06


 張りつめていた肩が解れて、すっと軽くなる。ふつふつと喜びが沸き上がり、無意識に駆け出していた。

「エアレス! 勝てたよ、ありがとう!」

 立ち尽くすエアレスを思いっきり抱き締める。今までのバトルはエアレスにリードされる形ばかりだったけれど、今回は、「一緒に勝てた」という手応えがあった。練習した事、今までのバトルで経験した事、少しだけでも生かせた気がするのだ。

『もたついたが悪くない指示だったぞ、主。それはそれとして離れんか、傷に響く』
「ご、ごめん……」

 謝って急いで離れた。言われてみれば、触れた感触が萎びている気がする。バッグを漁って傷薬を取り出し、エアレスに吹きかけた。とりあえずの応急処置だ。後でポケモンセンターでちゃんと回復してもらわないと。

「そうだ、恭煌も! よく頑張ってくれたね!」
『別にテメェのためじゃねぇよ』
「次は、もっと上手く戦えるようにするから」
『……フン』

 恭煌にも出てもらい、話しかけながら応急処置をする。嫌がられるかと一瞬思ったけれど、意外にも大人しく治療されてくれた。それともあれかな、格下が自分の身体を気遣うのは当然だという考えなのか。多分そんな気がする。エアレスみたいに抱き締めると噛まれる予感しかしなかったので、せめて頭を撫でようとしたのだが、触ったら燃やすと目で言っていたので慌てて手を引っ込めた。恭煌が安心して触れさせてくれる日はまだ遠いらしい。

「おめでとさん。チャレンジャー、シロア。これがサンヨウジムを破った証、トライバッジだ」
「わ……ありがとう、ございます」

 こちらに歩いてくるポッドさん。その手の中には、きらきら光る細長いものが乗せられていて。赤、青、緑の美しい輝きを閉じ込めたそれを、恐る恐る受け取った。
 サンヨウシティの名前は、三つ並んだ星の耀かがやきが由来だと、ガイドブックに載っていた。まさに三つ星のように煌めくバッジを、握り締めてそうっと胸に当てる。金属のひんやりと硬い感触が、小さいながらもしっかりと存在を主張していた。

「いやー、良いバトルだったな、特にお前のツタージャ! 蔓の鞭も蛇睨みも、使い方が上手かったぜ。相性が有利なのに負けちまったのはめちゃくちゃ悔しいけどな!」
「そ、それはどうも……」

 純粋に褒めてくれるポッドさんにはとても言えない。蔓の鞭に、蛇睨み。どちらも自分が受けた経験から、使い方を思いついただなんて。

「お疲れ様でした、シロアさん」

 今度は後ろから声をかけられた。振り返れば、挨拶の後に姿が見えなかったコーンさんだった。カップを乗せたお盆を手に微笑んでいる。

「こちら、サービスです。どうぞ」

 コーンさんがカップを渡してくれた。星座のあしらわれた陶器のカップに、鮮やかで透明感のあるオレンジ色のお茶が揺らめいている。お礼を言ってからそうっと口をつけると、ほんのりと花の香りがした。

「こちら、ディンブラという茶葉を使用しております。アイスティーにしても濁りが出にくく、癖がなくて飲みやすいテイストの種類なんですよ」

 コーンさんの説明を聞きながら、紅茶を味わった。少し渋みがあるが嫌な渋みではなく、飲みやすい味だ。紅茶といえばホットのイメージが強かったけれど、これはアイスティーだ。バトルで火照った身体をちょうど良く冷ましてくれた。
 レストランエリアに戻ると、拍手と歓声に包まれた。

「バッジゲットおめでとう!」
「強いな、君のツタージャ! 炎タイプ相手に一歩も引かないなんて!」
「僕、デルビルってポケモン初めて見たよ!」

 レストランに来ていたお客さんが、口々に声をかけてくれる。

「ええっと……」
「ここサンヨウジムでは、レストランホールでバトル中継が流れるのです。予約の時に、中継に同意するの欄にチェックが入っていましたでしょう? ジムバトルの観戦を楽しみに、足を運んでくださるお客様も多いのですよ」

