長く伸びた影にさよならと言っても
長いです。テルの過去と未来の捏造有。




 僕の中学一番目の夏。なんの楽しみもない夏休みだった。ただボーッとして河原を歩いていた。風が吹き、草が舞い、夕日が川に反射してただ眩しかった。夏だし日焼けは嫌だな。僕はつい止めていた足を動かしはじめた。「ウぶっ」僕の口から不細工な音を出させたのは僕の顔面に飛んできた麦わら帽子だった。夏に白いワンピース、そして飛んだ麦わら帽子を追いかける黒髪の少女。ベタな話だ。僕はなぜかその子に一目惚れをしてしまった。

「ありがとうございます」
「別に・・・取ろうと思って取ったワケじゃないよ」

 いつもは女の子に笑顔で「当たり前だよ」とか「怪我はないかい?」とか言っているのに、つい口をついて出た言葉はまるで大人げないそれだった。それなのに彼女はニコニコ笑っていて、僕はそれになんだかむっとしてしまった。

「早く帰れば?また帽子飛ばされちゃうよ」
 唇を尖らせて機嫌の悪いような顔をする。
「ありがとう。そうする! また会えるといいね」
「ふん」

 また会えるといいね、なんて言われて嬉しかったのに態度で示せない。僕はポケットに手を入れて背を向けた。彼女はそれっきり何も言わず、振り向いたらもうそこにはいなかった。まるで不思議な事が起こったみたいだった。僕はなんだかもやもやしたまま自分の家まで帰った。黒酢中に入学して最初の夏、そして一人で過ごす初めての夏。ただ寂しくて、誰かにかまってほしかったんだ。出会いは最悪。僕は彼女にずっと謝りたかった。“謝りたかった”というのも、それから彼女は近所に引っ越してきて、黒酢中に入学したのだ。僕と同じクラス。席は隣。こんなマンガみたいな出来事を体験しながら、僕はずっと彼女に謝れないままでいた。影山くんに出会ったり、いろんな事を見ていく中でいつの間にか中学校は終わっていて、僕はそのまま高校生になった。彼女を追いかけて同じ高校に入学した。だってまだ謝れてなかったから。「えっ、テルくんこの高校なの」「花沢くんなら××高校行くと思ってたぁ!」「あの髪の色素が薄い子、カッコよくない?」入学しても女の子たちからの声は止まなかったし、もっと頭のいい学校に行くんじゃないのとかそういう噂を断ち切って市立の高校に入学した。だって、だって、純ちゃんがいたから。

「花沢くん、また同じ学校だね。よろしく」
「うん」

 相変わらず僕はツンケンしていて、切ないくらい自分にダメージが来る。こんな事なら素直にしていればいいのに。昔「輝気くん」と呼んでくれていた事はナシになったらしく、名字で呼ばれてなんだかくすぐったい。僕もなんだか悲しくって、でもやっぱり素直にはなれなくて、「佐々木さん」と呼んだ。にこりと微笑んだ彼女はそれ以降一度も僕のほうを見る事もなくただ時が過ぎていくかのように思えた。

 高校入学早々、純ちゃんには彼氏ができたらしい。僕は朝、なんとなく登下校の時間を合わせてひそかに覗き見ていた純ちゃんの登校にバカみたいに鼻の下を伸ばした弱そうな男が横を歩いているのを見て、その場に立ち尽くした。頭がスッと冷えきって、なんだか何も考えられなかった。僕は横にいる男をむちゃくちゃに殴りたくなっていたし、同時にその男になりたくて仕方なかった。でも、純ちゃんの顔は今までで一番きれいで可愛くて、それがいい事なのに世界に僕だけが取り残されてしまったようで、涙が音もなく零れた。道で泣いているなんて事実もわからずただ立ち尽くしていた。その日は学校の二限から授業に出た。五〇分くらい許してほしかった。その日、母親から電話がかかってきた。「輝気、今日授業休んだんだって? 大丈夫?」「先生も初めて休んだからって心配して連絡よこしたのよ」「なんともない?」好きな子に三年間謝れなかった僕が素直に「悲しい」だなんて言えるわけもなく、「大丈夫だよ。母さんは心配しないで。元気だから」そう言って早急に電話を切った。僕はそのあと、ご飯も食べず泣きながら眠った。
 純ちゃんに彼氏ができてから一か月が経った。僕はその間、寂しさを埋めるように女の子と連絡を取り合い、共に道を歩き“恋愛”をした。つまらないものだった。でも人といると時間を忘れる事ができるから僕はとてもスッキリしていたし、悲しい自分に気づくことなく毎日を過ごした。その日、偶然と偶然が重なって、僕と純ちゃんの関係は糸と糸が綺麗にがんじがらめになったみたいに、こじれてしまったのだ。僕が放課後、教室に忘れ物をしたとき、純ちゃんはそこにいた。僕は「やあ」と声をかけた。なぜ声なんてかけてしまったのだろう。無視してとっとと教科書を机から引っ張り出せばよかったのに。

