年末年始の客入りの良くなさは町柄としては良いことなのだと思う。だってそれはきっと家族に囲まれて過ごす男の人が多いってことではないかしら。健全な方ではあれウチだって水商売ですもの、来てくれることは直接の儲けが出るから嬉しいのだけど、なんだか人と自分の体の中の空洞をくっきりと意識してしまうようで複雑な気分になる。
 私は店内最低売上を常にひた走るキャバレー嬢なので、年明けすぐに休みをもらえてしまう。前述のようにお客が少ないからステージでの演奏も省いてしまうのだってオーナーは言う。
 休みといったって何をすることもない。趣味は歌と食べること。でも歌なんて限られた場所でなければご近所迷惑になってしまうし、料理はできない。スタジオを借りるにせよ外食するにせよ、なにせ不人気キャバレー嬢だから大してお金も持っていなくて難しい。


「まったく私はしょーもないなあ」


 惰眠を貪るのに飽きて床に直接座り込み、チラシなんかをパラパラ見ていた。だけどそれにも飽きてしまって、眠くもないのにまた後ろのベッドへ寄りかかる。
 随分長い間使い続けてきたカバーに顔を擦り付ける。お洗濯はそれなりにしているから清潔だけれど、目に見えてくたびれた生地は毛羽立って肌にザラザラした感触を与えて来るからあまり気持ちのいいものではない。せっかくの休みなのに自分の寝具にも癒されない。


「まったく、しょーもない!」


 さっきと同じ言葉を独りの部屋に腹式呼吸で響かせる。「んふ」ちょっと面白い。
 しょーもない、しょーもない、と小さな声で歌うように繰り返しながらまたチラシを持ち上げる。
 しょーもない、しょーもない。保存食品、保存食品、冬服、下着、保存食品、冬服、冬服…いかにも季節物を処分したげなチラシはいくらでもポストに投函される。セール!セール!セール!!そういうのでも良いからショッピングぐらいするのも楽しそうだけれど、やっぱり楽しめるほどのお金は無いの。まったく本当にしょーもない。


「…あら。羽毛布団、いいわねえ。買えないけど」


 くたびれたベッドカバーに思いを馳せ、目にとまったチラシに向かってそう声に出してみる。
 でも。
 布団は買えないけれど、カバーぐらい買ってしまおうかしら。チラシの端に“その他”と書いてあることに期待を持って、出かけてみることにした。
 財布が入りっぱなしのバッグを持って玄関へ向かう。壁にかけてある姿見がちらりと目に入ってドアノブにかけた手を止める。お化粧…は、近場だし、まあいいか。






「――あ」


 目的地に向かう途中、見慣れた大きな人影を見つけた。来店の度、私なんかを指名してくれるお金持ちのお客様。外で見かけたことなんて今まで無かったから状況のレアさに微笑んでしまう。
 彼はしばらく来店されてなかったから、年始のご挨拶ぐらいしたい気分だけれど止しておく。お店を出たらお客とは見知らぬふりをする。こういう仕事は、そういうものなのだ。そうじゃなくとも隣に長身で鼻筋の通った美女を連れているからお邪魔でしょ。
 私はあんまり詳しくないけど、彼は海賊で英雄なのらしい。人が花道でも作るみたいに集まって、彼の名前を口々に叫んでいる。自分の無気力さではそこに混じれる気がしないので、近くの建物の壁に寄りかかって彼が通り過ぎるのを眺めることにした。
 お店では見ない昼間の厳しい表情も素敵なのね、クロコダイルさん。恐ろしい雰囲気はどこで見ても一緒だけど、彫りの深い男らしい顔立ちは太陽の光でより暗い陰が落ちてさらに危険な感じがする。それがまた色っぽい。
 隣の美女が小さな手帳を取り出して何か話しかける。彼がそれを覗きこむように首を捻る。美女がこちら側を歩いていたから、それで彼の顔を正面から見ることができた。右耳のピアスが覗いてチラリと光る。
 相談事?が、終わって視線を上げた彼の片眉が持ちあがり、その場で足を止めた。どうしたのかしらと眺め続けていると、なんだかこちらに向かってくるみたい。進行の邪魔になる前に、人々が彼に道を開ける。なにか目に留まるものでもあったかしらと周囲を見回していると、


「テメエだよ、レディ」


 愉快そうで不愉快そうな低音が正面からした。
 視線を戻して、それから顔も正面に戻す。


「こんにちは…ええと、英雄さん?」

「…いつも通りにしろ」


 気持ち悪ィ、と眉を寄せて見下ろしてくる顔はやっぱり陰が濃くていつも以上に恐ろしい。チビな私と大柄な彼と、こう身長差があると自然光の中では近くで見上げるだけで逆光になるものなのね。輪郭と、目と、葉巻を咥える歯だけがぼんやり明るい。


「サー」


 美しく女性らしい低音に、爬虫類のように小さな瞳だけが応答する。


「なにかあって?――あら、」


 美女がゆるりと横に並ぶ。こちらも相当背が高い。近くで見ると、本当に綺麗で彫刻みたい。「可愛い人ね。こちらは?」妖しげで優しそうな目を柔らかく細めて訊ねてくる。
 そういえばプライベートなことを訊いたことがないから恋人や奥さんの有無なんて考えたこともなかったけれど、この人がそうなのかもしれない。だとすれば自己紹介がちょっぴり難しい。 キャバレー嬢です、贔屓にしてもらってます なんて言ったら機嫌を損ねさせてしまうかもしれないし…「ええと、」…どう言ったものか考えていると「贔屓にしてるキャバレー嬢だ」とクロコダイルさんはアッサリ答えてしまった。


