最初は躊躇いがちに「好きだ」と言われた。まるで女の子に愛の告白をするみたいに、小さく一言。 今となっては遠い話だが思い出してみると青峰らしからぬ繊細な声で言われた気がする。いつもみたいなぶっきらぼうな口調はなく、真面目に、真剣に、まっすぐに告げられた、‥‥気がする。 というのは季節が一つ前の話であったためよく覚えていない。それにその時の僕は嫌がらせや悪巧みの類なのかと思って特に本気にすることなく、ハイハイと素っ気なく投げていた。 それからだ。 初めの緊張じみた声はいつの間にかなくなり、遊ぶように言われる好き好き攻撃は連日に渡り、ついには赤司の頭の中をぐるぐると巡って悩みの種となった。クラスが違っても必然的に会ってしまうこの部活という環境を、この時ほど恨んだことはない。 最初は素っ気なくしていたが、二回目、三回目、四回目と続かれるとさすがに変な気分になる。男から、しかもあのおっぱいバカの青峰大輝が、帝光中学校の部長に、赤司征十郎に、好きだと熱烈アプローチを受けるとは何事だ、と。 二人きりの時を狙って言われる好き好き攻撃にさすがに痺れを切らして理由を問いつめると、 「ただ好きだから」 それだけだった。だから、 「いい加減やめろ」 と突っぱねてみたが、それでも青峰は二人きりの時を狙って睦言を囁く。 それからいくら青峰に「よせ」「やめろ」と言い聞かせても止むことはなかった。体に触れはしないこそ青峰は言葉で赤司を追いかけた。何度も何度も、好きだ、と告げる。 結局一つの季節が通り過ぎてしまうほどその告白は長く続いて、季節はすっかり夏になった。 「少し席を外させてもらう。皆は先に食べていて構わないから」 昼食を食べようとしていた部員に一言かけて、タオルを片手に席を立った。 夏の土曜日の午後。 長めの昼休みを利用して赤司は体育館裏の水道場に向かった。日向が燦々と照りつけるこの場所は、夏になると人が寄りつかないことを二年前から知っている。 一人で水道場を占領すると蛇口をひねって大量の水を流し、それをタオルに浸す。そしてギュッと強く絞り、首筋に当てた。 全身から吹き出る汗を冷えたタオルで首筋からうなじへ下に向かって這わせ、誰もいないのをいいことに服の中へタオルを忍ばせて腹部や腰を拭う。 黄瀬や青峰はこういうことをタイムアウトだろうと練習後だろうと人前で平気でやるが、赤司にとってそんな品のないことはできなかった。だからわざわざ人気のないこの水道場を選んで汗を拭う。 「‥‥‥‥‥‥」 今一瞬青峰のことを思い出しかけて手が止まったが、何でもないように首を横に振って紛らわす。今は休憩中だ、余計なことは思い出したくない。 ―――が。 「あ?お前こんなくそあっちー所で何してんだ」 気を抜いていたせいか背後から近づく気配に全く気づかなかった。しかも不運なことにジャージを捲って腰の汗を拭う真っ最中だったから、青峰からしてみれば腰から背中にかけての肌が丸見えだったに違いない。 すぐにジャージを戻すが時既に遅し。 ‥‥‥最悪。 さすがに嫌そうな顔をわざわざ出すことは大人気ないから何でもないように振り返り、できるだけ事務的に答える。 「何って、汗を拭いていた」 「あ、そ」 適当に話を流すと赤司の隣に立って蛇口を何回も回し、大量に吹き出る冷水に頭から突っ込んでいった。それ子供のやることだろう、と言い掛けたが何となく口を閉じる。 あれだけ変に好き好き言って来るから、今の光景について何か突っかかってくるものだと思っていたが、意外。 自意識過剰だったかとやや反省してみたが、そんなことを考えている場合ではないと犬みたいに冷水をまき散らす青峰から踵を返した。 「なあ赤司。タオル貸してくんね?」 逃げるのを見越したように声をかけられる。 振り返れば青峰はタオルを持っておらず、見事に手ぶらだった。体育系の部活なら当たり前に持っているものを忘れる神経が赤司には分からず、あまりの管理のずさんさに頭を抱える。 