02


 かちかちと時を刻む秒針に背を向ける。今度は月の光が気になって、布団を頭まで被った。
 昼間の黒瑪との会話が、旅の話が頭の中をぐるぐる回って寝付けなかった。
 いつか旅に出たいという思いはずっと前からあった。まだ、家族には伝えていないけれど。同世代の子に比べると、おそらく私は、夢を口にし家族に伝えるのを躊躇してしまう方だった。何故言い出せなくなってしまうのか、旅に出る勇気が出せないのか。自問自答してみて、一つはポケモンと話せる能力を持っているせいだと答えは出た。ただあくまでも「一つ」であって、もっと他に大きな理由がある気がする。その大きな理由がなんなのか、答えは出せないままだった。でもこの頃、このまま燻ったものを抱え続けるだけではいけないと、焦りに近いものを感じるようになってきたのも事実だ。
 そうだ、黒瑪が言っていたように私には「きっかけ」が足りなかった。その「きっかけ」になってくれるのは、当の黒瑪だったりして。黒瑪の旅の話は、当然ながら具体的で聞いていてとてもわくわくした。旅に出るためのあと一歩が踏み出せずにここまで来た私に、純粋に「旅に出たい」ただそれだけの動機を思い出させてくれた。
 難しく考えすぎなのかもしれない。ポケモンと話せる力も、人前で無闇に話さないように気をつければいいだけだ。大きな目標がなくても、「旅に出る」というゴールを迎えた後なら、次の目標も自然と見出せるだろう。
 ずっと考え続けてばかりじゃ何も進まない。ならば、とりあえず一歩を踏み出してしまおう。きっと後から理由も勇気もついてくる。
 息苦しくなってきたので顔を出す。窓の向こうに佇む、真ん丸の月を見上げて私は深呼吸した。秋の夜のひんやりした空気が、ぐるぐる渦巻いていた何かを追い払ってくれる気がした。
 次の春を迎えたら、十六歳の誕生日を迎えたら、きっと、いや絶対旅に出よう。これ以上迷っていると、今度は現実の方が強くなりすぎて、目標がないまま旅に出る事に価値を見出せなくなってしまうだろう。夢は叶わないから夢なんだ、とは聞いた事があるが、それはあまりにも悲しい。
 誰にも告げず決意してしまえば、後は自分でも驚くほど早かった。街に出た時に地図や情報誌、傷薬や寝袋などの道具、難しい話はわからないがモンスターボールの原理を応用したという大容量のバッグなど、旅に必要だと思われる品々を買い集めた。準備を揃えてしまえば、もしまた迷いが生まれてもきっとまた前を向けるはずだから。幸いな事に、決意してから躊躇う事は一度もなかったけれど。


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 葉が落ちて、雪が降り、雪が消え去り、花や生き物が色めき立つ頃。私は初めて家族へ自分の夢を口にした。
 十六歳の誕生日を迎えたら、旅に出たいと。

「あら素敵ね。良いんじゃないかしら」
「えっ……それだけ?」
「うん。頑張ってねー、応援してるわ。出発はいつ? 旅の用意はしてるの?」

 私の思いを聞いたお母さんは、驚くでもなく、否定するでもなく、うんうんといつも通りの態度で頷いてくれた。今日のおやつはマゴの実にしよう、と提案した時と何ら変わらない。いつも通り過ぎて、私の覚悟はなんだったのかと拍子抜けする。私の長きに渡る葛藤を返して欲しい。割とマジで。

「反対、とかは……?」
「ないない、シロアなら大丈夫って知ってるわよ。でもねぇ、全く不安がないって言ったら嘘になっちゃうわね。あなたはちょっと変わってるからねぇ」
「お母さんに言われても困るんだけど」

 育てた本人に変わっていると言われて、ならばどうすればいいのだ。だいたい、お母さんだって相当個性的……だと思う。よその親の標準なんて知らないから断定は出来ないけれど。とにかく、「普通ではない」を通り越して間違いなくレアケースではある。

