03


「ふぁ〜疲れた……限界……」

 深呼吸してぐっと背を伸ばす。肩甲骨の辺りが軋み、目がしばしばする。相当集中していたようで、いつの間にかエアレスが勝手にボールに戻ったのにも気づかなかった。
 これ以上文字を追えそうにないし、脳みその許容量がいっぱいになった感じがするから知識を詰め込む隙間ももうない。勉強はここで終了して、博物館エリアの見学に行こう。ポケモンの特性について書かれた本を戻して、私は図書館エリアを後にした。

『む。勉強は終わったのか、主』

 図書館エリアから出ると同時にエアレスも外に出てきた。ボールから直接私の頭上に乗るという、無駄に器用な出方だ。

「うん。特にエアレスや仲間になってくれた皆については、理解が進んだつもり。このイッシュにいるポケモンとか、特性とか、技とか、その辺の知識も増えたよ」
『まあ、主にしては頑張ったのではないか』
「にしてはって何さ」

 せっかく頑張ったのにいつもの上から目線を頂いた。エアレスの言う通り勉強は得意ではないけれども、私にしてはよくやった方だというのに。……私にしては。エアレスと同じ言葉を自然と選び取ってしまった。不覚。

『私は褒めているのだぞ。かなり知識を詰め込んだのだろう、見ればわかる』

 顔を顰めていると、エアレスは私の頭を軽くはたいた。言い方はともかく、私対本の孤独な戦いを見守ってくれていたのは事実だし、頑張りを認めてくれたのだと思うと表情筋が緩んでいく。我ながら現金だが嬉しいものは嬉しい。

「そう、かな。一応ありがと」
『そうだとも。元が空っぽな分詰め込むスペースがあるのだからな』
「いや今までもちゃんと中身入ってたよ!?」

 緩んだ眉間に瞬く間に皺が寄った。やはり我が親愛なる相棒はただでは褒めてくれないのだ。
 人気ひとけがないのを幸いにエアレスと不毛なやり取りをしつつ、来た道を逆走して一階の博物館エリアへ向かうエレベーターに乗った。ぶわり、と身体が浮き上がるような感覚はあまり好きにはなれない。
 さて、どこから見て回ろうか。特に順序はないようだが、だからこそ迷ってしまう。壁に掲げられた館内マップを眺めてぼんやりとした計画を練っていた時だった。

「おお、それは波導水晶! しかもこんな美しいものは初めて見ました」
「!?」

 突然声をかけられて、しかも久しぶりに耳にした名前に思いっきり肩が跳ねてしまった。振り返れば、眼鏡をかけた線の細い男性が、食い入るように私のバッグに結ばれたお守りを見つめている。ルカリオのお姉ちゃんの波導の力を結晶化させた水晶を、ゾロアークのお父さんのたてがみで編み込んだお守り。

「この透明感、輝き、形状……余程素晴らしい力を持ったルカリオが生成したのでしょう……技術だけでなく心も込められた、まさに芸術……」
「あ、あの……」

 お姉ちゃんについて褒めてもらっているのは嬉しいのだが、どう対応していいものかわからず落ち着かない。興奮気味の男性に恐る恐る声をかけたが、聞こえていないのかお守りから目を離さない。

『ンだテメェ、失せろ』
『シロアさん、追い払いますか?』

 バッグの近く、ベルトに取り付けられたボールから警戒心を露わにした声が二つ。特に人間嫌いな恭煌は、例え視線が逸れていても近くで人間に覗き込まれるのは我慢ならないのだろう。がたがたと揺れ始め、このままでは飛び出してしまうかもしれない。

『貴様、いい加減にしろ』

 もう一度声をかけようとした時、先にエアレスが蔓を振るった。場所が場所であるためか大きな音も立てず、相手が私でないからか(誠に遺憾である)直接当てたりせず威嚇程度のものだったが、男性はハッとして姿勢を正した。

「大変失礼しました、あんまり綺麗だったものでつい……申し遅れました、わたくし副館長のキダチです。そうだ、失礼をしたお詫びに、館内を案内させてくれませんか?」

 キダチさんの提案は、例えお詫びの形でなくても受け入れる以外の選択肢がなかっただろう。ちょうどどこから回っていいものか悩んでいたところだったし、詳しい人がガイドしてくれるのは面白そうだ。恭煌達もキダチさんが顔を上げたために落ち着いてくれたので、私はキダチさんの厚意に甘える事にした。
 最初に連れて行ってくれたのは、昨日私達が取り返したドラゴンの骨格標本だった。シッポウ博物館を代表する有名な化石らしく、キダチさんは誇らしげに詳細や由縁を説明してくれた。カイリューの祖先とされるドラゴンタイプのポケモンで、世界中を飛び回っている内に何らかの事故に遭って死んでしまい、そのまま化石になったのだという。しかも、とキダチさんは付け足した。

「しかも、こちらに展示されているのはレプリカではなく実物化石なのです。実に全身の86%が発掘されました! ちなみにレプリカと実物化石の見分け方はですね、ほらこのような部分、骨をワイヤーで巻いて補強してあるでしょう。厳重に補強されているのが実物化石、繋げた状態で再現、設置ができるため最低限の支柱のみとなっているのがレプリカです」

