02


「どうした、主。デルビルが退院したら、ジムに挑戦すると言っていただろう。動きたくないのか? ならば動かなくて良いように押さえてやろう」
「ぐぇ」

 ベッドに転がり、『まめぱとりっぷ』のジムリーダーの写真と睨めっこをしていたら、エアレスが背中に足を乗せてきた。原型の時は短くちょこちょこして可愛らしいのに、擬人化した途端すらりと長くなる足は嫌味のつもりなのか。

「ちょっと悩んでただけで動く気はあるから! 重いってばどいてっ、わっ!?」

 突然部屋に鳴り響いた電子音に、びくりと肩が跳ねた。これは、ライブキャスターからの呼び出し音だ。妙に物分かり良く、エアレスが足をどけたので起き上がる。誰から、だろう。ベル、トウヤ、チェレン、それともアララギ博士? 番号を交換したのはこの四人しかいないので、その内の誰かだと思っていたのだけど。表示された番号を見て、もう一度びっくりした。この番号は――どきどきしながら、唯一覚えた通信に出るボタンを押した。

<シロアーー!!>

 大声で私を呼ぶ声と共に、画面いっぱいに広がる紫色のツンツン頭。大きな赤い瞳が、今にも泣きだしそうに潤んでいる。

<しばらく連絡ないから心配したんだぞ! 何かあったのか旅が嫌になったのかそうかよしお兄ちゃんが迎えに行ってやるぞ今どこだ!?>

 一息に言い切ったお兄ちゃんに見えないよう、さり気なく左腕がカメラに映らないよう姿勢を変えた。袖に隠れているが万が一の事がある。怪我の件を知ったら、お兄ちゃんは間違いなく飛んでくる。夢の跡地で怖い思いはしたし、まだバッジは持っていなくて勝てるか不安になっていたところだけど、旅が嫌になったわけでは決してない。むしろ、まだまだこれからなんだ。楽しい思い出もバトルでの勝利も、たくさん積み重ねていきたい。ずっと憧れてきた『旅をしたい』という夢は、そう簡単に消えやしない。

「心配させてごめんね、でも大丈夫だから、何もないよ。今サンヨウシティで、これからジムに挑戦しようとしてるところ。全然、旅が嫌になったわけじゃないから……、ところでライブキャスター、いつ買ったの?」

 少なくとも、私が旅立った時点ではうちになかった。でなければ私がエアレスに頼み倒して、指導料(高めの昼食代)を払ってセンター備え付けのテレビ電話を利用した意味がないではないか。
 お兄ちゃんは不思議そうに首を傾げた。

<いや、買ってねーぞ? 番号わかってればテレビ電話とか、他の機種からでもかけられるんだぜ、知ってるだろ! 番号はアララギ博士から教えてもらった!>

 これでいつでも愛しのシロアと連絡取れるな、と画面の向こうで白い歯を見せて笑うお兄ちゃん。一方私は、ぎぎぎと音が出そうなぎこちない動作で隣に目を向けた。

「……エアレス」
「はい、何ですかシロアさん?」

 行儀良く座っていたエアレスに、すごく良い笑顔で返された。なんという事だろう。初日の夜、わざと黙っていたなエアレスめ。私の気苦労を返して欲しい。

<おっ、お前がパートナーっつーツタージャのエアレスか! この前はあんまり話せなくて悪かったな。シロア、可愛いし優しいし、一緒にいて楽しいだろ! 血は繋がってねーけど、オレの最っ高の妹だ! うっかり惚れたりすんなよ?>
「はい、ご心配なく! シロアさんは僕の自慢のトレーナーです! 全力でお仕えします!」
『……』

 足元の恭煌が気味の悪いものを見る目でエアレスを凝視している。わかる、わかるよ恭煌くん。この変わりよう、別のポケモンかと疑うくらいだもんね。恭煌からさっきまでと違うとツッコミを入れてこのムカつく笑顔を慌てさせたいような、でもそうなるとお兄ちゃんが大騒ぎし始めるのが目に見えているので黙っていて欲しいような。いつ恭煌が口を開くかと期待半分、不安半分で見守っていると、ぷいと顔を逸らして伏せてしまった。関わると面倒だと判断したらしい。

<ん? 足元になんかあるのか?>
「……あ、うん。仲間が増えたんだけど、また今度紹介するね! それよりお兄ちゃん、お父さんいる?」

 お兄ちゃんが目敏く私の視線に気づいた。きちんと恭煌を紹介するべきだろうが、今の関係では余計な心配をかけるだけだ。追及を受ける前に話題を変えてしまおうと、お父さんを出してもらうよう頼んだ。お兄ちゃんと話している内に思い出したのだ。お父さんは、トレーナーとして活躍している。ジムリーダーとも対戦した経験があったはずだ。お父さんから、何かアドバイスをもらえるかもしれない。

<えーもっとシロアと話してたいのによぅ……で、今どこにいる?>

 す、と目を細め、再度場所を尋ねるお兄ちゃん。普段はへらへらしているけど、家族で決めたルールはしっかり守っている。それも私のためだと今は知っているから、本当に感謝だ。

