02


「夢の跡地に、奴等が狙っているポケモンがいると聞いて来てみたが……このポケモンか? まあ、違ったとしても“当たり”か」

 少し開けた場所に立っている二人の人影。黒いコートに黒髪の、全身影のように黒づくめの男性と、白銀の長髪を風に流した女性。どちらも背が高く、ただ者でない雰囲気を纏っている。そこにいるだけで、空気がピリピリとひりつくような。爆発音はあの二人が原因とみて間違いないだろう。
 女性が足元を覗き込み、口を開いた。

「ボス、このポケモンはデルビルよ」
「――!」

 息を呑んだ。タブンネが言っていた。このイッシュ地方に、デルビルはほとんど生息していないという。更にここに来るまで、道を尋ねたポケモンの誰もが、デルビルという種族を知らなかった。つまり、同じ種族のポケモン違いである可能性はほぼない。
 ここは……風下だ。向こうの音は聞こえるが、恐らく向こうからはこちらの音は聞こえにくいはず。細心の注意を払って忍び足、もっと良く見える位置に移動した。森育ちの経験がこんなところで活かせるとは。森の中で、ポケモン達とかくれんぼをして遊んだ記憶を思い出す。今は楽しさとは真逆の心持ちだけれど。冷や汗がこめかみを伝う。
 二人の足元に、見覚えのある黒い姿が蹲っている。網のようなものをかけられ、動けないようだ。

「イッシュにはあんまりいないポケモンね。タイプは炎と悪タイプ。こいつの吐く炎には毒素も混ざっているわ。本来群れで生活するポケモンだけど、ここに仲間はいないみたいね。好都合だわ」

 女性はポケモンに詳しいのか、デルビルのタイプを言い当て、簡単な説明までしてみせた。男性が相槌を打つ。

「ほう。珍しいし、多少傷アリだが戦闘能力が高そうだ。良い金になるだろう、そう思わないか?」
「ボスの言う通りね。水タイプにも怯まずかかってくる辺り、戦闘用としてなら売れるわよ。むしろ傷アリの方が威圧できて付加価値になるかもしれないわね」

 寒気のする会話だった。そしてわかった、あの二人、ポケモンハンターだ。
 お父さんから聞いた事がある。ポケモンハンターは、非合法な手段でポケモンを捕らえて売り捌く人間達。比較的珍しい種類のルカリオであるお姉ちゃんも、昔狙われたらしい。話には聞いていても、どこか遠い世界の、実体を持たない悪者という認識でしかなかったポケモンハンター。こんな身近に潜んでいるなんて思いもしなかった。私の生きてきた世界がいかに狭かったかを痛感する。
 トレーナーもポケモンを捕まえはするが、基本的にポケモンの同意がある。モンスターボールは、強制的にポケモンを閉じ込める道具では決してない。ポケモン側が、トレーナーの力を認める。このトレーナーになら、ついて行っても良い。そういった意思が僅かでもない限り、ポケモンはいつでもモンスターボールをこじ開け、破壊し、トレーナーから離れる事ができるのだ。例えば私の隣にいる、エアレスのように。
 だけどポケモンハンターの使う道具や手段は、ポケモンの意思とは関係なく捕獲してしまう。無理矢理捕まえられたポケモンは命も感情もない物のように、値段をつけられ取引されて、その先は――。もしかしたら、デルビルが人間を嫌い、憎むようになった原因もポケモンハンターが絡んでいるのだろうか。

「ビショップは良い事を言う。しかし、同族を売るのに躊躇いひとつないとは。恐ろしい」

 ボスと呼ばれた男性が返す。恐ろしいと言いつつ、全く表情に変化はない。同族、という事はビショップと呼ばれた女性は擬人化したポケモンだろうか。見える範囲に原型の名残がないため、判断が難しい。仮にポケモンだとすれば、ポケモンハンターに協力するポケモンがいるなんて、と少なからずショックを受けた。

「やっだぁ、わたし達をこんなケダモノと一緒にしないでちょーだい」

 表情も口調も変化に乏しいボスと違って、ビショップは感情表現がはっきりしている。ボスの腕に絡み付いて、まるで甘えているように。恐怖で無理矢理従わされているならともかく、自ら進んでハンターの元に留まっている風にしか見えない。しかも、ビショップは『わたし達』と複数形を使った。他にも同様にハンターに協力しているポケモンがいるのだ。信じられないし信じたくないが、目の前で起きているのは紛れもない現実だった。いっそ、夢の跡地という名前が示すように、夢であれば良かったのに。
 エアレスを見ると、普段の余裕は消え去り、張り詰めた表情で彼らを睨んでいた。

「エアレス、どうしよう……」
『闇雲に動くべきではない。手を出すにしろ、身を引くにしろ、もう少し様子を伺うべきだ』

 草葉が擦れ合うような微かな声でエアレスが言った。私としては身を引く選択肢なんてないのだが、何度も声を出しては気づかれてしまうリスクが高まるだけ。頷いて、再び空き地を覗いた。

『ふざけ、やがって……!』

 じっとしていたデルビルが動き出した。網の中でデルビルは技を使おうとしているのに、炎は口元を照らすだけで形にならず、黒い波導は一瞬全身を包むだけで霧散してしまう。牙を突き立てても、網は破れる気配もなかった。