「‥‥‥‥これ一枚しか持っていないぞ」 「あーじゃあそれでいーわ。ちゃんと洗って返すからよ」 汗まみれのタオルを人様に貸すというのは赤司でなくても一般的に中々躊躇いがある。しかもこの場合一方的に好き好き言ってくる男に貸すのだ。躊躇いがあるどころか正直貸したくない。 しかし貴重な部員をこのまま放置して気化熱で脱水を起こされては困るため、足下に水溜まりを作る青峰にため息混じりにタオルを差し出した。それを受け取ると屈託のない笑みを返してから、人のものなのにガシガシと容赦なく青の髪を拭く。‥‥何か、渡さなきゃよかった。 「嫌じゃないのか?」 「何が」 「汗まみれのタオルだぞ。普通嫌だろう」 「別に。好きな奴の汗なんて気になんねーだろ」 「‥‥‥‥‥さすがにそこまで来ると気持ちが悪いぞ」 「本当の事なんだから仕方ねぇじゃん」 「‥‥‥」 あからさまに蔑んだ顔を向けたが、当の本人は何でもないようにさらりと返した。 風呂上がりの子供みたいに髪を拭いているのを見上げていたら青峰と、目が合う。 まずい、と目を逸らしたが遅かった。 タオルを渡してすぐに体育館へ戻らなかったのを今になってもの凄く後悔した。 「好きだ、赤司」 首にタオルをかけた青峰に距離を詰められると逃げられないよう手首を掴まれ、ここ数ヶ月聞き飽きた単語を真っ正面から向けられる。羞恥もへったくれもなく。 青峰の低い声は嫌でも全身を揺すられ、頭の中はどうすればいいかわからずにぐるぐると複雑なとぐろを巻く。毎回これだ。ここ最近告白されるたびに気味の悪い渦がずっと巡るのだ。 顎を引いてうつむくときつく眉を寄せる。 「なあ、そろそろ返事してほしいんだけど?」 「しない、したくない」 顔を覗かれるように屈まれたから顔を横へ逸らした。平静は保てているつもりだが、今どんな顔をしているか自分でも分からないから逸らす。 握られた手首が、ほんの少しだけ痛い気がした。 「しろよ」 「‥‥いい加減にしろ。お前、ストーカーみたいだぞ」 「そりゃあ誰かを好きになったらある意味皆ストーカーじゃん?汗かいてるお前も、勉強してる時の横顔も、たまに笑う時とか、叱ってる時とか、全部お前が好きで気づいたら目で追ってる。今さっき無防備に見せてた肌だって、他の奴らに見せたくねーぐらい好きなんだけど」 前半の言葉はともかくとして、肌露出についてそこまで突っかかってこなかったのは変に刺激して部室でやらせないためだろう。青峰は至極単純バカだから一応隠そうとしたつもりらしいがバレバレだった。 しかしどうしてこうもアメリカナイズされたようにさっぱりすっきり言い張れるのか理解できないが、ここまで言われるといっそ清々しいほどだった。いや、やっぱり気持ちが悪いが。 「‥‥‥‥」 それでも、いつもより本気めいた言葉に今まで以上に何て返せばいいかわからず黙る。 手首は振り解けなかった。払う余裕など、なかった。 赤司自身、周囲から尊敬の目を向けられていることは知っていたし、それが決して好意の部類ではないことも承知していた。 尊敬と好意は近いようで違う。赤司に向けられるものは尊敬に畏怖が混じっていたため人間として好まれているとは言い難かった。 しかし、一つ季節を跨ぐほど注がれた愛情を赤司は知ってしまった。尊敬でもない、畏怖でもない、ただひたすら己だけに向けられる、情。 赤司は男性女性共にここまで好意を向けられたことなどない。もちろん、好きになったこともなかった。だからこそ向けられる知らない感情に戸惑って、迷って、黙る。 らしくないことは百も承知。 でも、心も体も何もかも愛される感覚が、どれほどくすぐったくて、どれほど‥‥‥‥心地良いか。 その心地よさは赤司の悩みの種とさせた。無意識に青峰のことを考えてしまう。朝起きた時。歯を磨いている時。登下校の時。授業の休み時間。食事中。眠る前。夢の中でさえも。 