「花沢くん! どうしたの? こんな遅くに」
「教科書忘れちゃってさ」
 僕は数学の教科書を机から出して、彼女に見せた。
「そうなんだ・・・」
「・・・何してるの?」

 彼女は机の上で折り紙を切っていた。

「ホラ、教育実習で来てる先生いるでしょ?あの先生が実習終えちゃうからみんなでメッセージを書いた紙を貼ってるの」
「ああ、そういえば僕も書いたな。でも紙は貼り終わってない?」
「ただ貼るだけじゃ味気ないでしょ?私が担任の先生にやりたいって言ったの」
「ふーん。じゃあ斎藤くんとか手伝わせれば?」

 その時の僕の顔は最低だっただろう。彼女と斎藤が付き合っている事に気づいていなさそうな僕から彼の名前を出したらどんな顔をするんだ?とか彼女一人でこんな作業させるなんて彼は最低だな。とか思わせたくて、考えさせたくて彼の名前を出した。しかし純ちゃんは僕のそんな小汚い気持ちとは裏腹に微笑んだ。

「斎藤くんは部活があるからダメなの。手伝うって言ってくれたんだけどね」

 惚気かよ。

「でも私、大会もう少しだなと思って断ってきたの。本当は一緒にいたいクセにね」

 そんな事聞きたくない。

「・・・斎藤くんも頑張ってるんだから、私も頑張らなきゃダメよね!」

 うるさいなあ。

「ごめんね、引き留めちゃって。早く帰らないとなのに」

 僕にだけそうやって微笑んでるわけじゃないんでしょ?アイツにする顔見せてみろよ。僕はいつの間にか彼女の髪の束を一つ掬い、彼女を見ていた。

「・・・どうしたの? 花沢くん」
「うるさいな、黙ってろよ」

 僕はそのまま純ちゃんの細い肩を引き寄せて、薄い唇にキスをした。最悪な事にキスのやり方だけは十分なくらい熟知していた。純ちゃんの唇は塩辛かった。泣いていたからだ。僕だって、僕だって泣きたいのに。なぜこんなにも素直になれないんだろう。僕は彼女を泣かせたし傷つけた。どうして僕はこんな事しかできないんだろう。ずっと、ずっと、純ちゃんの事が大好きなだけなのに。
 僕は自らこの日、恋しい人と距離を広げた。自分が悲しくなるのに、なぜこんな事をしてしまうのか、本当に自分が嫌でしょうがない。けれど、いくら反省しても僕はこの時間を戻す超能力なんて持っていないし、僕は彼女に突き飛ばされた。純ちゃんは僕のことを酷い目で見つめていた。僕はそのまま足を動かして家に帰った。悲しくて、悲しくて、人がいないことをいい事に、空を飛んで泣いていた。愚かな自分にただ嫌悪していた。影山くん、君みたいに素直になれたらよかったのに。本当につくづく君が羨ましくて、同時に自分に自信が持てなくなっちゃうよ。僕はその後もしばらく自己嫌悪し、涙の痕もそのままに布団へ潜り込んだ。こんなに切なくて苦しくて、彼女との関係だって終わりだというのに、僕の頭は危機感というものを知らないようで、ただ脳裏に浮かぶのはキスする前の僕をまっすぐ見つめる純ちゃんの瞳と、柔らかい唇、蜂蜜みたいな匂いの首筋、そして僕を突き飛ばした純ちゃんの顔だった。
 翌日、僕はいつものように登校した。足取りは重かったし、そのあまりの重さに立ち止まってしまいそうだったけれど、純ちゃんは学校のお昼休みから学校に来たようで、いつもの笑顔のまま三限目を迎えていた。けれどふと見せる顔はとても切なそうで、苦しんでいるのは僕だけじゃないんだって思った。嗚呼、謝らなければいけないのに。僕はいつだってこうだった。最愛の人に自分の気持ちを素直に打ち解けることができない。誰だって「ごめんなさい」「ありがとう」くらいは言えるんだ。僕だってそれは言えているつもりだった。今までの僕は偽りの言葉しか口にしていなかった。でも、乗り越えるんだ。影山くんみたいに、心を強く持って、踏み出すんだ。僕は放課後に教室に残っている純ちゃんに謝ろうと思った。夕日が差す教室で今日も一人、事務作業をしている。なんでこんなに無防備なんだと思いつつも、勇気を出して教室のドアに手を掛けた時だった。

