋肉を隆起させ、攻撃力と防御力を同時に上げる技だ。ビルドアップ中、またしてもアクアジェットが襲い掛かるが、肥大した筋肉の鎧がダメージを軽減し、武己は体勢を崩さず持ち堪える。ビルドアップで準備は整った、後は相手の動きに合わせて攻撃を当てるだけだ。次の攻撃を迎え撃つヒントはないかと一生懸命にブイゼルと武己を見ていると、ある事に気づいた。

「武己、私の合図を待って……真後ろにローキック!」
『押忍!』

 私の声に素早く反応した武己が、回し蹴りの要領で背後にローキックを放つ。円を描いた右足はちょうど突っ込んできたブイゼルにヒットし、カウンターを受けたブイゼルは大きく弾き飛ばされた。
 花びらや草を散らしながら転がったブイゼルは、起き上がれない。

『あは、俺の負けですー……』 
『ありがとうございました』

 ふにゃり、と力なく笑ったブイゼルに、バトルの終わりを知る。武己の礼にブイゼルは尻尾を一振りして応えた。
 バトルが終わって、力量を認めてもらった。後にやる事は、ひとつだけだ。



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