なぜこのオレを好きになったのかとか、青峰に好かれるようなことをしただろうか、とか。 日夜、青峰のことを考える。それはまるで病気のようで体の外へ追い出せない。 じゃあ例えば交流の多い緑間だったら?懐いてくる紫原だったら?どうなっていた? …………想像に欠けるが多分、はっきり断っていた。恋愛対象にならない、と。 それならばどうしてこいつには本気でちゃんと断れない。 「おい、赤司。さっきから何黙ってんだよ。体調でも悪くなったか?」 「そうかもな、オレもついに頭がおかしくなったのかも‥‥」 頭の良すぎる赤司はたどり着いた一つの答えに、言い終わってからうつむいた顔が一気に火照る。みっともない顔をしているのが自分でもわかった。 隠したくて逃げ出したくて、手を振り解きたいのに、振り解けない。 まだ握っておいてほしかったから、だなんて。自分の知らない女々しさに気味が悪くて頭痛がしそうだった。 「‥‥‥え」 掴んだ手首を離せと怒鳴らないのも相まって本気で体調の心配をした青峰が、屈んで顔をのぞき込めば、文字通り真っ赤になった赤司の顔に体が固まる。 一方の赤司は地面ばかりを見ていたせいかそれに気づくのに数秒遅れた。 結局、青峰の声にはっとなって顔を上げてしまったことが敗因。体調が悪くて顔が真っ赤でないことぐらい、青峰でも分かった。 頬や耳がやたら赤くて、熱そうで、おそらくこいつは照れている、と。 「いつまで掴んでるんだ。青峰離せ、この‥‥っ」 今更になって手を払おうとやたら太い手首を掴んで足掻いたが、本気ではないことぐらい分かる。赤司が本気を出せば急所を突いて精神的に踏みつぶすだろう。こいつはそういう男だ。 本気の抵抗をしてこない理由なんて、一つしかない。 腕を引っ掻いてつま先を踏み始めた赤司の手を引いて、小さな体を胸に抱き込んだ。死ぬんじゃないかと思うこの炎天下の中で抱きしめるなど苦しいだけだが、それでも今の青峰には構わなかった。 一方赤司はこんなにふうに抱きしめられるのは生まれて初めてで、青峰の胸の中で動揺する。水と汗が混じった彼の匂い。 少しでも気を抜けば体を預けたくなってしまう己の危うさに、目が揺れた。 焼かれそうなほど暑いのに暖かくて、抱かれる腕は痛いのにやさしくて、何をどうすればいいかわからない。顔が見られないだけまだましかと抵抗はせずに青峰の心臓の音に耳を寄せた。 笑えるほど彼の鼓動は速かった。 青峰は赤司を抱きしめている状態をキープできているだけでも異常事態で気が気ではなかったが、ふと浮かんだ一つの疑問を口にする。 「こんなストレートな告白とか、今までなかったのか?」 「‥‥告白されたことなどない」 躊躇いなく答えた赤司にいささか意外ではあったがおそらく雰囲気からして近寄りがたいのだろう、と遠い目をしながら青峰は悟った。 むしろ好意を抱いている者など沢山いるというのに。男女ともに裏でこそこそ話しているのは疎い青峰でも空気で分かった。赤司を知りたい者や好意を抱いている者など、掃いて捨てるほどいるのにこいつはそれに気づいていない。 おそらく向けられる感情に気づいていてはいても尊敬の部類に纏めているのだろう。 全く、頭がいいのか馬鹿なのか分からない。 いや、今はそんなことよりも。 「キスしたいんだけど」 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥いやだ」 何をどう話が逸れたのか分からないがそれだけは嫌です、みたいな口調だった。 「ちゅーして、口ん中舐めたい。そんでセックスもしたい」 「変態。女性の胸が好きじゃなかったのかお前は」 「おっぱいは別」 「最低だな。第一オレは男だぞ」 「ここんとこずっとオレは男のお前に向かって好き好き言ってんだけど」 もはや開き直っている青峰に赤司が論破して勝つことはできない。 緊張していた肩の力が緩み、もういいかと呆れ果てながらためらいがちに青峰の背中に手を回しかけたタイミングで、腕が解かれた。 