02


「……ん、うん……?」

 ふと目が覚めた。目が覚めた、つまりいつの間にか眠っていたみたいだ。抱き締めたままだった卵を孵化装置にセットし直して、ぐっと伸びをする。ライブキャスターの時計を確認すると一時間ほど経っていた。武己はまだ戻らないが、そろそろ出発の準備をしよう。
 残る仲間を探して辺りを見回した。エアレスは私が眠る前と同じ場所、同じ姿勢でじっとしていた。光合成の成果か、身体の緑色が艶やかさを増しているように見える。これから移動しそうにもないし、声をかけるのは武己が戻ってからでもいいか。さて、お次は恭煌だ。

「恭煌、どこ?」

 目の届く範囲に恭煌はいない。仲間になった直後なら、このまま姿を消してしまうのでは、と不安になったかもしれないが、今は何も言わずに離脱する事はないだろうという不思議な確信がある。きっとエアレスだって同じ考えのはずだ。でなければ恭煌から目を離して自分の時間に専念したりしないだろう。上から目線ですぐ口と蔓が出て、それでも周りをよく見てわかりにくい気配りをしているのがエアレスだから。
 視界に入らないだけで近くにいるはず、そんな私の考えは間違っていなかった。私が昼寝していた場所から見えていた木の反対側。隆起した根の間の窪みに身を隠すようにして恭煌は身体を丸めていた。黒い毛色が根の陰に溶け込んだ保護色になっていて、ポケモンとのかくれんぼに慣れていないと素通りしそうだ。
 それにしても恭煌の寝ている姿はよく見る。皆をボールから出していても、気づけば興味なさげに端の方で伏せている、という場面もいくつも思い出せる。デルビルは睡眠時間の長いポケモンなのかと思っていたけれど、図鑑で読んだ中には特に明記されていなかった。
 私が近づいても恭煌は起きなかった。この距離なら、黒とオレンジの短毛に覆われたお腹が上下に動いているのもはっきりわかる。普段は撫でるどころか触らせてすらくれない恭煌だけれど、今なら撫でても大丈夫かもしれない。起こさないようにそうっと手を伸ばした。

『触んな……』

 あと少しで触れられる瞬間、漏れ出た小さな声。噛まれる、と急いで手を引っ込めたが、恭煌は動かない。こちらを睨んだりするどころか、目を閉じたままだ。もしかして今のは寝言だろうか? 随分とタイミングのいい寝言だなあと思って様子を伺っていると、恭煌がまた口を動かした。

『やめろ……そいつらに、手を、出すな……』
「……!」

 恭煌は眉間に皺を寄せ、絞り出すように言った。
 夢の中で、恭煌は誰かを守ろうとしている? 自分の耳が拾い上げた言葉が俄かには信じられない。誰も頼らず、気を許さない、そんな今までの恭煌の姿からは想像もつかない言葉だった。うなされているようで、その後は苦しげな唸り声が続く。辛そうな表情にいてもたってもいられず、頬を包むように手のひらを押し当てた。
 信じられない事は続くものらしい。温度に縋るように、恭煌は擦り寄ってきた。いつもの荒々しい炎のような空気は鳴りを潜め、今私が触れているのは置き去りにされた迷子のような、脆くて寂しげな小さな生き物。撫でているとだんだん呼吸も落ち着き、表情も和らいでいった。

「わっ!?」

 前触れもなくばっと目を開いた恭煌が、私に飛びかかってきた。バランスを崩して後ろに倒れれば、すかさず喉を前脚で押さえつけられる。間近に迫る紅い瞳はどこか虚ろで焦点が合っていない。今にも食らいつこうとする恭煌に、空気が半分しか通らない喉で必死に呼びかけた。

「恭煌、私っ……シロア、だからっ!」
『……んだよ、テメェか』

 ぐらついていた瞳を一度、目蓋の裏に隠し、再び現れた紅い眼差しはしっかりと私を捉えていた。つまらなさそうに――或いは、ほっとしたように吐き捨てて、恭煌は喉から前脚をどけてくれた。それとほぼ同時に、私のすぐ横を掠める緑色。
 
『何をしている、犬』

 威嚇するように蔓の鞭を鳴らしたエアレスが、恭煌を睨んでいた。ついさっきまで寝ていたのに、いつの間に起きたんだろう。疑問はあるが、それよりも安心感の方が上回る。万が一恭煌への呼びかけが間に合わなくても、エアレスが助けてくれたに違いない。

「エアレス……」
『犬、さっさと降りろ。主の上に乗っていいのは私だけだ』
「えっそこ?」

 安心を通り越して拍子抜けしたツッコミを入れてしまったが、たぶん私は悪くない。恭煌は負けじとエアレスを睨み返しながらも、言い争うつもりはないようでゆっくり私の上から降りた。軽く身震いした後は、エアレスを無視して荷物の置いてある方へと歩いていく。恭煌、と呼び止めようとして、あと一歩のところで言葉を呑み込んだ。

『一体何があった、主。……主?』

 エアレスが怪訝な視線を寄越してきたが、私も何と答えていいのかわからない。当事者が立ち去った分、いくらか落ち着いて先ほどの光景を思い返せる。
 あの時。至近距離で見つめた、普通のデルビルとは違う深紅の瞳。虚ろではあったけれども、濡れた瞳の奥には確かに、深い悲しみが灯っていた。
 ただ怖い夢を見ていただけとは思えなかった。例えば、恭煌が人間を憎むようになった原因。本来群れで生活するはずのデルビルが、たった独りで傷だらけになっていた理由。そういった辛い過去か、過去を連想させる悪夢を見ていたのではないだろうか。もしかして恭煌がよく寝ているのは、うなされてしっかり睡眠をとれていないせいかもしれない。

「私もわからないけど……違う、知らない。何も知らないんだ」

 恭煌の過去を、いまだに私は知らない。聞いても教えてくれないだろう。心の弱い部分に踏み入るには、私達の関係はまだ浅い。


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