不平等と虚しさと享受とそれと | ナノ






地雷を踏んだ。



今だからこそ客観的に捉えられるが、相当頭にきていたんだと思う。まともな思慮なんて持ち合わせていなくて、避けるように無視を続けた。
そうした挙げ句、奴が寝ているうちに唯一好きな食べ物、マーボー豆腐の買い溜めを全て捨ててやった。燃えるゴミの日に。それも丸ごと。捨て終わった時に訪れた爽やかな感情は胸いっぱいに満たされ、いつになく上機嫌で仕事に出向いた。同じ出勤時間というにも関わらず寝たままの奴は起こさずに出勤して、鼻で笑った。
今までノーミスであった言峰にはさぞ痛いことだろう。

今ならば別れようと言われたら素直に頷いていただろう。それほどまでに衛宮切嗣の機嫌は悪かった。


「おい、衛宮」
「……社内じゃせめて先輩付けろよ後輩」
個室に配備されたこの部屋は一人一人が集中できるようにと上の者が配慮したため、この会話は誰にも聞こえていない。それでも先輩呼びを強要させたのはただの幼稚な苛立ちだった。
パソコンと資料を交互に眺めながら後ろに立つ言峰へぶっきらぼうに吐き捨てる。
「なぜ今朝起こさずに職場へ出向いた」
「……仕事戻れよ」
いきなり他の部屋へ入室してきて私情を持ちだすなど言語道断。休憩時間が来るまで私語等は禁止されている。言峰の足音が近づくが無視を決め込むことにした。近寄るなといってもどうせこの狗は聞かないだろう。
キーボードを弾く指が次第に強さを増していく。

「衛宮」
「しつこいぞ。他の上司に言いつけて強制退場しても僕は構わないんだけどね」
第一、まずこの場からして僕は甘いのだ。この部屋に入室を許した時点で、もう。パソコンの近くには社内専用の電話がある。万が一問題が発生した時のみ使用できるのがこれだ。おそらく、今使うべきなのだろう。が、衛宮はそれを手に取らなかった。
カツ、カツと鳴り止まなかった足音が背後でようやく止まる。ビリ、と背筋に軽い痺れ。
明らかに視線を感じた。
そして、嫌な予感。

背を向けていたせいで伸びてきた手を払うどころか拒めなかった。ドン、と衝撃と共に襲ってきた痛み。言峰の両腕が僕の肩を包んで離さない。簡単に言ってしまえば背中から抱きしめられた形で、嗚呼スーツが皺になりそうだ、なんて心の中で呟く。
「…」
「怒っているのか」
言わずもがな。当たり前だ。

原因は昨日の飲み会だった。
社員の飲み会というと後半は皆酔いが回って次第にゲームだの愚痴の言い合いだのとふざけてくるのが必然。
そのゲームでのことだった。新しく入った若い女性社員が言峰のネクタイを外してかけ直す、という何とも微妙な罰ゲームを強いられたらしい。最初は横目で興味もなく見ていたが、女性社員と言峰の光景をいざ見るとそれはまるで新婚そのもので。その二人だけが別世界の如く切り取られて、ただ釘付けだった。
冷やかしに冗談で答える彼女は特別言峰に興味はないように見えたが、飲み会終了後に言峰に駆け寄って笑顔をとばしていたのを目撃してしまったが最後。
ヤバい、と思った。
帰宅して口付けられた時に漂ってきたわずかな香水。甘い、甘い、その匂いに眉をしかめて肩を押し返し風呂へ逃げた。気持ちが悪かった。
どろどろと溶けていく内部に怯えて目を背ける。逃げ場をなくした怯えはやがて怒りに替わって、そうして今に至った。

我ながら子どもだと思う。

こうして肩を抱かれて、どこか安堵してしまう僕がいる。
背中が、あったかい。
それでいて痛かった。馬鹿力のこいつは加減を知らないから、抱きしめられるといつも痛い。
首筋を擽る吐息も、肩にすがる腕も、どうしていいのかわからないでいる彼の感情も、痛い。

