彼女は俺に会った途端ぽろぽろと涙を落とし始めた。
ちょっと来て
こんな絵文字はおろか句読点もないメールが彼女から届いたのは初めてで、俺はもう尋常じゃないくらい慌てた。何かあったのに違いない。考えれば考えるほどマイナス思考になって行って、意味もわからずに頭の中で必死で描くシナリオは悪い方へ悪い方へ進んでいく。何が、あったんだよ。
息を切らして階段をかけのぼって彼女の部屋の扉を開けようとすればガチャンと大きな音をたててそれは何かに阻まれた。そっと冷たいものが全身をかけた。彼女が昼間に部屋に鍵をかけるなんてことは今までに一度か二度あった程度で、その確率の低さは俺自身が身をもって知っている。あり得ない。やっぱり、絶対におかしい。ポケットをひっくり返して合鍵を探してそれを鍵穴に差し込む。壊してしまいそうな勢いで扉を開けて駆け込もうとするとそれもまた何かに阻まれた。今度は、彼女自身だった。
「あ、ずさ」
「どうした?」
玄関にへたりこんだ彼女に俺は出来る限りやさしい声で尋ねた、つもりだった。なのに彼女は俺の声を聞くなりぽろぽろぽろぽろと涙を落とした。カーペットに染みが出来ていく。
「ねえあずさ」
「うん」
「どうすれば、いいの?」
俺は彼女の横に座ってだいすきな髪をなでた。彼女は髪をなでられるのが好きで、今俺に出来ることとして思い付いたのがこれだった。髪を指にからめる。指を伸ばす。涙の乗ったまつげに触れる。
「話してくれるか?」
「…うん」
何があった?と改めて俺は言って、生唾を飲んだ。じわりと緊張が襲う。彼女が口を開くその時間が恐ろしく長かった気がした。でも今までとこれからと何も変わらない普通の一瞬だった。そっと空気が、ゆれる。
「赤ちゃんが、出来た」
あんなにも構えていたくせに、彼女のことばは唐突で、俺はその意味をなかなか理解出来ずに黙っていた。けれど彼女の表情、その不安に押しつぶされそうな表情を見たら何故かすっと彼女のことばが解けた。ぽろぽろと落ちる彼女の涙と一緒に俺の目からも何かが落ちていく。頭の中がぐちゃぐちゃになって、無意識のような感覚でことばがこぼれ落ちた。
「俺さ」
「好きだよ」
俺、お父さんになれるかな。情けないけど俺も彼女に負けないくらい泣いていた。あずさならなれるよ、いいお父さんに。ぐっと俺の胸に顔を押し付けて彼女は声を殺して、それでもかすかにもれる嗚咽は隠せずにさっきより泣いた。なあ、俺にその子のお父さんにならせてくれないか。
「結婚しよう」