「無駄な抵抗はおやめなさいな。この網はわたし達特製の封印ネット。技は全て使えないわ」

 ビショップが嘲笑の混じった声で話しかける。それでも、デルビルはもがくのをやめなかった。地を這うような唸り声が、憎悪を込めた呪詛を吐く。

『殺す、絶対ぶっ殺してやる……』
「黙りな」
『……ッ!』

 笑みを消したビショップが、デルビルを蹴りつけた。反射的に飛び出そうとしたが、エアレスの蔓が巻きついて動けない。エアレスを見れば首を横に振る。
 どうして、止めるの。問い掛けるのももどかしく、蔓を振り切ろうと引っ張った。私とエアレスでは全く体格が違うのに、ポケモンとの力の差は歴然で、巻き付いた蔓はびくともしない。
 蹴られたデルビルは呻いたが、すぐにまた唸り始めた。

「ボス、こいつ、この状態でもまだやる気よ? 静かにならないわね」

 ビショップは何度もデルビルへ足を振り下ろした。ヒールのかかとを、尖った爪先を、躊躇なく動けないデルビルに叩き込む。鈍い打撃音の度にデルビルは一瞬息を詰まらせるが、意地でも唸り声を上げ続ける。
 目の前で繰り返される暴力に、急激に世界から現実味が消えていく。嫌な熱が頭に集まってくるのに、血の気が引いたように眩暈がした。
 私は何もできないの? 助けたいと言っておきながら、痛めつけられるのを黙って見ているしかできない。沸き上がる怒りはどこにも向かいはせず、ただ私の無力さを浮き彫りにして、じりじりと焼き焦がすだけ。おまけにエアレスが蔓で私を引っ張り始めた。この場から離れさせる気だ。

『主。私達では無理だ。街に戻ってジュンサーにでも知らせるべきだ』

 行き場を見出せずにいたどす黒い感情が、あまりにも静かに告げるエアレスへと牙を剥いた。

「そんな時間ないよ! あんなのを見て、エアレスは助けたいと思わないの!? エアレスは、」

 頭に血が上っている、とは今の私のような状況を指すのだろう。非難の言葉は、形になる前にエアレスに断ち切られた。 

『助けたいと助けられるは違う。ここで飛び出して、万が一あのデルビルのように技を使えない状態にされれば、貴様は何ができる? 私の蔓も振り払えない貴様が、ポケモンの力なしに二人を相手どれるのか?』
「それはっ……!」
 
 言い返そうと開いた口は空気を食むだけで、何の言葉も出てこなかった。エアレスの考えは全て真実で、私の考えは所詮理想で。言葉を探して視線を彷徨わせて、はっとして口を噤む。固く握り締めたエアレスの手から血が滲んでいる。悔しい思いをしているのは、己の無力さを味わわされているのは、私だけじゃない。その上でエアレスはただ冷静に、状況を見て判断しているだけ。
 頭に集まった熱は、始まりと同じように急速に冷えていった。私は、エアレスにとても酷い事を言ってしまうところだった。無力な自分への苛立ちを、同じ思いを抱くエアレスにぶつけようとしたのだ。
 エアレスは過去にトレーナーを捨てた経験がある。一歩間違えば、私も、エアレスにとっての過去のトレーナーの一人になってしまったかもしれない。
 怒りを叫んだものの風下の小声だったからか、幸いハンター達には気づかれていなかった。けれど、状況は更に悪化するばかりだった。

「はあ。闘争心は結構だが立場をわかっていないな。ポーン、出てこい」

 心底面倒臭いとでもいうようにボスは溜め息をつく。腰のボールを放り投げた。
 ショップでも見た事のない濃い灰色のボールが割れ、出てきたのは頭に水色の房を持ち、二足歩行の猿型ポケモン。あれは確か、ヒヤップだ。
 ビショップと同じようにハンターに協力的かと思えば、ヒヤップは落ち着かなげにデルビルとハンターを交互に見ている。明らかに怯えている様子だった。

「ポーン、塩水だ。零距離で当てろ」

 ボスは淡々と、足元で震えていたヒヤップ、ポーンに命令する。ポーンはすぐには動かなかった。

『あの、これ以上攻撃したら、危ないです……』

 消え入りそうな声だった。どんな効果の技なのかわからないけど、瀕死の炎タイプに零距離で水技を当てるなんて、確かに命に関わる。しかし、ポーンの決死の抗議をビショップが否定した。

「大丈夫、このネットにはこらえるの力も入っているわ。死にかけるだろうけど死にやしないわ」

 原型ポケモンの言葉に応えたので、ビショップが擬人化したポケモンであるのがこれで確定した。ポーンは一歩後退る。

『死にかけるって、そんな……!』
「やりな。それともあんたがこのデルビルと同じ目に合いたいのかしら?」

 ビショップのヒールがひび割れたタイルを打ち、欠片を飛ばす。ポーンは大きく身体を跳ねさせて、のろのろとデルビルに向き直った。

『わかり、ました……ごめんなさい、デルビルさん……』

 現実を閉め出すように固く目を閉じて、ポーンは大きく息を吸い込んだ。


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