07


 トマトベースのスープを一口。優しい甘味と酸味の中に煮込まれた野菜の旨味が融け合って、身体の芯まで染み渡っていくよう。ほう、と息をつけば、温もりと入れ替わるように眠気と気怠さが逃げていった。
 約束通り、ベルと共にする朝食の時間。この先それぞれのペースで旅を進めれば、一緒に食事をする機会は滅多にないだろう。私もベルもはっきりとは口にしなかったが、どこか名残を惜しむように食事と空気を味わっていた。

「あたしも、ぶーちゃんとお話ししてみたいなぁ。シロアが羨ましいや」

 トーストにイチゴジャムを塗りたくりながら、正面に座ったベルが言った。

「擬人化できるようになれば、誰でも話せるんだけど、どうしても無理ってポケモンもいるしね……でも私から見れば、言葉が通じなくたって、ベルとぶーちゃんは気持ちが通じてるように見えるよ」

 これは本心だ。二人の仲はとても良いし、ほんわかマイペースなベルと頑張り屋なぶーちゃんは相性ぴったりだと思う。けれど、これは私がポケモンの言葉がわかるから言えることであって、鳴き声としか聞き取れない人から見れば、その場しのぎの慰めにしかならないのだろうか。しかし、長所にできるほど素直な心のベルは、私の言葉をそのまま受け取ってくれた。

「そぅお? だったら嬉しいなぁ。でもやっぱりぶーちゃんの気持ちを直接聞けたら、あたしはもっとぶーちゃんに近づけると思うんだ」
『ベルちゃん……! オイラもいつかベルちゃんとお話ししたい! 絶対擬人化できるようになるからな!』

 足元でポケモンフーズを頬張っていたぶーちゃんが、ベルの言葉に勢いよく顔を上げた。力強い眼差しは、内に秘めた炎が浮き上がってきたかのように燃えている。

「ぶーちゃん、張り切ってるねぇ。ひょっとしてあたしとお話ししたいって、言ってくれてるのかな?」
「うん、合ってる合ってる」
「えへへ、ありがとう、ぶーちゃん」

 微笑ましい。眩しい。ちょうど窓から朝日が差し込んでいるのを抜きにしても、二人の周りが輝いて見える。ベルとぶーちゃんのコンビは、私にとって癒し枠になりつつあった。

『張り切るのはいいがフーズを零すな、豚』

 その癒しに割って入る、我がパートナーの声。実際、ぶーちゃんが顔を上げた時に盛大にフーズが飛び散ったのだが、このタイミングで指摘しなくてもいいじゃないか。

『豚じゃない! オイラの名前はぶーちゃんだ! ベルちゃんがつけてくれた大切な名前だぞ、覚え――』
『わかったから大人しくしろブーチャン、余計に散らかる』

 急に騒がしくなった足元。「ぶーちゃん、シロアのツタージャと仲良しだねぇ」と、アララギ博士のような感想を零すベルに、夢を壊さないように通訳はしないでおいてあげた。


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 食後、ベルはフレンドリィショップで買い物をするのだと言い、私は不足している道具もないので別行動となった。というか、資金に余裕がない。テレビ電話の使い方指導代は安くないのだ。とりあえずはカラクサタウン周辺でバトルの特訓、できるならトレーナーと戦って、賞金をもらいたいところである。ただいきなりトレーナー戦は遠慮しておこう、エアレスはバトル慣れしていそうだったが、私の方が慣れていない。そしてお昼ご飯という名の報酬をエアレスに支払い、夜までにサンヨウシティを目指す――。よし、今日の予定はこれでいこう。

「なんか広場で始まるらしいぞ!」
「ああ、朝から色々と設置してたみたいだ。有名人でも来てるのかな?」
「んじゃ、ちょいと行ってみるかね」

 街の広場に差しかかった時だ。わいわい話しながら駆けて行く人達に追い抜かれた。後ろ姿を目で追えば、なるほど前方に人だかりができている。有名人なら私もお目にかかりたい、旅の思い出は多い方が良いに決まっている。

