08


 プラズマ団の姿が見えなくなって、私は大きく息をついた。そこで漸く、自分が演説の間ずっと息を詰めていたことに気づく。

「今の演説……わし達はどうすればいいんだ?」
「ポケモンを解放って、そんな話有り得ないでしょ! ……そうだよね?」
「ねぇ、ルアはどう思う? 私、ルアを解放した方がいいのかなぁ……」
「なんてことだ……プラズマ団の、ゲーチスさんの言う通りだ……」
『俺は好きで親方と働いてんだ! なあわかってくれよ!』

 演説者がいなくなっても、広場には動揺と混乱が満ちている。ゲーチスさんの投げ入れた小石は波紋を作るだけでは飽き足らず、感情という水を吸って膨れ上がり、重く深く心の中に沈んでいくようだった。去っていったプラズマ団を追いかける人も、少なからずいた。
 まだ嫌な冷たさが身体の奥から抜けてくれない。気持ち悪くて、私は広場の隅の人気ないベンチを目指した。
 ポケモンを解放する、か。歩きながら、半ば自動的にゲーチスさんの話を反芻する。演説を聞いていた時は、私もゲーチスさんの声に呑まれていたせいか解放という言葉に疑問を感じなかった。けれど、そもそも何故人間から解放する、なんて一方的な言い方になるのか。
 私にとって、ポケモンは家族であり友達だ。それを私から一方的に縁を切ろうとするなんて、有り得ない、できない。相手の感情は丸きり無視じゃないか。しかし周囲の声を聞いていると、解放という行為に疑問を抱く人はいても言葉に疑問を抱いている人はいないようだ。私が気にし過ぎているだけなのか。こういう所で世間一般との感覚の違いが浮き彫りになり、余計に胸の奥が重くなった。
 やっとベンチに辿り着く。腰を下ろすと、入れ替わるように頭上からエアレスが降りた。未だざわつく広場の中心を黙って見つめている。
 そうだ、私自身のことばかり考えていたが、エアレスにはどのように聞こえたのだろうか。
 エアレスは以前トレーナーがいたと聞いたが、その詳しい経緯は聞いていない。嫌なトレーナーを振り切って、自由を求めたのだとしたら? それを、研究所に所属していたポケモンというだけで、再び私のようなトレーナーに、人間に押しつけられてしまったのだとしたら? 歩み寄りたいと思っているのは私だけで、エアレスはこの関係を切り離したいと考えているとしたら?

「ねぇ、」
『全く。馬鹿馬鹿しい。擬人化したポケモンは洗脳でもされて肯定的な意見を言わされている? 我々を見くびるな、人間如きが』

 拒絶は怖いが、聞かないわけにはいかなかった。声をかけようとすると、タイミングを同じくしてエアレスは毒づいた。不愉快を顔に貼り付けたまま、私を見上げる。透き通った朱色の瞳は、しかし奥まで見透かせない。

「……何、エアレ痛っ!」

 ばっちん、何の脈絡もなくエアレスの蔓が振り下ろされ、私の脳天にクリーンヒット。頭を抑えても霧散した空気と思考は戻らず、ただ痛みだけが確かにここにあった。

「何で……私、何かした!?」
『少し腹が立った。私が貴様に洗脳され、従わされ、こき使われていると、周囲に見られているかと思うとゾッとする。私が主を下僕にしてやっているというのに。よって憂さ晴らしと立場の確認のため引っ叩いた』

 理不尽だ。すごく理不尽だ。有り得ない。何この緑の暴君。涙目で睨むともっと鋭い目つきで睨み返された。脳天を支配する熱が、痺れになって全身に広がっていく。――痺れ?

