05
『この洞窟に逃げ込んだみてーだな』
恭煌を追った私達は、小さな洞窟の前に辿り着いていた。立てかけられた簡素な看板には地下水脈の穴、と書かれている。ポケモンを奪ったプラズマ団が身を隠すにはちょうど良さそうな場所だ。
「行こう、チェレン」
頷き合って、ひんやりとした空気の漏れ出す洞窟へ足を踏み入れた。全体的に湿っていて、名前の通り近くに水脈が通っているのか水の滴る音がする。思っていたよりも暗くはなく、目が慣れてしまえばある程度中を見渡す事ができた。途中で分かれ道はなく、洞窟は真っ直ぐ奥へと続いている。
いつプラズマ団に追いつくか、戦闘になるかわからない。私は恭煌を戻さず(というより、相手を追い詰めるまで恭煌は戻らないつもりらしい)、チェレンはいつでもポケモンを出せるように腰のモンスターボールに手をかけて、慎重に進んでいった。
先を歩いていた恭煌が耳を動かし、立ち止まった。
『いたぜ』
岩陰に身を隠し、飛び掛かれるよう身構える恭煌。慣れた様子に恭煌の経歴を思い出して薄ら寒いものを感じたが、それより今はプラズマ団だ。できるだけ音を立てないよう残り数mを急ぎ、岩陰の向こうを伺う。
カラクサタウンの広場で見たフード姿の人が二人、何やら話しているのが見えた。
「あっ」
後ろに続いてきたチェレンが、小さく声を上げた。私と違って街中で暮らしてきた、足場の悪い場所を歩くのに慣れていないチェレンが、濡れた地面で足を滑らせてしまったのだ。咄嗟にチェレンの腰のボールが開き、ツタージャ――サーペリアが出てきて支えたけれど、その光は薄暗い中では目立ち過ぎた。
「むっ、誰だ!」
プラズマ団が叫ぶ。済まなさそうな顔をするチェレンに気にしないでと声をかけて、私は岩陰から飛び出した。こけてしまったのは仕方ない、遅かれ早かれ相手とは接触しなければならないのだから。
「あの子供の仲間か! 奪ったポケモンは返さんぞ!」
こちらの姿を認めたプラズマ団の片方、一歩前に出た男性が喚いた。頭上のエアレスが馬鹿にしたような声で言う。
『自ら犯人であると自白したか。主、奴らは貴様以上の間抜けのようだ』
「そこで私を引き合いに出す必要ある?」
こんな状況でも普段通りのエアレスについ力が抜けたツッコミをしてしまった。いや、適度に緊張を解そうとしてくれた、エアレスなりの気遣いなのかもしれない。きっとそうだ。ポジティブ思考は大切なのだ。
「行けっ、ミネズミ!」
プラズマ団の男性はミネズミを繰り出してきた。どうしてポケモンを奪ったのか、聞きただすのは後になりそうだ。
「恭煌!」
ここはずっと臨戦態勢だった恭煌に行ってもらおう。ドスの効いた声で吠え、恭煌はミネズミを見据えた。
『ひっ……食われる……!』
すっかり縮み上がってしまったミネズミには申し訳ないが、私としても引くわけにはいかない。確かに恭煌は気が荒いけれど、相手を食べてしまうような事は……万が一そういう素振りを見せたら即ボールに戻そう。
「えっと、恭煌、焼き尽くす!」
この距離なら恭煌は炎技を使う傾向にある。特訓の時を思い出し叫ぶ。しかし恭煌は私の指示を無視して、荒々しい唸り声を上げながらミネズミにまっすぐ突進していく。
「ミネズミ、噛みつけ!」
肉食獣の気迫に震え上がったミネズミは、反応が遅れた。その隙にミネズミに食らいついた恭煌は、激しく首を振って水溜りにミネズミを投げ捨てた。
「ミネズミ、起きろ! 噛みつくんだ!」
男性が叫ぶ。しかしミネズミが体勢を整える前に、恭煌が再度飛びかかった。
薄暗い洞窟に眩い閃光が走る。
『手応えねェな』
恭煌が口を放した時には、ミネズミは目を回していた。私が考えたり指示をする隙もない、あっという間の決着だった。
ボールに吸い込まれたミネズミの赤い光を目で追った恭煌は、男性に向かって牙を剥いて吠えた。そのまま飛びかかる体勢に入ったので、急いでボールに戻す。ポケモン泥棒は許せない。だけど、丸腰同然の人間に攻撃させては駄目だ。これは私のトレーナーとしての責任だ。
「恭煌、なんで言うこと聞いてくれなかったの」
ボール越しに小声で問う。ジムでは言うこと聞いてくれたのに。
『遅い。それにテメェの指示に従うメリットがねぇ。こんな湿った場所で広範囲の炎技使ったところで大した威力にならねぇよ。濡らして雷の牙ぶち当てた方がずっと効果的だ。ここまで言わなきゃわかんねーか?』
……言われてみればその通りだった。ここはジムバトルをした広く乾いたフィールドとは違う。恭煌は自分のタイプと技をしっかり理解して、周囲の状態を見極め、その上で瞬時に効果的な戦い方を導き出している。ずっと独りで戦い続けてきた恭煌と、やっとバッジを一つゲットしたばかりの私との、圧倒的な経験の差。そして恭煌がまだ私を信頼していないというはっきりした証拠だった。
