最後に会ったのはいつだっただろうか。時間の感覚が曖昧で、もう何百年もの空白が横たわっているような気すらする。実際には一月だって経っていないというのに、全く記憶とはいい加減なものである。
日が暮れるのは、一年が過ぎるのは、早いのに、それなのに、時はのろのろとまとわりつくのである。まるで嫌味ったらしく嘲笑しているような、忌々しいもの。
それに便乗して、空気や、景色や、己の周りのありとあらゆるもの達も、己におぶさってきたような気怠さ。散漫しがちの思考。
「一日千秋」
目の前の兎に言う。単語の音が自分の耳に届いて、変な余韻を残す。まるで何かコメディの様な響きに感じられて、白澤はふふ、と声を溢した。
兎は逃げることも、白澤を見上げることもなく、ひたすらに草を食んでいる。忙しなく動く口許が、生の象徴の様である。その丸まった背中をそっと撫でると、柔らかな体毛がさらりと手に触れた。皮膚は温かく、その下に脈打つ血の流れすら掌に伝わり、それもやはり忙しない。まるで、口と心臓が連動しているような。
兎を膝に乗せ、両腕でそっと包む。一瞬抵抗を見せたが、すぐに大人しくなり、白澤の胸に収まった。
「何をしているんです」
草を踏み分ける音が耳に届くと、すぐに頭上から声が降ってきた。抱き締めた兎を死角に、白澤は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「別に。息抜き」
ちらりと目を向け、何しに来たのさ、と棘のある口調で言う。
「私も息抜きですよ。仕事が休みですから」
「ふん」
じとり、と睨むように目を細める。何を考えているか分からない瞳と視線がかち合った。黒曜石のようなそれには、殆ど光は点っておらず、どこまでも冷めていた。
ひゅう、と風が走る。少し肌寒い風、季節が変わったのか、と気付く。
そんなことにも気付かないほど、日々に埋もれていた事に、白澤は驚く。長い年月を生きてきた。その間、季節の変わり目は、白澤が秘かに楽しみにしている数少ない変化であり、時を告げる時計にも似て、それが白澤の時間をちくたくと示していた。
それを、見落としていたのである。目覚ましが鳴り響いているのに眠り続けていたような。夢心地。
「用もないのに天国まで来てはいけませんか」
白澤の仏頂面を自分に対する嫌悪ととったのか、鬼灯が言う。
「そんなこと言ってないだろ」
「そうですか」
無感情に紡がれる音の意図は汲めない。見やれば、鬼灯は広がる桃園を眺めていた。不規則に吹き抜ける風が時折肌を撫でる。髪が靡く。着物の裾が大儀そうに風を受ける。桃源郷の名に相応しくない、漆黒。
会話はなく、ただいつもとほんの少し違う風景がそこにあるだけで、いつもよりほんの少しそぞろな気持ちになっているだけで、何も変わらない今である。
「ここから見える景観には違和感を覚えます」
独り言のように鬼灯が言う。ちらりと見れば、視軸は遠くにある。
「そりゃあ、地獄とは大分違うだろうよ」
「そうですが」
嫌いじゃないです、と言うその顔は、普段よりかは穏やかだ。責任を問われる場から離れたせいだろう。
それほどに根を詰めなければならないのなら、辞めてしまえばいい。全て捨てて自分の下にくればいい。思うだけで、口には決して出さないけれど。
「ああ、この場所は好きですが、あなたは嫌いですので悪しからず」
「…うるさいな、聞いてないよ」
ふとすれば突き放す彼に、低い声で抗議しても、のらりくらりとかわされる。気にも留めていない。
「さて、兎も見れましたし、帰ります」
小さく伸びをしながら鬼灯が言う。ああそう、と短く返事をすれば、無言で足を踏み出した。
草木の揺れる音すら聞こえてきそうな、静かな景色、時は、思うよりずっと短い。とくとくと、抱えた兎の鼓動が聞こえる。あとどのくらい時間は残っているのだろう。
ふと、鬼灯が振り返る。唐突に視線がかち合い、心を読まれたような気がして、白澤は動揺した。
「まだ何かあるの」
「いえ、別に何も。…ただ、この気温でその格好は如何せん寒いかと」
「へえ。お前、心配してくれるんだ」
「まあ、倒れられたら貴重な薬も手に入らなくなりますから」
お大事に、と、表情ひとつ変えずに、今度こそ鬼灯は去っていった。
「…もう、」
体調の心配など、余計である。半端な気遣いなど、優しさなど、惨めになるだけだというのに、知ってか知らずか、普段は憎まれ口しか叩かないのに、時折そうやって、精神を揺らすのである。
その言葉に他意はないのだろう。それでも、それ以上の意味があるのではないかと勘繰り、そうであってほしいと期待するのである。
自分の女々しさにはほとほと嫌気が差す。まるで生娘か何かのような、この恋慕。全く自分はどうかしてしまったのだ。
ふと、兎がばたつき始めた。腕の力を抜いて逃がしてやれば、どうやら食事を再開したかったらしく、無心に草を食み始める。腕の温もりへの執着は欠片もない。それを見て、白澤は苦笑した。
「君は自分に正直でいいね」
所詮、臆病なだけなのだ。



忌々しいのは、この感情。






20111125
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