05


 サンヨウシティのポケモンセンターで数日を過ごした。噛まれた傷は、担当のドクターさんが驚くほど早く治ってきている。私は昔から傷の治りが早い、ちょっとした自慢である。たぶん、ポケモンに囲まれて森の中で育ってきたから、免疫力やら自然回復力が高くなっているのだと思う。詳しい原理はわからないが、便利なのでそれでよしだ。
 ただ、動き回ってもいいとお墨付きを貰っても、サンヨウジムに挑戦する気にはなれなかった。デルビルがずっと気になっていたから。回復してはいるのだが、依然目を覚まさない。短い時間だけ許可された面会の時も、眠ったままなので話もできない。
 トレーナーズスクールとか、ポケモンの見ている夢を見ることができる装置とかを見学したり、エアレスとバトルの練習をしたり、何もしていないわけではないのだけれど、それでも常に思考回路の行き着く先はあのデルビルだった。
 ぼんやりとガイドブックを読んでも、目が滑るだけで内容が入ってこない。サンヨウジム兼レストラン、ここのスイーツは美味しいと評判だから是非行きたいと思っていたのに。食欲をそそるはずの色鮮やかな写真は、今はのっぺりとしたインクの羅列にしか見えなかった。
 デルビルの他に気がかりといえば、夢の跡地で出会ったハンターの事。それについても、情報提供という形でジュンサーさんと話をして教えてもらった。
 顔の特徴や、ビショップという仲間の名前から、私が遭遇したのは通称シャドウと呼ばれているポケモンハンターで間違いないようだ。因みにビショップの名前を持つ仲間が複数いるらしく、最低でも四人は確認されている。私が出会ったのはその内の一人。
 確かに存在しているのに、影のように実体がなく、掴めない。シャドウの通称はそこから来たもので、本名や素性は一切不明。神出鬼没で、地方を跨いで活動しており、私達の情報から初めてイッシュ地方にいると判明したそうだ。イッシュ地方の警察や国際警察の人が追っているものの、あれ以来足取りは掴めていないらしい。ジュンサーさんいわく、「またしても影のように」消えてしまったのだ。

「シロアさん。今、お時間よろしいですか?」
「あ、セリシアさん。大丈夫です」

 ジュンサーさんの事情聴取も終わり、ポケモンセンターに戻る。ロビーで声をかけてきたのは、桃色の髪の間から大きなふわふわの耳を生やした女性。ここサンヨウシティのポケモンセンターで最初に出会い、デルビルを受け取り、その後も何かと気にかけてくれたタブンネだった。名前をセリシアさんと言い、ジョーイさんの次に偉い看護婦長だそうだ。

「あのデルビルの件で、お話がありまして。……ああ、容態が急変したというわけではありませんよ、順調に回復しています。いつ目覚めてもおかしくないくらいに。そうではなくて。あの子をゲットした貴女には、お伝えしておきたいお話があるのです」

 ここでは落ち着かないので、と場所を移して、レストランエリアの隅に腰を落ち着ける。エアレスは今は不在だ。今日の事情聴取にはエアレスの同席がなくても良かったので、本人の希望によりトレーニングルームで自主練をしてもらっている。事情聴取が予定より早く終わったのもあり、迎えに行く約束の時間までまだ余裕がある。セリシアさんとの話が終わってから、エアレスと合流するとしよう。

「デルビルを引き受けたあの日……貴女に私が、言いかけた事がある。覚えておいででしょうか」

 注文したサイコソーダには口をつけずに、セリシアさんは話を切り出した。柔らかで心地良い声に重なって微かに、炭酸の弾ける音がする。

「はい」

 あの日のセリシアさんとのやり取りは鮮明に覚えている。澄んだ水晶の瞳に落ちた陰も、全部。あの後デルビルに直接何があったか聞こうとして、結果目ぼしい収穫は得られなかった。セリシアさんは原型の時と変わらない耳を伏せた。

「イッシュ地方では数少ないデルビルだったので、まさかとは思ったのですが……傷跡などの特徴が報告と一致しました。……あの子は、過去に何度か人間を襲っています」
「……」