『オレの言葉がわかってよかったな、人間』
吐き捨てるように言って、恭煌のボールは静かになった。不甲斐ない気持ちでいっぱいで、唇を噛む。
「何故だ! 何故正しき我々が負ける!?」
「さあ、あの子から取り上げたポケモンを返しなよ」
男性は悔しそうに顔を歪めていた。ポケモンの言葉は聞こえなくとも、先ほどのバトルと言えないバトルと私の様子で何か察してくれたチェレンが、代わりに男性に詰め寄った。ぐぬぬ、と歯ぎしりして、ポーチに手を突っ込む男性。
「返す必要はないぜ! お前は下がってろ!」
奥から一人、新たなプラズマ団が表れて、バトルを終えた男性を押しのけた。待機していたもう一人の男性も進み出て、二人で並び立つ。
「こんな子供に邪魔されるなんてな。仕方ない、こちらの結束力を見せつけ、我々が正しい事を教えてやる!」
「そうだ、ポケモンを返せだと!? 逆だ、お前らのポケモンも正しき我々に差し出すのだ、というか奪ってやるよ!」
ニヤニヤと笑みを浮かべ、同時にボールを構える二人。チェレンは眼鏡を押し上げた。
「ポケモン泥棒が何を開き直っているんだか……シロア、こっちも二人だ、幼馴染みのコンビネーションを見せてやろう。行くよ、サーペリア!」
「うん! エアレス!」
くよくよしてチェレンに任せきりではいけない。頭上のエアレスに声をかけてから、しまった、と心臓が跳ねた。隣を見ると、ちょうどこちらを向いたチェレンと目が合った。付き合いの浅い相手なら気付けないような表情の変化。これは、焦っている。何も言わなくても気持ちが通じ合った瞬間だった。
『貴様とタッグを組む事になるとはな。くれぐれも私の足は引っ張るな』
『あなたこそ。私の邪魔をしたら許しませんからね』
恭煌は言うことを聞いてくれなかった。選択肢の消えた中、私のポケモンはエアレス一択。チェレンのポケモンは既に出ていた、恐らく一番レベルの高いパートナー。つまり、ツタージャのサーペリア。
カラクサタウンで一触即発な舌戦を繰り広げた二体。トレーナー同士のコンビネーションが良くても、戦ってくれるポケモンが相性最悪じゃないか。
二体のツタージャは横目で睨み合い牽制し合っているが、相手はポケモン泥棒のプラズマ団、待ってくれるはずもない。
「チョロネコ、乱れ引っ掻き!」
「ヨーテリー、お前は体当たり! どっちでもいいから攻撃しろ!」
こちらに向かってくる相手に、流石に無視して言い争いを続けるほど呑気ではない。エアレスは軽く蔓を出し、サーペリアは尻尾の葉を大きく広げて威嚇、戦闘体勢に入った。
『主、指示を出せ! ないなら勝手に動くぞ!』
「っ、そうだ! ツタージャ、ヨーテリーに体当たりだ!」
チェレンは名前のあるパートナーを種族名で呼んだ。状況を最大限利用して戦った恭煌の姿、チェレンの指示。私にしては珍しく脳みそがフル回転し、最も状況に適したであろう戦術に辿り着く。
「ツタージャ蔓の鞭! チョロネコを足止めして!」
味方が同じ種族である事を利用する。種族名で呼べば、相手はこちらのポケモンの区別がつかず撹乱することができる。
ヨーテリーに正面からぶつかるサーペリア。横から乱れ引っ掻きを当てようと爪を振りかぶるチョロネコを、エアレスの蔓が弾き飛ばす。もう少し指示が遅ければ、いやエアレスが攻撃の準備をしていなければ間に合わなかった。
「チョロネコ、さっきのツタージャに、違う今攻撃された方だ、乱れ……」
「蔓の鞭だ!」
『どっちなのさ、下手くそ! ぅぐっ!?』
案の定、プラズマ団は指示にもたつき、チョロネコは攻撃対象を見誤る。トレーナーとポケモンの連携が取れていればこの戦略は通じないかもしれないが、平気でポケモンを奪い、手持ちに名前もつけないような人達だ。元々深い信頼関係もなさそうだ。
「こっちはグラスミキサー!」
「かわせヨーテリー! あっ馬鹿そっちは巻き込まれる!」
エアレスのグラスミキサーを避けたヨーテリーは、蔓の鞭で吹っ飛ばされもがいているチョロネコとぶつかり、団子状態で更に転がった。エアレスにしては、避けられやすい攻撃を放ったように見える。いや、エアレスの事だから相手をわざと避けさせて誘導したのだろう。今がチャンスだ。
「チェレン、これで決めよう!」
「ああ!」
絡まり合ったヨーテリーとチョロネコは、互いに互いの尻尾を踏んづけているらしくまだ起き上がれない。
「「グラスミキサー!!」」
ひとかたまりになった相手へ、二体分のグラスミキサーが炸裂した。小さな爆発が起こり、ぱらぱらと小石と水滴が落ちる。視界がクリアになった時には、ヨーテリーとチョロネコは目を回して伸びていた。