02


 やっと辿り着いたサンヨウシティのポケモンセンター。受付のジョーイさんは、泥だらけで飛び込んできた私を驚いたような目で見つめ……なかった。ロビーには既に、私と同じように急な雨に降られびしょ濡れになったトレーナーと、彼らにタオルを配るタブンネや床を拭くタブンネでごった返していたからだ。私にも同じようにタオルを持ってきたタブンネは、私の腕の中の黒いポケモンを見て顔色を変えた。

『このポケモン……ドクター、大変です!』

 タブンネは私の背を柔く押して、カウンターに誘った。タブンネの言葉ではなく態度で状況を察知したジョーイさんは、身を乗り出して私が抱えているポケモンを診てくれた。

「まあ、酷い傷……どうしたの?」
「急に襲われたので、戦ったんです。でも、元々弱っていたみたいで……ゲットしていない野生のポケモン、なんですけど、治療してもらえますか?」

 まだ息は整わないが、伝えるべき言葉を絞り出す。激しい呼吸を繰り返したせいで喉が痛い。ジョーイさんはゆっくり頷いた。

「もちろんよ。では、お預かりしますね。あなたのポケモンも回復させますか?」

 そうだ、さっきの戦闘でエアレスもダメージを受けてしまったのだ。しかも苦手とする炎タイプの攻撃だった可能性がある。ベルトからボールを外し、一緒に渡した。
 黒いポケモンとエアレスのボールを預けてしまうと、一気に緊張が解けた。走り過ぎて膝ががくがくするし、まだ喉の痛みは治まらない。崩れるように手近なベンチに座って、酷使した身体を労わった。こんな全力疾走をしたのは久しぶりか初めてかのどちらかだ。

『はい、タオルどうぞ』
「ありがとう」

 付き添っていたタブンネは私にタオルを被せて、仕事に戻って行った。その背中にお礼を言う。この程度のやり取りなら、人間にもポケモンにも不審には思われない。
 外では黒い雲が流れ、街路樹が揺れ、それらの風景を切り取る窓は雨粒でぼやけていた。髪や肌の水分を柔らかいタオルに移動させながら、呼吸が落ち着くのを待つ。脳裏に浮かぶのはあの黒いポケモンの事。
 黒いポケモンは、どんな理由があって私を襲ってきたのか。エアレスが側にいてくれたし、戦っている時の緊張感でさっきは気づかなかったけれど。紅くぎらつくポケモンの眼光を思い出し、今更ながら背すじが寒くなった。
 あの時私は、生まれて初めて、誰かから明確な敵意を向けられた。いや、首に食らいつこうと狙ってきたのを考えると、もはや殺意に近い。ポケモンセンターへ連れて行こうとした私に、エアレスが正気かと聞いてきたのは嫌味でも何でもなかったのだ。ゆっくりと、一歩間違えば牙が食い込んでいただろう首に手を当ててみる。手の平の下で、ごくりと波打った喉は熱い。違う逆だ。指先が酷く冷たい。この冷たさはきっと、雨に濡れただけが原因じゃない。
 第一、私はあのポケモンを知らない。自分で言うのも何だが、短い人生の中で誰かから恨みを買うような事をしでかした覚えもない。だからあんな殺意を向けられる心当たりは全くなくて、怖さ以上に不可解だという感情が強い。あのポケモンは何を思っていたんだろう。
 私の頭の中には答えの用意されていない問いを、何度も繰り返す事はなかった。さっきのタブンネが戻ってきたかと思えば、擬人化して私の隣に座ったからだ。青く透き通る瞳は、あの黒いポケモンの目と正反対の慈愛を湛えていた。

「自分を襲ったポケモンなのに、見捨てずにポケモンセンターに連れてきてくれてありがとう。あなたのようなポケモン想いのトレーナーの力になれるのが、私達は何より嬉しいんです」

 タブンネは胸に手を当て、微笑んだ。擬人化したのは、直接お礼の言葉を伝えるためだったらしい。タブンネという種族の特性なのか、優しい声を聞いているだけで、指先に体温が戻ってきた、ような気がする。寒気はもう感じない。

「いえ、放っておけなかったので……。あのポケモン、何て種類なんですか?」
「知らないのも無理はありません。あれはデルビルといって、イッシュ地方ではとても数の少ないポケモンなんです。ただ……」

 タブンネは言い淀んだ。水晶のような瞳に影が差す。

「ただ?」

 途切れた言葉を拾い上げて、続きを促してみる。一体そのデルビルというポケモンに、何があるのか。

「……いえ、なんでもありません。あの子の治療が終わったら、お呼びしましょうか?」

 影はすぐに消えて、顔を上げたタブンネは最初に話しかけてくれた時と変わらない。これ以上聞いても答えてくれないだろう。

「はい、お願いします」

 追及するのは早々に諦めて、代わりに示された選択肢に飛びついた。
 デルビルと話をしたい。どうしてもデルビルには聞きたかった。何があったのか、何故襲ってきたのか。タブンネが言わなかった言葉の先も、本人と話せば何かわかるはずだ。このままポケモンセンターに預けっぱなしで先に進んでは、ずっと疑問が後を引くだろう。きっとこの先の旅に集中できない。そしてデルビルからどんな感情を向けられていようとも、助けようと手を出したのは私の判断だ。だから、もう少し、関わっていようと思うのだ。


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