「佐々木さん、お疲れ。」
「斎藤くん・・・どうしたの?部活は?」
「今日は早く終わったんだ。明日が大会だからね」

 僕はつくづくついてない。純ちゃんと交際をしている人物がいる間に入って昨日キスしてしまってごめんなさいなんて言えるわけがない。僕は彼を見た瞬間、忘れていた感情が勝手にふつふつと煮えるように湧き出てきた。アイツだけに見せる純ちゃんの顔。僕には決して向けられることのないその笑顔。ただ僕にもそんな風に笑ってほしいし、いろんな事話してほしいし、無邪気な顔とかも見たいだけなんだ。僕はただただ何も考えないままで二人を見つめていた。純ちゃんの肩を引き寄せて抱きしめる斎藤くんと、彼の背中に腕を回す純ちゃん。もっと素直になれていたら、彼じゃなくて僕があそこにいたのかな。

 高校生活も色々あって、最後の年になっていた。みんな大学が決まっていたし、僕も推薦で大学が決まっていたから、あとは暴力事件だとかを避けるだけ。周りの人たちは気が抜けていたけれど、純ちゃんは入りたい大学に向けて受験勉強をしている僅かな人間の一人だった。僕は浮かれた女の子たちに「テルくんも今日ボウリング行かない?」だとか「一緒に映画見に行こうよ」だとか言われては心の中で溜息をつき、笑顔で「ごめんね、家に帰って勉強するから」と彼女たちの誘いには乗らないでいた。僕は純ちゃんに謝れないまま高校生活を終えようとしていたし、あの日を境に僕は女の子たちと遊ぶのをやめた。最初こそそれを根に持った女の子が僕の悪い噂を流したりだとかしていたけれど、僕はどう思うこともしなかったし、噂や女の子たちの怒りは日に日に薄まっていった。ただ心残りなのは、純ちゃんに謝れていないこと。いや、純ちゃんを僕の隣に置けていないことだった。僕はとことん、手に入れたいものはどうしても手に入れたい性分らしい。彼女への恋心を諦めることなく今まで続いてきているのもそんな僕のいやらしい性格が関係していると思う。浮足立っているクラスメイト達に目もくれず、五分休みだって絶え間なく勉強している純ちゃん。初めて出会ったときとは違ってとても大人っぽい。耳にかけた髪が落ちる度に僕の胸は高鳴っていた。そしてふと彼女が視線をあげる。その先には、僕。あの時は夏だった。僕はその優しい瞳に耐え切れず教室を出た。なんだよ、なんだよ、なんだよ!純ちゃんはまるで「大丈夫だよ」と言っているような顔で僕に微笑んでいた。なんなんだよ。僕は全然大丈夫じゃないんだ。僕の気持ちも知らないくせに!そう思う僕とは裏腹に、涙が滲むような感覚が鼻腔に広がる。僕は申し訳なかった。純ちゃんはもうあんな事気にしていないんだ。僕ばかりウジウジと悩んでいるみたいだったけれど、同時にほっとしている自分がいた。情けない。そしてたまたま通りかかった時に視界に入った彼女の志望校は、僕と同じ大学だった。

 ようやく長かった高校生活も終わる。今日がその日だった。一年の頃純ちゃんと付き合っていた斎藤くんは違う女の子と微笑み合っていた。僕はなんだか皆と一緒におめでとうと言い合えなくて、体育館の裏と古びた倉庫の間に座って空を見ていた。僕はもしかしたら一生純ちゃんに謝らずに生きて行って、最期までこの事を引きづって死ぬのかもしれない。そう思うと、なんだかそれもいいのかなと思ってしまった。

