02


「うーん……今日はどうしようか」

 ヒウンシティで迎えた最初の朝。私は愛用のガイドブック『まめぱとりっぷ』を片手に頭を悩ませていた。テーブルの上にはポケモンセンターのロビーに置いてあったパンフレットが何枚も広がっている。

「よーし明日は観光するぞー! などと意気込んでいたのは貴様だろう、一晩寝るともう忘れたのか」
「……地味にシロアさんのマネ上手いな……」

 よそ行きのワントーン高い声で昨日の私を再現したエアレスは、武己の言う通り本物わたしよりやや声が低い以外はよく似ていた。けれど今重要なのは、エアレスのモノマネのクオリティではない。

「忘れてないよ、でも選択肢が多過ぎるー!」

 叫んでカラフルな写真やイラストの広がる海に突っ伏した。勢いではらりと滑り落ちたパンフレットを、武己が拾ってくれた。相変わらずいい子だ。
 ヒウンシティ、流石イッシュ地方一の大都会と言うべきか。行きたい場所、見たいところ、食べたいものが多過ぎて、今日の予定すら絞れない。これは一週間かけても回り切れなさそうだ。
 ハンターやプラズマ団の事など不穏な事件はあったし、ジムを巡る以上の目的はいまだ見いだせていない。けれど、せっかく旅で訪れた街なんだから、ジム以外もたくさん楽しんで経験したい。

「……皆は行きたい所ある?」
『どこも人間だらけで同じだろ。興味ねぇ』
「自分はシロアさんの意見に従います! ……こんな大きな人間の街は初めてなんで、具体的には何も……」
「さあどうする主。従順な私はどこだろうと大人しくついて行ってやろう」

 恭煌、行きたい場所があるわけない。
 武己、意見を求めるには人間の街に不慣れ過ぎる。
 エアレス、悩む私を見て面白がりたい意思がスケスケだ。
 試しに聞いてみたものの何の参考にもならず、振り出しに戻る。夕飯なんでもいいが一番困るのよ、とお母さんに言われた時を思い出した。今ならあの時のお母さんの気持ちが100%理解できる。ごめんなさい。
 こうして悩んでいる間にも時間は過ぎていく。悩みに悩んだ結果ポケモンセンターの部屋で一日が終わる、というのでは本末転倒だ。行き先がどこであれヒウンシティを楽しみたいという気持ちに変わりはない。散らばったパンフレットを掻き集めて、立ち上がった。

「うん、もう決まらないから街に出てから決める! 行こう!」

 選択肢が多いなら、適当にうろうろしてもその選択肢のどれかに行き当たるか、興味を惹かれるだろう。決断を少し未来の私に先送りにして、私はお守りの揺れるバッグを手に取った。


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 と、街へ繰り出したはいいもの。絶え間ない音の中、ぶつからないよう注意しながらきょろきょろしていると、すっかり気疲れしてしまった。まさか、こんなに大勢の人が同じ方向に進んでいるから何かあるに違いないと、流れに混ざって行っても何の目的地にもつかないなんて。
 あまりの人の多さにエアレスも辟易して、定位置を手放しボールに戻ってしまった。擬人化修業中の武己でさえ、人混みに流されてはぐれてしまいそうだったので、早い段階で一緒に歩くのを諦めた。大都会と人混み、正直ナメていた。

「ちょっと、休憩……」

 新鮮な空気を求めて、なんとか出られた港側。看板にはユナイテッドピア、と書かれている。海を臨むベンチに座り、街中よりはずっと解放的な視界と潮風を感じていた。
 波や風、自然の音に癒されながら、手持ち無沙汰にバッジケースを取り出した。藍色に虹の模様を散らした七宝焼きのバッジケース。心地良い質感の蓋を開けば、二つのジムバッジが陽光を反射してきらりと輝いた。この隣に並ぶのが、アーティさんの待ち受けるヒウンジムバッジだ。「挑戦を楽しみにしている」と私とトウヤに告げたアーティさんを思い出す。
 そのトウヤ、そしてチェレンは私より先にシッポウジムをクリアしていたが、彼らはもう既にこの街のジムバッジもゲットしているのだろうか。別に競争しているわけではないけれど、彼らは常に私より一歩先を進んでいる。チャンピオンになる、というはっきりした目標を持ち、それに向かって突き進む彼らが、ちょっぴり眩しくて羨ましい。私は、このまま漠然と楽しむだけの旅で良いんだろうか。いつか、目指すものを見つけられるだろうか。

