04


 この傷で動き回れたのが信じられない。険しい顔のジョーイさんに言われた言葉を思い出す。
 デルビルは、私達が駆けつける前に既に相当痛めつけられたらしい。元々かなり衰弱していて、回復しきっていない内に脱走、更にはあのハンターと遭遇して戦った。たった独りで、あの尋常ではないプレッシャーを浴びながら。結果として外傷だけでなく、前脚の骨折を始め内部器官にもダメージを受けてしまったらしく、集中治療室に入って長い時間が経った。
 あのぎらついた炎を宿した意思の力だけで、デルビルは悲鳴を上げる身体を無理矢理に動かしてきたのだ。激しい炎は、決して明るくはなく何者をも照らさない。ただただ暗い、全てを焼き尽くさんとする憎悪の炎だ。

「……人間ってなんだろう」

 私自身が人間でありながら、人間の事がよくわからなくなってしまった。デルビルの心にも身体にも深い傷を植え付けたり、平気な顔をしてポケモンを物のように扱ったり。自分と同じ生き物のはずなのに、初めて出会う種類もわからないポケモンよりも、ずっと遠くて理解が及ばない存在に思えてきたのだ。

『生き物の内、ポケモンではない生物群の一種。動物界哺乳綱霊長類ヒト科、学名ホモ・サピエンス。貴様の個体名はシロア』
「そういう話をしてるんじゃない! ってかよく知ってもごっ」

 植物の青臭い、苦い香りが口いっぱいに広がった。苦い思いをするってこういう事か。いや絶対違う。 

『研究所にいた時に知った。それより大声を出すな。非常識だろう』
 
 何の躊躇もなく他人の口に蔓を突っ込むエアレスに、常識非常識を説かれたくないのだが、ここは病棟エリアの廊下。確かに騒いでいい場所ではないし、いつ他の誰かが通りかかるとも限らない。原型のエアレスと会話しているのを見られたら、余計なトラブルを招いてしまうかも。
 宛もなく視線を彷徨わせた先で、治療中、のランプが消えた。はっとして立ち上がる。デルビルの治療が終わったのだ。生唾を呑み込み、ネックレスを握り締めていると、静かに自動ドアが開いた。

「あの、デルビルは大丈夫ですか?」

 急かして申し訳ないと思いつつも、聞かずにはいられない。出てきたジョーイさんは少し疲れた顔だったけれど、にこりと微笑んでくれた。

「ええ、一命は取り留めました。シロアさんが機転を利かせて、モンスターボールに入れてくれたおかげです。ひとまずは、命の心配はないでしょう」
「よ、かったぁ……」

 顔から、肩から、全身から、吐き出す息と共に力が抜けた。命の心配はない、それがわかれば今は十分だ。一呼吸置いて、ジョーイさんは言葉を繋げた。

「ですが、数日は絶対安静が必要です。面会もしばらくはご遠慮ください。後は様子を見ながら、デルビルちゃんの生命力に委ねるしかないでしょう。……それと、シロアさん」

 ジョーイさんは私の腕にそっと触れ、優しい顔立ちを辛そうに歪めた。

「ごめんなさい。こんな怪我をさせてしまって。私か、センターの者が探しに行っていればこんな事には……」
「これはっ、私が無鉄砲に飛び出しちゃっただけで、ジョーイさんのせいじゃないです!」

 無策で飛び出し、身の危険を考えず手を出して、代償として怪我を負ってしまった。トウヤにもチェレンにもエアレスにも怒られ済で、結構堪えたのだが、責任を感じられてしまってもこれはこれでいたたまれない。後悔はしたくないが、無謀さは反省しなければ。

「ポケモンを思いやるその心は素晴らしいわ。でも、トレーナーが傷つく事も私達には辛いんです。だからどうか、もう決して無理はしないでくださいね」
「はい……」

 あまり長く続けると私がダメージを受けるのを察してくれたのか、ジョーイさんからの言葉はこれ以上続かなかった。では、と次の仕事に向かうジョーイさんを見送って、途端に腕が疼き出した。

「っ、う……」
『他人の心配より自分の心配をしたらどうだ。優先順位もわからないのか貴様は、馬鹿め』

 いつもなら、馬鹿め、の言葉と共に飛んでくるだろう蔓や尻尾の衝撃はなかった。エアレスの視線は包帯をぐるぐる巻いた私の左腕に注がれている。
 デルビルに噛まれた傷は、自覚以上に重傷だった。手加減なしに噛まれた傷は深いが、まだ運が良かった方らしい。牙がもう少しずれていれば、太い血管や主要な神経を傷つけていたそうだ。矢継ぎ早に行われた外科的な傷の治療、感染症の検査、またデルビル族の炎には毒素も含まれているのでその検査。幸い血清の投与は必要なかった。

「とりあえず、今日はもう部屋に戻ろう……」

 これから何かをする気力も体力もない。私自身も安静にするように言われた身である。エアレスはため息をつき、椅子から飛び降りた。

『全く。旅立ち早々、トレーナーの暴走と怪我で足止めされるとは思わなかった。まだバッジの一つすらないのに』
「ごめん、エアレス」
『謝罪が聞きたいのではない』

 ぴしゃりと遮られ、何も言えなくなってしまう。エアレスは私を見ず、何も言わず、先にどんどん歩いて行ってしまった。
 ――私は、エアレスに捨てられてしまうのだろうか。
 私は私の選択を後悔していない、したくはないけれど、遠ざかっていく小さな背中を見ると息が詰まりそうだった。置いて行かれないように、慌てて後を追う。
 部屋に戻るまでの廊下が、果てしなく遠い。


