逃亡(劇)

02


 鞄を掴み、窓に手を当てる。動く。どうやら、鍵はかかっていなかったようだ。

 簡素で片付いた、初めて見る部屋に入る。ベッドも机も何もかも、ステンレスフレームの温かみのない印象だ。その冷えた様子に、何故だか遊糸はぞっとした。
 確かに、そうした家具は持ち運びが楽だし、趣味なのかもしれないが。

「…っ、かんけ…ねぇ…」

 もうここには帰って来ない。この部屋を見ることも二度とないだろう。
 そろりとドアに近付き、耳を押し当てる。物音はしない。
 ゆっくりノブを回して、廊下に出た。ちらと自室を見ると、壁とドアを金具で留められ、その金具に大きな南京錠が下がったものが、3つ付いていた。
 吐き気が込み上げる。

 慣れ親しんだ家を、足音も物音も立てないようにしながら進む。橘に動きはない。

 どうにか遊糸は、マンションを後にすることに成功した。


+++


「遊糸! おはよう、大丈夫なのか?」

 休み時間の教室に着くなり、海が駆け寄って来てそう言った。何が、と訊くと、体調悪くて休むって先生が言ってたから、と答えが返った。橘はきちんと手回しをしていたらしい。

「ぅん…だいじょぶ…」
「全然大丈夫な顔してねぇけど。青いぞ? 保健室か、やっぱ家で休んだ方が、」
「海」

 意を決して、海の腕を掴む。躯が気怠い。恐怖が胸の内に渦巻く。

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