 次に案内されたのは、ドラゴンの骨格標本から続くポケモン化石のエリア。一部の化石ポケモンは復元に成功しており、状態の良い化石を手に入れられればこの博物館で復元して蘇らせる事ができるのだという。研究のために何体かの復活したポケモンが博物館で育てられていて、広場に出ている子とは触れ合いもできるのだそうだ。ずっと大昔に生きていたポケモンに会えるようになるなんて、科学の力ってすごい。後で私も会わせてもらおう。
 キダチさんは解説しながら進み、一つの化石を指した。 

「こちらのアーケオスの化石は、当館の目玉であるドラゴンの全身骨格標本の陰に埋もれていますが学術的にとても貴重なものでして! なんと、アーケオスのホロタイプ標本として認定されているのです!」

 キダチさんの口調から、何か特別な化石だというのはわかったが、知識がないためどうすごいのかわからない。とりあえず聞き慣れない単語について質問してみる。

「ホロタイプ……? 新しいタイプですか?」
「え、ああいやこれは失礼しました。タイプといっても水や草などのタイプではなくてですね……例えば新しく化石を発見した時、それが新種の化石なのか、それとも既存のアーケオスという種のものであるのか確認する作業を行います。その際基準として照らし合わせるための、いわば見本の化石がありましてね。その化石の事をホロタイプ標本と呼ぶのです。世界に一つしかないものなんですよ」

 世界に一つ、なるほどそれは貴重だ。そんな貴重なものを所蔵しているとあっては、副館長としては鼻が高いだろう。
 化石のエリアはやがて、ポケモン化石からその他生物群の化石へと移行していく。一枚の板のように切り出された岩の前で、キダチさんの説明に熱が篭もった。岩の中には何かが埋まっている。

「こちらは昨年見つかった化石の一部です! 歯と、岩盤に埋まったままの尾椎ですね。調査の結果、ポケモン以外の生物群、竜盤目獣脚亜目テタヌラ下目ドロマエオサウルス科に属する新種の羽毛恐竜のものだという事はわかりましたが、まだ詳細は研究中で学名もつけられていないんですよ! 羽毛の痕跡はほらここの部分、尾椎から放射状に伸びる線を見ればわかりますが、そもそも何故こんなカケラで恐竜かどうか判別できるのかというとですね、スキャンして見てみると、骨組織に層状に血管が張り巡らされていて、これが恐竜に特徴的な組織でして――」

 ……とにかく研究中の新種の恐竜だという事はわかった。
 どうもキダチさんは、好きなものについて語ると熱くなってしまう性格らしい。学者や研究者が集まる博物館の副館長は、これくらい熱心な人でないと務まらないのかもしれない。
 しかし、だんだん専門的な話になってきて、言葉を意味として捉えるのが難しくなってきた。息抜きするように化石から顔を上げれば、奥にひっそりと飾られた球体が目に留まった。私の足は無意識にそちらに向かう。
 ガラスケースに収められたそれは、夜の森の影よりも黒い漆黒の石だった。何故だか目が離せなくてじっと見ていると、冷たい無機質な石であるのに、岩タイプや鋼タイプのポケモンのような、生き物の鼓動に似た何かを感じた。或いは感じたと思った。けれどそれは一瞬で、目を凝らしてみてもそれは吸い込まれそうな黒を湛えたただの石だった。
 話がひと段落したキダチさんは、私が隣からいなくなっているのにようやく気づいたらしい。同時につい熱くなっていたのを自覚したのか、気恥ずかしそうに咳払いする。クールダウンするかのように、一転して静かな口調で説明してくれた。

「こちらはただの古い石です。砂漠付近で見つかったのですが、古い以外には全く価値がなさそうなものでして……ただ、とても綺麗ですので展示しております」

 化石について熱く語るキダチさんからそれ以上の説明がない辺り、本当にただの石なのだろう。他の展示品へ向かったキダチさんの後を追って、私の意識も黒い石から外れてしまった。何にあんなに惹かれたのか自分でもわからないまま。
 その後も隕石や鉱物、昔の人がお祭りの時に使っていた仮面などの民俗資料と、キダチさんは多岐にわたる展示品のガイドをしてくれた。これ以上の知識は詰め込めないと思っていたが、実物を見て耳で説明を聞くとただ文字を目で追うよりも明瞭に頭に入ってくる気がする。
 一通りのガイドが終わり、キダチさんは博物館の奥のエリアで立ち止まった。私がお礼を言うと微笑んで返し、これが最後の説明ですと言葉を繋げた。

「この先がポケモンジムとなっております。一番奥で強くて優しいジムリーダーが待っていますよ。因みにジムリーダーのアロエは、わたくしの奥さんなのです。よろしければ、ジム戦の予約を承りますよ」

 本日二度目のキダチさんからの提案。一度目と同じく、私はお願いしますと頭を下げた。特訓もした、勉強もした。後はシッポウシティ最後にして最大の目的である、ジムバッジゲットに挑むだけだ。


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