「どけよ、怒ってない」
キーボードを叩く指だけは止めなかった。止めたら、多分――――
「嘘をつけ。怒っていることぐらいわかる」
特に起源もなく唐突に起きたフラッシュバック。あの女性社員に無感情で一連の動作を目で追っていた彼。柔らかそうな彼女の指が、言峰の肌をかすめていたのを、思い出す。
背中に触れる熱が急激に冷えていった。
「私が何かしたか覚えがない。飲み会か?」
ほんの一瞬、仕事の指が止まった。
「違う」
「飲み会で怒らせるようなことでもしたか?」
「何でそうなるんだ」
「動揺して指が止まった」
「だから違う」
「……罰ゲームか?」
「出てけ」
「図星か」
「出てけって言ってるだろ!!」
さすがに今の怒声は防音を施していないこの薄壁では隣の社員にまで聞こえただろう。
絡みついた腕を振り払おうと肘鉄をしたが難なくねじ曲げられた。必然、キーボードを打つ手が止まった。そして暴言を吐こうとして振り向き、言峰に正面切って顔を合わせた。が、しまったと思う頃には既に遅く。
手首を捕らえられ覆い被さると共に唇が降りかかる。背後の机上に乗った資料がばさばさと派手な音をたてて崩れる音がした。そんなことも気にせず唇を重ねてくるコイツはいつになく容赦がない。掴む手は爪立てているし、腰に回した手は衛宮の体を押しつぶすかの如く引き寄せるし、まるで腹を空かせた虎のよう。
「んん、ぐ…ッん、…ぅ」
歯で唇を噛み切ろうとするが塞ぐように舌が絡まる。抵抗すら無に返す言峰に最後の足掻きというように両肩の彼のスーツを引っ付かんだ。
無論びくともしないわけで、言峰からすればそれはただ縋っているようにみえて行為の助長にしかならなかった。
興味本位でうっすらと瞼を持ち上げれば眉を寄せ、いつになく必死そうな言峰がいて、それを見たら、もう、折れるしかなかった。


自惚れでもいい。
言葉の確かな証明がなくてもいい。


「…ん…っぁ…は」
唇が離れ息継ぎをしてもまた襲いかかってくる唇は止めどなく塞いでくる。息継ぎを狙ってもうよせ、と言ってみたがそれでも聞いてくれなかった。
いい加減首が疲れた。言峰は図体がでかいから、口付けている間も僕は上を向いていなければならない。
何分経っただろうか。いや、何十分経ったのか。長いこと、このままだった気がする。ようやく舌が抜け、貪り尽くされた後には衛宮の体力はゼロに等しく腰に手が回されていなかったら崩れ落ちていただろう。
今度こそ相手に体を預ける。がたいのいい肩に額を押しつけ浅く呼吸をする。
「…社内、ッだぞ」
「そのわりにはお前も舌を絡めてきたが」
「してない」
「……そうか」
「………」
肩に寄りかかる僕と、背中を痛いほど抱きしめる言峰ははたから見ればさぞかし変な光景だろう。あの、女性社員と抱き合っている方が十分まともなのに。
整った呼吸をしながらそれでも尚、体を預けた。煙草に一切手を出さない言峰のスーツからは煙草の匂いがする。吸い慣れた、煙草の匂い。我ながら、随分と女々しいなと心の中で嘲笑った。
「もう三十路手前の男の部屋に入ってくるなり抱きついて唇奪うなんて、いい趣味してるなほんと」
「…お互い様だろう」
はぁ、とため息を一つ。
「………何簡単にスーツに触れさせてるんだ」
「所詮遊びだ。深い意味などない」
「知ってるよ。でも僕が君の誕生日にあげたネクタイだぞ」
「……………」
何かしらの返しが来ると思ったがいつまで経っても言峰は黙ったままなので、おさらくフリーズしたのだろう。さすがに今のはこちらにも言い回しが直接すぎたというのがあったけれど、何も固まらなくてもいいじゃないかと口唇を尖らす。
全く面倒くさい。
「やっぱりなし。今の取り消せ」
「いや、その言葉、ありがたく受け取っておこう。しかしネクタイ直したたけでマーボー豆腐を捨て、朝も起こさないなどそれほど地雷を踏んだのか。衛宮にしてはかわいいな」

嗚呼もう本当に、こいつは、


抱きついたままのこの場をどう対処して逃げようかと考えていたが、その必要はなくなった。今の僕の顔はさぞかしひどい色だろう。頬に溜まった熱を逃がすようにスーツに顔を押しつける。
「――――明日も起こさないで出勤してやる。マーボー豆腐も作らない。僕の仕事場を邪魔するのもなしだ」
「衛宮」
体の深くまで染み込むバスの声。
耳に吹きかけられるだけでもくすぐったいのにスーツの中へ手を忍ばせて背筋をなぞってきた。こり、こり、と背骨をなぞられて思わず身震い。
そうして、言峰は一度、首筋に唇を這わして、一言。
「お前しか見ていないということを忘れるな」



不平等と虚しさと享受とそれと

無意識に言峰のネクタイを握っていて、離せないでいた僕は、彼以上に悪質なんだろう。



20120410

葉那さまのリクエストでした。お礼は改めて伺います。
ありがとうございました!!




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