店一の女を連れてこいと言った。


「下から数えてな」


 剃りすぎの眉が青々したオーナーは登場と同時に媚びへつらった態度でお迎えのご挨拶を並べたてたが、途中で注文された内容に手もみのポーズでフリーズした。


「はっ?あのー…トップの娘?でございますね?かしこま…」

「ワーストだ」

「……??」

「何度も言わすな。テメエの鼓膜は死んでんのか」

「いえ!いえ!大変失礼いたしました!ゎ…ワース…ト、の。ええ!連れて参ります、少々お待ちを…!」


 わざと不機嫌な声を出してやれば、一気に汗だくになった面で情けねえお辞儀をされた。気の弱い奴は単純だ。からかうのもここまでスムーズだとつまらねえ。





 人間誰しも理由なく唐突に退屈感に襲われることがあるだろう。今夜の俺はまさにそれで、予定していた仕事を蹴って街に出ることにした。
 「珍しいのね。あなたが予定を狂わせるなんて」。パートナーにはいつもの微笑で言われたが、嫌みに取れるそれは「やっとけ」の一言で済ましておいた。大概の仕事はあいつにやらせたって構わないのだ。俺がやりゃあ当然確実でベストだが、ベターな仕上がりで問題ないものは今日はそれでいいことにする。

 退屈を紛らわすには普段と違ったことをするのが手っ取り早い。だがこんな気紛れのために趣向を凝らすのも面倒に思う。故に安直に行動を選ぶ。
 そうして俺は見知らぬキャバレーでランクの低い女と遊んでみることにした。店は単純に決めた。ここの看板が、一等派手だった。

 入口のボーイに札束を放り「喧しくねえ席を」と言ったら、通されたのは唯一壁際に設置された天蓋付きのボックス。まあまあ広いホールはソファとテーブルが簡単な衝立で間仕切りされているだけで、安っぽい輝きを放つドレスをなびかせる女共があちらこちらと飛び回っている。ここはこの店なりのVIP席とでもいったところか。
 天蓋をそっと捲られて中に促され、テーブルとソファに迎えられる。赤いベルベットの張られたソファは見目はなかなかだが俺には少々柔い。尻が沈みすぎて座った気にならねえ。おさまりがイマイチで舌打ちをひとつ零せば、それに素早く反応したボーイは慌ててオーナーとバトンタッチした。なかなかの防衛本能だ。





 そうして冒頭に至る。

 目だけでオーナーの行き先を追う。
 なにせワーストだ、お呼びもかからず暗がりの控え所かなんかで安煙草でもふかしてんじゃねえだろうか。そう想像してみたのだが、外れたらしい。
 オーナーはホールへと一直線に歩を進めている。どこぞの席のヘルプでもやっているのか?――これも違うようで、どのテーブルにも見向きもせず、演奏中のステージに辿り着いた。そうきたか。
 表の看板に合わせているのであろう派手なジャズミュージック。体を揺すってコーラスする小太りの女を手招きしている。メインのボーカルよりも耳に残る声だ。脇役には少々もったいねえが、まあ見た目負けでそこに配置されたんだろう。
 女は手招きに気付かぬようで、コソコソ壇上に上がったオーナーに肩を叩かれてようやく歌を止めた。途端に音楽がハリを失う。腕を引っ張られてステージを降り、何か言われながらこちらに近付いてくるとちょっと手前で止まらせられ、オーナーだけが顔を覗かせる。


「お客様、失礼いたします。こちらが当店のワースト娘です。なにぶんワーストですから失礼がないか私共心配でございまして、もしよろしければトップの…」

「入ってこい」


 下らん提案を遮って女に聞こえるように言ってやれば、自分を指差して首を傾げている。そうだ。俺は頷き、背もたれに引っ掛けた左腕を顎で指す。呆けた面したオーナーを肉厚な肩で押し退かせ、女は臆せず近寄ってきた。


「こんばんは。****です。失礼しても?」

「ああ」


 左手の代わりに鈍く光る俺の鈎爪にビビりもせず、遠慮なしにボスンと座る。
 引きつった笑顔のオーナーが酒の注文を尋ねてくる。俺はちらりと女を見た。何でもお好きに、無言でそう示すように小首を傾げられる。黒い袖無しドレスの胸元を飾る金色のスパンコールに目がいって、「上等なシャンパンを」と言えば「それからお水」と女が言い、オーナーは引っ込んだ。