「そう。贔屓の。珍しいのね」

「まあな」

「ふふ、可愛いもの。食べてしまいたいかも」

「ハムみてえでな」

「嫌な例えね」


 体つきに見合った細長い指が頬に触れてくる。優しいタッチでつつかれて、綺麗に笑みを深められる。機嫌を損ねるどころか楽しそう。


「白くてフワフワ。マシュマロみたいだわ」

「んふ。どうも」

「ハッ。――で、テメエはそんな面でどこへ行くんだ」

「“そんな面”?」


 言われてスッピンなのを思い出した。「いっけない」と手で顔を隠すと美女が「可愛いから良いじゃない」と褒めてくれる。嬉しいけど、恥ずかしくて手をどけれない。まとめていない髪も、天然パーマと言えばまだ聞こえは良いかもしれないが悪く言えばボサボサだ。


「べ…ベッドカバーを買いに」

「ほう。ンなカッコでか」

「近くだしセールだし、まあいいかと」

「ァあ?…ビンボったらしいことを…」


 ヒヤリとした感触に手をどかせられる。あの恐ろしい鈎爪だ。そのまま引かれて巨体にぶつかる。


「行くぞ」

「?」

「あら。サー、予定は?」

「やっとけ」

「ふふ。了解」

「??」


 美女が愉快そうに去っていくのと彼の顔を交互に見る。「行くぞ」また言われて「どこへ?」と訊ねる。


「買い物だ」

「なんの」

「テメエのだよ」

「一人で行きますよ。クロコダイルさん、ご予定があるのでしょ?」

「聞いてたろう。アイツに任せた」

「随分寛大な奥様ですねえ」

「オクサマだぁ?」


 ものすごく眉を歪めて「勘弁しろ」と舌打ちされる。お仕事のパートナーだそうだ。それはそれで蹴って良い予定ではなさそうだけど、あんまり口を出すと怒られそうなので黙っておく。
 手を放されて、彼は私が行こうと思っていた店とは違う方向に歩き出した。「あっちですよ」声をかけても「黙ってついてこい」と振り向きもしない。
 歩く歩幅が全然違うから、ついて行くにはちょっと走らなくちゃいけなくて息が上がる。
 進むほど、町並が高級そうになっていく。


「…あの…ハァ。く、クロコダイルさん。ハァ、ハァ」

「なんだテメエは。運動不足か」

「いえ、あの。ハァ。あ、足の長さが、ハァ」

「…ああ」


 ようやっと振り向いて歩調を緩めてくれる。それでも少し早足をしなくちゃならないのだけど、このぐらいなら問題ない。息を整えながら横に並ぶ。


「で、あの。この先の界隈じゃ私にお買い物できるようなお店は、無いんじゃありません?」

「だろうな」

「でしょう。行っても何もできないわ」

「構わん。テメエにゃ買わせねえ」

「えええ??」


 じゃ、私戻りますけど。
 そう言って来た道を振り返ろうとすると、また鈎爪が今度は腕を引っかけて抱き寄せるようにされる。といってもお腹あたりに頭がぶつかるんだからロマンチックでもなんでもない。ほんと、長い足。


「汲み取れ、アホ。プレゼントしてやるってことだ」

「え、どうして」

「…ワーストってのはそういうもんなのか?」

「?…あー…」


 そういえば人気な子には年中イベント毎に、いえ、イベント関係無くともプレゼントの包みがよく届く。
 これは、“新年”ってイベントの、そういう贈り物ということかしら。
 そういうのは諦める以前に自分には縁遠いことだと理解していたから、思い当たらないのは仕方ない。


「…そういう…」

「ったく」

「そんなの、初めてだから気付かなくって。ごめんなさい」

「チッ」


 舌打ちしながら腕の力を強くされて、鍛え上げられた体を衣服越しにも確認できるほどぴったりくっついてしまう。
 なんだか慣れないこの感じに照れてモシャモシャと髪を擦り付け甘えるようにしてみると、ペットみたいだったかしら、少し慎重な動作で鈎爪を持ち上げて髪を梳かれた。気持ちいい。


「んふ。嬉しい。…でもなあ…」

「なんだ」

「恥ずかしいわ。こんな、」


 スッピンで、ボサボサ頭で、部屋着とそう変わらない普段着で、こんな高級街。
 自分で言ってて火照った頬を、誤魔化すようにさらに擦り付ける。


「クク。気にすんな」

「気になりますよ」

「なに、ベッドカバーごときがプレゼントじゃねえ」

「?」


 首を傾げて顔を見上げる。進行方向に向けられた横顔はやっぱり逆光で目と歯ぐらいしかわからないけど、それらは楽しそうなカーブを描いているように見える。
 視線に気付いた彼が右手で葉巻を口から外す。「ふー」と煙を吐き切ると屈むようにして近寄ってきて、


「豪勢な一日をくれてやるよ、****」


 特別柔らかい声で耳元に囁かれた。
 その声に、すでに赤いだろう頬っぺたがさらに熱を上げてしまう。だいぶ愉快そうな笑い声が上がるから、それはもう茹でダコみたいになっているかもしれない。


「クハハハ!まずはブティックか?」

「っ、……お任せします」

「クク…!」


 恐ろしい風貌で乱暴な言葉を使うくせに、どうしてこう、この人はとろけてしまうような甘みを味わわせてくれるのかしら。それもこんなしょーもない女に……
 ――なんて、自分で言うのもなんだわね。

(2011年1月11日)


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