 野生ポケモンに襲われるなんて、このイッシュ地方だけでなくどの地方でも珍しくはない。少なくとも常識の範囲内でなら。縄張りに侵入したとか、ちょっかいをかけて怒らせたとか、単にバトルが好きだとか、理由は色々あるだろうけど。それでもセリシアさんが敢えて口にしたという事は、あのデルビルの攻撃性は常軌を逸しているという事だ。あの日、エアレスを無視して首を狙ってきた牙を思い出す。

「亡くなった方こそいないのがせめてもの幸いですが、執拗に攻撃され怪我を負ったトレーナーを、時にはトレーナーですらない人間を見ました。あの子は、意図的に人間を攻撃しているのです。ここポケモンセンターは、ポケモンだけでなくトレーナーも守る砦です。人間を襲った記録がある以上、あの子が回復しても、野生の暮らしに戻ってもらうわけにはいきません」
「じゃあ、あのデルビル、この先どうなるんですか」

 まさか……口にしたくもない最悪の結末が、一瞬頭をよぎった。人間にとって危険と判断され、野生に戻れなくなったデルビルの行く末。ポケモンだって、自分達に危害を加える相手がいたら逃げるか、戦って二度と襲ってこないようにするだろう。街という簡単に移動できない縄張りで暮らす人間には、逃げるという手段は選べない。ならばもう一つの方法――いや、ポケモンセンターに限ってそんな事はないはず、治療してくれたんだし。
 嫌な想像をしてしまったのが顔に出たのか、セリシアさんは安心させるような微笑みを浮かべた。

「大丈夫、ポケモン達を助けるのが我々の使命ですよ。あの子は今後、ジムリーダーの元に送って保護してもらうのが第一候補になります。ハンターに狙われていたという点も加味すると、それが妥当かと」

 ほっと胸を撫で下ろす。世間一般の感覚がわからないせいで、余計な不安を感じてしまったけれど、杞憂なら何よりだ。
 ジムリーダーはバッジの付与だけでなく、街の治安を守ったりポケモン関係の問題解決に協力したりするとは聞いた。その中にトラブルのあったポケモンの保護もあったのか。相当な実力がないとなれないジムリーダーに保護してもらうなら、デルビルも安全だ。これで安心して私も旅を再開できる。
 はず、なんだ。
 心配事が消えたはずなのに、胸の奥が小さく軋んだ。コップの中の氷が擦れ合うように、冷えた軋み。デルビルの安全を考えるなら、第一候補の通り話を進めてもらうのが一番だと頭ではわかっているのに。……第一候補? 第一があるなら第二もあるはずだ。それはもしかして。

「第二候補って、私がこのまま仲間にする、だったりしますか?」

 仲間にする。自分で言葉にした途端、胸の奥の氷が溶けた。それで私は、氷が何だったのかを理解する。私は、デルビルと離れるのが寂しいんだ。
 セリシアさんは頷いた。

「ええ、あくまでも今はシロアさんの手持ちという形ですから、あの子を連れて行って頂くのに問題はありません。今回の要点はそこなんです。シロアさんがデルビルをボールに入れたのは、一時的な保護目的と聞きました。あの子が回復した後、どうなさいますか? ジムリーダーに託すか、シロアさんが連れて行くか。どちらを選ぶか、決めるのはシロアさんです」
「私は……できるなら、このまま仲間になってもらいたいって思います」

 ネックレスを握りしめて、自分の気持ちを再確認するように言う。セリシアさんは真剣な顔で聞いてくれた。

「自分で言った事を自分で証明したいんです。悪い人間ばかりじゃないって、言葉だけじゃなく行動で伝えたいんです。でももし、デルビルが私と来るのが嫌だって言うのなら。その時は、予定通り保護してもらう話を進めてください」


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「というわけで。私ね、デルビルを仲間にしようと思う」
『ほう学習能力のない馬鹿か貴様は』

 エアレスと合流するなり呆れられたけれど、私の決意は変わらない。

『奴はいつまた牙を剥くかわからんぞ。傷を増やしたいのか』
「セリシアさんにも危険だからお勧めはできないって言われたけど、でも、ここまで関わったんだから、どうせなら行けるところまで行こうって。エアレスは反対する?」
『反対して聞き入れるのか?』
「……ありがとう」

 私が少しずつエアレスの事がわかるようになってきたのと同じく、エアレスも私の性質がわかってきたみたいだ。盛大な溜め息をつかれたが、私の頭上で落ち着く態勢に入ったので歩き始める。目的地は宿泊している部屋でなく、デルビルの病室だ。
 タブンネ(セリシアさんではない)と入れ替わる形で病室に入ると、足音に反応したデルビルが伏せたまま、こちらを向いた。……向いた?