膝を少し曲げて屈んでくる相手を睨みながら殴ってやろうかと血迷う。 「え、何で怒ってんだ?」 「別に、何でもない」 青峰はどこか不安げで自信なさそうな声だったが、行動だけは大胆で己の赤く染まる頬を両手で包まれた。 手が、頬が、ひたすら熱い。くすぐったい。気持ちがいい。 顔が近い。唇に、お互いの息がかかる。 伏せた瞼をおそるおそる持ち上げて黒い青の瞳を見つめれば、オッドアイの瞳を左右交互に見返された。 唯一内臓がむき出しになった目を見つめられると、どうしてこうも居心地が悪いのか。まるで心の中を覗かれているようで、少しだけ怖い。 「お前、オレのこと好きだろ」 ‥‥‥本当に覗かれたのかと思った。 言い返そうとしたが、言葉を奪うみたいに唇を塞がれる。二人分の重圧に耐えられず後ろに一歩下がれば、支えるために腰に腕を回された。 最初は軽く触れるだけ。そして啄むように甘く唇を吸われた。やたら手慣れた手付きのそれは、何度も他の輩とキスしたことがあるのを物語っていて、何か負けた気がしてならない。 青峰のくせに何でこいつこんなキスが上手いんだと内心怒りながら背中のジャージを強く掴んだ。もっとも、お付き合い経験なしの赤司はキスの仕方など無知なため張り合うことすら無に等しいが。 「‥‥‥ん‥‥」 荒い口使いで口付けを受けるものの、息継ぎが全く分からず逃げるように顔の角度を変えた。そのたびに唇が追いかけて来る。唇と、舌で。まるで今まで我慢してきたものをぶつけてくるみたいだった。 それが、とても苦しい。 「は‥‥‥っ、ふ」 「‥‥赤司‥‥‥‥」 ようやく唇を離された頃にはすっかり酸欠状態で、咳き込んでは肩で息をする。 無言で背中をさすってくる青峰にかける言葉は見当たらず、とりあえずうつむいて手の甲で唇を拭ってみたら、湿っていた。それがやたらいやらしくて、現実を突きつけられる。 こんな真夏日の真っ昼間に誰もいない場所で、同じ部活の男と恋人みたいなキス、と思うと、何かとんでもないことをしてしまった気がする、と。 「好きだ、赤司。‥‥好きだ」 考える暇を与えないよう間髪入れずに低い声が流れこんできて、どこまでも赤司を追いかける。よくそんな恥ずかしい言葉がかけられるなと思いながら、まんざらではないと思う自分がどこかにいる。 「‥‥‥」 沈黙は受容と肯定の証。 頭上で笑った声がした。勝った気でいるんじゃないと宣言するように宥める手を払い退け、背伸びをして唇を奪う。 知識も技術もない下手なキスだったがそれでも不意打ちだったのか青峰は目を見張っていて、それがあまりにも快感だったからふふん、と悪戯っぽく笑った。 上手いキスなんてどうせできない。だから滑らかな舌で相手の下唇をやさしく舐めて、すぐに離れた。 「やられっぱなしは間尺に合わない」 今までされっぱなしやられっぱなしだった赤司はやり返した事に清々していて、青峰は切り返しの早さに唖然とする。滅多に見れない初々しい顔はもう跡形もない。いつもの気高い赤司征十郎だった。 「ていうか返事なしかよ。何かオレが報われねぇぞ」 あまりの暑さに体育館へ戻る道を歩く中、危うくキスで流れる所だったが青峰は流れる赤髪を軽く引っ張った。膨れたように言えば、素っ気なく返される。 「ああ、そういえばそうだな。気が向いたら返してやる」 戯れに動いた手は振り払われなかった。 「‥‥‥お前って、ほんっとわけわかんねーな」 「そりゃあどうも」 青峰はそこが好きだけど、と後付けみたいに言うが赤司はもう何も返さなかった。 なぜこんな野生児みたいな男を好きになったのかもわからないし、恋人なんてくすぐったい呼び方をしたいとは思わないが、次に好きと言われた時にはせめて小さく頷くぐらいはしてやろうと赤司はこっそりと誓う。 そうしているうちに隣で歩く青峰の唇が、また愛を囁くために動いた。 20130428 支部ろぐ |