コツコツと響く、あれはハイヒールの音である。枕元に手を伸ばして時計を確認すれば、時刻は午前一時。まだまだ夜半だ。今日のお相手は泊まって行かぬのか、などとぼんやり考えているうちに、店の戸が開いて閉じた。それと同時に女の足音は聞こえなくなり、辺りはしんと静まり返る。
半覚醒の状態で、時計の秒針が奏でる一定のリズムに眠気を誘われ、桃太郎はうとうとと目を閉じた。意識が布団の暖かさに吸い込まれようとしたの時、カチャリと自室のドアが鳴る。瞼を開けてそちらを見やれば、だらしなくシャツを羽織った白澤の姿が、暗がりの中に見てとれた。
「どうしたんですか、こんな時間に…」
「あれ、起きてたの」
「まあ」
月光だけでは心許ないと、桃太郎は身を起こし、机の上に鎮座していたランプを灯す。控えめな光が同心円状に辺りを照らした。それを受けて、白澤がぼんやりと浮かび上がる。そこで漸く、白澤は桃太郎の瞳にはっきりとした像を結んだ。
白い肌はランプのせいか僅かに橙を帯び、目元の赤は普段よりも深みを増している。シャツには皺が寄っており、一日着ていた物であることは容易に分かった。その釦は一つとしてとめられておらず、惜しげもなく晒された肌と、見え隠れする鬱血の痕。その痕が妙に色付いて感じられて、桃太郎は視線をずらした。
「女の子帰っちゃった」
どんな思いでの発言なのか、判断しづらい声音で白澤が言う。はあ、と溜め息のような相槌を打つと、彼は寝室のドアを閉め、ひたひたとこちらへ歩み寄った。そこで初めて、桃太郎は白澤が裸足であることに気付く。
寝台のすぐ横まで来ると、白澤はさも当然のように潜り込もうと掛け布団を捲る。その動作に驚き、桃太郎が身を起こすと、それを見て白澤は首を傾げた。
「起きるのにはまだ早いよ、桃タロー君」
「いや、何してんですかアンタ。ここは貴方の部屋じゃないですよ」
「やだなあ分かってるよ」
おかしそうにくつくつと笑う白澤に、桃太郎は辟易する。己が男女の営みに対する免疫が低いことを知っているくせに、女との情事直後に部下の布団にずかずかと、一体何を考えているのだ。
嫌でも目につく赤い痕、それに加えて白澤から微かに香水の匂いが香った気がして、桃太郎は布団から離れようとした。しかし、白澤に腕を掴まれた事でその行動は失敗に終わる。嫌そうに白澤を見れば、当の本人は人懐こい笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「つれないなあ。一緒に寝ようよ」
飄々と発された言葉に、桃太郎は目を点にする。
「は」
「なんだか人肌恋しくて。心配しなくても何もしないよ」
「じゃあなんであの女性帰したんですか…」
帰したんじゃないよ、帰ったんだよ、と宣うその軽い口調とは裏腹に、腕を掴む力は桃太郎を決して逃がさない。変なところで頑固なのである。細められた目が、それを物語っていた。
「…わかりましたよ」
諦念を空気と一緒に吐き出して、桃太郎が渋々ながら戻ると、白澤は満足そうに自分と相手に布団を掛けた。
本来一人用であるそれに、決して小さくはない男が二人横になっているせいで、だいぶ狭くなったそこは、ぴったりと身を寄せあわせなければはみ出してしまう。必然的に白澤に擦り寄るような状態に陥ってしまったことに、桃太郎はげんなりした。すると、白澤の腕が桃太郎を抱き締める。ほどよい力で包まれて、桃太郎は困惑した。
「白澤様?」
「ん、桃タロー君ぷにぷにしてて女の子みたい」
回した腕に力をいれ、すりすりと幸せそうな口調で紡がれた言葉に、桃太郎は眉を潜めた。
「嬉しくないです」
「あは、いいじゃない。晩安」
慣れた手つきで頭を撫でながら、白澤が目を閉じる。それにつられるように、桃太郎も瞼を下ろした。
自分以外の温かさが新鮮で、また、心地よくもあり、桃太郎はあっという間に睡魔に引き込まれる。ああ、明日の仕事はなんだったかな、そんな事をぼんやりと考えているうちにも、みるみる思考は鈍くなり、夢の世界へと引き込まれていった。






20120227
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