少し仲がよくて、バシバシ叩き合って笑い合って、たまに放課後に5人くらいで一緒にアイス食べたような関係。そのなかのひとりがヤツだった。そいつを思い出したのは、ブラウスのボタンが取れたからだった。いや少し話が飛びすぎた。えっと、ブラウスのボタンが取れた。でも裁縫道具なんて持ってない。嘆く。友達が「浜田なら持ってんじゃね?」と言った。だから思い出しただけ。そしてその友達の会話にはもう少しだけ続きがある。

「なんで浜田?」
「や、アイツ留年したけど、いま野球部の応援団やろうとしてんだよ、知ってる?」
「知らない」

お前冷たいなあという目で見られたけれど、ほんとに知らなかったのだ。なぜか改めて取れた小さなボタンをきゅうと握る。

「まあそれで、その応援団の関係で1年のどっかの教室で一生懸命何か縫ってんの見たわけ、昨日」
「へえ」

だから今日もやってんじゃねーかなーって思ったんだよ。そう言ってその友達の関心は手元の小説、生きる文字たちへと散っていった。正直、浜田のことを思い出したのは本当に久しぶりだった。別に忘れようと努力したわけではないし、ただアイツが留年して、一緒にいることが少なくなって自然とフェードアウト。うん、そんな感じ。それでも浜田の名前を聞けばピントの合った浜田の顔が浮かぶし、声も、一緒にばかやったことも、割りと鮮明に思い出せる。それ以上でも、以下でもないだけで。

「って具合に」
「オレんとこ来たわけか」

器用に手と口とを動かして浜田はわたしとコミュニケーションを取る。友達から聞いた通り、浜田は1年の教室でひとりチクチク縫い物をしていた。これがまた妙に似合う。…じゃなくて、とりあえずなにも躊躇わずに声をかけた。おお!?と背筋を伸ばした浜田は、わたしの姿を見つけてへらりて笑って「どうした」、それから少し順番は違ったけれど「久しぶり」、それに続けてわたしの名前を呼んだ。で、浜田のところに来た理由をさらっと説明して今に至る。

「針と糸貸して」
「えー」
「え」
「え、なに」
「渋られるとは思わなくて」
「まさか」

もう一度へらりと笑って、今度は糸と針をこちらに寄越す。おー、と受け取って、何気なくブラウスを脱いで(別にそれに対してお互いたじろいだりは今更しない)、手際よく玉止めを作って、ブラウスにさっくり針を向ける。

「あのさあ」
「なに」
「貸してから言うもんじゃねーんだろうけど」
「だからなに」
「それ貸してやったお返しにさ、今度の野球部の試合観に来ねぇ?」
「………試合?」

カチカチカチとシャーペンの芯をだして、ちぎったルーズリーフに日付と試合会場と始まる時間を書く。書きながら、「お前野球観たことある?」「お父さんがテレビで観てる巨人戦を斜め後ろからながら見ぐらいは」「ルールは?」「打って走ってホーム帰ってきたら1点」「他には?」「3アウトでチェンジ?」「上出来じゃん」なんて会話をした。そして書き上げたらしく、ココ、と返事もまだしていない私にそのメモを押し付けて、「すっげーキラキラしてるから」と他人のことなのに自慢気に笑った。すごく楽しそうに笑った。その笑顔に負けて受け取ってしまったメモには、見慣れた字がある。その日付と自分の頭のなかの手帳を照らし合わせて、そこには何も書かれていないことを思い出した。プチンと糸を切って、ブラウスを少し遠くから眺める。よし出来た。さらりとその袖に腕を通し、ぷちぷちボタンを留める。それから針と糸を返す。浜田は相変わらず自慢気に、しかしどこか必死そうにこちらを見ていて、どうしても目はそらせなかった。
「考えとく」
「おお、さんきゅ!」

