「相変わらずやたら食うな、テメエは」 「うーん。だって、お客がつくまではだいたいステージですもの。たっくさん汗かいて、腹ペコ。まあ、お客がついたってほとんど食べれないばかりなんですけどね」 女は一人で笑って、一人で食う。 もうこのキャバレーには何度か通ったが、その間こいつがソファの背もたれに置かれた俺の腕に凭れかかったことはない。毎度前のめりで飯に夢中なのだ。あんまり嬉しそうに食うもんだから俺もついオーダーしてしまう。 飯にパクつく姿を眺めながら、手持無沙汰に左腕の鈎爪の背で女の肩甲骨を探ってみる。金属越しにすら肉の感触を得る豊満さに眉を顰めた。 「ちったあ痩せようとか思わねえのか」 「痩せたら綺麗?」 「…痩せなきゃ判らん」 「じゃあ、今は?」 むに、と音のしそうな首をくねらせて顔だけこちらを振り返る。生意気な訊き方をするもんだ。 女は太っちゃいるがダレた体はしていない。むしろハリがあるように思えるし、パッとした大きな瞳とボリュームある唇が印象的な面も整った方だろう。白く透き通るような肌と天然で巻かれた金髪なんかは、俺を気に入らせるほど美しい。 だがこの店じゃコイツの肥満体型が不人気なんだそうだ。御蔭様でいつ足を運ぼうが待ち時間ゼロである。不人気大いに結構。例え人気だろうがこのクロコダイルを待たせるなど店の側で有り得ねえが、大事なのはそこじゃない。俺が楽しめるかそうでないか、気に入るか入らねえか。それだけだ。 女がよくする仕草を真似て、首を傾げて答えてやる。 「…クク…悪かねぇよ」 「まっ」 自分で挑発しておいて女は頬を染めた。上手い反撃になったようだ。 「笑ってもらうところだったのに…クロコダイルさんたら、変な人」 「俺の反応を決めつけてかかるテメエがアホなだけだ」 「んまっ」 そうしてまた食事に手をつける。 どうやら今日はカレーライスが気に入りらしい。カップの中で香辛料の粒を浮かせたルーが、なかなか俺好みの匂いを漂わせている。そいつを柄杓で掬い上げて飯にかける女の顔の嬉しそうなことといったら、アホ臭ぇがそれを見る俺の口角も上がっちまうほどだ。 食う支度のできた皿を膝の上に乗せて、食事中には珍しく女が体ごとこちらを向いた。「辛いの、お好きそう」と言って小首を傾げるので「まあまあだ」と返すと「やっぱり」とニッコリ笑う。大ぶりに切られた肉が乗ったとこを掬って「あーん」と差し出してくる顔が幼く見える。歳なんか知りやしねえが。 葉巻を指に挟んで首を突き出し、そいつを迎えてやった。カチリと金属が歯に当たって口を閉じる。ゆっくり引き抜かれて舌の上に残されたソレは甘みが少ない。予想通りまあまあの味だ。肉もよく煮込まれていて柔らかい。数回噛み砕いて飲み込むと、喉に軽く余韻が残って独特のスパイス臭が鼻を抜けた。 「いかがです?」 「ああ、まあまあだ」 「んふ。同じセリフばっかり」 「るせェな」 「お口に合ったなら、良かった」 今度は女が口に含む動作を眺める。 紅いルージュのひかれた厚ぼったいそれが金属を食み、抜き取る際には粘膜が引っ張られてピンクが覗く。米が一つ唇に残っているが、大して気にせずゆったり咀嚼を始める。よく噛みすっかり飲み込んでから「ん、美味しい」と言って、そこだけ細い指先がようやく唇の米粒を拾う。僅かに濡れた舌先が覗き、チュ、と音を立ててそれは吸いこまれた。 無意識だろうが、こいつの食事は少々エロい。 「おい」 「はい?」 「もっと食わせろ」 「あら。珍しいですね」 尚更嬉しそうに顔を輝かせて、また俺の口にそれを運ぶ。 「いつもほとんど食べないのに」 「俺ァ気紛れなんだ」 「んふふ。シャンパンは?」 「飲ませろ」 「んっふっふっふ」 グラスを摘まみ上げ近付けてくる。下唇に触れると傾けられ、淡い炭酸が口ン中へ少量注ぎ込まれた。「もっと?」「ああ」もう一口。 こんな甘ったるい行為はそれほど好みじゃないが、今はそんな気分にさせられたのだ。爽快な口当たりの液体を舌で転がし、少々大げさに喉仏を動かせて飲み込んでやる。 グラスを置いてまた飯を食う。 女は自分が咀嚼する間に俺の口へスプーンを運び、俺が咀嚼する間は自分に運んだ。 「…なんだか可愛いみたい」 「ああ?」 「お顔は怖いのに」 「ハッ。どっちにしろ褒められてる気はしねえな」 順が決められているようにそれを繰り返して、何度目か俺が食う番だった。女は素早く手を引っ込めて、スプーンをテメエの口に入れやがった。 口を開けてた俺の面はさぞ間抜けであったろう。それをゆっくり閉じてじっとり見つめてやれば、悪戯っぽい表情で顎を引いて見上げてくる。モグモグやってる頬袋はパンパンな上、口端からはカレーが垂れてよっぽど間抜けなくせして、してやったりとでも言いたげだ。俺で遊ぶとは、生意気な奴め。 灰皿を引き寄せ葉巻の火を消す。その手を近付けると女は引っ叩かれるとでも思ったか体を強張らせて目を細めたが、そうではないことを知って脱力した。 中指を立てて口端を拭ってやる。ようやく口の中を空にして俺の指を見つめる女に「ン、」とそれを突き出す。女は数回まばたきをして吸い付き、すぐに離れる。関節のまわりをグルリとルージュが囲っていた。 「あ。いやだ」 上がる声を無視して、そこに舌を這わして見せてやる。 骨の張った関節に絡みつかせるようにしてじっくり紅を舐め取り、そのまま口腔に引き込む。歯を立てるのを見せつけてから唇を閉じ、さっき女が米粒を吸い取ったときのように音を立てて引き抜いた。 うっすら歯型の残ったそれを見てみるみる桃色に変わっていく女の頬が、しゃぶりついたら美味そうだと思う。 「テメエの頬っぺたをこうしてやりてえもんだ」 「…やだ、もう。食べ物じゃあるまいし」 「ん。ハムか?」 「んまっ!」 失礼ね、せめて果物にしてください。と笑って、女は初めて俺の腕に凭れかかった。 (2010年12月8日) ←list/cover/top |