「目、覚めたんだ! 良かった……」

 包帯と点滴の管は変わらないが、随分と毛並みも良くなっている。安堵のあまり思わず抱きしめたくなる衝動をぐっと堪えた。

『また来やがったのか』

 第一声は唸り声だったけれど、怯むわけにはいかない。バッグから赤と白の球体を取り出して、目の前に掲げた。デルビルの目つきが鋭くなる。一呼吸置いて、言うべき言葉を伝えた。

「デルビル。これは、あなたのボール。あなたを助けるために、私がゲットした。勝手な事して、本当にごめん。不愉快なのはわかってる。でも、助けるためにはこうするしかなかった。……それで、聞きたいんだけど。もしあなたが許してくれるなら、私と一緒に来てほしい。もし嫌だったら……」
『この街のジムリーダーとかいう奴に拘束されんだろ。さっきタブンネから聞いた』

 私の言葉を遮り、デルビルは吐き捨てた。

『どっちを選んでも人間に首輪をつけられるって事じゃねェか。全く、身勝手な人間らしいやり方だな』

 明らかな軽蔑が込められた言葉に、唇を噛んで俯いた。ぐうの音も出ない正論だ。デルビルと一緒に行きたいのはあくまでも私の願い。当事者の意思を捻じ曲げてまで決める権利はない。
 人間嫌いなデルビルにとって、どちらを選ぼうが人間と生きなければいけないのなら、もうそれは選択肢として成立していない。ならばその状況を作り出した、ボールに入れた私を恨むのは当然だ。そんな人間と一緒にいたいわけがない。むしろ私を選ぶ理由がこれっぽっちも思いつかない。やっぱり、デルビルとはここでお別れになるのか。

『……いいぜ、テメェのもんになってやる』
「え?」

 今、なんて言った? 予想していない、けれど期待していた答えに顔を上げた。聞き間違いだろうか。

『何ボケた顔してんだよ。テメェの望み通りにしてやるって言ったんだ』
「デルビル……」
『勘違いするなよ。最悪の選択肢からマシな方を選んだだけだ。だいたい、人間に助けられた借りを作ったままなんざ虫酸が走るんだよ。だから借りを返したらテメェを捨てる。わかったな』

 消去法で、期限付き。普通ならがっかりする答えなんだろうけど、私はどうせ世間一般の感覚とはズレているのだ。まだ人間の中でもマシな方なのだと、思ってもらえたのなら十分だ。

『好きにしろ』

 後はデルビルの好きなようにすればいい。もちろん、もう人を襲わないと約束できるなら。そう言おうとしたら、エアレスに先取りされた。

「それ私が言うことなんだけどナー」
『黙れ主の分際で』
「あいたーっ!?」

 例によって蔓の鞭が飛んできた。蔓がヒットした場所だけでなく、治りかけの傷にも響いて二重に痛い。一応私もまだ怪我人なのに酷い。顔を顰めた私を見て、デルビルは首を傾げた。

『前も気になったんだが、こいつ、人間のくせにオレ達より格下なのか?』
『上なはずないだろう、主は私の下僕だ』

 私の頭上でふんぞり返るエアレス。いや姿は見えないが容易に想像できる。

『なら少しは落ち着いて飼い犬ごっこができるってわけだ。こっちを選んで正解かもな』
「あれ、なんか嫌な予感しかしない」

 鋭い牙をちらつかせるデルビルの表情に、エアレスに近い何かを感じて引き攣った笑いが漏れた。なんという事だろう、これはもしかしなくても、ドS2号が爆誕してしまったかもしれない。


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