「あら。あたしは真っ当に育てたつもりよ?」
「それについては感謝してます」

 お母さんはのほほんとした表情を崩さずにお茶を啜った。椅子の下で尻尾がゆらゆら揺れている。お母さんの、尻尾。
 普通、人間に尻尾なんて生えていないし、耳が黒と黄色のしましまで大きく突き出したりはしていない。必要に応じて光に包まれ、ライトポケモン、デンリュウの姿になったりはしない。
 人間である私のお母さんはデンリュウだ。名前をレイロンというが、私が名前で呼ぶ事はない。だって、自分の親を呼び捨てになんてできないから。

「例えばー。ちゃんと自分のポケモンに指示できる? バトルはポケモンに任せきりじゃあ駄目なのよ?」
「できる……多分。お父さんとか、森のポケモンのバトルは見てきたから」

 自分で誰かに指示はした事はないが、身近にはお手本がたくさんいた。我が家の周りに広がる森(むしろ家が森の只中にある)にはたくさんのポケモンが住んでいる。遊びの一環としてのバトルは人気だし、私のお父さんはポケモントレーナーになってちょっとしたファイトマネーを稼いでいる。

「本当に大丈夫かしらねー。ねぇ、旅立つ前にあたしを使って、お父さん達と練習してみない?」
「自分の親に命令できると思ってるの? ムリムリ絶対ムリ」
「まあ! あたしを本当にお母さんだと思ってくれてるのね嬉しいわぁ大好きよ!」

 ぎゅうっと抱き締めてくれるお母さん。流石にこの年では少し恥ずかしい……けど、すごく安心するのもまた事実だ。お日様のようなふんわりしたお母さんの匂い。心地良い温もり。おずおずと抱き締め返すと、お母さんは優しい声で笑った。

「けほっ……あら』

 不意にお母さんが咳き込んだ。その瞬間、お母さんの全身が淡い光に包まれる。私の背に回されていた腕はどんどん縮み、首は細く長くなり。光が収まると、元のデンリュウの姿に戻ったお母さんがいる。

『ごめんなさいね、すぐ戻るから……』

 困ったように笑って、力を込めようとするお母さん。そのほっそりした肩を掴んだ。

「いいよお母さん。擬人化って余計な力使うんでしょ? どんな姿だってお母さんはお母さんなんだから」
『そう? じゃあ悪いけど、しばらくこのままでいさせてもらうわね。さ、お片づけしましょう』
「私がやるって! お母さんは休んでて」

 家事には向いていない短いデンリュウの手で食器を片付けようとしたので、慌てて立ち上がり、お母さんをソファまで連行した。お母さんは少し不服そうではあったけど、私の勢いに押されたのか諦めてテレビをつけた。テレビは街中で見る事はあったので存在は知っていたけど、我が家に導入されたのはつい最近だったりする。因みに、テレビに限らず我が家の家電を動かす電力は全てお母さん製である。
 旅立つと決めて、正解かもしれない。
 スポンジを泡立てながら、ソファから長く突き出たお母さんの後ろ姿を見つめる。
 どうもこの冬あたりから、お母さんの体調が優れない。急に咳き込んだり、ふらついたりした後に擬人化が解けてしまう。自分の意思に関係なく擬人化が解けてしまう事は、今までも何度かあったけど数えるほどだ。それが最近明らかに頻度が増えた。
 お兄ちゃん曰く、擬人化を維持するのは余計なエネルギーを使うらしい。慣れたり才能があるとほとんど気にならない程度に抑えられるものの、それでも体調が悪い時や寝ている時は原型に戻ってしまう。まあ、本来の姿でいる方が自然だし仕方ないとは思う。擬人化はまだ発展途中の技術だと聞く。いずれポケモンは人間と変わらない姿で、負担もなく常に擬人化し続けるのが普通の世の中になるんだろうか。

『後で皆が帰ってきたら、シロアの旅立ちの話、しないとね』

 色々と思いを巡らせていると、お母さんの声。そうだ、擬人化について考察するのは後回しにして、他の家族になんて説明するか考えておかないと。特に説得が大変そうな一人が、脳裏に浮かんだ。


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