どんなにがむしゃらに走っても追い付けない。
がむしゃら故に、道をまっすぐに走れないのか、その場で足踏みをしているのに気付けないのか、わからないが、何千年経っても開いている距離は縮まる気配すら見せない。
こんなにも足を動かし続け、手を伸ばし続けているのに。
それとも、自分の目に映るあれは幻想なのだろうか。
本物の彼と、全く別の方角にできた蜃気楼に、触れようと躍起になっているのだろうか。
そうならば、これほど滑稽なことはあるまい。
どんなに焦がれても、幻、実体のない虚構である。
望んだところでどうにかなるものではない。
すり抜けて、かたちを変え、息継ぎすらできない己にふと気づけば、嘲笑うように弧を描くくちもと。
ああ、忌々しい、憎らしい。その口縫い付けてやろうか、いやいや裂いてしまうのもいいかもしれぬ、そんな自分勝手な八つ当たりを、一体何度したことか、最早星の数。
それでも、幻ならばどんなにいいかと夢想した。
幻ならば、自分の中でのみ完結した事象、そこに何者の思考が紛れ込むことはない、例えそれが、彼の人だろうとも。
幻ならば、その視線が自分と交錯することは決してない、例えそれが、彼の人と目が合った瞬間ですらも。
しかし、残念なことに、己が見ているその背中は、恐らく本物であるようなのだ。
そうでなければ、交わした瞳の中に渦巻くこの思慕を見透かしたように顔を歪ませるあの動作はなんだというのだ。
ほんの少し、平素より親しみを込めて触れた手が、その肌の質感を感じとる前に叩き落とされるのはどうしたことだというのだ。
(果たして)
気づいているのだろうか?それとも、嫌悪からくる生理的な反応なのだろうか?
そんな子供のような問いをぶつけられるはずもなく、幾年月。いや、幾年、なんて言えるような時間ではないのだけれど。
ああ、沸騰した地獄の大釜の湯にも似て、ぐつぐつと音を立てるそれはぷくぷくと確実に容量を増やし、この長い年月の中で、人よりも大分大きいはずの己の器をすっかり満たしてしまっている。
あと一滴、
あと一滴でも増えようものなら、この感情、どこから零れるかわかったものではない。
それなのに、あの男ときたら、
「はあ?」
己の低い声が、狭い部屋にぶつかって消える。
「今、なんと言いました」
今、自分はどんな表情で、どんな動きをしたのだろう。
相手は不機嫌そうに、目を細めて、だァから、と口を尖らせた。
「僕に言いたい事があるなら、いつもの暴力みたいにさっさと言えばいいじゃないか。いつからかなんて忘れたけれど、いい加減気持ちが悪いよ」
ぎりり、と歯の奥が鳴る。とうの昔に見破られていたなんて、見破っていながら素知らぬ振りをし続けていたなんて。
ふつふつと沸き上がったそれは、そうでなくとも脳を浸食し、その都度無理に閉め出さなければならないほどの密度を呈していたというのに、この野郎。
いとも容易く揺さぶって、豪快に中身をこぼしやがった。



苦虫を噛み潰した、そんな表現で収められるのならば、世のあらゆる全ての出来事は、用意に言葉としてバツコするだろう。
しかして己の内から溢れたがっているそれは至極簡単なもので、たったの一秒、いやそれに満たない秒数で相手に届くのだけれど、それを今この場で吐き出すのは相手の口車に乗ったようで酷く不快で、また、そんな言葉で伝わる感情ならば、これほど苦労はしていないのだ。
殴り飛ばして馬乗りになると、怒って喚くそれを見下ろして、じとりと視線をくれてやる。途端に黙るそれはつまり、直接的なコミュニケーションなしでも、自分の意図を察したという証。
「わざわざ言わなくとも、わかっているのでしょう」
絞り出した声に、目を泳がせながら肯定する彼に、むかむかと感情が波立つ
「じゃあ何故黙っていたのです」
「黙っていたのは僕じゃない」
言われなきゃわからない、と言う彼を、嘘つき、と罵れば、嘘つきはどっちだ、と睨まれた。
「いくら識を知ろうとも、あなたは待っていてくれない、遥か遠くで胡座でもかいていたのでしょう」
「僕は誰も置いていこうなんて思っていないし、していない。そう感じるなら、お前自身がそうしているのさ」
言い分が気に入らなくて頬を叩けば、子供じゃあるまいし、と呆れた物言いで返される。
「つまり、与えられるのを待っているんだろ」
「その口縫ってやろうか」
「ほら、当たった」
にやりと歪められた口端から、くつくつと笑いが落ちる。言い返せずに拳を握れば、突如相手の口がぱくりと開き、その笑みが響くような大声に変わる。
「欲しいと思ったのなら、行動しなきゃ手に入らないのさ」
それは押してみたり、引いてみたり、素知らぬ顔でやりすごしたり、例えばそう、
「こんなふうに」
おかしそうに笑みを浮かべたまま、握ったままの手を引かれ、口許に当たった感触は。
見開いた目は、驚愕で何も映さない。
今、私は、
どんな顔をしている。






20120603
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