「花沢くん」
 僕がその声に反応して顔を上げるのと同じタイミングで彼女は僕の隣に腰掛けた。
「純ちゃん」
「・・・もう卒業だね」

 純ちゃんは僕を見ないでそう言った。僕はなぜだか純ちゃんを見つめる事ができたし、今なら謝れるかもしれないと感じていた。

「花沢くんとはずーっと一緒だね。私、嬉しいよ」
「・・・」
「私、花沢くんの事とっても好きで、ずっと話したかったの。でも花沢くんはいつも逃げちゃうでしょう?だからあの時嬉しかったの」

 あの時、とは、おそらく僕が純ちゃんにキスをした日だ。

「花沢くんはなんだか上の空だったけれど、それでも嬉しくて、興味ないことまで話しちゃったの。ごめんね」

 その謝罪はその時聞いた。もうごめんなんて言葉は聞きたくないんだ。ごめんを言うのは、僕のほうだ。

「・・・ねえ、なんであの時、キスしたの?」

 その答えは、簡単だった。

「キミのことがずっと好きだったからだよ。今だってそうさ。いつキミを連れ出そうか考えてる」
「ふぅン」

 純ちゃんはそれっきり黙り込んでしまった。なんだよ、ふぅンって。僕の気持ちを込めたセリフが、そんなに台本のようだっただろうか。もしそうだとしても、それは僕の今までの人生における女性関係でその言葉を言いなれているからだ。気持ちは本当なんだ。純ちゃんの事を見つめていると、彼女は僕を見るや否や抱きしめた。

「・・・純ちゃん?!」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・純ちゃん?」

 純ちゃんは僕の顔を見上げると、ニッと少女のように笑った。

「やっと昔みたいに呼んでくれた」

 僕はその一言にポカンと口を開きっぱなしにしてしまった。何を今更言っているんだ。そんなのそっちが始めた事じゃないか。僕が黙っていると、僕の手を純ちゃんの柔らかい手のひらが包み込んで、純ちゃんは静かに一言一言言葉を紡いだ。

「私ね、輝気くんのことが大好きなの。だからあんまり好きってわけじゃない男の子と付き合ったり、でも輝気くんと面と向かって話せなかったりしたの」

 私ね、と続けた純ちゃんのまっすぐな瞳を、僕は逸らせなかった。

「輝気くんのことが好きなの」

 僕は頭がキンと冷え切ったみたいになって、気づいたら純ちゃんの唇に触れていた。なんだ、僕もキミも、変わらないじゃないか。

「一緒だね。僕も純ちゃんが好きだから女の子と付き合ったり、目を逸らしてしまったり・・・それに」
「?」
「・・・ずっと、謝りたかったんだ。出会った時、僕、酷い事言っちゃっただろ? それが、申し訳なくて・・・」

 目を丸くして僕を見つめた純ちゃんはぷっと堪えてたみたいに吹き出した。そして何を言うかと思えば純ちゃんは「なぁんだ、そんな事?」と。

「そんな事ってなんだよ! ぼ、僕は、ずっと、謝りたくて・・・」
「だからなんだかぎこちなかったのね」
「うっ・・・」
「全然気にしてないよ。だってそれもこれも含めて輝気くんだもの」
「・・・うん」

 はぁ、と息を吐くと、純ちゃんは更に笑いをこぼした。僕が難しく考える必要なかったんだ。今までやってきたことが全部バカみたいに思えてきて、僕も純ちゃんと笑った。
 大学に入ってからは本格的に恋人同士として生活しはじめた。ピクニックに行ったりドライブしたり(免許を取った僕が車を借りた)キスしたりハグしたり、手を繋いで水族館に行ったりした。純ちゃんが笑えば僕も幸せになれる気がした。でも問題が一つ。――僕が超能力者だってこと。
 時は流れて超能力は明るみに出始めていた。世を騒がせた爪の事があったりと、超能力者の存在が段々と認められてきていたのだ。しかし、超能力を一つの個性と思う人や、超能力者を羨む人、超能力者を嫌う者もいた。純ちゃんはどうなんだろう。純ちゃんが超能力者を嫌うなら僕は純ちゃんから離れてもう近づかない。すごく・・・すごく辛いけど、僕は純ちゃんをこれ以上傷つけたくないのだ。でも隠しているのも僕が辛い。最近ではたまに純ちゃんも「輝気くん、隠し事してる?」なんて疑り深くなっているし、僕としても純ちゃんに隠し事をするのはイヤだ。僕は純ちゃんにきちんと事実を伝えるべく、純ちゃんの家へ向かった。