「水?」

「お嫌でした?白ける?」

「いや。…すげえ汗だな」

「んふ。太っちょだから、ワンステージで滝みたい。声も太っちょ。だから人気がないんです」

「女にしちゃ渋い声だ」

「ワクワクしないでしょう」

「悪かねえ」

「んふ」


 ふと、女が俺の腕どころか背もたれにも体を預けていないことに気付く。この柔いソファでピンと背を張って、キツそうな姿勢で小刻みに震えている。白い肌を汗の玉がポロポロ流れ落ちていくのを見て額に触れようと右手を伸ばせば、「汗が」と言って慌てて離れられた。健気じゃねえか。「まあ見てろ」と構わず触れた手のひらでそれらを吸い取ってみせる。


「どうやってるの?」

「…極度の乾燥肌でな」

「ええ?そんなこと?」


 悪魔の実の説明が面倒でそう言ったら、驚かれた次に笑われた。
 後ろを向かせて背中も同じようにしてやる。まとめ上げられた金色の巻き毛が、なだらかな項に一筋流れ落ちている様がなかなか良い。そいつを指に挟んで肩をなぞりながら前方に流してやれば、鳥肌を立てて振り向いた。


「くすぐったい」

「終いだ」

「どうも。わあ…すっかりサラっとした」


 程良くオーナーがカートを押してやってきた。ボトルクーラーなんかをテーブルに置きながら、片手間に女へ水の入ったグラスを渡す。「ありがとオーナー」すぐに飲み干して返す。
 シャンパン以外にカートに乗せられたチーズや切り分けられたローストビーフの皿を突き出して「こちらはいかがですか?」と訊いてくるので女を見ると、分かり易く瞳を輝かせて腹など鳴らしていやがるから、ガラにもなくふきだしてしまった。


「クハハハ!ああ置いてけ。デザートも持って来い」

「かしこまりました!」


 語尾にハートをくっつけてオーナーは嬉しそうに厨房へ引っ込む。女はソワソワしながら前のめりだ。お預けされた犬かテメエは。笑っちまう。
 ボトルをクーラーから引き出して片手で栓を抜けば、軽快な音に女はハッとしてこちらに向き直った。


「いっけない。おつぎします」


 女はボトルを奪いクロスに伏せて置かれた細いグラスを一つだけ取ると、ゴールドのシャンパンを注いで差し出してきた。「ん」と顎で次を促すと、テメエの分を準備するかと思えばクーラーにボトルを戻しやがる。
 おいおいおい。そりゃねえだろう。普通は「私もいただいて良いですか」なんてお決まりのお伺いがあるもんだが、スムーズに自分はスルーだ。ジョークか?
 ぽっちゃりしてるが指先だけ細い手にもう一つグラスを握らせ、戻されたボトルを再度抜いて傾けてやれば、長いまつげを本気でパチクリさせている。どうやらジョークではないらしい。


「いただいちゃっても?」

「…いただかれねえ方が水より白ける」


 不可解なそれについて、女が言うにはこうだ。


「私ほら、太っちょでしょう。だからお客にからかわれるんです。いつもそう。お前はダイエットしなきゃなって。美味しそうなお酒やお料理を目の前に並べられて、我慢をさせられるの。私も解ってるから、やっぱり?なんて言って笑ってもらうんです。こんなだから、そういう役割なんでしょうね。それから下らないこと沢山言って笑っていただくのがテーブルでの私のお仕事。だからお水を一杯だけいただくの。どうせタダですし。でも、おしゃべりしなくちゃならないのに、水一杯じゃ足りないんだわ。お腹はすくし、のども痛めてこんな声にもなろうってものよ。どうせなら酒やけでもしてみたいわぁ」


 少々大袈裟な手振りで滑稽に話しをしてみせる女に不快になった。
 俺はフェミニストでもなんでもねえが、そういうちっぽけな優越感を一時味わいたがる弱者共の、下らん商売女虐めが嫌いなのだ。金で女の時間を買う俺も客だが、そいつらへの振る舞いと同じにされるのは不愉快だ。
 改めてボトルを氷の詰められたクーラーに差し込んで、女が注いだグラスを摘む。


「…テメエは笑われてえのか?」

「怒られたり無視されるよりは、そうですねえ」

「消去法で考えるな」

「うーん…なら、褒められたいかしら」

「――ハッ。なら、今夜はとろけるほど褒めてやろう。まずは乾杯といこうか、レディ…、」


 耳に口を寄せて演技がかった甘い声で名を囁いてやれば、またまつげをしばたかせて今度は頬を染める。なかなか愛らしい表情をするもんだ。
 今日の俺を襲った退屈に感謝するんだな。このクロコダイルのお相手など滅多にできるもんじゃあないのだから。
 合わさったグラスが繊細な音をたてる。タイミングよくオーナーが豪勢なフルーツケーキを持ってきて、俺達を見てフリーズした。ああオーナー、そのケーキにメッセージプレートでも立ててくれ。ディア・****と書き入れたやつを。

(2010年11月26日)


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