「ひとりでお楽しみですか」

げほ、薄い壁の向こうで聞こえた知っている声にむせた。さっきまで出掛かっていた中途半端な甘ったるい声はどこへ消えたのだろう、出した声はいつも通りの高さの音。

「…ここ女子トイレ」
「知ってますよ」

ドロドロになった右手を紙で拭こうと思ったら紙がなかった。あら、どうしよう。あさ、まで言ったときに上からそれが投げ込まれた。…よくわかったね。ここの掃除のうちのクラスの子はさぼること多いですから。ありがたくくるくると回してそれを指にぐいと押し当てる。握ってずらして拭き取って、便器の中に投げた。じわり。水が染み込んで原型はもう見えない。捻れた下着をゆっくり上げて、よれたスカートを元に戻す。その音だけが響いた。静か過ぎて気配すらわからない。ドアの向こうにいるのかいないのか。少しこちらも動きを止めて、相手の存在を確かめようと耳に神経を集中させる。わからない。まあいいかと諦めて、ざあと大きな音をたてさせる。証拠隠滅。少し大きすぎる音が耳に響いて、なんとも言えない不快感が喉を下りていく。そういえばひとりでお楽しみ、ばれたんだっけ。ふとよぎるさっきの言葉に一瞬背筋が伸びた。流れていった水と音に、リアルタイムの声が重なる。

「あさば」
「…自分の名前がどうしたの」
「そう言いませんでした、さっき」

うっそ、そんなこと口走ったのかわたし。え、と思わず漏れた声にあっちがたたみかけるようにわたしに問い掛けた。

「誰のこと考えてました」

そんなの。

「…あんたのこと」

がちゃんと古めかしい音をたてて鍵をあける。ぎいいと不吉な響き。見慣れた男が目に入って、アイコンタクト。もう言葉なんていらなくて、わたしが開けるでもなくあっちがドアを引く。左足を一歩、踏み込んで来る。それからまだ少しだけ湿ったわたしの人差し指を、ぱくり。

20101123


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