01


「嬢ちゃんトレーナーかい? もし急いでなけりゃ、息抜きがてらバトルしてくれや」

 二つ目の主塔を通り過ぎて間もなく、作業着姿の男性にバトルを申し込まれた。点検か何かしていたのか、機械を積んだ車が彼の後ろに留めてある。
 少しずつ影が伸びてきているが、ヒウンシティはもう目前、断る理由もない。頷くと、男性はヘルメットを取って会釈した。

「ありがとな嬢ちゃん! わしはヒウン建設のテツゾウってもんだ。よろしく頼むぜ。それじゃ、いくぞぉ忠吉チュウキチ!」
『てやんでぃっ!』

 テツゾウさんが勢い良く投げたボールから、これまた勢い良く飛び出してきたポケモン。小柄な体格の二倍はある角材を肩に担ぎ、つやつやした焦げ茶色の大きな鼻が特徴的なドッコラーだ。ドッコラーは格闘タイプ。恭煌は相性が悪く、武己は今人型を取っていて、行ってもらう事もできるけれど、ここは――。

「私はシロアです、よろしくお願いします! ……お願い、エアレス!」
『仕方ない、少しは身体を動かすか』

 原型で待機していて、相性の不利が発生しないエアレスに行ってもらおう。軽やかに飛び降りたエアレスは、尻尾の葉を大きく広げ、面倒そうなセリフとは裏腹にやる気十分だ。

「忠吉! 挨拶代わりの岩落としだ!」
『合点でぃ!』

 先に動いたのはテツゾウさんと忠吉だ。忠吉は岩タイプの波動を固めた岩石を幾つも作り出し、エアレスに次々投げつけた。

「蔓の鞭で叩き落として!」
『挨拶されたならこちらも返してやらねばな!』

 エアレスは得意の蔓の鞭を自在に操って、飛んできた岩を全て薙ぎ払った。一部は忠吉に投げ返すおまけ付きだ。流れ弾ならぬ流れ岩が飛んできたらしい武己の「うわっ危ねぇっ!?」という声が聞こえたが、わざとなのか偶然なのか判断が難しい。

「やるじゃねぇか! 怯むな忠吉、目覚ましビンタだ!」

 打ち返された岩を角材で叩き割った忠吉は、頭の上で角材をぐるぐる振り回しながらエアレスに向かって来た。技名はビンタだが、どうやらドッコラーの場合は角材で殴って攻撃するらしい。

「グラスミキサー!」

 格闘タイプ相手に接近戦に持ち込まれては、華奢なエアレスでは押し負ける。近づけさせては駄目だ。これは武己が仲間になってより一層実感できた事。エアレスは尻尾で空気を叩きつけ、木の葉の旋風を巻き起こす。生成したグラスミキサーを前に、忠吉に狙いを定めた。

「……?」

 グラスミキサーは蔓の鞭と同じくエアレスの得意技だ。すっかり見慣れたはずの光景なのに、何だろう、違和感がある。あらゆる要素が巨大で遮るもののない橋の上だから、印象が違って見えるだけなのだろうか。

『……チッ』

 エアレスの舌打ちが聞こえ、違和感の正体に気づいた。グラスミキサーの規模がやけに大きいのだ。その分渦巻く勢いが強く、コントロールが難しいのか軸が安定しない。横風が強い、海に架かる橋の上という特殊なフィールドが影響しているのかもしれない。この場所で風を使った技は選択ミスだったと悔やむも、もう技を切り替える猶予はない。
 結果、いつもより数瞬遅れてエアレスの元を離れたグラスミキサーはやや風下にずれてしまった。ギリギリで技をやり過ごした忠吉がニヤリと笑ったが、グラスミキサーの大きさが功を奏した。中心へ引き込もうとする風の力が角材を絡め取り、忠吉の手を離れて舞い上がる。
 ドッコラーは常に角材を持ち歩く習性があるポケモンだ。逆に言えば、常に角材を持っていないと落ち着かない。忠吉も例外ではなく、突然手元から消えた感触に集中が途切れ、慌てて周囲を見回した。偶然の産物だが、このチャンスを利用しない手はない。