「まさか……蛇睨み……」
『主の割によくわかったな。その辺りは褒めてやる』

 痺れた身体では姿勢を保てず、ずるずるとベンチから滑り落ちて芝生の上に転がった。待ち構えていたかのように、エアレスは私のお腹の上に飛び乗った。ぐえ、と情けない声が出た。

『私は自分の意思にしか従わん。自分の意思でここにいる。妙な心配をして私を侮辱してくれるなよ、主。貴様を気に入ったと言ったのはこの私だ』

 私の心配にエアレスの力強い声が降りかかる。これは、遠回しに不安を払拭しようとしてくれている、のかもしれない。一応双方向で成り立っている関係だと断言されてほっとしたが、欲を言うならもう少し普通に伝えてほしい。

「キミのポケモン……今、話していたよね? キミもポケモンと話せるのかい?」
「え!?」

 不意に知らない声に話しかけられて、必要以上に驚いてしまった。というかこの状況で話しかけてくる人がいるなんて。私、まだ地面にごろりして上にエアレスが乗っかっているんだけど。
 痺れた首を動かして声の方を見ると、私と同じか、少し年上の青年が立っていた。白と黒の帽子を目深に被り、萌黄色の――さっきのゲーチスさんよりも濃い色の髪を長く伸ばしている。陰になった表情は読み取れないが、真っ直ぐ私を見つめていた。
 ここで、ポケモンと話せると肯定してはいけない気がする。知らない人に秘密を喋ってはトラブルの元だ。何と返せばいいか考えている間に、口を開いたのはエアレスだった。

『貴様は……人間か。キミも、とは、まるで貴様がポケモンと話せるような言い草だな』

 棘のある声音は、警戒心を隠そうともしない。例え鳴き声としか聞こえていなくても、友好的ではないことぐらい伝わるのに、青年は怯む様子もなかった。

「そう、話せるよ。ボクはトモダチの言葉がわかる」

 それどころか驚いたことに、エアレスと滞りなく言葉を繋げた。見た目には擬人化したポケモンらしい特徴はなく、エアレスの目にも相手は人間に見えるらしい。私以外にも、原型と話せる人間がいたなんて、世界は広い。

『貴様とトモダチなどになった覚えはない。そもそも私は貴様の名前すら知らん』
「ああ、自己紹介が遅れたね。ボクはN。よろしくツタージャ。そのトレーナーも、キミと話せる力があるんだね」

 私そっちのけでエアレスと話を進めていく、Nと名乗る青年。
 本来なら、同士がいて嬉しく思うはずだ。同じ特異な能力を持つ者同士、親しくなれるかもしれない。だけどどうしてだか、私も同じ能力を持つと伝えるのは憚られた。それはNさんにどこか奇妙な雰囲気を感じたから。
 ニヤリと笑ったエアレスの、何か企んでいるような表情。だめだバラされてしまう、でも今止めたら、私がポケモンと話せると肯定しているようなものだ。アイコンタクトを送ってみたが、エアレスはこちらを見ない。

『私が主と話しているように見えたか? 会話とは互いにボールを投げ合うキャッチボールではないか。私は主を的にボールをぶつけて楽しんでいるだけだ。この状況を見て、相互理解が進んでいるように見えるなら、貴様は相当世間知らずだ』

 ……酷い言われようだけど、これは庇ってくれているみたいだ……それにしても酷い言われようだけど。Nさんも考え込むように顎に手を当てた。

「む……確かに、キミ達の関係は他のトモダチとは違うみたいだね。キミがトレーナーに話を合わせていただけ、か」

 そこ、あっさり納得しないでほしい。いや誤魔化せたのは良いのだが、いまいち腑に落ちない。

「おいっ、シロアに何してるんだ!」

 今度は知っている声が、怒気を滲ませて耳に飛び込んできた。この声は我が幼馴染みのトウヤだ。

『きゃー、女の子を苛めるなんて最っ低!』

 トウヤと一緒にいた、確か慈水という名前のミジュマルも声を荒げ、ホタチを手にNさんを睨みつけている。
 何か、勘違いされている。トウヤと慈水は、私がNさんのせいで地面に転がっていると思っている。まさか自身のパートナーが原因で醜態を晒しているなんて、真っ当な信頼関係を築き始めた二人には思いもつかないだろう。

