たとえば、いま一番欲しいものといえば水で、大袈裟にあたまからかけてしまってこの空気をなくしてしまいたい。熱いのは身体だけで、脳は不思議と冷ややかに自分を傍観している。まだ夜は明けたばかりだというのに、まったく。

「だれだ」

どうしてわたしはいま男と深くベッドに沈んでいるのだろう。服はまだ着ているのにこんなに身体中は熱くてしかたがない。ゆっくりとなでるシーツがくすぐったい、痛い。沈んでいる、と言ったら語弊があったかもしれない。正しくは沈められている、だ。ぎしりと彼の力でベッドは唸って、より深くわたしを沈めていく。わたしの目の前の彼の目は、突き刺すように、視線でわたしの目をくりぬいていく。目を瞑る権利も勇気も、わたしにはなかった。

「だれに抱かれた」

山本か?哀しそうにも強そうにも見えるその目を見ながらわたしの脳裏に浮かんでいたのはわたしと彼に共通するあのボス、沢田綱吉で、つい何時間か前の彼との行為だけが意識を支配し始める。はやと、あなたはほんとうのことを聞いたらどう思うのかな。あなたの大好きなボスが、わたしと。わたしが、あなたの大好きなボスと。

「ボスって言ったら?」

にたり。一瞬の勝機に身を委ねて弱ったはやとに目だけで畳み掛ける。じわりじわりと弱くなっていく彼を見ているのは少しだけ楽しくて、またボスの顔が浮かんだ。わたしってなんていじわるなんだろう。ごめんねはやと。

「黙りな」

ぎしりとまたベッドが唸って、彼の顔が近くなって、そのゴツゴツした男のゆびが服にかかる。ここははやとの部屋ではなくて、わたしの部屋。ボスだってここまで訪れてくれて数時間前の行為に至る。するりと肌をかすめてシーツがベッドから落ちて、自分の爪先が見えて、彼の膝がわたしの腰のそば辺りに沈んでいるのがわかった。はやとはぎゅうと目を瞑った。きっとボスへの気持ちを振り払うためだろうと思う。その表情は苦悩そのものだった。ぱちんと瞼をはじいたあと、はやとはゆっくり笑ってみせて、いろんな仮面を被っていた。

「お前は黙って抱かれてろ」

あのゆびはいまわたしのどこに触れているんだろう。冷たい脳内はしびれて機能を停止しようとしている。わたしはその笑顔に隠された感情をしって、どうするんだろう。水がすべての目を覚まさせてくれるような気がして、水が彼の仮面を流し去ってくれるような気がして、わたしはいま、冷たい冷たい水を欲している。不都合なことはぜんぶゆめであればいいと思うなんて、わたしはどれほど愚かなんだろう。


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