彼女を質問攻めにすること数十分。彼女が首を横に振る以外の反応を示すことは無かった。
「……おい、クソメガネ」
「ちょっと待ってよ今次の質問考えてるんだから!」
何故言葉の通じない相手に無駄な質問をすることをこんなに楽しんでいるのか。リヴァイには全くもって理解できない。
これはもはや、犬や家畜に話しかける行為に等しい。声は聞こえているから、何らかの反応は返す。しかし、そこに言葉を理解した意図は無い。
ミケは壁に凭れてうたた寝を始め、エルヴィンもつい先程一度団長に報告すると言って部屋を出た。恐らく、報告も勿論だが、壁外から帰ったばかりでハンジに付き合うことが多少なりと堪えたのだろう。ミケも同様に疲労が窺えた。
正直なところ、リヴァイもそれなりに疲れている。壁外から帰ったばかりでもこんなに元気が有り余っているのは兵団内を探し回ってもハンジくらいだろう。
質問攻めにあっている女も、心なしか疲れてきているようだ。
ハンジが心底楽しそうに話しかけている為か、警戒心や恐怖心はいくらか和らいだように見える。が、時折リヴァイとミケの様子を窺い、たまにリヴァイと目が合うと、瞳に怯えの色を湛えて視線を伏せた。
未だ進展が見られない一方的な尋問に、リヴァイそろそろ潮時かと溜め息を一つ吐いたところで、扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します……って、あれ」
ノックをしたにも関わらず返事も待たずに入ってきたのは、唯でさえ人より大きな目を更に大きく見開いた女兵士だった。
彼女は室内をキョロキョロと何度も見回し、「エルヴィン兵長は?」と誰にでもなく聞いた。
「エルヴィンなら、団長この女について報告に行った」
「は?この女?どの女?ハンジの変態さなんて今更報告することでもないでしょ?」
「あ、エリノアお疲れ!」
「少しは否定しようよハンジ」
この女、エリノアが現れるととにかく場の空気が弛む。計算しているのかそれとも素なのか、堅苦しい空気や重苦しい空気をぶち破るのが得意らしい。
「あ、もしかして、今回の壁外調査で見付けた“壁外の少女”ってその子?」
部屋の隅に腰を下ろすハンジの肩越しに女の存在を認め、エリノアがずかずかと部屋の中へ踏み込む。
急に接近してきたエリノアに、女が恐怖心を顕にする。
「あ、ちょ、今漸く打ち解けてきたところなのに!この子繊細なんだよ?エリノアと違って」
「なら尚更ハンジみたいな救いようのないど変態から引き離してあげなきゃ」
わざとらしく不満を漏らすハンジなど見向きもせず、エリノアは女の前で膝を床について目線を落とす。
「こんにちは」
『……………』
持ち前の人懐っこい笑顔で女に話しかける。当然のように反応は無い。
「会話、出来た?」
エリノアが女から目線を外さずリヴァイに訊ねる。
「いや、そもそも言語が違うらしい。さっきからずっとそこのクソメガネが喋り倒してただけだ」
「ふーん、そっか」
リヴァイの言葉に短く返し、「ハンジちょっと替わって」と言って半ば無理矢理女からハンジを引き離した。
「エリノア、エルヴィンに用があったんじゃないの?」
「急ぎでも大した内容でもないから今はいい」
そう言ってすぐ女に向き直る。
エリノアは女の目を見つめ、そして自分を指差し「エリノア」と一音一音はっきりと発音した。女が目を見張ると、もう一度ゆっくり「エリノア」と言った。そして、今度は女の唇に触れ、また「エリノア」と繰返す。
『エリ、ノア……?』
「そう。私は、エリノア」
もう一度自身を指差し名前を繰返し呪文のように唱える。
『エリ、ノア……エリノア……』
すると、女が確認するようにエリノアを指差して彼女の名前を呼ぶ。
この短時間での大きな変化に、リヴァイと共に下がって見守っていたハンジが「おお!」と歓声を上げる。うたた寝をしていたミケも、いつの間にか成り行きを見守っていた。
「私は、エリノア。じゃあ、」
エリノアは今度は指先を女に向け、「貴女は?」と問う。
すると女は少し困ったような表情を見せたかと思うと、おもむろに首に提げていたペンダントをまじまじと見つめた。
質問が伝わらなかったのかと不安になったエリノアが静かに女の胸元を覗くと、ペンダントに付いた銀プレートには文字が彫ってる。エリノアには読めない文字だった。
「どうした?」
「分からない。もしかしたら名前が分からないのかも。ペンダントに文字が彫ってあるんだけど、それが名前で合ってるのか考えてる感じ?私には読めないや」
「名前が分からないだと?」
質問の意図が本当に通じているのかどうかを確かめるために、エリノアが無言で自身を指差し、目線で訴えかける。
『エリノア』
通じている。今度は女を指差した。
『…………』
困ったように目を伏せ、肩を竦めて首を傾げる。
「うーん、本当に分からないみたいだね」
ハンジが「どうしようか?」と聞いてくるが、そんなことリヴァイの知ったことではない。
「んー、呼び名が無いのはちょっと困るよねぇ」
そう一人ごちた後、エリノアは身を引きずるようにして女の隣に移動し腰を落ち着けた。
エリノアの持ち前の人懐っこい表情と弛い空気からか、女も怯えることなくエリノアの動きを静かに見ていた。
エリノアは女の隣からペンダントを指差して、分かりやすく首を傾げた。
「何て読むの?」
エリノアが訊くと、
『……セノア』
彼女の口から、人名と思しき音が紡がれた。
「よし、じゃあ……貴女は、セノア。セノア」
女を指差して、まるで赤子の名を呼ぶように「セノア、セノア」と繰り返す。まるで刷り込みのようだ。
やがて女にも意図が伝わったのか、自身を指差して『セノア、』と呟いた。
2013.08.20