「違う、これはエアレスがもがっ」

 唯一自由になる口を動かして状況を説明しようとしたら、口の中に蔓が突っ込まれた。垣間見えたエアレスの目は非常に輝いていた。勘違いされていることに気づいて、尚且つ状況を楽しむ気だ。
 その間にもトウヤと慈水と、Nさんの間に流れる空気は張り詰めていく。

『大丈夫よトウヤのお友達、私がカタキを取ってあげるからね!』
「そうか、キミはトウヤというんだね。キミのポケモンの声も、聞かせてもらおう」
「何故俺の名前を……!? いや、今はそんな話をしている場合じゃないな。慈水、やるよ」
『もっちろんよ!』

 慈水が前に出て、Nは腰のボールを放った。中から現れたのは、私もよく知るポケモンであるチョロネコだ。

「頼むよ、チョロネコ。引っ掻くだ!」

 Nさんが指示を出し、チョロネコは爪を剥き出して慈水に襲いかかる。取り立てることもないバトルの風景に、ふと違和感を覚えた。

「慈水、ガードして水鉄砲!」
『絶対負けないんだから! トウヤのために! お友達のために!』

 慈水はホタチで爪を受け止め、弾き、隙のできたチョロネコに思いっきり水鉄砲を放った。私の方まで水飛沫がかかるような威力に、チョロネコは大きく吹き飛ばされる。

「チョロネコ!」

 Nさんがチョロネコの名を呼ぶ。ああ、違和感の正体はこれだ。

「……名前がないの?」

 人間と暮らすポケモンには固有の名前がある。私達人間同士で相手を人間と種族名で呼ばないように。野生のポケモンと区別し、無数に存在する同種の中から唯一無二の存在である証として名前を与える。人間からポケモンへの最初の贈り物であり、絆を結んだ証である名前。それがNさんのチョロネコにはない。

「ありがとう、もういいよ、チョロネコ。……名前は、トモダチを縛りつける枷にしかならない」

 私の口にした疑問は聞こえていたらしい。ふらつきながらも、まだ戦える状態のチョロネコをボールに戻したNさんは、私を一瞥する。

「名前なんて、トモダチをモンスターボールに閉じ込めた象徴、烙印の最たるものだ。ボクもトレーナーだがいつも疑問で仕方ない。ポケモンはそれでシアワセなのか、って」

 無表情で早口に紡がれるNさんの思想。プラズマ団が、ゲーチスさんが掲げていた主張とよく似ているが、それよりももっと根深い、信念のようなものを感じられた。私はポケモンをトモダチと呼ぶ点ではNさんに共感できるが、人間と生き、名前を持つポケモンが全て不幸であるかのような考えには同意できない。エアレスが苛立ったように蔓を地面に打ちつけた。

『シアワセか、だと? 少なくとも、私は好きでこいつを従えている。貴様にとやかく言われる筋合いはないわ』
「トレーナーを……従える? そんなことを言うポケモンがいるのか……」

 Nさんが理解できない、という感情を顔と声に貼り付けるが、無理もない。この件については私だって自分の身に起きるまで信じられなかったし、思いつきもしなかった。あと初対面の相手に明言されるのも予想外である。
 Nさんは何か考えているようだったが、すぐに帽子を深く被り直し、私達に背を向けた。もうバトルしたトウヤにも、私にも興味を失ったらしい。どこにも目を向けず、恐らく自分の考えを見つめながら、広場の外へ歩き出した。

「どの道、モンスターボールに閉じ込められている限り……ポケモンは完全な存在になれない。ボクは、ポケモンというトモダチの為、世界を変えねばならない……」

 去り際に、そんな呟きが聞こえてきた。トウヤも慈水もNさんの気迫に押されて、引き止められないようだった。いつの間にか広場の人々は散り、残されたのは私とトウヤとお互いのパートナーだけになっていた。
 ……ところで、私はいつまで芝生の上に寝っ転がっていればいいのだろうか。


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