にこにこ笑いながらヤツがまた手元の縫い物に集中し始めたので、そっと教室を出ようとする。でもその足はもう一度先ほどまで話していた男の声によって止められた。振り返る前に「待ってっから!」と言われたので、背中を向けたままひらひらと手を振る。そういや針と糸ありがとうって言い損ねたな。これは、行かなきゃいけないパターンかも、な。





うん、自分は割りと律儀な方なのかもしれない。やっぱり借りを作ったなら返さなければと考えてしまうし、言い損ねたありがとうの代わりに今日こうやって、球場に来てしまっている。でも、遠くに見つけた、クソ暑いなかでも冬の学ランを着た団長の姿を見て、コイツはわたしなんかよりよっぽど律儀なヤツだと悟る。特に声はかけずに集団の後ろの方から着いて行く。今日ウチが当たるのは、去年の優勝校なんだそうだ。

もしかして、と思わせた回も、やっぱりか、と思わせた回も、ヤツは声を出し続けた。その横の友達(私も当然知っている人間だ)はトランペットを吹き続けたし、太鼓を叩き続けた。それにつられてスタンドも何度も何度も声を出した。そして勝った。あの、去年の優勝校にだ。これはすごいことなんだろう、大番狂わせに違いない。最後のバックホーム、審判のコール、会場の歓声、跳び跳ねる西浦のひとたち。そのどれもがたしかにキラキラしていた。本当に、キラキラしていた。でも。





「ねぇ浜田」

試合後、会場を出てわいわいと勝利の余韻に浸るなか、わたしは浜田に声をかけた。マジで来てくれたんだ!と声を弾ませた浜田の、汗と雨でぐちょぐちょになった学ランの袖を掴む。

「な、キラキラしてただろ?」
「…してた」
「もうオレやべーこのチームにありがとうとしか言えないくら」
「ねぇ、浜田」
「…い」

もう一度名前を呼ぶ。

「今日、もうちょっと一緒にいたいんだけど」

浜田の目が変わる。余韻を引っ込めて、口を閉じる。さっきまでの浜田は1年生の浜田、いまの浜田は、わたしと同い年の浜田。急にまじめな雰囲気がわたしと目の前の男を包む。からだ全体に走った力を抜くために思わずきゅっと握った手に、学ランから染み出た水分が伝った。ぽたり、ぽたり。

「じゃ、今日は一緒に帰ろっか」

何気なく笑ってそう言った浜田。一瞬ぽかんとしてしまった自分にすぐに喝を入れて、ありがとうを絞り出す。別にこの応援団長を変な意味で独り占めしようとか思ったんじゃなくて、ただもう少し一緒にいたいと思っただけ。だって、だって。誰よりもキラキラしてたから。わたしにはグラウンドの選手よりも本当に、誰よりも、フェンスのこっち側にいる応援団長が一番キラキラして見えたんだよ。アンタが、一番だった。もう、目なんて離せなくて、悪いけどゲームそっちのけでアンタ見てた。ただのツレだった半年前もあったし、つい最近まで忘れてたりもしたけど、もう誤魔化し効かないくらい、今日からは特別。わたしの、特別。



まだ言わないし、言えないけど。なんて小さくごちて、着替えた浜田の横を歩く。会話の内容は相変わらず一緒にばかやってた頃と同じだけど、やっぱり違うものもある。例えば、その距離とか。なにも言わなかったけれど、ふわりと違う。その差はごくわずかなものだけど、それでもわたしにはそれがわかった。ああ、どうやってこの距離をもっと、もっと、縮めようか、どうやったら縮まるだろうか。少し口をつぐんで考え出したとき、ひやりと手に触れるものがあった。ばちんと何かに弾かれたようにそれに指を沿わせる。レスポンス。薄いガラスにするようにやんわりちからを加えてきたもんだから、その倍くらいのちからを指にかけてみる。目は見なかったけど自分たちに見えない影は細く、恥ずかしげにでもたしかにあのブラウスのボタンのように繋がったので、この距離はいつかもっともっと縮められるかもしれない。ねぇ、ちょっと待ってて、いつか言うから。キラキラしたアンタに、魅せられた今日のこと。



110805


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