「ポケモンセンターの部屋。私の仲間は事情を知ってる」
<ならよし! 夜刀呼んでくるからちょっと待ってろ>

 鋭い空気は一瞬で消え、自身も慌ただしく画面から消えるお兄ちゃん。見慣れた壁が映り、お父さんを呼ぶ声だけが聞こえてくる。

<シロア。元気そうだな。旅、楽しんでるか?>

 念には念を、という事なのか、画面に映るのは私と同じ髪色の男性。聞こえてくる声だけがポケモンの鳴き声だ。お父さんは擬人化できない。カメラすら騙す幻影で見た目は人の姿をしているけれど、流石に画面越しでテレパシーは使えない。

「うん、まだ何もできてないし、色々あったけど楽しいよ。あの、今サンヨウシティでね、相談したい事があるんだけど」
<ジム戦か?>
「……お父さんって、実は特性お見通しだったりする?」
<伊達にお前の親を十六年やってきたわけじゃないからな>

 説明する間もなく、私の聞きたい事を見抜いてしまうお父さんは流石としか言いようがない。後ろでお兄ちゃんが「色々ってなんだよー!?」と頭を抱えているのを華麗に無視してお父さんは笑った。お父さんに倣って、私もお兄ちゃんには触れない事にする。

「お父さんは、ジム戦の経験あるよね。こういうところに気をつけたらいいとか、聞ければいいなって思って」
<そうだな……ありきたりなアドバイスですまないが……とにかく、相手をよく見ろ。タイプや、どんな攻撃が得意か、どんな動きをするか。その上で的確な指示を出すのが良いトレーナーだと、俺は思っている。トレーナーの役割はただ後ろに立って適当に技の名前を叫ぶものじゃないんだ>

 口を挟まず、お父さんに見えるよう頷いた。相手を見る、当たり前のようで大切な事を、しっかりと自分の脳みそに刻み込む。トレーナー戦は、ベルとのバトルを初めとして数えるほどだが経験した。その全部が、圧倒的に経験豊富なエアレスのおかげで勝てていたけれど。ジムリーダーとなると一味も二味も違うだろうし、恭煌にも戦ってもらうことになる。相手をよく見ずに技名だけ叫ぶ、なんて事態にならないように気をつけなければ。

<ポケモンの死角を補い、攻撃、防御、回避、それぞれに集中できるよう状況判断する。トレーナーは、いわば頭であり目だ。どんなに身体を鍛えたところで、走るために腕だけ振り回そうと考えて身体を動かしても無意味だ。もちろん戦うポケモンにも意思があるから指示がおかしければ独自で判断するが、必ず隙が生じる。ついでに言うと、あまりにもポケモンに任せきりだとトレーナーの役割を放棄したと見なされ失格になるケースもあるからな。厳しいところじゃ指示なしの回避すらアウトだ。まあ、お前はまだバッジ0だ。なら多少覚束なくても大目に見てくれるだろう>

 お父さんは続ける。ごくり、と唾を呑み込んだ。

<それから、ジム戦に限らず公式試合で使用できる技は四つまでだ。限られた技でどれだけポケモンの力を発揮させられるかも判断のポイントだからな。五つ目の技を使ったら即失格だから、ここは絶対に気をつけろ。ポケモンの判断に任せた場合危険なのもこの部分だ。相手を追い詰めていたのに、咄嗟に五つ目の技を使って失格なんて笑えない事態が起きるのも珍しくないんだ>

 自分でもわかるほど、緊張で強張った表情がお父さんに見抜けないはずもなく。「肩の力を抜かないと、勝てるものも勝てなくなるぞ」なんて苦笑されてしまった。でも失格なんて言葉を聞いたら、きっと誰でも力が入ってしまうと思う。それに、理屈としてはすごく当たり前なアドバイスが、とても難しいもののように感じて。

「失格、ならないように気をつける……ちゃんと、判断できるように頑張る……」
<大丈夫、お前ならできるさ。負けたり失格になったとしても、また挑めばいいだけの話だ。最初のジム戦だ、トレーナーとして勉強させてもらうつもりで、とりあえず挑戦してみるくらいの気持ちでいればいい>

 ぽんと、頭に手が乗せられた。そう錯覚してしまいそうな、包み込むようなじんわりした声が耳に届いた。物心ついた頃から、ずっと私に語りかけて、安心をくれた声。

「ちょっと、気持ち楽になった、かも。ありがとう。じゃあ、最後にもうひとつ、いい? サンヨウシティのジムのルールなんだけど、よくわからなくて」
<ああ、サンヨウジムは三人ジムリーダーがいて、ややこしいな。ルールは知っているが、これは俺から教えるのはやめておこう。ジムの情報なら、その街のポケモンセンターにパンフレットがあるはずだ。使用するタイプや、独自ルールのあるジムなら詳細が書いてあるから、読んでおくといい>

 自分で調べるのも戦略の内、って事か。そうだ、情報源になるのはガイドブックだけじゃないんだ。少し考えればわかりそうなものなのに、言われなければ思い至らなかった。どうも私は考え込むと、別方向からの視点を失ってしまうらしい。ルールがどんなものだろう、と悩まなくても、公開されている情報に頼ればいいのだ。
 当たり前の事に気づかせてくれて、背中を押してくれて、お父さんに相談して正解だった。アドバイスだけじゃなく、改めてジムに挑戦しようという勇気ももらえた気がする。
 お礼を言って、それから少しお父さんとお兄ちゃんと話をして、ようやく通信を切った。話に夢中になっていたせいで固まった背中をうんと伸ばして、よし、と拳を握る。
 ジム戦、頑張ろう。勝てる自信があるかは置いといて、挑戦する事に抵抗はなくなった。まずはロビーに行って、パンフレットをゲットしてこなければ。


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