「あ、輝気くん! ・・・ごめんね、物騒だよね」
「そうじゃないだろ? みんな純ちゃんの事が大事なんだよ」
「うっ・・・それよりほら! 早く入って! 」

 純ちゃんは一人暮らしではなく、実家から学校へ通っている。純ちゃんはとってもお金持ちらしく、日本本来の大きなお屋敷の門をくぐるとスーツの男の人が数名僕を見ていた。綺麗に切りそろえられている芝生ですら緊張する。ガタイのいい男の人に連れられてきたのは純ちゃんの部屋の前で、純ちゃんが僕の顔を見た瞬間、僕の腕を引っぱり自分の部屋に入れた。その急な展開に少しだけドキドキしたが、純ちゃんは謝ってばかりだった。

「所で今日はどんなご予定で?」

 出されたお茶を啜りながら聞いてくる純ちゃんはにこりと笑った。なんだかその笑顔にいつも救われている気がする。僕は唾を飲みこんで口を開いた。その瞬間、時が止まったような空気になってしまった。ヤバイ、と汗が流れる。

「・・・それ、本当?」
「そうだよ。僕は超能力者なんだ」

 純ちゃんは汗をかきながら俯く。まさか、そんな、でも、それなりの覚悟はしていたんだ。「純ちゃ・・・」純ちゃんの名前を呼ぼうとしたその時、純ちゃんは僕の腕を掴んで立ち上がり、僕の荷物と共に部屋のドアを開けた。純ちゃん? なぜこんなに焦っているんだ。僕はてっきり純ちゃんが“超能力者は生理的に無理”な人かと思ったが、そうではないみたいだ。純ちゃんは部屋を出た瞬間、大きな男にぶつかった。そう、純ちゃんの家庭はお金持ちだ。「通してよ」「どこに行くつもりなんだ」これまた見るからにそちらの人と言わんばかりのいい着物に包まれた大きな男の人が僕たちを止めた。純ちゃんはそのふてぶてしい男の人を「父さん」と呼んだ。・・・マジか。僕は全く純ちゃんのことを知らなかったんだと思うと物凄く悲しい。でも純ちゃんが隠したくなるのもわかる気がした。

「その男、超能力者なんだろう」

 僕を指差してそういうと、純ちゃんの腕を引っ張った。そんな大きな男の強い力で純ちゃんの細い腕を掴まないでくれ! 僕から離れた純ちゃんは今までで一番悲しそうな顔をしていた。

「頭がいいならわかってるだろう。純とはもう金輪際関わらんでくれや」

 頭を物凄い勢いで打ち付けられたみたいなショック。頭が真っ白になっているまま純ちゃんから段々と離される。そうだ、純ちゃんを助けなきゃ! でも、純ちゃんを助ける事が純ちゃんにとっていいことなのか? でも・・・でも、純ちゃんのあんな顔見てたら、手を伸ばしたくだってなるさ!

「純ちゃん! っ、離せ! 」
「超能力者のアンタをどうこうするってわけじゃねえ、大人しく帰ってくれ」
「・・・っ、こっちだって、こういう状況には何度もあったことがあるんだよッ! 純ちゃんを離せ! 」

 僕は精一杯の力で僕を囲む男達を振り払う。僕は超能力者ではない人に囲まれたことはない。いくら超能力で撃退する方法を知っていえども、普通の人に超能力を使う事はもうやめたんだ。そうなるとやはり僕は無力で、押し込まれるように力に負けてしまった。純ちゃん、ごめんね。僕は力のなくて弱い人間だよ。お屋敷の前まで放り出されて躓いた。泣いてなんかいられるか! 背中を見せた大柄の人達を見送った。もっと何か他に方法があるはずだ。思いつくのは超能力を使ってできる事ばかり。僕は頼っていないと思っていても、超能力に頼りっきりだったのだ。辛いよ、純ちゃんに会いたい。その日以降、学校にも来ず、一週間が過ぎた頃にゼミの先生に言い渡された言葉に目の前が真っ白になってしまった。