「目標、見つけられるかなぁ……」
『今日の行く先も見つけられない貴様が何を言っている』
「そ、それは関係ないんじゃないかなー! ……はぁ」

 ぼやいた言葉は、エアレスによって倍の威力になって返ってきた。反論したが、関係ないと思いたいだけで自信はない。私の隣で陽を浴びるエアレスは、光合成しているらしくほんのりと艶めいている。

『主の足りない頭だけでは決められないのがわかったからな、気が向いたら私も意見してやろう』

 ふんぞり返って言葉を続けられたが、それは一緒に目標を探してくれると、ついてきてくれると遠回しに言っているのだろう。ストレートに言ってくれてもバチは当たらないのに、素直じゃないなあ。頭を撫でようとしたら、ぴしゃりと尻尾で手をはたかれた。顔まで届いた風圧に、ほんの微かに清々しさを感じる。光合成のおかげかな――もしかして、エアレスが光合成していたのって私を元気にさせるため、だったりする?
 尋ねようと口を開いた時、急に目の前の海で何かが跳ね上がった。
 一体何事かと水飛沫の方を見ると同時に、手元に水流がぶつかり、バッジケースが跳ね飛ばされる。宙を舞ったケースを、ジャンプしてキャッチした金色の残像が視界の端に映る。ポケモンではあるのだが、すぐさま身を翻して走り出したためはっきりと姿を捉えられない。エアレスが蔓を伸ばして捕まえようとしてくれたが、ひらりとかわされてしまった。

『すまない、主! 追うぞ!』

 珍しく焦ったエアレスの声に我に返る。バッジケースを、皆との思い出と努力の結晶を盗まれてしまったのだ。絶対に取り返さなくては。金色のポケモンが去った方へ駆け出すと、狭い路地の奥にそのポケモンは立っていた。
 ポケモンは後脚で立ち上がり、つぶらな瞳でこちらの様子を伺っている。口にはしっかりと、私のバッジケースを咥えていた。私が知らないポケモンだから、イッシュ地方には数が少ないか、別地方のポケモンかもしれない。ポケモンは私の姿を確認すると、四足歩行に変えて路地の曲がり角に消えた。一瞬見えた尻尾は二本ある。

「お願い、待って! それはとても大切なものなの! だから、返して!」

 ごみ箱や放置された資材を避けながら、走り去るポケモンに呼びかける。恭煌に追ってもらうのが速いかもしれないが、人間の多いこの街中で恭煌は出ようとしないだろう。エアレスは身のこなしこそ素早いものの、純粋な足の速さではあのポケモンに到底敵わない。
 ポケモンは呼びかけても返す素振りはなく、ケースを咥えたまま、エアレスの蔓が届かない絶妙な距離を保って逃げ続けた。もうどこをどう通ったのかもわからない。表通りを外れて人気ひとけのない、複雑な迷路のようになった路地を次々通り過ぎていく。ごみ袋だと思っていたものがヤブクロンで、危うく蹴飛ばしてしまうところだった。
 ポケモンの足が速くて、見失ってしまう時もあった。けれど立ち止まって息を整えていると、様子を見に戻ってきてはまた走り出す、それが何度もあった。

『……妙だ。奴は誘導しているな』

 エアレスの言葉に頷いた。バッジケースを持って行ってしまったが、壊そうとはせず、攻撃してくる様子もない。まず敵意が感じられないのだ。しかしただの悪戯にしては行動に一貫性があるように見える。

「それでも、追いかけるしかないよ」

 誘導した先に何があるにせよ、このままバッジケースを見捨てるわけにはいかない。あれは私だけのものじゃないんだ。
 ポケモンを追いかけて、私達はいつの間にか薄暗く湿っぽい地下に入り込んでいた。すぐ脇に水路があり、地下水脈の穴を思い出すが、ここは壁も天井も水路も全てがコンクリートと金属の人工物だ。下水道、だろうか。意外と匂わないから、浄化の終わった水を流す水路なのかもしれない。濡れて滑りやすいためか、ポケモンはスピードを落とし、逃げるというより先導するように進んでいた。
 やがて、簡素な階段を登った先。唐突に眩しい空間に出て、私は目を細めた。


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