「何かな、行ってみようか」
『構わんが、せいぜいトラブルを起こさないことだ』
「エアレスと一緒に、……行きたいねー」

 一緒にしないで欲しい、と言いかけて、すぐ傍に人がいる事に気づいて急いで言い換えた。この距離で原型のエアレスと話している姿を見られるのは危ない、言われた傍からトラブルを起こすところだった。『気持ち悪い』と尻尾でどつかれたが今は我慢だ。いつも我慢してるけど!
 流れに乗った先、広場のステージの周りには、PとSの文字があしらわれた旗が等間隔で掲げられていた。はて、このロゴ、どこかで見た覚えがあるのだが思い出せない。アイドルだったら私は疎いのでわからないが、ステージに楽器は見当たらない。代わりに銀色がかった青のフードを被った集団がステージの向こうで控えていた。パフォーマー集団だろうか? ひとまず端の方に落ち着き、成り行きに任せる。広場には続々と人が集まりつつあった。
 広場が埋まった頃。男性が一人ステージに上がってきて、騒がしかった空気はたちまち静まり返った。それはこれから始まる何かのために敢えて口を閉じたのではなく、むしろ自然と居住まいを正してしまうようなオーラを男性から感じたせいだろう。少なくとも私はそうだ。
 萌黄色の髪を伸ばした男性は若くはない。思慮深そうとも、厳格そうとも、或いは狡猾そうともとれる表情を称え、厳かな仕草で中央の演台に立つ。威圧感すら覚えるほど背が高く、身に纏うローブには奇怪な目玉模様が浮き上がっている。それが一層、男性の異様な雰囲気に拍車をかけていた。男性は一礼して口を開いた。

「本日はお集まりくださり、ありがとうございます。ワタクシの名前はゲーチス。プラズマ団のゲーチスです。まず、プラズマ団をご存知ない方々に簡単にご説明すると――」

 恐ろしげな外見に反し、口調は丁寧で耳馴染みの良い低音だった。プラズマ団の名前は聞いた事がある。ポケモンライツ、ポケモンの権利を尊重し、ポケモンの保護を行なっている団体だと前にテレビで紹介されていた。そうか、あの旗はその時に見たのだ。パフォーマーに見えた統一された衣装はプラズマ団の制服だ。ゲーチスと名乗った男性の説明も、だいたいテレビで言っていたような内容だった。随分前から存在はしていたが、組織が大きくなり活動が広く知られるようになったのはつい最近の事、らしい。

『プラズマ団……』

 エアレスが低い声で繰り返した。きっと頭上という密着した場所でなければ、聞き取れないほどの声。私の髪を掴んだ小さな手に力が籠る。
 エアレスは私と出会う前に旅をし、トレーナーと別れた経験がある。何か、プラズマ団に思うところがあるのだろう。けれどこの人混みの中訊ねるなどできず、私の思考はゲーチスさんの次の言葉で遮られた。

「今日、皆さんにお話しするのはポケモンの解放についてです」

 かいほう? 話の流れが読めず、疑問符が浮かぶ。周りの人も同じようで、困惑した様子でゲーチスさんの次の言葉を待っていた。

「我々人間は、ポケモンと共に暮らしてきました。お互いを求め合い、必要とし合うパートナー、そう思っておられる方が多いでしょう。ですが、本当にそうなのでしょうか? 我々人間がそう思い込んでいるだけ……。そんなふうに考えた事はありませんか? トレーナーはポケモンに好き勝手命令している。仕事のパートナーとしてもこき使っている。そんなことはないと誰がはっきりと言い切れるのでしょうか」