「佐々木さん、引っ越したんだよ。何かあったの? 」



  僕はその日、久しぶりに実家に帰っていた。家に帰って一人で考えたい気持ちも、母さんに会いたい気持ちもあった。夜遅くに帰ってくると、いつもは暗かった部屋が明るく輝いていた。僕はそれに誘われるみたいに家へ入る。「ただいま」なんて久しぶりに言ったけど、迎えに来てくれた母さんは心底驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になってリビングへ向かい入れた。

「ご飯できてるよ」
「うん、いい匂い」

 何年ぶりだろうか。母さんの手料理。父さんは相変わらず仕事で遅いみたいだ。僕がいなくなった花沢家は、母さんが仕事を終えても一人なんだ。その状況に胸がぎゅっと締め付けられたが、僕はほかほかの美味しそうなご飯の前に座った。水色の小さな箸が立ててある箸置きが目に入る。なんだか懐かしいな。僕は父さんの箸でご飯を食べ始めた。あったかい。やっぱり誰かが作ってくれたご飯は美味しいし、人と食べるのは幸せだ。まるでその暖かさが心まで染み渡るみたいだ。僕がただ咀嚼を繰り返していると、母さんは箸を置いた。

「輝気、なんかあったの」
「・・・別に、なんでもないよ」
「嘘つかないで。母さんに話してみなさい」

 母さんには何もかもがバレバレだった。思えば僕から実家に帰るなんて滅多にない事だったし、僕は今まで喋らず食べてばかりだったからわかりやすかったのかもしれない。そう思っていても、僕はすごく嬉しくて、久しぶりに母親というものに触れたような気がした。箸が手から零れて止まらない涙が零れる。

「母さん・・・ぼく、失恋しちゃったみたいだ。ずっと、ずっと大好きだったのに、引き離されちゃって」

 母さんは僕の元まで来て、僕を抱きしめてくれた。母さんの胸が暖かい。

「誰も悪くないんだよぉ・・・でもっ、で、でも、」

 嗚咽交じりで、文法もよくわからない。合間に鼻を啜る音が入り、母さんに申し訳ない。母さんの腕に僕の涙が染み込んでいく。



「大好きなのに、もうっ、会えないんだ・・・! 」



 母さんはぎゅっと抱きしめてくれて「そうね、辛かったね」と僕の頭を撫でてくれた。僕は母さんの胸の中でひたすら泣きじゃくった。もうこれ以上出ないくらいに泣いた頃、僕は母さんが頭をぽんぽんと優しく叩くのを合図にどちらからともなく離れた。そして母さんは僕をしっかり見て、言葉一つ一つを紡いでいった。

「輝気、本当に好きなら、諦めないで。あなたは諦めたくないんでしょう? ならずっと、追いかけるべきよ」

 母さんの真っすぐ伝わってくる気持ちにもうこれ以上はないと思っていたのに涙が零れた。諦めたくない、けど、もうあの頃には戻らない。



 あれから三年経った今でも、純ちゃんを忘れた事はない。就職も決まった僕は、来春から地元の中学校で教師として働く。駅から一歩踏み出せば、お店や行き交う人の全てが違うのになぜか懐かしく感じた。好きな匂いがする。小さい頃母さんと父さんと一緒に食べたステーキの匂い。川辺に反射する太陽の光。キラキラしている川を見て眩しくてつい目を逸らしてしまったっけ。そしてこの川辺で忘れてはいけないこと。忘れられなかったひと。

「わぷっ! 」

 視界を遮ったのは白いリボンがアクセントになっている麦わら帽子。風に流れる綺麗な髪。透き通るような肌で変わらないまま微笑んでくれる彼女を抱きしめた。今なら素直に言えるよ。だからどうか、その唇に触れさせてほしい。夢じゃないって信じさせてよ・・・



2017年1月9日サイキックにで出す原稿のボツです。
違うお話で本を出すのでお楽しみに・・・!
ちなみにこちらのお話のイメージソングはスターダストレビューの1%の物語でした。



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