「今だ、蔓の鞭!」

 前傾姿勢で真っ直ぐ伸ばされた蔓の鞭が、狼狽える忠吉にクリーンヒットした。吹っ飛ばされた忠吉は、まだフィールドに残っていたグラスミキサーの渦に突っ込み、木の葉と一緒にもみくちゃにされた。

『くそ、目が回る……ぐぇ!?』

 グラスミキサーから解放され、ふらふらと立ち上がった忠吉の脳天に、自身の角材がトドメとばかりに落下した。それが決定打となり、忠吉はぱったりと倒れた。

「おおう、忠吉! ……かぁーっ、わしらの負けかぁ。悔しいが、付き合ってくれてありがとな嬢ちゃん!」
「こちらこそバトルありがとうございました! エアレスも、お疲れ様。……エアレス?」

 忠吉をボールに戻したテツゾウさんは、悔しさを滲ませつつも楽しそうに笑って頭を下げた。私もバトルのお礼を言って、エアレスにも労いの言葉をかけたが、どうも反応が薄い。エアレスはさっきまで忠吉がいた場所をぼうっと見つめている。再度名前を呼べば、ハッとして振り向いた。

「もしかして、さっきのグラスミキサーを気にしてる?」
『そう、だな。この私がコントロールを誤るなど、不覚だ』
「誰だってミスはあるし、私が風を使った技の指示を出したのがまずかったから、気にしないでいいよ」
『なるほど、主のせいだったか』
「切り替え早っ!」

 腕組みしたエアレスはすっかり機嫌を直したようで尊大に頷いた。選択ミスは反省しているが、全肯定で私のせいにされるのも何か違う。ひょいと頭に飛び乗ってきたエアレスに次の言葉をぶつけようと考えていると、ふと視線を感じた。見れば、テツゾウさんが微笑ましそうにこちらを見つめている。

「嬢ちゃん、ツタージャと仲良いんだなぁ。まるで本当に会話してるみてぇだ」
「そ、そうなんですなんとなく言ってる事がわかるんです! あの、私、そろそろ行きますね! お仕事頑張ってください!」

 慌てて取り繕い、その場を離れた。私にとって、人間と会話するのもポケモンと会話するのも同じ自然な事だから、気を抜くとつい原型の彼らの話に反応してしまう。これから行くヒウンシティは人の多い大都会、どこから何のトラブルに発展するかわからないから、気をつけなければ。
 バトルを見守っていた武己と恭煌の所に戻ると(恭煌は仕方なく待ってやったオーラを漂わせていたが)、武己は何か考え込むように真剣な顔をしていた。

「武己? どうしたの?」
「! いえ、大した事じゃないです!」

 すぐさま表情を取り戻した武己の言葉は、裏があるようには思えない。対戦相手のドッコラーは格闘タイプだったから、同じ格闘タイプの戦い方に何か感じるものがあったのだろう。言及するものではないと判断して、随分と近くなった摩天楼へ向き直った。


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 漸くスカイアローブリッジの終点へ到着した頃には、傾いた日差しが世界を金の粒子で包んでいた。引き伸ばされた影が物を実際より大きく見せる、そんな時間。沈む太陽を追いかけるように、私達はイッシュ地方一の大都市、ヒウンシティへと足を踏み入れた。
 ゲートを潜ってまず感じたのは、音。ヒウンシティに近づくにつれて騒がしさは耳に届いていたが、ゲートを出た瞬間、洪水のように音が流れ込んできて首をすくめた。がやがやと途切れない雑踏のざわめきや、ビルのモニターに映された広告から流れる忙しないメロディに宣伝文句、車のエンジンやクラクションなど、今までとは全然違う街の音に戸惑ってしまう。目に見えないはずなのに、音だけで目が回りそうだ。街に近づいた時点で恭煌はボールに戻っていたが、とても賢明な判断だった。
 そして、空気の匂い。金属と、コンクリートと、排気ガスと、ジャンル雑多な飲食店の匂いも――とにかく、大勢の人間が集まって生活している事を示す、様々な匂いが混ざっている。一言で言って空気がまずい。