 ゲーチスさんの主張は、私には手放しで賛同できるものではなかった。だって私は、ポケモンが、いや家族が助けてくれなければ、今ここに生きていないのだから。けれど同時に、私の生い立ちは一般的ではないことくらいは理解している。家族のような存在と、心からの家族は違うのだ。また、そこまで深い関係になれない、ならない人間とポケモンだってこの世には無数に存在しているのも知っているつもりだ。
 すぐ横にいた作業員風の男性が、心当たりがあるのか挙動不審になった。俺はあいつをこき使っているのかもしれない……青ざめて呟く。
 違う、そんなことないと否定する私と同年代くらいの少女の隣では、水色の翼を生やした少女――擬人化したポケモンが、同意の声を上げていた。ゲーチスさんはちらりとその二人に目線を落とす。

「確かに近年、ポケモン達は人間の姿を模す、俗に言う擬人化を行い人間の言葉で我々に訴えるようになりました。ですから、皆さんの中にはポケモンの意思を尊重して共に過ごしていると主張したい方もおられるでしょう」

 真っ向から否定するのかと思いきや、意外にもゲーチスさんは意見を拾い上げ、否定を肯定した。

「しかし、少し待ってください」

 ほっとしたのも束の間。よく通る声が、否定に切り込んでくる。

「捕獲された全てのポケモンが擬人化を行えるわけではないのです。ごく限られたポケモンが、人間の作った装置の影響を受けて肯定的な意見のみを伝えている。その可能性を完全に否定する事が果たしてあなたにできますか?」

 ゲーチスさんの話は続く。否定の声を否定せず、その上で更なる疑問を投げかける。この人の声音、話し方、態度が、まるであつらえたかのように耳に脳に心に入り込んでくる。話に引きずり込まれる。ゲーチスさんの声には、次の言葉を聞きたくなり、言葉に同意することがさも当然であり最善なのだと思わせる妙な力があった。――危険かもしれないと、私の本能が警鐘を鳴らした。

「いいですか皆さん。ポケモンは人間とは異なり未知の可能性を秘めた生き物なのです。我々が学ぶべきところを数多く持つ存在なのです。そんなポケモン達に対し、ワタクシ達人間がすべきことはなんでしょうか?」

 問い掛けるような、諭すような口調。ゲーチスさんは生徒の答えを引き出そうとする教師のように、口を噤んで待った。

「解放?」

 誰かが言った。カイホウ、かいほう、解放。囁きはやがてざわめきとなり、小石を落とした水面の揺らめきのように広がっていく。波紋が広場の隅々まで行き渡ったのを見届けて、ゲーチスさんは満足げに口元に笑みを浮かべた。

「ええそうです! その通り、ポケモンを解放することです!! そうしてこそ人間とポケモンは初めて対等になれるのです!!」
「……!」

 群衆に視線を巡らし、力強く主張するゲーチスさんと、ほんの一瞬、目が合った。モノクルに隠された瞳、暗い緋色の瞳。お父さんの鬣によく似た暖色は、本来私にとって安心感を覚える色のはずなのに。
 全身にぞわりと怖気が走った。氷タイプの攻撃を直に身体の芯に当てられたら、きっとこんな冷たさを感じるのだろう。何か温かいものに縋りたくて、思わず口の中でエアレスの名を呼ぶ。返答は期待していなかったが、意外にも、私の髪を握る力が強まった。
 視線はすぐに逸らされた。恐らくゲーチスさんにとって、私は名も無き聴衆の一人。記憶にも残らない風景の一部。私にとっては、初対面のただの演説者。それなのに何故、私はこんな恐怖に似た感情を抱いたのだろう。同じ感覚に囚われた人はいないかとこっそり様子を伺っても、皆演説の内容を考えたり周りの人と話すのに夢中で、後ろめたそうな人こそいるが怯えている人は一人もいない。

「皆さん、ポケモンと正しく付き合うためにどうすべきか、よく考えてください。……というところで、ワタクシ、ゲーチスの話を終わらせていただきます。ご清聴、感謝いたします」

 ゆるりと頭を下げ、ローブを翻しステージから降りたゲーチスさん。その間にプラズマ団員達は手早く旗やマイクを片づけ、ゲーチスさんと共に去っていった。



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