222 | ナノ






※原作ログアウト





言峰宅には一匹の白猫がいる。思わず手を伸ばして触りたくなるような柔らかな毛並みをしているが、元は泥まみれの捨て猫だった。しかも拾ったのはあろうことか言峰綺礼。最初は驚いた。特に初日は凄まじかったのを覚えている。何せずぶ濡れの泥まみれの茶色っぽい猫を片手に帰宅され、衛宮が悲鳴をあげかけたのは言うまでもない。風呂に入れたら白猫だったが。
その一週間前を思い浮かべながら向かいに座る言峰を見つめる。
「猫の名前はどうするんだい」
読んでいた本から顔をあげ見つめ返される。彼はしばし悩んだ後いつもと変わりなくそっけ無い態度で返された。
「…………思い付かない。好きにしろ」
「好きにしろって、いちばんなついてる君が考えべきだろ。ふつう」
彼が拾ってきて今日で七日目になるが未だに言峰にしかなついていない。ほぼ同居しているといって過言ではないのに衛宮に怯えて近づいてこなかった。
今もそうだ。ソファーで本を読む言峰の膝の上に円を描いて座り、撫でてくる主人の手にすり寄って気持ち良さそうに目を細めてる。時折ぐるぐると喉を鳴らしてリラックスしていた。
言峰は猫を見下ろしながら名前を考えている風だがいつまで経っても返事はない。なついてくる白猫を撫でる手は止めずに目を離して再び本を読みだした。

ま、いいんだけれどね。僕からしてみればいつもみたく体をベタベタ触られるよりいいしな。


呆れたように息をつくと流しているだけのテレビを切るために立ち上がる。たったそれだけなのに子猫特有の大きな耳をぴくっと動き丸い瞳が開く。無論、こちらを警戒するために。
瞳孔の開いた大きな目に見て見ぬふりをする。ああ、ほんとうに嫌われているんだなと苦笑いを浮かべてしまった。

「名前、きりつぐにでもするか」
彼が小さく呟くとすかさず声に力をいれた。
「…ふざけるなよ。僕がいやだ」
子猫の耳が愛らしくぴんっと立つ。主人の顔をじっと見つめ尻尾をゆらゆらさせている辺り、まさかとは思うが気に入ったのではあるまいなと内心ひやひやして双方を見つめる。
腹に響く低い声の言峰に、肩を震わせてしまった。
「きりつぐ」
言峰が僕の名を呼ぶのは唯一床に入る時だけだ。それだけに昨夜の情事がちらちらと記憶を掠めるができるだけ自然に、何食わぬ顔で見つめる。
言峰が顎のラインをなぞるたび、子猫は桃色の舌を出してその指を丁寧に舐めていた。それでいて言峰も言峰で僕を見ずに微笑するもんだからたまったもんじゃない。いきなりあらわれた第三者にという名の愛らしい生き物に対して、気づかないうちに薄い靄がかかる。

何だか、変な感じだな…。

眉を寄せて向かいのソファーに腰を下ろした。
「…きりつぐ」
もう一度。
すると、にゃあんと雌独特の高い鳴き声で鼓膜を甘く震わせた。しかもよりによって僕の名前だ。違和感しかない。それでも体は意識せずとも大袈裟なほど震えた。さすがに不快を感じてじとと睨む。
「おい…、本気でその名前にするなよ」
確信犯めと睨むが彼は耳を傾けない。僕の発言をおもしろそうに喉で笑うだけで一向に目を合わせてくれない。というよりももっとたちの悪い無視を決め込んだ。

いつもなら気持ち悪いぐらい体触って離れたがらないのに。

我ながら子供の思考だと気づきつつ場所を移動して言峰の横の席を失敬した。白猫は耳をこちらに向けて警戒するだけで主人の愛でる手に夢中。ぐる、ぐるぐると鳴らす喉は意思とは無関係に愛らしかった。大人が子供を本能的にかわいいと思うようにこの子猫もまたかわいいな、と思ってしまう。嫌われたままだけれど。

「きりつぐ」

そして、もう一度。
耳を塞ぎたいほど溶ける声は脳へゆっくりと昇る。
隣にいるのに目を合わせない言峰に思わず眉を崩した。眉だけでなく表情も。もし今衛宮に猫の耳があったならば、柔らかな耳を垂れてしゅんとしていたことだろう。

隣に座りながらふと思う。このままだと喉元まで押し上げてくる圧迫感を抑えきれそうにない。きっと次は、無理だ。僕には、もう…。
「っ」
言峰の横顔を見る。
わざと気づかないふりをしているのか。もしくは本当に―――

「きりつぐ、」

そして四度目に名を呼ぶ。
大きく舌打ちした。
限界だ、と。
今は読んでいない本を払い落とし子猫のことなど気にせず、自分でも焦っているなとわかるほど胸ぐらを掴んで引き寄せる。
危険を察知した白猫は主人の膝から飛び降りて近すぎずそれでいて遠すぎない距離で毛繕いしていた。言峰といえばいつもより少しだけ目を開くだけの動揺。ああ、さっきまでほんとうに僕の入る隙間がなかったんだなとそれで思い知らされた。掴みかかる手がより力む。
いま自分がどんな顔をしているかなんてわからなかった。

「僕の名を、僕以外に向けて呼ぶな…!」
投影などしないでほしい、と。

最悪。
声を張ったわりには震えるし、唇はかるい痙攣を起こしていた。子猫を僕に見立てて扱う彼に怒りをぶつけても残るのは空しさだけで、言い終わったあと襲ってくるのは悔恨の念。やってしまった、と思う。
「っ…」
お互い何も言わず見つめ合う時間は短かった。服を掴み引き寄せたせいで顔が近づき、物凄く大人げないことをしているのに気づかされたから。すぐさま手を離しドンっと押し返す。
「……悪い、こんなつもりじゃなかった」
大人しく隣に腰掛け、熱を帯びた頬を手の甲でごしごしと擦る。言峰の顔を正面切って見れない。
「…妬いたのか」
ただ、その一言が全身に馴染んで痺れた。




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