「ポケモンセンター、どこ……?」

 まだ夕暮れ時だが、初めての大都会にどっと疲労が押し寄せ、一刻も早くポケモンセンターで休みたい気分だ。きょろきょろ見回しても、ビルに遮られ全く見通しが利かない。

「えーっと……あの絵ですか? 確証はないですが……」
「あれだ! 武己、ナイスだよ!」

 武己が街の案内図を見つけてくれた。あくまでもポケモンである彼は文字が読めないが、その分文字情報に惑わされずに目当てのものを見つけやすいのだろう。地図に描かれたモンスターボールのデザインは、誰の目にもわかりやすい。これだけ大きい街だとポケモンセンターも複数あるようだが、幸いこの近く、海沿いにもあるようだ。
 私が生まれ育った森やカノコタウンとは対極の様相を為す街に落ち着かなさを感じながら、ポケモンセンターを目指す。脇に聳え立つ、まさに雲をつくようなビルの窓には早くも明かりが灯り、完全に舗装され土の見えない道路には人が川のように流れている。街の端っこだというのにこの人混み、中心部はどうなっているのだろうと少し怖くなった。カノコタウンもカラクサタウンも長閑で人口密度が低い街だったから、こんなに大勢の人間はテレビでしか見た事がない。おまけにテレビで見ていてはわからなかった発見がある。

「うっ……気持ち悪……」

 別に人間が嫌いだとかそういうのではない。単に物理的に気持ち悪くなってしまった。人の流れにくらくらして、平衡感覚がおかしくなる。

「橋を渡っただけでこんなに違うとは……大丈夫ですか、シロアさん」

 隣を歩く武己もややしんどそうだ。往来を行く人々の中には、武己と同じく一目で擬人化したポケモンとわかる者も結構いるが、皆この環境に慣れているのか平然と通り過ぎていく。

「今はなんとか。だけど、早めにポケモンセンターに着きたいかな」
「辛いなら負ぶりますが」
「まだ頑張れる」

 気遣いは嬉しいが、できれば自分の足で到達したい。何より人型の武己におんぶされるのは、小さい子のようでちょっと恥ずかしい。

『歩けるならさっさと歩くがいい主。私もバトルをして疲れている』

 対して、ぺしぺしと軽く頭を叩いてくるエアレスには、全く気遣いを感じられない。

「君はもうちょっとトレーナーの心配してくれてよくない?」
『心外だ。私はこの程度でくたばるようなヤワな主ではないと、信頼しているのだぞ。この心が伝わらんとは……くっ……』

 小さく押し殺したような呻き声がして、俯いただろう事が体重移動でわかった。武己が顔を顰めて私の頭上を見ている。

「泣くふりしてんの気持ち悪いな……痛ってぇ!」

 ぴしゃり、さっきのバトルの時よりも素早く鋭く振り下ろされた蔓が武己にヒットした。

『大声を出すな眉毛』
「ぶふっ」
「まっ、眉毛っ……!?」

 エアレスの口から飛び出た言葉に、武己には悪いが吹き出してしまった。確かに原型のダゲキは眉毛に見える特徴的な模様を持っているけれど。あんまりな言われ方に口をもごもごさせる武己に、エアレスが続ける。

『主が体調不良だというのに静かにできんのか』
「あっすみませんシロアさん……って誰のせいだよ!」

 私に頭を下げた後、綺麗にツッコミを決めた武己。横で聞いている分には面白いのだが、本人は至って真剣だ。と、腰のモンスターボールが揺れ、不機嫌を貼り付けた唸り声がする。

『うるせェな、とっとと進めや。ボール越しでも人間だらけで不快だ』
「自由だね皆……ちょっと元気出た」

 それなりに騒ぎながら(主に手持ちの仲間達が)ポケモンセンターを目指す私達。旅のトレーナーとポケモンが賑やかなのは珍しくもないからと、道行く人々はちらりとこちらを見るものの足を止めずにそれぞれの目的地へ急いでいく。
 そんな中、ずっと私達を追いかけていたひとつの視線に、この時私は気づかなかった。


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