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 部屋に戻っても、気まずい空気は消えない。むしろ閉じられた空間だからこそ、余計に気まずさが増してきた。

「……エアレスは。私についてきた事を後悔してる?」

 ベッドの端、窓辺から差し込む光が照らす場所に、エアレスは黙って座っている。いつまで経っても別れ話を切り出される気配がないので、思い切って声をかけた。
 振り返ったエアレスの、もともと吊り目の眼差しは、余計に吊り上がって見えた。

『思い上がるな主の分際で』
「えっ酷い」

 開口一番、いつもの調子で言い放たれたので、私もつい反射的にいつものように返してしまった。エアレスは尻尾をぱたりぱたりと打ち付ける。

『貴様は私の経歴を知っているだろうが。貴様に愛想を尽かしたならば自分の足で出て行く。まだ見切りをつけていない。それより主、他に言う事はないのか?』

 見限られるのではないかと不安だったのだけれど、どうも違うらしい。しかしこうなるとエアレスの考えが、求めている事がわからない。謝罪が聞きたいわけじゃないと言われたし、他に何があるのか。……いや待てよ。私は、今一番近くにいる存在に、一番伝えなければならない言葉を伝えていないじゃないか。どうして頭から抜け落ちていたんだろう。結局、私は自分の事しか考えていなかったんだ。

「エアレス。助けてくれて、心配してくれてありがとう」

 頭に血が昇った私の代わりに状況を見て、忠告をしてくれた。あのハンターに敵わないと判断したのに、危険に飛び込んだ私を見捨てず支えてくれた。助けたい一心とは言え周りが見えなくなった私に、冷静になるよう促してくれた。エアレスはパートナーとして十分過ぎるくらい私を気にかけてくれていたのだ。その気持ちに応える感謝は、言葉にしないと伝わらない。

『遅いぞ間抜けめ。いくら私でも、自分のトレーナーを危険に遭わせたいわけではない。主を換えずに済むなら、それが一番だ』

 微妙な変化だが、エアレスの表情が和らいだ。私が釣られてへらりと笑うと、エアレスは大きく瞬きをして、澄まし顔に戻ってしまった。ちょっと勿体ないが、詰まるような空気はもう消えていて、息がしやすい。

「……ねぇ。エアレスは。なんで私を気に入ってくれたの」

 今なら、訊ける気がした。

『……訊いてどうする』
「単純に気になるってのもあるけど。でも、エアレスがついてきてくれた理由を知っておけば、私はその部分を大切にできる。エアレスの事を知るきっかけにしたい」

 エアレスの隣に腰掛けると、スプリングが穏やかに軋んだ。どうせ今日はもう予定はないのだ。ゆっくり話をする時間にしてもいいだろう。
 日差しを浴びて光合成でもしているのか、エアレスからほんのり森の薫りがする。私にはとても安心する匂いだ。

『……ただの暇潰しだ。研究所で暇を持て余していたのでな、また旅立ってやるのも悪くないと。ちょうど良いところに主がやってきただけだ』
「うそん」

 さらりと告げられた理由に思わず肩を落とす。シンプルかつ軽い理由だった。どんな理由だとしても私を気に入ってついてきてくれたのなら嬉しいのだが、これは素直に喜べない。ずっこけた私を面白そうに眺めて、エアレスは続けた。

『最後まで聞け。最初は、ポケモンと話せる人間に興味が湧いた。人間が強いポケモンや珍しいポケモンに関心を持つように、珍しい貴様に関心を持った。だが、主はその力を差し引いても変わった人間だ。少々攻撃しても私に敵意を持たないどころか、襲ってきたデルビルも助けようとする。トレーナーのポケモンとして経験のある私に頼りきろうとせず……機械操作は別だが、成長しようという意思を感じる。ポケモンと人間の区別をつけない考え方も、他の人間とどこか違って興味深い。だから、長続きさせてみたいと思えた』

 最初はどうかと思ったものの、続けられた言葉は案外しっかりとしたもので。綿に染み込む水のように、私の中に浸透していく。出会いは偶然で、興味を持ったきっかけも物珍しさからだったとしても、今私と一緒にいてくれる理由は、見限らずにいてくれる理由は私の行動の積み重ねだった。

『トレーナーを替えているが、私はトレーナーのポケモンとして高みを目指すのが目標だ。主となら或いは、私が目指す強さを手に入れられるかもしれない。少々頑固で危うい部分もあるが、そこは私が面倒を見てやろう。何より主といると飽きない、弄り甲斐がある』
「うん、最後の一言がなければホロリとしてたよ。でも、ありがとう」

 エアレスの私に対する言動から、一番最後の部分が占める割合もかなり高そうだが、それはこの際置いておこう。私は姿勢を正した。

「あのね。私、もう絶対無茶はしない……って、約束はできないかもしれない」
『そこは言い切らんか馬鹿主』
「迷惑をかけるかもしれない。でも、エアレスが私についてきてくれた選択を、後悔させないようにするから。だから、これからも私と一緒にいてほしい」

 改めて私も思いを口にする。夕焼け色の瞳を瞬かせたエアレスは、今度こそしっかりと笑顔を見せてくれたのだ。


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