 状況が呑み込めずにいると、さっき案内してくれたウェイトレスさんがやってきて、説明してくれた。そんな部分、あったのか。全く気づかなかった。いやそれより、もしかして、エアレスが変な事言っていたのも中継されていたりした? だとしたら恥ずかし過ぎるなんてものじゃないんだけど!
 せっかく紅茶でクールダウンしたのに、変な汗が出てしまった。けれど、お客さんの中のポケモン(擬人化した姿も含めて)から、怪しい目は向けられていない。どうやらバトルフィールド内の声は拾われていないようで一安心だ。エアレスが変な事を言わなければ、こんな心配する必要ないのに。
 ところで、擬人化した姿といえば。傍らのウェイトレスさんを改めて見てみる。落ち着いた今ならわかる、頭の大きな花のコサージュは生花だ。それも、どうも直接頭から生えている。頭から花が生えた人間なんていないから、彼女はポケモンだ。

わたくし、デント様のポケモンで種族ドレディア、名をローズマリーと申します。私だけでなく、ここのスタッフには非番のジムリーダー様のポケモンが勤めておりますの」

 ウェイトレスさん改めローズマリーさんが、若草色の髪を揺らして優雅に微笑んだ。非番のデントさんのポケモンという事は、上品な見た目に反して、実はとんでもなく強かったりするのだろうか。例えばさっき戦ったノーマルランクの相手とは、比べ物にならないほどの。

「シロア様。せっかくですし、何か召し上がっていかれますか?」

 相手の強さを想像して勝手に身構えたものの、ローズマリーさんの言葉で簡単にもう一つの目的を思い出したあたり、我ながら単純だと思う。


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「こちら、イーブイのナインエボルパンケーキになります」
「わぁ……!」

 思わず歓声を上げてしまった。ローズマリーさんが運んできてくれたのは、『まめぱとりっぷ』で紹介されていた、サンヨウレストランで今一番人気のスイーツ。焼きたてのしっとりしたパンケーキに、イーブイの首回りの毛並みのようなふわふわのホイップ、周りには進化系をイメージした色合いの木の実やフルーツがふんだんにちりばめられている。見た目もとても可愛いが、味はそれ以上に絶品だと評判なのだ。
 フォークでそっと抑え、崩すのがもったいないがナイフを突き立てる。一口大に切り取ったかけらに、ホイップとブースターイメージのベリーを乗せて口に運んだ。

「んー……しあわせだ……」

 口に入れた瞬間、幸せの味と香りがめいっぱい広がって、勝手に目を細めてしまう。パンケーキの卵の甘さ、ホイップのミルクの甘さ、ベリーのフルーツの甘さ。異なる甘さが見事に溶け合って、ジム戦を終えた脳みそに染みわたっていく。これを幸せと言わずになんと言うのか。

「だらしない顔だな、主。普段の五割増で間抜けに見えるぞ」

 擬人化してテーブルについていたエアレスが呆れているが、今はノーダメージだ。そのエアレスが注文したのはモーモーミルク・アップルベリーパイ・とろける甘い蜜添えというやたら長い名前のスイーツだった。あれも美味しそうだな…… ちなみに恭煌は何もいらないと言ってボールに引きこもったままだ。もったいない。
 少しずつパンケーキを切り崩しながら、同じくパイをちまちま食べるエアレスを見る。深緑の髪の端は、まだ焦げたままだった。
 自分を使いこなしてみろ、とエアレスは言った。その言葉に偽りなく、今回エアレスは私の指示をしっかり聞いてくれた。エアレスの経験と実力なら、私の指示を待たずに、自己判断で動いていれば、もっとダメージを抑えられたかもしれないのに。敢えて私の拙い指示を待ち、ダメージを負ってでも私のトレーナーとしてのレベルを上げてくれようとしたのだ。

「何を見ている。やらんぞ」
「違うそうじゃない。けど……うん、いいや」

 パンケーキの次の一口を頬張る。甘くて、優しくて、じんわりと染みる温かい味だった。


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