04
館内のカフェで昼食を挟んで、遂にやってきたジム戦の時間。全身が痺れるような、浮遊感にも似た緊張は二度目だというのに慣れそうにない。始まってしまえば目の前のバトルに精一杯で余裕がなくなるから、この息苦しい緊張感から抜け出せるのだけれど。
ジムエリアはシッポウ博物館の地下にある。一歩一歩、階段を踏み締める度に博物館の静かなざわめきは遠ざかり、反対に自分の鼓動がいやに大きく響いてくる。エアレスの声が降ってきた。
『緊張しているのか、主』
「しないわけないよ……アロエさん、きっと強敵だから。皆が強いのは知っているけれど、私が上手く皆の力を引き出せなかったらと思うとね」
街に逃げたプラズマ団を捜索する時に見た、アロエさんの鍛え上げられたポケモン達。ノーマルランクのバトルはもちろん別のポケモンが相手をしてくれるが、あの堂々たる姿を見た後だと不安も生まれるというもの。
『オレが負けるとでも思ってんのか? テメェの指示なんてなくても倒してやるよ』
恭煌がボールを揺らす。自信満々なのは頼もしいが、発言は少々危なっかしい。ジムバトルはただ勝てればいいものではないのだ。
「それだと失格になる可能性があるんだってば。バトルに勝ったのに負け判定されたら恭煌だって嫌でしょ」
『……フン』
不服そうに鼻を鳴らされたが、判定だろうが負けたくないのは恭煌も同じなので、反論はされなかった。
『心配するな主、プラズマ団を組み伏せた時を思い出せ。あれと同じように伸してしまえばいい』
「アロエさんを倒すってそういう倒すじゃない」
『シロアさん、寝技使えるんですか?』
「格闘タイプだとその辺気になるんだ」
妙なところに反応する武己に苦笑する。あの時は小柄な女性団員で不意打ちだったから押さえられただけで、大柄なアロエさんと正面から向き合っては……いや私は何の想定をしているんだ。
しかし皆と話したおかげで、少し呼吸が楽になった。ネックレスの感触を手のひらに際立たせながら、私は最後の段を飛び降りた。
階段の先には開けた空間があった。広々としたバトルフィールドのそのまた奥には、一段高くなったエリアが拵えられている。バトルフィールドと同じ空間にありながら、本棚や化石標本が並んだ、書斎のような場所。そこから見知った人影がバトルフィールドに降りてくる。
「よく来たね、シロア! 昨日のドラゴンの骨の件、よくやってくれたね。ありがとうね。館長として、改めてお礼を言うよ」
博物館館長にして、シッポウジムリーダーのアロエさん。昨日の件を再度感謝されたが、むしろお礼を言わなくてはならないのは私の方だ。アスラと対峙した時、アロエさんやアーティさんが駆けつけてくれなかったら。私は今ジム戦どころではなくなっていたかもしれないのだ。
「こちらこそ危ない所を助けてくださって、ありがとうございました。私はそこまで力になれていないというか……骨を取り戻したのはトウヤですし」
「何言ってんだい、そのトウヤが無事に戻れたのはアンタのおかげじゃないか! 若い有能なトレーナーが次々現れて、アタシもウカウカしてらんないねぇ」
アハハ、とアロエさんは気持ちよく笑う。けれど、一息の後。その笑みは好戦的なものへと変わった。博物館館長の顔から、ジムリーダーの顔へと切り替わったアロエさんは、赤白のボールを手に一歩踏み出した。
「さあて。感謝はしてるけど、手は抜かないよ挑戦者さん。アンタがどんな戦い方をするか、見せてもらおうか! ヨシオ、審判頼むよ!」
アロエさんの呼びかけに、ジムトレーナーだろう少年が走ってきて、審判の位置に立つ。今回参加しないエアレスは私の頭上から飛び降り、一歩下がった。
「それではこれより、シッポウシティジムリーダーのアロエさん対、チャレンジャー、カノコタウンのシロアとのバトルを始めます! ランクはノーマルランク、使用ポケモンは二体、交代はチャレンジャーのみ認められます! では、バトル開始です!」
「武己、お願い!」
開始の合図と共に、ボールを放る。私の一番手はセオリー通り、ノーマルタイプに強い格闘タイプの武己で勝負だ。
「お行き、トランプ!」
武己の前に現れた相手は、ヨーテリーの進化系ハーデリア。ヨーテリーの頃よりも声や顔立ちが凛々しくなり、硬く伸びた体毛はちょっとやそっとの攻撃を通さない。故郷の森で一緒に遊んだ時、私が擦り傷だらけになって通り抜けた藪の中を、無傷で抜けて得意げにしていたのを思い出す。……いやいや、今は思い出に浸っている場合ではない。目の前のバトルに集中しなければ。
『負けないぞ!』
トランプが鋭い牙をちらつかせて凄む。あのハーデリアの特性は威嚇のようだ。これでは物理技をメインにする武己の攻撃力が下がってしまう。特殊技が使える恭煌を一番手にした方が良かっただろうか。早くも揺らいだ気持ちを落ち着かせようと、胸元のネックレスを握り締めた。
『望むところだ』
……いや、武己は全く怯んでいない。堂々と構える背中が頼もしくて、嫌な動悸が引いていく。
「ほう……そのダゲキ、威嚇が効かないって事は、特性は精神力だね?」
アロエさんの言葉にハッとした。そうだ、精神力の特性を持つポケモンは、その名の通り強靭な精神力をもってして、必ず怯むとされる技にも怯まず立ち向かえる。それだけではない。威嚇の特性にすら物怖じせず、攻撃力が下がったりしないのだ。
せっかく調べてきたのに、知識がまだ身についていない証拠だった。だけどもう大丈夫。今、身をもって実感したのだから、これから決して忘れない。
「さあトランプ、やるよ! 奮い立てるだ!」
サンヨウジムでも見た補助技、奮い立てる。自分を大きく見せるように全身の毛を逆立て、トランプはやる気十分だ。
「武己、気合い溜め!」
向こうが攻撃力を上げてくるなら、こっちだって。静かに集中力を高める武己は、構えた姿勢のまま動かない。
「突進!」
先に動いたのはトランプだ。しっかり武己を見据えて走り出し、勢いは一歩毎に増していく。武己越しでも伝わる気迫に押し負けないよう、声を張り上げる。
「空手チョップで迎え撃って!」
『押忍!』
気合いの篭もった掛け声と共に、武己はタイミングを合わせて手刀を振り下ろした。凄まじい勢いでトランプと武己がぶつかり合い、肉弾戦とは思えない音が響き渡る。次の瞬間、トランプはアロエさんの真横を吹っ飛んで壁に叩きつけられた。反対に静かに息を吐く武己は、最初の立ち位置から動いていない。
『……ありがとうございました』
目を回したトランプに向き直り、礼儀正しく頭を下げる武己。武己は本当にいい子だなあ……ではなく。
「ハ、ハーデリア、戦闘不能! ダゲキの勝ち!」
挑戦者側の旗が高々と上がった。